Gott ist tot   作:hinoki08

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※こちらの話は「もしエモーショナル・ハードコアが当小説内に降臨していたら」というIFストーリーになります。時系列的にはゴスペル編のIFにあたります。
エモーショナル・ハードコアに対してかなりハードな展開となっておりますので、ご不快な感情を抱かせてしまうかもしれません。その旨をお許し下さった上でお読みいただければ幸いです。
また、本編以上のグロテスクな描写も含みます。その旨もどうかご留意ください。


《IF》苦しい時の神頼み

 

 

 神よ、助けたまえ。

 その言葉はいつ何時、何回、何人が発したものだろうか。この広い宇宙で。弱い者は強いものに蹂躙され、その殆どは弱くとも抗う術など持たぬ宇宙で。

 力も、権能も、知恵もない。故にただ、自分を傷つけるアレよりもっと強いものが現れて自分の味方をしてくれないだろうかと、苦しい時の神頼みをするほかはない小さな命たちが溢れる宇宙で。

 

「……わたしを、呼んだか」

 

 そのような宇宙で、本当に、そのような声を聴けるものなど、どれほどの一握りなのであろうか。

 神秘という他はない、美しい白亜のドラゴンに、王の如き威厳を持ったドラゴンは跪いた。宇宙に数多ある弱き命、苦しいときに神頼みをするほかはない命、その中で類稀なる、その祈りを報わせた者として。

 

「……名を言うが良い。わたしが裁くべき者の『名』は?」

 

 

 ●

 

 天合節に向けて、アウトレイジ狩りもひとしおに盛り上がっていた自分の頃であった。

 闇文明のアウトレイジの総本山の狩り、それを終えたツラトゥストラのもとに「センドウ様」と、ある者がアウトレイジではない、しかし異常な存在の情報を持ってきたのは。

 

「……『裏オラクル・セレス?』」

「はい。彼らはそう名乗っております」

 

 ……「裏オラクル」。

 その情報を持ってきたものは大したことではない、ふざけた名をつけたものだと思っていたのだろうが、ツラトゥストラにはふと、思うところがあった。

 裏オラクル。

 それは、彼自身も詳しいことは分からない。上級信徒の中でも格上の幹部信徒だった自分と言えど全貌は知らされてはいなかった。全貌を知る者などそれこそ、教主とその候補クラスであったはずだ。

 だが、断片的に聞かされてはいいた。表に出ぬオラクルの在り方を守る、裏オラクル。そして確かにその本部は、闇文明にひっそりと置かれていたと。

 そしてこうしてオラクル・セレスが力を持ってからも、その裏オラクルが自分たちにコンタクトを取ってくることなどなかった。結局のところ舐められているのだろうと思っていたが、舐められたところで結局タブラ=ラーサの力をもってすればどうかなるであろう相手だ。彼女が降臨したあの日、結局彼女は自分の心のうちだけに水晶の種を見出したのであるからには。故に、自分に従った者たちの意識改革に忙しくやることなど山積みの中余計に気にかける対象ではない、とツラトゥストラは考えていた。

 だが……オラクル・セレスにも「裏」が?

 それは裏オラクルに関係があるのか?それとも……オラクルに裏が生まれたように、勝手に自然発生でもしたと?

「情報を私に。手を打たねばならんだろう」

 天合節を間近に控えたこの時期に、厄介な。……タブラサ・チャンタラムに帰っている暇はなさそうだ。

 

 

 ●

 闇文明のゼニス・セレス。サスペンスを祀る神殿。オラクル・セレス闇文明支部の本山にあつらえられた部屋で、ツラトゥストラは「裏オラクル・セレス」なる者たちの情報を吟味し思案していた。

 裏オラクルはあくまで、オラクルに従う存在であった。だがどうもこれは勝手が違うようだ。

 ゴールデン・エイジに、アウトレイジ。彼らが在家の民として生まれ得たオラクル・セレスへの対抗ならば、それはどうやら……旧オラクルの視点から、セレスの教えに反抗する者たち。要するに自分の大演説にも心を動かすことなく、昔の蛆人形を宿さぬゼニスたちを正とする集団、といった所か。そして……その裏オラクル・セレスはどうやら、裏オラクルそのものが原型となっているとみて良い様子であった。「ゴスペル」……ツラトゥストラの知る数少ない裏オラクルに関する情報、それにまつわる名前、裏オラクルの重要人物と語られる男の名前が、主犯格の容疑者の名前として出ているからだ。

 まあ、どんな世界でもはぐれ者は産まれるもの。旧オラクルであった者のうちからも反乱分子が何割か出てくることはあの大演説の日より、もとより想定のうちだった。そこは驚きに値しない。むしろ……危機感を持たなくてはならないことは、それが「今更になって」出てきたと言うことだ。

 何も考えていない、オラクルの社会奉仕を受益してのんべんだらりと暮らしてきた在家の民たちが御大層な大義を抱えだすより、むしろよほど早くて良かったはずだ、そのような勢力が生まれるのは。いくら目的のない莫迦共であったとは言えども、まがりなりにも自分達に真っ向から歯向かう形になる信念、教義を元から持っていた者たちなのだから。

 それが、このようなタイミングで動きだした……聴いたところによれば、闇文明の水晶の華畑から水晶の華を強奪するなどの実害的な行動にも及んでいるらしい……それが意味するところは、つまり。

 彼等はおそらく、感情的に反抗に向かうのではなく自分とタブラ=ラーサに反抗し得るだけの手札を虎視眈々と揃える手を選び、そしてようやくその目途がついて行動を表面化させたのではないか……そんな危惧は持って損はないだろう。

 小賢しい。

 ただの莫迦共が、生意気な。……そう、ツラトゥストラは心のうちで吐き捨てざるを得なかった。

 

 彼は、窓の外を見上げた。地底世界、闇文明。この国からは空は見えない。天空に浮かんでいたニルヴァーナ・ゼニシアは見えない。

 裏オラクル共。お前達はゼニスを今なお信心しているというが、お前達はゼニスたちを見ることなどできなかったのではないか。

「(私は、見ていたぞ。物見塔の上から、ずっと見上げていた)」

 見上げていたから、知ったのだ。

 アレらがなんの崇拝にも価せぬ虚無であることを。

 見た自分より見なかった貴様らの方がものを知っているとばかりにゼニスの理想を謡うなどお笑い種だ。……そう言ってやりたい気持ちもあったが、同時に、皮肉な想いも沸いてきた。

 つまりそれは、ある種まったくもって信仰の形に等しいと。

 虚無に過ぎなかった昔のゼニス。死体にすぎぬ今のゼニス。怪物にすぎぬタブラ=ラーサ。詐欺師にすぎぬ、この自分。

 それらすべてが聖なる信仰に結び付く。理由は一つ。その正体を、悟られないが故だ。何も知らない対象なればこそ、どこまでも無限に神秘の夢を見られる。

 ならばゼニスを見ていた自分がゼニスを信仰せず、ゼニスなど見れもしなかった裏オラクル共が今なおゼニスを信仰するのは、当然のことであるかもしれない。この世で随一に、ゼニスの正体を知らないのだから。

 ……何だというのか。

 神とは、信仰とは、一体何だというのか。

 

 まあ、いずれにしても、邪魔だ。さっさと消さねばなるまい。……そう思い、踵を返そうとしたその時だった。

 暗い、黒い、窓の外の闇文明の景色が、白亜に染まっていた。

 ツラトゥストラが驚いて振り返った時、そこには。

 

「天罰を下そう」

 自分が見も知りもしない、白亜のドラゴンが居た。その彼が、口を開いた。

 

 名前を、呼ばれた。

 タブラ=ラーサがくれた名を。

 

 ……そこで、彼の意識は「ゼロ」になった。

 

 

 ●

 水晶の寺院、タブラサ・チャンタラム。

 そこでタブラ=ラーサは、大いなる力の変動を感じ、驚いた。

 

「(……なんじゃ?この感触は?)」

 

