順風満帆な結婚生活を送っていたのだが、だんだんとすれ違いが多くなってしまう。
あとでpixivにも投稿します
風が吹いていた。
風は、雨の匂いを孕んでいた。
湿り気を帯びたアスファルトと、土の匂いである。
もうじき、雨が降るのだろう。
買い物袋の重さを確かめて、家路を歩いた。
ジャングルポケット、21歳。
よく晴れた、夏の日だった。
──ジャングルポケットのすれ違い──
卒業と同時に付き合いを始めたジャングルポケットとトレーナーの2人は、去年の夏に結婚した。
レースウマ娘としての稼ぎと、トレーナーとしての稼ぎを使って2人で買った小さな一軒家は、まだ真新しく輝いている。
鍵を開けて家にはいると、ムッとした暑い空気で室内は蒸していた。カーテンの隙間から落ちる夕焼けの赤が、燃え盛るようにゆらめいて見えた。
クーラーを点けて室内に冷風を送り、買ってきた食材を、使わない分だけ冷蔵庫に詰め込んでいく。
今日は彼の好物にしようと思った。
ハンバーグ、それもチーズ入りのものである。
彼の喜ぶ顔が見たくなったから、好物を作ろうと考えたのだ。
ジャングルポケットの夫。かつてトレーナーであった彼は案外と子供舌で、こういった子供が好む食べ物ばかりを好物にしていた。
服を部屋着に着替えてエプロンを付けると、慣れた手つきで包丁と食材をまな板に揃えていく。
同棲を始めた最初こそおっかなびっくりな手つきで、むしろトレーナーのほうが料理をする様であったが今ではもうすっかり主婦が板についたもので、玉ねぎのみじん切りだって手間取ることなく行える。
フライパンに油を入れ、温まったら玉ねぎを炒める。飴色になるまで、じっくりと。
そうして炒め終えたら皿によそって粗熱を取る。
合間に、味噌汁の準備をする。
鍋に水を入れて、乾燥わかめと賽の目に切った豆腐を入れる。
味噌を溶くときは沸騰させてはいけないため、火加減には注意を払う。味噌が溶けたら最後に顆粒の出汁を小さじ一杯入れて、味見。
「……ん」
思うに、少し濃い目の仕上がりだった。
しかし暑い外から疲れた身体を引き摺って帰ってくるのだから、これくらいの濃さがちょうど良かろう。
味噌汁の火を止めたら、次はハンバーグの種を作る。
豚と牛の合い挽き肉に、パン粉、牛乳、油、溶き卵を混ぜ合わせて、粗熱が取れた玉ねぎを加えてさらに捏ねていく。
よく混ざったら手のひらサイズのものをふたつ、とろけるチーズを包み込むように形を整えてから、両面に軽く小麦粉をまぶす。
小麦粉をまぶすのは、こうすると肉汁が閉じ込められてよりジューシーに仕上がるからだ。トレーナーの母から教わったことであった。
キッチンペーパーで軽く拭いたフライパンに再び油をいれ、最初は中火で、表面に焼き目が付いたら弱火でじっくりと肉を焼く。
「ただいまー」
火加減を確認しているところに、玄関から声が聞こえてきた。夫の声である。
「おかえりー! メシ、もうちょっと待ってなー!」
返事をしつつもキャベツを千切りにしてアスパラとミニトマトと一緒に乗せ、弱火で再加熱した味噌汁を茶碗に注ぎ、出来立ての白米を椀に盛り付けていく。
「いやぁ、ひっどい雨だ! おかげでびしょ濡れだよ」
「予報じゃ晴れだっつってたのになぁ」
「この時期はどうもアテに何ないよねぇ……っと、手伝うよ」
「んっ、あんがと」
ところで、スーツから部屋着に着替えた夫が、食器と茶碗をテーブルに並べていく。
雨に降られた髪は拭き取ったにもかかわらずまだ湿り気を帯びて、雨がどれほど強く降っていたのかを如実に語っていた。
「で、今日はどうだった?」
「ああ、新しい子が来たよ。なかなか才能がある」
「へぇ……あなたがそう言うほどなら、もしかして俺よりもすごかったりしてな?」
「まさか! 君に勝てるウマ娘なんていないよ」
「んぐっ……!」
ニヤニヤとしつつも、少し意地悪な質問をしたか。と思った直後に、屈託のない笑顔でそう言われたジャングルポケットは、嬉しいのと恥ずかしいのとで答えに窮した。
(こ、こいつ〜……! なんでンなこと素面で真正面から言えんだよ……!)
