特異現象捜査部の部室を出て、私と先生はさっそく3人のうち一人に会いに行くことにした。ヒマリの話では、3人のうち2人はミレニアムの生徒会とでも呼ぶべき、セミナーの人間だそうだ。そのため、まずはセミナーに話を聞くのがいいだろうとアドバイスをもらった。
「先生。話を聞くくらいなら、私だけでも出来る。仕事が忙しいようなら、先にシャーレに帰ってもらっても……。」
「ありがとう、リンゴ。でも大事な生徒のことだし、私もちゃんと聞いておきたいんだ。」
相も変わらずお人よしなことだ。まあセミナーと先生には繋がりがあるようだし、いてもらった方が話もスムーズだろう。私の前を歩く背中を見ながら、つい打算的な考えをしてしまう。
「着いたよ。ここがセミナーの部室だ。」
「ああ。それじゃ―――」
「コ~~ユ~~キ~~~!! あなた、また機密ファイルのロックを勝手に解除したでしょ! 今日という今日は絶対に……」
「あら、先生?」
ドアを開いた先の光景は、私の想像していたものとは大きく異なっていた。ハイテクなミレニアムの生徒会ならば、もっとこう、きちっとしているものだと思っていたが、現実は泣きじゃくる桃色の髪の子供を追い掛け回す生徒と、それをニコニコと見ている生徒。
「やあノア。それにユウカも。今日も元気そうだね。」
「せ、せせ先生!? あの、違うんですこれは! 私はいつもはこんな風じゃなくて!」
「うふふ♡ 慌ててるユウカちゃんもかわいいですね。」
ユウカ、それにノアと呼ばれた生徒と先生とは、どうやらかなり親密な仲らしい。流石にその輪の中に入っていく勇気もない私は、大人しく自分の仕事を遂行することにした。
「どこに行くつもりだ?」
「ひえっ!? な、何するんですかー! もうちょっとで逃げ出せそうだったのにー!」
「あっ、コユキ! もう、油断も隙もないんだから……。」
コユキと呼ばれた生徒は私に襟をがっちり掴まれてなお、じたばたと暴れて無駄な抵抗を続けている。少しだけ可哀そうにもなるが、私もこいつに用があるのだから仕方ない。
「そういえば先生、そちらの方はどなたですか? 初めましての方と思いますが……。」
「ああ、そうだよね。リンゴ、自己紹介してくれるかな。」
私は頷き、一歩前に出た。
「私の名前は黒沢リンゴ……シャーレで先生の護衛や補佐を努めている。今日はその関係で、ミレニアムの何人かの生徒に聞きたいことがあって来た。」
私の言葉を受け、ノアとユウカの表情が怪訝なものへと変わった。
「護衛……そういった話は聞いていませんが、つい最近のことなのでしょうか?」
「それに補佐……って、ま、まさか先生、毎日この人と一緒にいるってことですか?」
「……誤解させたならすまない。用を済ませたらさっさと消えるから、ひとまず話を聞いてほしい。」
私はコユキの襟を掴む右手はそのままに、左手でポケットからスマホを取り出す。
「この画像を見てほしい。これを見て、何を感じるか教えてくれないか?」
私が差し出したスマホの画面を、ノアとユウカの二人は覗き込んだ。その場にいた誰も言葉を発することなく、奇妙な静謐が辺りを支配する。
「……何よ、これ。」
ようやく、ユウカが口を開いた。彼女の唇は微かに震えているように見えた。
「
「ふふ、かわいい猫ちゃんですね。リンゴさんが飼われてるんですか?」
私が二人に見せた画像は、ネットで拾った子猫の写真だ。もちろん、これ自体には何の意味もありはしない。
(『スティッキィ・フィンガーズ』の拳が見えた様子はない……。どちらもスタンド使いではなさそうだ。)
ただし、画像を見せたかっただけではない。私の背後でパンチの残心を執っていたスティッキィ・フィンガーズが、誰にも知られることなく姿を消した。
(当てるつもりのないパンチだったが、どちらも瞬き一つしなかった。コユキの方にも反応はなし。こいつらはスタンド使いではないな。)
「いや、ネットで拾ったものだ。ただちょっと、アイスブレイクがしたくてな。」
にこやかな表情をつくり、私はいくつか当たり障りのない質問をした。生塩ノアの瞬間記憶、黒崎コユキの電子錠の開錠というそれぞれの能力がスタンドによるものではないかと疑ったための調査だったが、そうでないとわかった以上早めに切り上げるのにこしたことはない。
「ありがとう。これで十分だ。」
「そう? それじゃあちょっと、こっちの質問にも答えてほしいのだけど。」
何だ? ユウカがいきなり真剣な目になった。手招きされるままに先生とノアから離れ、私たちは部屋の隅に移動した。ようやく解放されたコユキが、あの人どんだけ力強いんですかゴリラですよゴリラと言っているのは、聞こえていないふりをしていてやろう。
しかし、わざわざ他の奴らから離れる理由はなんだ? まさか―――
(ノアではなく、こいつの方がスタンド使い―――?)