 長い時間を生き、数多の世界を駆けたタブラ=ラーサ。

 しかしその感触は彼女にとって、感じたことが無いものだった。

 

 例えて言うなら、自分の身体がどこか遥か遠くで削り落とされたかのようだ。

 

 ……どこで。

 一体、どこで。

 

「切り落とされた」のは、一体、何か。

 

 逃れられるものか。隠し立てなどできるものか。既に、世界中がタブラ=ラーサの支配に置かれたこの惑星に居る限り。

 

 

 その時世界中の水晶の華畑が煌めき、五大ゼニスたちの目が水晶色に光った意味を、残念ながら世界の民たちは知ることはなかったが。

 

「……ツラトゥ、ストラ……」

 

 知ることはない。知られることはない。それでよかった。神とはそれでよかった。

 民たちに与えられるのは、無知蒙昧な世界の民に自分が何者かも、自分が何をするのかも告げず、ただ水晶の身体を煌めかせてタブラサ・チャンタラムから飛び立ったタブラ=ラーサの姿だけで充分であった。

 

 

 ●

 闇文明の城、その名はブリティッシュ・パビリオン。

 世界から隔絶されたような場所に立つ底こそが、裏オラクル・セレスの居城であった。

 

 そこに、白亜のドラゴンが舞い降りた。

 純潔そのものの美しい白色の龍。その背中には光輝く蝶の翅が生えている。

 そして彼は、ぐったりと物言わぬ姿になったジャスティス・ウイングを抱えていた。

 

「これか。お前たちが申した、邪教広めし詐欺師は」

「……おお……!」

 その二つの姿に歓喜する者たちが居た。

 個性を否定するオラクルの白装束を身にまといながらも蝿のマスクを嵌めはしないオラクルの……裏オラクル・セレスの信徒たち。そしてその中心にいるドラゴン。

 その名も、《神命の王ゴスペル》。

 その周りにはひらひらと、蝶が舞っている。

 蝶。それは蝿、煩い羽音で飛び回り糞便や死体を糧とする醜く汚らわしい蟲とは対極にあるかのような、華やかな翅で優雅に舞い可憐な花の甘い蜜を吸って生きる美しい蟲。

「そう見られる」蟲。それが、彼らの周りに待っている。

 

「間違いありません。この男こそが師団の先導者、ゾロスター……オラクルに産まれておきながらゼニス様を、オラクルを裏切りし、欲にまみれた卑劣者です」

 物言わぬジャスティス・ウイング……ツラトゥストラはただ、その白亜の龍に抱かれていた。

「そうか」白亜の龍は答える。

「信じられぬ。全く大した力は有していなかった……と、云うよりも……『こやつ自身の力は全く大したことが無い』とでもいうべきであろうか……。後付けされたのであろう『水晶の力』それ自身は、確かに莫迦にならぬものではあったが」

「全くです、全くもって、それしきの者に世界が崩された、そのような在りうべからざることが起こってしまったのです」ゴスペルはその言葉にうなずき、語る。

 だが、白亜の龍は。

「怒りを覚えるな。穏やかなりしオラクルの信徒よ。欲を憎むお前たちに、過ぎたる憎しみの情は似合わない」そう、静かに返答した。

「その在りうべからざる事象ゆえに、わたしが現れたのだ。世界は、正しく在らねばならぬ。わたしは祈りに答えて顕現し、神罰を持って歪みを正す神龍。不埒ものを成敗し世界を正しく保つが、我が役目。……コレで終わりでは、無かろう。こやつ一人を黙らせたとて……『偽神』の皮がはがれ『怪物』が顕現し、世界を荒らしまわるだけでしかない」

「……はい」

「案ずるな、狂った世界には、わたしが神罰を下す。戦うのはわたしで十分だ。故お前たちは怒るな。罪に、血にまみれるな。お前たちに相応しいのは」

 彼はそっと、裏オラクル・セレスたちに眠ったように動かないツラトゥストラの身体を託した。嫌悪の目で彼を見る彼らを見る目すら優しいながらも、どこかたしなめの視線が入っているようであった。あたかも愛情故に子供を厳しく躾ける母親のように。

「欲望故に道を違えてしまったこの者を、今度こそ正しい道に教育し直してやることではないのか。安心しろ。こやつにもう、世界を騙すほどの悪知恵などない。全てわたしが『奪った』。今のこやつは無垢な赤子同然だ。優しく教育してやるが良い。お前達の、正しき正義の道へ。こやつが行った悪意に満ちた『教育』などではない、真の教えたるものを教え、今からでも罪なき存在へと導いてやるが良い。それでこそ、世界があるべき姿」

「……我らにとってこの者は、幾度殺しても飽き足りぬ罪人。何の恩義もない者に言われたならば、けして受け入れはしますまい」裏オラクル・セレスたちは言った。

「しかし、貴方様のみ言葉ならば……そう致しましょう。すべては、無垢なる清きゼロへ。偉大なりし我らが『新たなる』神、《エモーショナル・ハードコア》様」

 ゴスペルが代表するかのように、ツラトゥストラの身体を受け取る。「それでよい」エモーショナル・ハードコア……そう呼ばれた者は優しく微笑んだ。

 

「後はわたしに任せろ。どうやら最早先方も、感づいたようだ」

 

 ……その目は、ギラリと輝かせつつ。

 

 

「……なるほど。この城とは、合点が行く。『この世の者でなき存在を呼び寄せる』には誂え向きの力が確かに宿っておるの」

 そう闇文明にぼそりと呟いた声を、聴いたかのように。

 そして。

 

 二つの音が、同時に響いた。

 一つは、ブリティッシュ・パビリオンの外壁がタブラ=ラーサの手のひと払いによって派手に崩壊した音と。

 それに負けじと、凛然と響いた声。

 

 

 

「わが権能が前にひれ伏せ、《クリス=タブラ=ラーサ》!世界を歪めし偽神よ!」

 

 

 

 ハードコアが自分の背後に裏オラクル・セレスを庇いながらそう言葉を発した次の瞬間。

「……!」

 すっと、タブラ=ラーサも動きを止め、巨大な水晶玉の目でじろりと自分の三対の腕を眺めながら、暫しの間それを動かしていた。

 

「諦めろ。すべての抵抗は私の権能の……」

「成程の。お主、我が支配の権能をその言霊を持って奪いおったな」

 だが、凛然と勝ち誇るかのように響いたハードコアの声を、タブラ=ラーサの方は落ち着き払って遮った。……その内容が誠であるのならば、タブラ=ラーサにとって相当の非常事態を巻き起こされたに等しい内容を。

 

「……なに?」

「自分の身体のことなど自分がよう分かる。長々と説明は要らぬて、別の話に使った方が有意義というものじゃ。お主、変わった力を持っておるのう。……それでツラトゥストラの意識を……おそらくは奴の知恵ごと奪いおったな。中々に大した力じゃ。名はなんと?」

 それでも。彼女は、落ち着いていた。

 ゴールデン・エイジ達の洗脳において、ツラトゥストラがはじき出した図式こそはこうだった。

 憎む対象から飛んでくる抵抗、抑圧など、一種の結実なのだ。もっとも不毛を感じさせ正気を失わせるのは「無反応」。

 ……それが今まさに、裏オラクル・セレスの前でも起こっているかのようだった。

「……き、貴様……」

「どうした?恥じるような名を持つ身でもあるまいに。わらわはお主の名を聴いておる。名はなんと?」

 白亜の神龍、エモーショナル・ハードコア。

 それは……裏オラクルの教義に伝わりし、祈りに応えて顕現する神の名であった。

 

 その神は、「名を呼ぶ」ことで、相手の持ちうる力を一切のゼロに還すという。強大無比の神ゆえに、真の邪悪が現れし危機の際、信徒の祈りに応えてのみその姿を現す。そう、裏オラクルに伝えられている存在であった。