からかうつもりがまったく手痛い反撃で、うまく言葉が出てこない。喉に声が詰まっていた。
どうにも困ったことに、彼の真っ直ぐすぎる言葉は深く刺さってかなわない。
「おっ、今日はハンバーグなんだね」
悔しいような嬉しいような気持ちで歯噛みしていたら、彼がスッとジャングルポケットの隣に立った。
さりげなく腰に手を回して、ジャングルポケットの身体を抱き寄せて、肩に顎を寄せて、フライパンを覗き込む。
ハンバーグの匂いに混じって漂ってくる男性の香り。湿り気を帯びた野生的なその匂いに、ジャングルポケットはどきりとした。
「ま、まあな……っつかくっつくな! 火ぃ使ってんだから危ないだろ! 大人しく席座ってろよ!」
「ちぇ、つれないな〜」
「ったく、油断も隙もねえんだから……」
早鐘を打つうるさい胸の音を隠すように、ジャングルポケットは鼻を鳴らしてハンバーグをひっくり返す。
気を許すとすぐにこれだ。
学生の頃はジャングルポケットからアプローチをしていたのに、結婚してからは彼のほうが積極的にグイグイくる。
まるで学生時代に触れ合えなかった分を埋めるように、ジャングルポケットという存在を愛してやまない。
ジャングルポケットも女だ。好いた男に求められるのはやぶさかではなかった。
ただ、やはり。
こうも積極的になられると、それはそれで恥ずかしい気持ちのほうが強かった。
乙女心というのは、とにかく複雑なものなのだ。
「はい、おまっとさん」
「おっ、キタキタ! ありがと、ポッケ」
焼けたハンバーグを皿によそって手製のデミグラスソースを掛けると、席についている彼の前に置く。
湯気を立ち上らせるハンバーグに、彼はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。大好物を目の前にした子供の、無邪気で屈託のない笑顔だった。
これだ。と、ジャングルポケットは思った。これが見たかったから、ハンバーグを作ったんだと心中で深く頷いた。
彼の笑顔を見れば、どんなことでも許してしまいそうになる。この可愛いらし笑顔が何よりも大好きで、できることならずっと眺めていたい。
ジャングルポケットは、己の心が温かく満たされていくのを感じて、我知らず笑みを浮かべていた。
「まっ、なんだ……へへっ。今日も仕事、お疲れさんってことで。食うとすっか!」
「うん、ありがとうポッケ」
向かい合って席につき、両手を合わせて、声を揃える。
「いただきます」
「いただきます」
◇◇◇
「……ケ……ポッケ……!」
「んぁ……?」
肩を揺すられて、微睡みから目覚める。
寝惚け眼を擦りながら身体を起こすと、目の前には仕事から帰ってきたらしいスーツ姿の夫の姿があった。
「ごめん、遅くなって」
彼の謝罪を聞きながら壁の時計を見れば、時刻はすでに22時を回ったところで、自身の身なりを見ればエプロンをつけたままである。
食事を作り終えたはいいものの、彼の帰りが遅くてうたた寝してしまったのだろう。
(夢、か)
そこで初めて気がついた。
先ほどまで見ていたあの景色はまだ結婚して一年目の頃のもので、今はすっかり色褪せてしまった思い出の一幕なのだと。
「……ポッケ?」
「聞こえてるよ……帰ってくんの遅ぇ」
「ごめん」
文句を言うと、夫は心底申し訳なさそうに謝った。
ジャングルポケットはそれに不機嫌な溜め息で応えると、立ち上がって食事を温め直しにキッチンへ向かった。
(トレーナーと結婚する……どういうことかわかっちゃいたけどさ……)
トレーナー業は激務の連続だ。特に、担当しているウマ娘がデビューや重賞レースなどの大舞台を控えているときは、練習量に応じて必要な書類仕事が多くなる。
マスコミの取材や、各種雑誌メディアからのインタビューの対応も相まって休む暇がない。家に帰る時間もまちまちになってしまう。
「今担当してるチームの子が、そろそろメイクデビューの予定でね。それで、少し忙しいんだ」
言い訳めいた彼の言葉に「わかってる」と返すが、内心はやはり面白くない。
「手伝うよ」
「いいよ、疲れてるだろ。着替えて、手ぇ洗ってこい」
「……わかった。ありがと、ポッケ」
名残惜しいか、口惜しいか、苦しげに眉をハの字にしてトレーナーは寝室へ消えていく。
彼の寂しげな背中を見て、溜め息と共に不満を吐き出す。
ここ最近はずっとこんな調子だった。