だとしたら大したものだ。私の攻撃を見て、冷や汗一つかかなかった。ポケットに入れたままの手のひらを、軽く握りしめて警戒を強める。
ひたひたと部屋の隅へと歩く背中が、やけに大きく見える。彼女がピタリと足を止め、ゆっくりとこちらに振り向いてきた。
(振り向きざまに殴りかかって来るのなら、左手で防御して―――)
私の緊張が極限まで高まったとき、ユウカが意を決したように小さく声を上げた。
「せ、先生とはどういう関係なの!?」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつ……? 私の困惑にも気づかないのか、ユウカは顔を真っ赤にしながら言葉を紡いだ。
「だ……だってあなた、凄く、その、セクシーな格好だし……! そ、そんな感じで先生の傍にいるから、す、進んだ関係にあるのかなって……! ち、違うから! 先を越されたみたいに感じたわけじゃないから!」
……確かに私は、特異現象捜査部のエイミと出会ってから、自分のしたい恰好をするようになった。学校に通っているわけじゃあないからと、仕立てた真っ白なスーツの胸元は大きく開き、下に着ているインナーまで見える。周りの視線が気にならないでもなかったが、それでもなりたい姿というのは心地がいい。
「……勘違いさせてすまないが、これは私の趣味であって先生の趣味じゃあない。先生に見てほしいからこうしているわけじゃない。」
「な、なら……。」
「何も特別な関係じゃあない。安心しろ。」
「そ、そうなのね。よかった……い、いや! よかったじゃなくて! っていうか、安心しろって何を!?」
とにかくそれならそれでいい、とユウカはパタパタと走り去って行った。もしあのまま喋らせ続けていたら、どんなことを暴露してくれたのだろうか。真っ赤な顔を隠しきれていないような気もするが、先生は鈍そうだから大丈夫だろう。私が胸元を露出し始めてから、露骨に距離をとろうとしていることに自分でも気づいていなさそうだったしな。
私たちは改めて二人に礼を言い、セミナーの部室を後にした。私は次の調査対象のもとに向かおうとしたが、先生はいかにも申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめん、リンゴ。実はこの後、トリニティに行かなきゃいけなくて……。」
「トリニティ? 大丈夫なのか?」
ヒマリからの情報によれば、トリニティは特にスタンドの関与が疑われる犯罪が多い学区だ。表向きは先生の護衛である以上、私もついて行かなければならないだろうか。
「大丈夫、送迎してくれるらしいからね。いつまでもリンゴに頼り切りってわけにはいかないよ。」
「しかし……。」
「それに、気づいてるかな。この特異現象捜査部の調査は、リンゴが自分からやりたいって言ったことでしょ?」
「生徒がやりたいことの邪魔を、私がするわけにはいかないからね。私のことは気にしないで、やりたいようにやってほしいんだ。」
「……ヤバくなったら、迷わず逃げてくれ。連絡も躊躇しないでほしい。」
送迎があることから考えても、恐らくは相当重要な案件だ。私が行ったところで関わらせてもらえない可能性の方が高いだろうし、ここは調査を続けた方が賢明だ。先生の背中を見送ると、それを見計らっていたかのように、私のスマホが呑気な通知音を鳴らす。
『やはり先生はズルい人ですね? 次の生徒さんは現在、フィットネスセンターでトレーニング中ですよ。』