 答え合わせを長々とする者もおらずまたタブラ=ラーサ自身それを要求はしなかったが、ツラトゥストラの推測はまさに当たっていたのだ。裏オラクルはゴールデン・エイジにも先駆けて、オラクル・セレスに反逆の手を打ち出した。洗脳され切った世を嘆きながら、顕現するまで祈り続けたのだ。世界の危機を救う救世主の到来を。

 それが最終段階に入ったところでツラトゥストラの耳に入った、というのがあらましであった。

 ハードコアの力はまさに、伝承の通り。

 彼はツラトゥストラの名を呼び、奪った。彼の持ち得る力を。

 彼には、さしたる力はない。権能はない。ただ類稀なる支配欲を有し、頭と口が異常に回る。その上タブラ=ラーサに水晶の力を分け与えられた。ハードコアはそれらすべてを「奪った」のだ。

 そして、やってきたタブラ=ラーサの支配の権能すらも、彼は「奪った」。シャングリラすらも一瞬で屠った、この惑星で誰一人歯が立たなかった支配の怪物の力を、たったの一言で。

 これぞ、真のオラクルの力。それを裏オラクル・セレスたちは確信できたはずだ。

 はずだったのに。今頃、できていたはずなのに。

 

「……エモーショナル・ハードコア。この者共……正しき教えのオラクルたちの祈りに応えて顕現せし、世界を正す神龍だ」

「左様か。良き名、良き在り様ではないか。惜しむほどのものでもなかったぞえ、勿体のない」

 

 彼女自身が認めたのだ。

 あの恐るべし支配の権能の力が見事、ハードコアによって剥ぎ取られたと。

 だから、裏オラクル達は今頃、笑えていたはずなのだ。勝ち誇れていたはずなのだ。この世で最も正しきは、シャングリラの率いるゼロの力と、声高々に説法をできていたはずなのだ。その予定だった。

 なのにたった一つのものがその場に無いために、彼らはそれをできない。優位に立つものであるはずなのに、狼狽えるしかできない。

『力を奪われ、化けの皮がはがれ、無様に狼狽する神を謡った醜い化け物』が、この場に存在しない事には、その段階に至れない。

 タブラ=ラーサは、落ち着き払っていた。支配の権能を失おうがその体は依然として輝く水晶色で、その一切狼狽えぬ佇まいには……気品すら感じさせた。

 じろり、と、その狼狽える外はない様相の裏オラクルたち……その中に、物言わぬ無垢になって眠っているツラトゥストラの姿をタブラ=ラーサは確認した。

 ……城を飛ぶ蝶が、羽ばたきを早める。

 それをも見届け、タブラ=ラーサは口には出さねど内心で思った。

 なるほど。これが『莫迦』ということか。

 予測をただ一つしか持たず、その予測通りにことが動かなくては、ただ狼狽え固まるしかできない。そういう者をこそ、あの男はこう称したことだろう。「それだから莫迦は莫迦なのです」と。

 くくっ、と彼女は笑った後に言葉を続けた。「それでは、ハードコアとやら。改めてはっきりと確認させてもらいたい」

 支配の力をもう持たないらしい指先でつい、と、ハードコアではないドラゴン……ゴスペルの方を指さして発言する。「その男」を両手で抱く者を。その心のうちでは、こう思いつつ。……この男なら、そんな状況に陥っても即座に次の手が打てるものを。

「ツラトゥストラを襲ったのは、お主らなのであるな?お主らの目的はツラトゥストラとわらわを嚆矢にわらわ共をお主の権能を持って無力化し、オラクル・セレスを否定する、わらわを正当なるこの世の神とは認めぬための転覆計画であるな?」

 

 ……なぜ。

 裏オラクル・セレスとハードコアは、みんな思っていた。

 何故、お前が言うんだ。その台詞を。自分達が狼狽えるお前に叩きつけるはずだったその台詞を。

「どうした?はよう答えい。お主ら自身の決断で打って出た計画ならば胸を張って誇るが良かろう、何を勿体ぶることがある。誤解なら誤解でそういえばよいだけの話じゃ。何者かに指示されたならその名を明かせばわらわはそちらを叩くのみ。別段、わらわとて不要な争いごとは好まぬのじゃ。わらわが望むは、安寧じゃ」

 お前の力を奪ったのはこちらなのに、なぜお前が我々の言葉を奪うのだ。

 この世の外から湧いて出た、怪物の癖に。

 

「……何が、安寧だ!」

 そのような空気の中。

 響いたのは、ハードコアの声であった。

「わたしの内に祈りが響いた!!裏オラクル、それはオラクルの在り方のすべてを見通す者共!!この者共は知っていたのだ、貴様らのすべてを!!」

「エモーショナル・ハードコア様……!」

「……」

 それを一先ず、沈黙を持ってタブラ=ラーサは受け止めた。

「貴様らは逆らうものに何をした!?罪なきゼニスに何をした!?どれほどまでにその残虐を、どれほどに根も葉もなき欺瞞で世界の民から隠し、あまつさえ幸せにただ生きるべきであった命を、水晶の華などに変え自らのために利用したというのだ!!その貴様が安寧を語るなど、片腹痛いわ!!」

 その激昂のままに発せられた言葉に対し、タブラ=ラーサは。支配の力全てを失ったらしい彼女は。

「左様か。腹が痛いのは難儀であるの。身に余るものを喰ったからではないかえ。早急に吐き出すがお主のみならず信徒共のためでもあるぞ。腹を下す神など幻滅ものじゃて。糞を忌まぬ者は、蝿ほどしか居らぬ」

 何も、動揺しない。反論もしない。対話もしない。相手にすらしない。

 只管に、淡々と、落ち着き払っている。

 

 ……なんだった?

 ゼロを信奉するはずの自分達。無と化したシャングリラを崇めていた自分たちは何だった?

 今、支配の力を奪ってやったのにどこまでも悠々と構えるこの者と、どきり、どきりと心臓を轟かせ吐く息がだんだん荒くなっていく自分達では。

 ……一体。

 一体、どっちの方が「ゼロ」だ?

 

「……どこまでも、ぽかんとするばかりで理解をする気のなき連中の様であるのう、お主らは……」そんな中、タブラ=ラーサが言葉を投じた。

「まあよい。お主らの非と称すは酷じゃ。何も言わずとも次々察してくる者と共にいたせいでわらわも感覚が鈍っておったわ。然らば噛み砕いて答えてやろう。わらわにとって支配の権能を奪われたことなど、狼狽えるにも価せぬ。なんのことはない。偶然得たものを偶然落としたとて元に戻っただけの事。……とはいえ、他者の権能をここまで絶対的に奪い去るとは数多の世界を飛び回れども初めて見る力。そのような戦力を有するお主らがあのお方様の如き強者であらばわらわとて最大限の警戒が必要であったが……大したことはなかったと知れた。しからばもはやわらわの用事など唯一つじゃ」

 そして、もう一つ投じる。

 白い腕を。ハードコアの隣を抜けてゴスペルの方へ。

「ツラトゥストラを返せ、無論奴の智慧を返した上での。それがあってこその、セレスの扇動者、ツラトゥストラじゃて」

 一人のジャスティス・ウイングをその手で抱きしめようと、手を伸ばした。圧倒的な畏怖を、威容を、ただその白さのみで宿す腕を差し伸べて。

 

 それが、弾かれる。

 逞しい白い腕に。

「……許すと、思うてか?」

 自分を睨み付けるハードコアに向けて、タブラ=ラーサは言った。

「思う。あ奴らはその程度の器じゃ。せめて骨があるならばお主くらいじゃが、どちらにせよ驚異足り得ぬ。ツラトゥストラの力をはよう返すが、お主もお主の信徒たちも傷つけぬ得策というものであるぞ」

「……随分に、口が回るではないか。偽神」

 ガシリ、と、ゴスペルの方に差し伸べられた手を握って、ハードコアは言う。

「わたしの中になだれ込む。この者共が知るオラクルの秘密、そこに映るお前の姿。お前は全く野蛮な害虫だった。それが何をこうぺらぺらと生意気にしゃべりだしたのかは分からぬが……お前は」