繰り返すが、トレーナー業は激務である。
そんなことはわかっている。
わかっているのだ。ジャングルポケットも、頭では理解している。
だがそれ以上に、彼の熱意がすべて担当に注がれるのが気に食わない。自身の夫を盗られた気がしてならない。
うら若い少女、自身と一回りも年下の少女に、彼の全てが投入されている事実が、気に入らない。
大人気ない嫉妬だった。
そしてそんな嫉妬を抱く自分自身に対する嫌悪もまた、ジャングルポケットを不機嫌にする原因であった。
トレーナー職は、離婚率が高い。
面黒い話だ。しかし紛れもない事実であった。身を持って体験した今、この事実を笑う気にはなれなかった。
「お待たせ」
部屋着に着替えてきた夫が席に着くと、ジャングルポケットは温め直した料理たちを目の前に並べていく。
不安げな彼の目に射抜かれるのを自覚して、力のない笑みで肩をすくめた。
「もう怒ってねぇから、そんな顔すんなよ」
「でも……」
「わかってる。メイクデビューなんだ、そりゃ大事だろ。遅くなってもしゃあねえよ。……まっ、遅くなんなら連絡くらいよこして欲しかったけど」
「……ごめん」
調子が狂う。彼のひたすら申し訳なさそうな声を表情に、ジャングルポケットはやりにくさを感じてまた溜め息を吐く。
こんな表情をして欲しかったわけではない。笑っていて欲しい、彼にはずっと笑顔でいて欲しい。
けれど女としては、妻としては、やっぱり面白くない。不満で、不安で、素っ気ない態度をとってしまう。
「き、今日は肉じゃがなんだね! 美味しそうだな!」
嫌な空気を変えるためなのか、夫が無理に明るい声を出して大袈裟なリアクションをして言う。
それがあんまりにも滑稽だったから、頬杖を突くジャングルポケットは小さく失笑して言葉を返した。
「バーカ。いいからとっとと食っちまえよ、明日も早いんだろ」
「そ、そうだね……じゃあ、いただきます」
両手を合わせてから箸を持った夫が、やりにくそうにもそもそと料理を食べ進めていくのを見る。
彼の視線は料理とジャングルポケットの間を行き来していて、味よりも機嫌を気にしているらしい。
「おいしいよ、今日も」
「どうも」
だからだろう。
いつもなら嬉しいはずの言葉も機嫌取りにしか聞こえなくて、ジャングルポケットには何も響くことはなかった。
「明日は、早く帰るよ。久しぶりに2人きりでゆっくりしよう」
「……おう。詫びのケーキ、買ってこいよ」
「も、もちろん! でっかいホールのやつ買ってくるよ!」
「ホールはやめろ。太んだろ」
再び夫が口を開く。ジャングルポケットは、あきれと愛おしさを含んだ声で答えて、力無く笑った。
◇◇◇
「おっせぇ……」
不貞腐れた悲しげな声が、虚しく部屋にこだました。
ジャングルポケットは、すっかり冷めてしまった料理を前に苛立ちを募らせていた。
時刻は21時を過ぎている。
連絡はただ一言「ごめん」だけ。
約束破りだった。
「……ハァ」
大きくため息を吐いて、天井を見上げる。
ハンバーグを作った。
チーズインハンバーグ、彼の好物だ。
あの頃と同じように作って、帰ってくるのを今か今かと待っていた。
しかし19時を回った頃に、嫌な予感を覚えて料理にラップをかけた。
20時になると「ごめん」という簡素なメールが来たから、怒りを堪えるために冷たいシャワーを浴びた。
わかっていた。
わかっていたことだ。
トレーナー業は激務だ。
予定通りにいかないことだってあるだろう。ましてや、担当がデビュー前なら尚更だ。
けれど。
けれども。
やっぱり、納得できなかった。納得したくなかった。
「……!」
不意に、インターホンが鳴った。
帰ってきたのだろうか。気怠い足を引きずりながら玄関へ行き、ジャングルポケットは敵意を剥き出しにして扉を開けた。
「……た、ただいま」
はたしてそこには、肩を落とした夫が立っていた。
束の間、怒りが萎えていくのを自覚した。
怒鳴ってやろうかと思った。
約束を破って、何を遊んでいたんだ。と、頭ごなしに叱りつけて、このまま締め出してやろうかとさえ思った。
それなのに、叱られる直前の子供のような彼を見た瞬間、ジャングルポケットの中にあった怒りは悲しみと悔しさに変わっていて。
「……はやく、はいれよ」
込み上げてくる感情に震えた、か細い声だけが喉から絞り出されていた。
「その! ……ほんとに、ごめん」