……画面の向こうに、差出人のドヤ顔が見えてきそうな文面だ。いつの間に私の連絡先を入手したのかは知らないが、とにかく利用させてもらおう。私が一言だけ送った質問に対し、数秒で返答が帰ってきた。情報源としては本当に、これ以上のものはないだろうな。そう思いながら、私は次の目的地へ歩みを進めた。
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フィットネスセンター……その名の通り、様々なトレーニング器具に満ちた施設だ。全てのミレニアム生は研究の合間に、各々の身体のデータに基づいた効率的な運動が可能という触れ込みだが、あまりにぎわっている様子はない。そのおかげで、目当ての人物は簡単に見つけることが出来た。
「一之瀬アスナだな。私は黒沢リンゴ、シャーレで護衛を務めている。いくつか聞きたいことがあるんだが、いいか?」
ランニングマシンを利用していた彼女は、引き締まった体にうっすらと汗を浮かべ、健康的な魅力をこれでもかと放っている。正直不躾な質問の仕方だったと自分でも思うが、それでもアスナはにぱーっと音がしそうなほど、人好きのする笑みで対応してくれた。
「うん、いいよ! シャーレってことは多分、ご主人様に関係があるんでしょ?」
「ご、ご主人様?」
「そうだよ! シャーレの先生は、私のご主人様! あっ、ひょっとしてあなたもメイド?」
驚いたな。知り合って数日だが、先生に対しては誠実で優しい人物という印象を抱いていた。こんな美人を手籠めにしてご主人様とまで呼ばせるとは、いかにも優男といった風貌の割にやることはやっているらしい。
スーツのボタンを一つ閉めなおし、スマホを取り出す。セミナーで使ったのと同じ手段で行くか。
「アスナ。この画面を―――ッ!?」
スマホを差し出した腕を掴まれ、関節とは逆にねじり上げられる。こいつ、どこにそんな力があるんだッ!? い、いや、それよりも……!
「な、なんのつもりだ、アスナ。いきなり関節技なんてひどいじゃないか。」
「えっ? あっ、ごめんね! でもなんか、リンゴちゃんが私に攻撃してきそうな気がして……。」
「……!」
思わず息を呑む。一之瀬アスナの能力は、異常に鋭い直感。もはや未来予知の域に達しているそれは、何度もミレニアムの研究対象になったこともあるそうだ。だがいかなる理論や計算をもってしても、その謎を解き明かすことは出来なかった。
調査を依頼された際に、ヒマリが特に力を入れて調べてほしいと言われた相手だったために、一筋縄ではいかないだろうと考えてはいたが予想以上だ。
「……いや、謝るのは私の方だ。お前の直感は間違っていない。お前を試すため、攻撃を仕掛けようと考えていた。」
私は固められた腕が問題なく動くことを確かめた後、改めてスティッキィ・フィンガーズを出す。この距離からなら、スタンドの拳が届くまでに0.5秒もかからない。仮にアスナに敵意があっても負けることはないだろう。
「わっ、何それ何それ! マネキン? 人形?」
「ッ! 見えている、のか……!」
私は思わず、拳を握りしめた。攻撃のためではない。喜びのためだ。新たなスタンド使いを見つけたということは、『矢』の痕跡を見つけたということ。こいつから必ず情報を引き出してやる。
「よし……! 次はこれだ! この画像を―――」
「あっ、もう時間だ! ごめんねリンゴちゃん、もう行かなきゃ!」
「なっ……! おい!」
アスナは時計をちらりと見て、どこかへ駆けだしていく。逃がすわけにはいかない。
「話を聞かせてもらうぞ……! お前には、聞きたいことがたっぷりあるッ!」
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「……で? このぼろ雑巾みたいなのがずっとついてきたのか?」