 くわっと、龍の目を見開いて。

「詐欺師の欺瞞が無ければ何もできぬ無知の虫けらであろうが!!」

 

「……詐欺師、詐欺師とよう言うたものじゃ。お主もたかだか偽神であろうが」

「……はあ?」

 その言葉に、グキ、と、タブラ=ラーサの細腕から音が鳴った。骨が折れる勢いで力が込められたのは明らかであった。

「今、何を?わたしが……偽神?」

「であろう?お主は昨今この場に来ただけの存在じゃ。成し遂げたことと言えばまだツラトゥストラを襲ったこと程度。神としてまだ特になにも積み上げておらぬ、この世の者ですらなかった存在じゃ。そんな存在でありながら、神と呼ばれし存在じゃ。自らを信ずるものをこの信心の故に幸福になれると信じ込ませる存在じゃ。わらわとお主、なにかさしたる違いがあるかえ?」

「莫迦にするな」ハードコアは声を震わせる。

「わたしは裏オラクルの秘伝に残りし神龍!!何もかもをでっちあげで創られた貴様とむしろ何が同じなものか!!」

「存じておる。その秘伝、ツラトゥストラづてに聴いたことがあるでな。旧オラクルが打ち立てていた、祈りで顕現する人造神の秘伝」

 そしてその震えとは裏腹に、タブラ=ラーサは一切動じない。水晶が光を四方八方に揺らめかせ煌めかせようが、水晶自身は何一つの身動きもとらないように。

「その秘伝とて無から湧いたでもあるまい。誰かが作ったのであろう。わらわの場合はその誰かがツラトゥストラじゃ。お主の秘伝とセレスの神話が生まれた時代の差、数千数万年など宇宙から見れば誤差もいいところの範囲内。シャングリラとてそう。あのお方様とて神を名乗っておったがそう。シャングリラより前にこの世で神と崇められておったのであろう何某かも、皆そう。誰も、この世を創ったわけではない。絶対者ではない命でそれでも尾ひれをつけられ神と崇められ、本質は絶対者ではない身でそれでも、意図的結果的の違いはあろうが、最終的には命を信仰の幸福に導くだけ」

 水晶のような冷たい言葉が、崩壊したブリティッシュ・パビリオンに響く。

 

「わらわも、お主も、ただの偽神じゃ」

 

 裏オラクル・セレスの計画。

「真の神」をもってして「偽神」を倒す計画を、彼女はあっけなく崩壊させた。

 支配の権能によってではない。

 ただの言葉によって。

 

 ……そのやり口は、「誰」のものであったか……。

 

 

「……まあ、気を堕とすな。ハードコア。一方お主は確かに大したものじゃ。神よ助けたまえと祈られて顕現してやるものなど中々におらぬ。お主は大した誠実者であるし、そこはわらわも買おうぞ」

「……せ」

「それに免じて偽神同士戦うというなら、土俵に乗ってやらぬこともないが……」

「いい加減に、強がるのをよせ!!」

 カッと、ハードコアの身体は鋭く発光した。

「わたしの権能を前に、何もできぬ身の、うえ」

 しかし、その言葉は。

「で……」

 遮られた。ハードコア自身に。

 彼の、おげっ、とえづくような声で。

 

 簡単だった。

 ハードコアの、強烈な神罰のオーラを渦巻かせる腹が、彼に掴まれていないタブラ=ラーサの腕で鋭く殴られた。

 たったの、それだけだった。

 たったのそれだけで、鱗や装甲がはじけ飛び、骨が折れる音と肉が潰れる音がして、神秘的な神罰のオーラが輝いていたその腹に、そのオーラの裏側に、その神秘に似合わぬ生々しい内出血の跡が出来ていた。

 

 そして、その衝撃で手を放された次に。

「……ああ。そもそも分かっておらんかったか。根本的になぜ、わらわがお主らを脅威と見なさずに済んだか」

 タブラ=ラーサは瞬時にその放された手で、ハードコアの顎を下から殴り上げ、彼に白目を剥かせ体勢を完全に崩壊させた。

 そして完全に自由になった三対の腕で次々にハードコアの関節を握り。

 

「最初に権能を奪われた後わが身を動かしてみて理解できたが故じゃ。お主が奪うは、権能のみ。どうやら肉体の力はそのままであると」

 

 次の瞬間。

 ハードコアの体中の関節が一気に逆方向に曲げられ、砕かれた音がした。

 

「純然な戦いならお主は勝機のある程度の力の持ち主ではない。お主がわらわの腕を握った力を知り、そう確信した」

 そして当たり前の如く身動きの取れなくなった彼の腹、それこそ先程殴った箇所に、彼女はもう一度しなやかな手を握り。

 

「吐き出せ」

 

 全霊で、彼の腹のオーラを雲散霧消させ、その肉体はブリティッシュ・パビリオンの床と一体化させるかの如き勢いで殴りつけた。

 

 

 ……そう。

 タブラ=ラーサの支配の権能はあまりに絶対的でかつ融通が利く。故に普段は出す必要もないが。

 彼女の肉体は素で、恐るべき怪力を有しているのだ。「権能」などと名をつける必要もない、純然たるパワーを。

 がはっ、と悲痛な声が響き、ハードコアが血反吐を吐いた。裏オラクル・セレスたちがざわめく。

「……ふむ」そのような中、タブラ=ラーサはパタパタと手を動かした。

「わらわの力は、部分的に戻ったか……」

 

 ……どうやら、彼を弱体化させれば権能の支配力も弱まる様子。タブラ=ラーサは見抜いた。

 しかし。だった。

 

「お、おのれ……」

 

 彼女は最早、無反応ではない。危害を為した。

 そして、信じる者に危害を加えられ、「信仰者」とはどのようにするものだろう?

 あんな大したことのない者なら信じるだけ時間の無駄だった、と理性的判断をみんな下す、信仰というものがそれほど筋道通った代物であれば、どれだけ少なかったのであろう。この宇宙に産まれ消えていった、信仰による幸せと、信仰による不幸の数は。

 

「よくも……ハードコア様を!!我らの……オラクルの希望を!!」

 

 裏オラクス・セレス達がそう叫んだ時。

 エネルギー……祈りのエネルギー、とでも呼ぶべきだろうか。それが、ハードコアを包み込んだ。

 無残に傷つき果てた彼を癒すように、それはみるみるうちに彼の身体を回復させていく……だけでは、無い。

「……ほう……」

 はあ、はあと荒い息を段々に整えていく、その様子からでも超スピードで回復が行われていることがうかがい知れるハードコアのもとに、タブラ=ラーサは物は試し、と言わんばかりに軽く手を差し伸べた。

 刹那。

 ばちり、と衝撃が走る。強力な、拒絶の反応。

 

 

 ……ハードコアの周囲に、盾が形成されているのだ。

 彼を信じる……タブラ=ラーサに一方的に殴り飛ばされようが、裏オラクルの秘伝に残る救世主を信じる信者たちの、祈りの力によって形成される盾が。

 くくっ、と、タブラ=ラーサは笑った。

「ハードコア。お主、なかなか慕われておるの。大切にするが良いぞ。その者共」

「……わたしは、負けない。負ける……ものか」

「よせ。盾で身を守ろうが、結局殴り合いでわらわに勝てぬのは見ての通りであったろう?盾に閉じこもり震える身で英雄気取りの言葉を吐くも滑稽であるぞ。それよりは生き延びられたことと、自分をここまで大切にする信徒共に感謝をしてやれ」

 彼女はそっと……ハードコアが自分を睨み付ける視線、では、無い……彼の背中に煌めく蝶の翅を見ながら言った。

「裏オラクル・セレス。これが最後通牒と心得よ。いくらかの命令を下す。ひとつ。ツラトゥストラを力を返した上でわらわの下へ返せ。ふたつ。オラクル・セレスに一切の危害を今後加えず、表舞台に出ぬことを誓え。それらを護らば、わらわはオラクル・セレスの最高神としてわらわ自らお主らに信心の自由を認めてやろうぞ。ツラトゥストラをわらわに返しこの世で誰にも存在を悟られぬようひっそりと生くるのであらば、お主らはそのハードコアと共に、ハードコアとかつてのゼニスたちに思いを馳せ、静かに生きるがよい」