わずかな躊躇してから肩身が狭そうに家に帰ってきた夫は、言葉を選んだのか、数秒の沈黙ののちに言った。
ジャングルポケットはすぐには答えなかった。答えられなかった。喉に突っかえた空気が邪魔をして、うまく言葉を出せなかった。
「……ご飯、ありがとう。ラップ、かけてくれたんだね」
ダイニングテーブルに並べられた料理を前に、夫が機嫌を窺うみたい、気遣うみたいな、悲しげな声色を出す。
テーブルに手を突いて、震える唇から空気を吐き出したジャングルポケットは、感情を押し殺した声を発した。
「料理、冷めちまったろうが……」
辛うじて喉から絞り出せたのは、そんな情けない言葉だった。
いっそ変に言い訳してくていれば、怒ることもできただろう。開き直って逆ギレでもしてくれたほうが気持ち的には楽だった。
だが夫の言葉や表情は約束を守れなかったのを反省しているのが伝わってくるもので、それが余計にジャングルポケットの胸を締め付けた。
「ごめん……」
何度目の謝罪だろう。
頬を伝ってテーブルに落ちた水滴を服の袖で拭うと、ジャングルポケットは鼻を啜って小さく首を振った。
「寝る。料理、自分であっためろ」
ただそれだけ言って、足早に寝室に引っ込んだ。今は夫の顔を見たくなかった。自分の顔を見られたくなかった。
「……今日は、ソファで寝るよ」
背後から聞こえてきた夫の声が、やけにか細く聞こえた。
布団に潜ると、いよいよ涙が止まらなくなった。
ハラハラと溢れる涙が褥を濡らし、嗚咽が喉から漏れ出た。
(こんなはずじゃなかったのに……俺は、俺たちは……)
ジャングルポケットは悔しくて、悲しくて、寂しくて、苦しくて、どうしたらいいかわからなかった。
最初は順風満帆を絵に描いたような結婚生活だった。それが少しずつ、少しずつズレていった。
きっかけは、一年と半年前。
彼が出世してチームを作ってからだ。チームメンバーがひとり、ふたりと増えていくうちに、どんどん彼の拘束時間が伸びていった。10を数える頃には今のように、遅い時間に帰ってきるのが当たり前になっていた。
考えてみれば、当たり前のことではある。
ウマ娘をひとり担当するだけでも大変な労力がかかるというのに、それを10人である。とてもではないが、通常の業務時間では手が回らない。
むしろよくぞこの時間に帰って来れるものだと感心するくらいだ。
だからこそ、自分が我慢しなければいけない。彼が夫としての役目を果たしているのだから、自分が支えてやらなけれなならない。
それがジャングルポケットとして、トレーナーの妻としての役割。
そのはずなのに。
「ちくしょう……っ!」
現実は、どこまでも苦痛が広がるばかりだった。
◇◇◇
朝。
カーテンの隙間から落ちる朝日に目を覚ますと、右側がやけに広く見えた。
隣に夫の姿がなかった。
布団をめくってみるが、そもそもベッドにはいってきた形跡もない。
はてと首を傾げると同時に、寝惚けた頭が「そういえばソファで寝るって言ってたな」と思い出して、ジャングルポケットはまた寂しくなってシーツを握りしめた。
リビングへ行くとソファに毛布が畳まれており、微かに夫が過ごしていたであろう形跡があった。テーブルには書き置きとして『仕事へ行って来ます。今日は早く帰ります』と残されていた。
「うそつき……」
どうせ今日も早く帰って来ないのだろう。諦観と怒りに任せて書き置きをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に投げ捨てた。
朝食は、食べる気分ではなかったから抜いた。水を一杯飲んだくらいで、何もする気が起きなかった。
ソファに座ると、いよいよ全身に気怠さがのしかかってくる。泣き疲れた目はしょぼしょぼして、腫れぼったい感覚が纏わりつく。
いっそこのまま、1人のままでいられたらいいのに。
そんな邪な気持ちが、心のどこから湧き上がって来た。
「……でかけるか」
このままでは性根から腐ってしまいそうだ。危機感を覚えたジャングルポケットは、言い聞かせるように呟くと外出の身支度をした。
服は涼しげなものを選び、メイクは泣き腫らした目元を中心に施す。
せいぜい見られる顔になると、ジャングルポケットは何も言わずに家を出た。
夏の茹だるような日差しが降り注ぐ中、電車を乗り継いでどこへ行くのか。
わからない。ジャングルポケット自身も、どこへ向かっているのかはわからなかった。