「うん! 追いかけられてるなあって思ってたけど、どこに逃げても引きはがせないから楽しくなっちゃった!」
「だからってどこを走ったらそんな泥まみれになンだよ。……ったく、おいアカネ! 水でもかけて起こしてやれ。」
「……待て……。気を失ったわけじゃあ、ない……。」
そう、そうだ。まだ気を失うところまでは来ていない。あの後、本当にひどい目にあった。走っていくアスナはまともなルートなどまったく選ばなかったからだ。単純に道路を走るだけじゃなく、モノレールの上に飛び乗ったり、草むらの中をかき分けたり……。スティッキィ・フィンガーズがあったからよかったものの、そうじゃなかったら今頃モノレールの屋根から墜落して、吐き捨てられたガムみたいになるところだった。
「あら、ことのほかタフな方なんですね。ひとまず、汚れた服を取り換えましょうか。アスナ先輩、この人とシャワーを浴びてきてください。」
「わかった!」
「ちょっと待て……。私は……。」
「おう、顔あげろよ。」
言われるがまま視線を持ち上げると、燃え上がる炎のような赤い瞳が目に入る。その瞬間、疲れ果てた体に一瞬でエネルギーが装填された。死の脅威が迫るまで大切に、大切に備蓄されていたエネルギーが惜しげもなく使われた。体の全ての細胞が告げていたからだ。こいつは、強い。
「クッ……!」
「へっ、いい勘してるじゃねえか。アタシの名はネル、ここの部長だ。いつもならてめえみたいな部外者、とっとと蹴りだすところだが……本気で逃げるアスナに最後までついてきた、その根性は認めてやる。」
「だがアタシらと話をしたいんなら、そんな汚ねえ恰好だと失礼だ、だろ? シャワーと替えの服は貸してやる。わかったらさっさと立って行きやがれ。」
……こいつらが何を考えているのかはわからない。だが、敵対するのは得策じゃない。未来予知のような能力を持つスタンド使いに、恐らくこの中で……いや、この学校で最も強いであるネル。今の最悪なコンディションで相手出来るとは思えない。
「わかった……。使わせてもらおう。」
念のために、スマホを太ももの中にしまう。私のスティッキィ・フィンガーズのジッパーは、単純に穴を開けるだけの能力じゃない。ジッパーを開いた先……何かの内部に、異空間のようなものをつくることが出来る。十分な体積があれば、何かを中に隠すなんてのは簡単なことだ。
「ほら、アスナ先輩も。」
「はーい! リンゴちゃん、一緒に入ろ!」
「うわっ!? くっつくな!」
こ、こいつ……! 私のスティッキィ・フィンガーズを見ているはずなのに、警戒心とかないのか? ほとんど引きずられるように、私はシャワールームへ向かって行った。
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「行ったか? よし。アカネ、例の奴。」
「はい、部長。」
アスナとリンゴがシャワールームへ消えた後。ネルの指示で、アカネはスマホを取り出した。
「このメッセージ……超天才病弱美少女ハッカーなんてふざけた奴からのモンだったが、当たったみたいだな。」
「『そちらに白いスーツの生徒が来る。アスナさんの能力の秘密を知っている』……。どうやって知ったのかはわかりませんが、ヴェリタスあたりの仕業でしょうか。」
「悪い人には見えなかったけど、アスナ先輩の能力を知っているというのは本当なんだろうか。もしそうなら……。」
「……きちっと話を聞かせてもらわねえとな。」
ネルはごく自然に、愛銃のマガジンを確認した。慣れた手つきで再装填を行い、グルグルと手首を回す。まるで、戦闘前のウォーミングアップのように。