「……何を、抜かす?それで、わたしが降臨した理由など、満たされる、ものか」

 ハードコアは声を震わせて言う。彼の声はどこまでも震えている。闘志に、悲しみに、義憤に。

「命に危害を与えし偽神は、この世から消え去るべきだ!わたしは、そのために産まれた!!そのために、命としての姿を得た!!そのような秘伝の神がわたしだ!!」

「然れど、これからどう生きてもそれは勝手ではないか。他人から押し付けられる生き様に縛られるなど哀しいことであるぞ」

「いい加減に口をふさげ、ただの害虫の身の上で何もかも知った風な口を!!……それに」

 しかし、そのハードコアの声の震えに、初めて、混ざった。

 タブラ=ラーサに対する絶対的優位性を見出した音色が。

「そのああ言えばこう言う口の周り方、貴様はわたしの予想に反して、どうやら全くの莫迦でもなかったらしい……しからばこの男など居ずとも、最早貴様一人でも存外、世界はどうかなるのではないのか?それでなおこの男に執着するのであらば」

 彼は初めて、笑う。

 ……少々、純粋極まる神秘の白亜には珍しい、計算ずくの色を込めて。

 

「手放す手などは、無かろう。こやつは貴様の弱点ではないか?」

 

 だが、その台詞は不思議にそこまでの違和感を感じさせなかった。

 それは……白亜の龍なれどその背中に、虹色に煌めく蝶の翅を生やしていたからなのであろうか。

 ……それを聴き。

 ピクリ、とタブラ=ラーサは反応した。

 

「……如何にも。ツラトゥストラはわらわのかけがえなき存在じゃ」

 彼女は言葉を返した。そっと……細腕を何本か、揺らめかせつつ。

 

「……不思議なものでのう。わらわは今、妙な感情を抱いておる」

「……はあ?」

「わらわを侵略者、害虫と呼んだものなど最早数も覚えておらぬ。じゃが大抵、このような情は覚えんかった。邪魔だとは思うた。邪魔だから消した。シャングリラも、ゴールデン・エイジも。じゃが、このような想いまでは抱かんかった。……わらわはであるな、貴様らを、ただ滅してやりたいとは思わん。不思議ではないか?邪魔ならば最も早く滅するに限る。それであるのに」

 ぎらり。彼女の水晶の瞳が、煌めく。

 先ほどまでの余裕から一転。その輝きは。

 

「わらわはお主らを、体も心も、徹底的に痛めつけいたぶり尽くしてから滅ぼしてやりたい。それほどにまで手間をかけてやりたい。裏切り者でもないお主らに、なぜか。この情は……そうか」

 

 彼女は、自覚していなかったのかもしれないが。その輝きを彼女が宿したのは、この世界に訪れて初めてではない。

 あの、修羅丸に対峙した時もそうであった。

 そこに共通点はあったか?……あった。

 彼等はどちらも、彼女のみならず、ツラトゥストラに危害を加えようとした。

 

「『怒り』と云うか」

 

 何が、起こるか。

 絶対支配者が怒り狂ったその時に。

 

「わらわの慈悲も受け取らぬ、ツラトゥストラも返さぬというのであらば、滅びゆけ。最大の苦しみのままに」

「……やってみろ!何が、出来る……」

 信徒たちの祈りで、絶対的に護られたハードコアを前に、恐ろしい引導の言葉を吐いたタブラ=ラーサを前にしても。裏オラクル・セレスたちは言った。

「ハードコア様!我らのことはお気になさらず!貴方様のため命を捨てるのであらば本望でございます!」

 その祈りに応え、ハードコアを護る盾がより一層強固に輝いた。

 

 が、しかし。

 それ以上に、世界で輝きだしたものがあった。

 

「……わらわの支配の権能は、直接的なものはまだ帰っておらぬ。しかし」

 彼女がくいくい指を動かすのと時を同じくして。

 

 世界中の水晶の華畑が煌めいた。

 

「『手足』を動かすほどならば、叶う……」

 

 そして。

 

 

「……《ベートーベン・キューブ》……」

 急に、ブリティッシュ・パビリオンとは何の関係もない、オラクル・セレス自然文明支部の本山が騒めいた。

 神殿に祀られていたベートーベン……普段は物も言わぬ彼が急にぼそりと言葉を発し。

 そして、急に水晶のマナを吸い上げ、操りだした。

「何か」が起こったことなど、莫迦共にも簡単に分かった。

 

 

 ゴゴゴ、と世界がうごめく音がする。

「み、皆、慌てるな!」ゴスペルが必死で叫んだ。

「祈るのだ!御守りするのだ!ハードコア様を!我らの神を!われらの……」

 

 ……だが、彼は、そしてハードコアは、次の瞬間言葉を喪う。

 一人の信徒が急に、腐って消えさった。ハードコアを守護する盾を作り出す祈りを捧げる信徒が。タブラ=ラーサの力とは一風違う……あまりに強力な、呪力の波動で。

 何が、起こった。タブラ=ラーサ自身は攻撃すらしていないというのに……だが、彼らに理解を与えたのは。

 

「……《サスペンス・ザイン》」

 理解など、しない方がいい現実だった。

 

 

「あ、ああ……」

「よう来た。お主ら。それでは命令を下す」

 タブラ=ラーサに従い、大量の水晶の力を携えて集結した。

 サスペンス、ライオネル、グレイテスト・グレート、レディオ・ローゼス。

 裏オラクルが、世界がこう変わってしまっても崇め続けていたゼニスたちの……変わり果てた姿が。

 それらが……裏オラクル・セレスが偽神と軽蔑し通したタブラ=ラーサを護るように集まり、そして彼女は彼らに云う。

 奴隷を従える女王のように。神に盾付いた害虫の身で。

「あの盾に守られし白き龍、あれと、ツラトゥストラを抱えておる者以外を全員殺せ。……ツラトゥストラを抱える方は、動けぬ程度に留めよ。それで、あやつを護る信仰の盾が崩壊する」

 そんな、そんな言葉に。

 神が、信徒を殺せという言葉に。

 

「……ハイ」

 

 うなずくはずなど、ないのに。

 

「そ、そん、な……ゼニス、様……」

 裏オラクル・セレスがそれを見て。

「……おのれ」

 出した感情など、もはや、なんと言って良いのか。

 憎しみも、怒りも、その感情の前には自らの存在の矮小を恥じてしまう気すらする。

 

「許さん!タブラ=ラーサ……!!絶対に!!ゼニス様までも、こん、な……」

 それなのに。

「……《ライオネル・ゲート》」

 そんな感情すらも、封殺された。ライオネルが強烈な光を出すと同時に、誰もが身動きもできなくなった。

 口を開けない。声帯を振るわせられない。瞬きの一つもできないほどに、圧倒的な光で全身が固められる。そんな状況で頭の中にだけ感情があったからとて、世界にとってそれは、最早何の意味もなさないのだ。

「《ローゼス・イノベーション》」

 意味をなさない。何の影響も、及ぼせない。道端の雑草の方が、種を残して何者かの餌となり死せば土となるだけ、この世にとって有意義な存在である、そんな存在と化したまま。

 彼等は飲み込まれていく。ゼニスの武力に。次々に、ある者はサスペンスの呪力の前に体が腐り落ち。ある者はローゼスの有り余る智を頭に叩き込まれて発狂し。ある者はライオネルの圧倒的な輝きの前に生きながら逃げもできずに体を焼かれ。