そうして流れるままに辿り着いたのは、とある動物園だった。
忘れるはずもない、夫とよくデートに来ていた動物園である。
(……ま、そりゃそうか)
自身の情けなさにジャングルポケットは自嘲して、左手の薬指に嵌めた指輪を撫でた。
頭でどれだけ憎く思っても、どれだけ裏切られても、やっぱり心からは嫌いになれない。どんなに喧嘩をしても、離れることは決してない。
心底夫のことが好きで堪らないのだ、ジャングルポケットという女は。
「少し見て、帰るか」
入場券を購入したジャングルポケットは、今日の晩御飯の献立を考えながら動物園に足を踏み入れるのだった。
◇◇◇
動物園を楽しんで、帰り道で買い物をしたら夜になった。
今日も時間には帰ってこないだろうと、ジャングルポケットは内心で割り切っていた。
それでも、やっぱり料理は作った。
彼の好きな献立で、栄養バランスを考えて作った。今日はオムライスと、夏野菜のコンソメスープだ。
(帰ってきたら、謝るか……)
料理をしながら、ジャングルポケットはそう思って1人で頷く。
夫の様子を見れば、いったいどれほど彼が努力して帰ってきてくれているのか察するくらいはできる。
チームの子がデビューを控えている。そんな忙しい時期になんとしても時間を作って、寄り道もせずに家へ帰ってきてくれて、食事もしっかりと摂ったうえで洗い物も残さず、早朝には音を立てないように身支度を整えて出ていく。
こんなにもできた夫、どうして嫌いになれようか。
「ん?」
彼のことを考えながらスープを掻き混ぜていると、インターホンが鳴った。
こんな時間に誰が来たのか。通販で頼んだなにかがきたのだろうか。
怪訝に思いつつも火を止めてインターホンのテレビを見たジャングルポケットは、
「……え?」
と、わずか呆然とした。
そして、次の瞬間には玄関扉に駆け寄って勢いよく扉を開いていた。
扉を開けた先に立っていたのは。
「ただいま。……今日は、約束通り帰ってこれたよ」
ちょっとバツの悪そうな笑顔を浮かべて、大きな紙袋を抱えた夫の姿だった。
「お、おぅ……」
信じられない光景を目の当たりにして、ジャングルポケットは当惑した声で返した。
「この前は買いそびれちゃったけど、ほら! おっきなケーキ!」
「……おう」
いかにも自慢げに言う夫は、抱えていた袋をジャングルポケットに差し出す。
受け取って中を覗くと、確かに保冷剤と一緒に大きなケーキの箱がはいっている。ご丁寧にも中身が見えるように取っ手の部分が折られていたから、プラスチックの天井から納められたケーキがチョコとフルーツのケーキだということまでわかった。
「……これで、許してくれないかな」
えへへ。と、後頭部を掻きながら申し訳なさそうに夫が笑う。
その笑顔に温かいものがじんわりと胸中を広がっていくのを感じて。ジャングルポケットは我知らず、呆れと嬉しさに泣き笑いしていた。
「……この程度で許すほど安い女じゃねーんだけど、俺」
「うぇっ!? そ、れは……えぇと……」
「つーか、太るって言ったよな? こんなでけェケーキ食ったら」
「い、いやぁ……その……ごめん……」
ちょっとした意趣返しに文句を言うと、夫はしどろもどろになってついに肩を落としてしまった。約束を破ってしまったのがよっぽど堪えていたのだろう。
あんまりいじめても可哀想だ。ジャングルポケットはクスリと笑って涙を拭うと、夫の首に腕を回して抱き寄せて耳元で囁いた。
「俺のほうこそごめん。……頑張って時間作ってくれてんのに」
「こっちこそだよ……寂しい思いをさせて、ごめん」
「ううん……今度の休み、デートしようぜ。それでお互い、チャラってことで」
「……っ! も、もちろん! 美味しいパフェのお店、探しておくよ!」
ジャングルポケットの提案に、夫はさっきと一転して明るい声で答えて抱きしめ返した。
力強い抱擁。いっそ痛いくらいに抱きしめられて、改めてこの人にどれだけ愛されているのか実感する。
きっと、一生この人とは離れられないんだろうな。ジャングルポケットは、幸せを噛み締めるように、そう思った。
「よし! じゃあ、改めて……」
1分以上の長い抱擁を終えて、パッと夫から離れたジャングルポケットはパッと夫の腕から抜け出すと、
「おかえり、あなた♡」
優しく夫の唇を奪って、悪戯娘のように笑って見せた。