「……《グレート》……」

 そんな中、一気に闇文明を包み隠す地表すら割れた。

「《流星弾》」

 闇文明に空が開き、グレイテスト・グレートが隕石の雨をブリティッシュ・パビリオンに豪快に降り注がせた。

 それほどまでの豪快な攻撃の一つ一つが。

 たった小さな信徒を狙いうち、潰していく。神の御業に相応しき大技が、たった小さな城に住まうたった小さな教団の、たった小さな信徒一人一人を、蟲でもぷちぷち潰すかのように放たれる。

 神と呼ばれた者たちの御業が、ただ、そんなことに使われる。

 彼らを、神と崇めた者たちを消すために。世界中の水晶の華畑を煌めかせて。

 

 たったの、一瞬だった。どれほどの一瞬かと言えば、ハードコアが彼等を護るために動き出すことなど何も叶わなかったほどの一瞬。小さな裏教団など、ゼニス四人に相対して相手になるはずもなかった。

 

 最後に、サスペンスの呪いの力がゴスペルを襲い、彼が「……サスペンス、さ、ま……」とうめいて全身の力を失い、ツラトゥストラの身体が床に降りたのと同時に。

 薄いガラスが割れるように、ハードコアを護る信仰の盾がほんの軽い音を立てて完全崩壊した。

 

 ハードコアは、目を見張る。

 誰もが、一体どんな顔で死んでいったのかもわからない様相になっている。

 腐り、焼け焦げ、狂い死に。その失ってしまった顔に彼らが本当は浮かばせたかった感情など、いかなるものであったろうか。

 心から崇拝した神々が操り人形となった姿によって、殺される。そんな思いは、どれほどの者であったろうか。

「……かわい、そうに」

「何がじゃ。お主がとうに敵わぬ戦とは分かっておるのに意地を張らねばここまではせんかった。それに奴らはお主のために死ねれば本望と云うておったぞ。ならば満たされて死んだであろう。何も可哀想ではない。もっと報われぬ哀れな命なぞ、星の数の万倍はおるわ」

 ゼニスども、少々下がっておれ、と、タブラ=ラーサは他四名を下がらせ、改めてハードコアに向かう。

「いずれにしても、こちらが提示してやった妥協を突っぱねたお主らは、もう戻れはせぬ」

「……卑劣者、め」

「卑劣?」

「ああ。卑劣だ。貴様らは、卑劣だ」

 ただの一瞬で全てを喪ったハードコアは、もはや。攻撃の意志でもない。神の言葉でもない。ただの一つの命の独り言として、そう言ったかのようであった。

「欺瞞で世界を動かし、逆らうものは暴力で黙らせる。それで得た偽りの平和を、偽りの幸福を、世界中に真理と思わせ世界を操る。貴様らは卑劣だ。ここで我らに打ち勝とうが、卑劣だ。我らが滅ぼうが、わたしの滅びと共にあの男に悪知恵が再び舞い戻ろうが、貴様らはただの卑劣だ。ただの詐欺師だ。水晶の華畑がいくら輝こうと、貴様らには何の正しさも、何の輝かしさも、何の美しさもない」

 タブラ=ラーサはその言葉に。

「……卑劣?」

 薄く。笑った。

「のう。わらわは数多の世界を渡った。喰らうためではあったが一日で全て喰らえるでもない。故にそこそこ、世界というものが生み出す最大公約数的な価値観は見ておるつもりじゃ」

 その笑みはまるで。

 

「卑劣というなら他人の力を奪い無力にせねば何も行動に出られず、自らを妄信する信徒の力で出来た殻に閉じこもるしか能のなきお主の権能こそ、卑劣漢のそれというに相応しい。少なくとも多くの世界でそうじゃ」

 

 全知全能の神。

 

「強く誇り高いと称される者に大概そんな力は必要ない。あのお方様などはどんな敵の力も否定はせぬ。ただ自分の力を押し付けるのみ。貴様のまこと臆病な卑劣にくらぶればツラトゥストラの方がまだ勇気があるわいの。わらわこそが、この世で最初にそれを見た者じゃ。あやつはこのわらわの力を目の当たりにしながら、ただ自らの口八丁で死の運命を回避した。貴様が偶然与えられて産まれただけの権能を、ただよかっただけの運を得意げに振りかざす傍らで、あやつは何も特別な権能などは持たず、言葉一つで世界中を相手取った大勝負を駆け抜ける。どちらが勇気あるものかなど、貴様ら以外なら分かろうものよ」

 

 クリス=タブラ=ラーサ。外界から飛来したただの怪物は、ただ見せた。

 神の蔑みというに相応しい微笑みを。

 

「何が正しさじゃ?何が輝かしさじゃ?それがないのはお主の方じゃ。『お主は卑劣者に神の裁きを下す正義の使徒である』、お主はそんな筋書きの伝承にすがるだけの、実際はなにも成し遂げてはおらぬ英雄ごっこの童子に等しい。欺瞞から始まろうがツラトゥストラは世界中の信徒に生き甲斐を与えた。お主は勝てもしないのがとうに知れている勝負を続行すると言い放ち自分たちの信徒を全員死なせた。どんな筋書きから始まろうが着地したのはそこじゃ。お主に輝かしい筋書きを用意したいつかの誰かすらも、哀れになってくるわいの。貴様の身体にツラトゥストラの輝きは身に余る。無理が出る前に吐き出すが得策じゃ。喜べ、貴様のような小物のために、このわらわが骨を折ってやると云うのじゃ」

 彼女は、信仰の盾を失ったハードコアを掴んだ。

「さあ。すべて吐き出せ。泥棒」

 

 

「……も、の、カ」

 

 ぱた、ぱた。

 かろうじて意識を残したゴスペルを残して全ての裏オラクル・セレスが死に絶えた場内で、ただ一つ生命力にあふれ羽ばたくものがある。

 虹色に光輝く、神秘的な蝶。

「かえ……サ……ナイ……」

 その蝶が羽ばたきを強めると同時に。

 ハードコアの語気が、不思議に変わっていく。

 

「……ハードコア、様?」

「……やはり、出てきたか。お前様。どうせ黒幕はお前様であろうとは思うておりました。奴らの力を増幅させ、炊きつけたのでございましょう」

 

 狼狽えるゴスペルとは対照的に。ぎろり。タブラ=ラーサは睨み付けた。

 

「アンナ……オトコヲ……ホメルナ……」

「お断りさせて頂きましょうぞ。なぜお前様の言葉になぞ今更」

「キショクガワルイ……チイサナカラダ……ヤワラカイニク……フトウメイナハネ……スベテ……オマエニ……フサワシクナイ……」

「お前様よりは相応しゅうございます。その器も言うておりましたぞえ。わらわ共二人卑劣者同士と。ほほほ」

「……一体、何が?」

 

 そして、ゴスペルの疑問は。

 最早次の瞬間、疑問とすら言えないものになった。

 

「……ドレ……。タブラ=ラーサ……イマノ……オマエ……ハ……『イマ』ハ」

 弱り切っていたハードコアの身体が急激に恐るべき力を宿し、その全身が蝶の翅と同じ幻想的な色に輝いた。

 それは、その力は。

 平和だったこの世界には、存在すらもしなかったレベル。

 

 衝撃が飛んだ。

 四人のゼニスたちが一斉に吹き飛ぶほどの衝撃。……タブラ=ラーサだけは唯一、身動きもせず、代わりに……新たに何かを動かしている様子であったが。

 しかしそのようなことすらも、「前段階」にすぎないのだ。

 ハードコア……いや。

 それを動かす蝶の攻撃の。

 

「コレハナニカノマチガイダ!!」

 

 ブリティッシュ・パビリオンが崩壊するほどの光が巻き起こる。ゴスペルは思わず目をつぶった。勿体のないことではあった。忌み嫌っていたタブラ=ラーサの身体に初めてひびが入った、その瞬間を見逃したというのだから。

 

「……見苦しい」

 波動は、どんどんと高まる。タブラ=ラーサの水晶を砕き、肉を引き裂き、その体全てを崩壊させんばかりに。

「じゃがお前様がようように自我を取り戻したらしきことは僥倖。『中途半端』こそ一番の厄介。はっきりとした自我さえあれば、今度こそ支配もできます故」

 いや……「ばかり」ではない。崩壊して、いた。誰も見ていない所で、この世のすべてをあっさりと屠ってきた最強の水晶の神が、崩壊していた。

「その上お前様が表面化したおかげか。そやつ自身の権能は最早無きに等しいようですの。故にもう何も恐れることなどない」

 それでも彼女は、なにも動じなかった。

 

「わらわは最早、敗北の運命すらも支配する」

 

 すっ、と、水晶の色の血がだくだくと流れ出る手を、彼女は天井に差し伸べ、叫んだ。もはやはたから見れば致命傷の姿で、それでも朗々と。

 

 

「《クリスターナル・Κ》!!」

 

 

 何が、起こったか。

 世界中の水晶の華が世界を覆い隠すほど輝き、枯れ果てるほどの勢いでマナを飛ばした。水晶のマナを。

 世界が、蠢いた。世界のすべての命が、謎の振動に巻き込まれた。

 それはまるで……時間を、遡らせるかのごとき衝撃。

 

「……間に合ったか。『あやつ』のおかげで」

「……タブラ、ラーサ……?」

 エネルギーを使い果たしたらしいその蝶は、目の前の光景に愕然としている。そして……力を、失っていく。

「もう、お前様なぞわらわには脅威でないのです。昔とは違う。お前様は何をもってしてもわらわを支配できぬ。ただのアンノウンになる日がようよう参りましたぞ」

 なぜか。体中が崩れるほどの致命傷など全く「なかったことになった」かのように、普段通りの水晶色に輝くタブラ=ラーサはそっと、指を組み。

「それではさらば。『水晶の王』」

 鳴らした。

 

 それだけで、ガクン、と一気にハードコアの身体から力が抜けた。そして、蝶の翅が白亜の龍の身体から消えた。

 

 一体、何が起こっていたのか?誰にも、説明はできない。誰も説明はしない。

「……!?あ、れ、は……」

 その、何もかもが理解不能な光景の中で、何よりも目を見張るべきものが今やブリティッシュ・パビリオンの上空に飛んでいたのだからなおさらのことだ。もう先ほどの光景は、考えるに値せぬこととなる。

 

 

 敗北の運命の支配、クリスターナル・Κ。

 それは、タブラ=ラーサの権能の持つ最強クラスの力。文字通り、彼女の身に降りかかる敗北を「なかったことに」する。

 全てを支配する最強の支配者は、運命すらも支配する。

 だがその代償が安い道理など流石にない。それは膨大な水晶の力を消費する。世界中の水晶の華が、枯れてしまうかもしれない最終中の最終手段。

 それを、即座に発動できた、その心は。

 

「……《シャングリラ》……《クリスタル》……」

 

 この世に本来「ゼロ」を定義していたほどの力。

 それを、世界中の水晶の華の強烈な強化に注ぎ込ませたが故。

 

 タブラサ・チャンタラムに放置されていたシャングリラ・ファンタジアの身体。

 それが召喚され、動き出していたのだ。ゼニス・セレスとして。

 

「しゃん、ぐりら、さま」

 シャングリラ。

 世界を定義した、至高のゼロの神。

 四体のゼニスたちすらも知らせなかった事実を、その存在は圧倒的に知らせる。

 かつて、この世の神と呼ばれた頂点たちは今や、ただタブラ=ラーサのために働く下僕にすぎないのであると、水晶の力によって存在を否定された者が今や水晶の力のために動いている、その様子によって告げ知らせた。

 ゴスペルはただ、茫然としていた。

 

 ゼロとは、なんだ?

 何が、ゼロだった?

 タブラ=ラーサは、偽りのゼロだった?

 偽りとは、何だった?

 

 自分達は、何だった?

 

 

「……っグ、ハアァ!!」

 その時。

 蝶の翅を失い自我を再び取り戻したらしいハードコアが、今までにないほどの痛みの声を上げた。

 蝶の翅が輝いていた際の衝撃を一気に受けたが故か?……否。

 

「おお、もはやお主、実存を維持しきれぬ様子であるの。ゴスペルと言うたか。頑固な奴ではあったが、一応生かしてやった甲斐はある。この状態になったお主を即死させず、自らの惨めさを知らせてやることができる」

「……何を?」

「お主は信心の力によって実存を保つ存在じゃ。お主の身体に触れてみた際に大体わかった。それが一人を除いて信徒を失い、残った一人の信心も揺らがば、必然的に実存は歪もうて」

 

 ハア。

 ハア、ハア、ハア。

 荒い吐息が響く。

 

 神とは、なんだろう。

 本物の絶対者ならば、きっと、信じられていようがいまいが、実在そのものを知られようが知られまいが、絶対者として君臨できる。

 だけれども。

 鰯の頭も信心から神になろうというならば、逆に言ってしまえば信じられなくなった鰯の頭は、ただの生ごみとして腐り果て、蝿にでも愛でられるほかはない。

 

 エモーショナル・ハードコア。

 彼はどこまで、「本物の神」?それを今、彼は突き付けられている。

 

 

「さあ、見やれ。狭い城は崩れた。世界を見やれ。お主を、世界はどう見るか」

 タブラ=ラーサは。紳士の手をとる令嬢のように彼を掴み、舞い上がった。

 崩壊したブリティッシュ・パビリオン。そこには四人のゼニスたちと、そして、かつての至高神。

 そんなものが集まっている所が。

 

「何事だ!?」

「ゼニス様が、ゼニス様がご降臨為されている!!」

「シャングリラ様が再び目覚められただって!?」

「なんだ、あの白い龍は!?」

 

 オラクル・セレスの信徒たちの注目を集めぬはずなどない。

 ゼニスが戦った。世界中の水晶の華が力を貸した。

 完全なゼロと化したシャングリラすらも、今一度目覚め力を貸した、最高神タブラ=ラーサの戦いが繰り広げられている。その戦いの相手はアレだと、裏オラクルの秘伝など知る由もない世界の民にとってはただの見知らぬ存在でしかないハードコアの姿はそうにしか映らない。

 だから、飛んできた。

 

「悪魔だ!!」

 

 彼を否定する声。

「何があったのですか!タブラ=ラーサ様!!」

「センドウ様は今どこへ!?」

「シャングリラ様!!ゼニス様!!タブラ=ラーサ様!!しっかり!!」

 

 真の神だと、自分を信じて産まれた身に、降りかかってきたのだ。

「悪魔に打ち勝ってください!!我々は、いかなる犠牲でも払います!!世界のためなら!!水晶のためなら!!」

 

 お前は、神ではない。

 世界を揺るがす、水晶の神に危害を与える、大悪魔だと。

 

 ハードコアの口から流れる声は、言葉にならない。

「痛かろう。殴られるより、痛かろうの」

 タブラ=ラーサは突き付ける。神と定義されることによって実存を保つ者に、この水晶の華畑の世界においてお前は悪魔としか定義されないのだ、という事実を。

 

「……すまぬ」

 ハードコアも、最早悟った。自分の敗北を。自分の消滅を。

 最早、この世で自分の正義は通らないのだ。そんな世が、出来てしまっていたのだ。

 だがそれは、このタブラ=ラーサがあまりに規格外な存在であったが故だ。そんな化け物に目をつけられてしまった、この世界のなんと不憫な運命よ。

「すまぬ。裏オラクルたちよ。わたしは、清らでありながら、不浄を退けられなかった。この世を不浄に染めたまま消えてしまう無力を、お前達の清らを踏みにじる無力を、どうか、許せ」

 本来なら、勝てたはずなのだ。あの男だけが相手なら、勝てたはずなのだ。

 これが、化け物過ぎただけだった。そう思い、ハードコアは消える。

 

 そのつもり、だった。

 

「ああ、そうじゃ。お主に会わせたい者共が居る。なぁに。お主を傷つけるほどの力などない。『誰一人』も」

 その想いすら許さぬとばかりに、タブラ=ラーサはつい、と指を動かした。

 そして、産まれる。

 

 水晶の華を頭に頂いた、水晶の傀儡。

 それは瀕死のハードコアに縋り。

 

 ぽか、と。瀕死なれども仮にも神と呼ばれた力を宿す彼の身には蚊が止まったうちにも価しないだけの力で攻撃してくる。

 ぽか、ぽか、ぽか。

 呪詛の言葉と共に。

『痛い、痛い。砕かないで』

『どうして、どうして?乱暴にしないで』

『熱い、熱い、溶かさないで』

『お前も、お前も、同じ苦しみを味わいやがれ』

『ゼロに、ゼロになるはずだったのに。こんなことのために、水晶の華になったのじゃない。お前のために、水晶の華になったのじゃない』

 

「……お、お前たち、何者だ?」

「言うてはおらんかったが、わらわは『死者の支配』も可能であっての。それは、死した者たちじゃ」

 タブラ=ラーサは、信徒たちには聞こえないようにそっと囁き突き付けた。

 自らを、不浄に敵わなかった浄と信じて消えようとしている存在に、ある事実を。

「お主の降臨のために生贄になった命たちじゃ」

 

「……え?」

「ツラトゥストラから聞いた。オラクルが昔、今ほどには目的を失っておらんかった時分に組み立てた人造神降臨の儀式。それは、大量の犠牲、生贄を伴うものであったらしいの」

「……なんだって?」

「お主はそれで生まれた。闇文明から奪った水晶の華、まだ生きている命を大量に殺して、産まれた」

「……悪趣味な嘘も、休み休み言え!」ハードコアは瀕死の体を震わせ、必死に叫ぶ。

「わたしにはすべての記憶がある!わたしを呼び寄せた者の意識がある!彼らはそんなこと、思いもしていなかったぞ!!」

「然り。奴らは生贄とは認識しておらんかったのであろう。恐らくは『便利なエネルギー源』と思うておっただけじゃ。全く不思議な偶然の末にお主は顕現しておる。裏オラクル共は人造神の降臨に必要なのは『生贄』ではない、と思うており、水晶の華が生きているということは知らずに使った。結果として水晶の華が生贄として機能し、自分が何の犠牲の上にも成り立っておらぬ、ただ純然たる祈りの結実と信じ込むお主が生まれた。それを嵌める最後のピースがある。……ゴスペル共が、護り続けていたはずその『儀式』の内容をよりにもよって当事者の身でありながら『忘却』したのは、旧オラクルの歴史の中で終わりも終わりに近しかった時分の話じゃ。オラクルの清廉さの保護のため、生贄の儀式というものの存在を、文書にも残さぬ絶対機密にしようと教主へ進言した男がおったらしい。オラクル共は、何も考えんかった。どうせ何も考えておらんから残酷な儀式など確かにふさわしゅうないと今更のように書き換えた。その男の言うままに。書き換え、そして、忘れた。何も考えぬ莫迦共は。確かにより綺麗なこちらが真実であろう、こちらこそゼロの自分達に相応しいものであろう、シャングリラが自分たちに与えた導きであろうとすぐに信じなおした。真の真実を背負いゆくという『目的』すら否定していたのであるから。一方その男はその進言故に、出世した。知っておけ。その男の名」

 旧オラクルの事情など、何故タブラ=ラーサが知っているのか。

 そんなことを知れるルートなど、一つしかない。

「ゾロスター……その当時は、その名であった」

 自分が。

 自分が、自分を、清い存在だと信じ顕現できたのは。

「本人も言うておった。そこまでの莫迦とは思わなかったものです、と呆れ調子にの」

 

 最初から、自分も、誰もかれも、勝手に騙されていたから。自分が消すために降臨した男が、ただ出世のためについた下らぬ嘘に。

 ただの、詐欺に引っ掛かっていたから

 目的を失っていた故に、「彼」と違って、それほどまでの救いようのない莫迦に堕ちてしまっていたから。

 

「うそ、だ……」

『うそじゃない』

 水晶の傀儡たちがぽか、ぽかと、非力な憎しみを一身に込めながら呟く。

 

『お前の鱗は、私達の花びらを砕いて出来ているくせに』

 

 ……その、水晶の煌めきと。

 自分の身体の、真の救世主のものと信じていた輝き。それを見比べ……彼は、「理解」してしまった。

 身体が、生きたまま砕かれる。

 身体が、生きたまま溶かされる。

 ぽか、ぽかと小さな打撃から、それだけの苦しみが襲い掛かる。

 

 

 どしん。ハードコアの身体がブリティッシュ・パビリオンだった廃墟に沈んだ。闇文明に轟くオラクル・セレス達の歓喜の声など、ハードコアにも、タブラ=ラーサにも関係ない。

 

 

「……わたしは……」

 何も、無かった。

 ただ、自分より圧倒的に弱い男を一人支配しただけで終わった。それしきの存在だった。このエモーショナル・ハードコアは。

 世界など、救えなかった。

 タブラ=ラーサに何一つ敵わなかった。

 自分を守ってくれた信徒たちを自分は守れなかった。守らない選択を取ってしまった。

 世界は、自分を、悪魔だという。

 清く生まれてくることすら、出来なかった。

 タブラ=ラーサは何の罪もない民たちを糧にしていて、自分も何の罪もない水晶の華を糧にしていた。

 

 自分の神話すら、自分の伝承すら、もはや、何が真実なのか。

 全ては、『わからない』。

 何も、無かった。

 

「(唯一成し遂げたことは、子供の弱い者いじめにも劣ろう、卑劣な暴力だけだった)」

 

 

「終わりか」

 タブラ=ラーサは話した相手…一応まだ生きてはいるのだろう相手から、それでも返事が返って来ないことを見届け、ぼそりと言う。

「ほんに、純朴な奴じゃのう。アレらが生きているのは事実として、意識があるかまではわらわにとて分からんのに。自分は信じず、邪教と蔑んだわらわ共の信徒は信じてやったか。優しいのう」と、くすくす笑う。

「……まあ……気を堕とすな。お主。お主のある点はわらわは本心より買っておる。わらわを怒らせるような真似さえせねばと、惜しく思う程に、じゃ。それに免じて一度、生き延びる機会も与えてやった。一人だけなれど、信者も生かしてやった」

 最後に、タブラ=ラーサは言った。もう恐らく、絶望の末に言葉など聴こえていないハードコアに。

「苦しい時の神頼みに、本当に答えてくれる神など早々おらん。そこを本当に来てやっただけ、お主は全く誠実者じゃ。神頼みなど、他に何の手も打てぬほどの絶望故にするものであろうから、のう」

 

 彼女はそっと、抱き上げる。身も心も砕いた怨敵を。

「わらわも、お主も、不浄の偽神。お主は受け入れなかろうが、わらわは受け入れようぞ。蝿は、不浄に怯えなどせぬ。ツラトゥストラに危害さえ加えねば、お主はまったく、見上げたる偽神であった。もう奴の力も解放したなら、後はただ、見上げてやるのみじゃ」

 そして、そっと息も絶え絶えの口に、静かに口づけを堕とした。

「さらばじゃ、誠実な偽神よ」

 

 きら、きら。

 彼の実存が、置き換わっていく。鱗だけではない、全身が水晶の色に輝く、世にも美しい、水晶色に輝く偶像に。

 

 ●

 

「目覚めい」

「……!?」

 その言葉で、ゴスペルは目を覚ました。目を覚ますとそこには……ツラトゥストラの身体を奪還し愛おしげに抱きあげ、その傍らで「ある」者を見せつけるタブラ=ラーサが居た。

「用は済んだ。わらわの命令は変わらぬ。以降、セレスに一切の危害は加えるでない。さすれば、これを崇めて生きて行け。わらわは別段、お主に崇められぬことなどどうでもよい。お主の存在など、わらわの安寧には何の関係もない」

 それは。

 水晶色の偶像と化したエモーショナル・ハードコア。

 

「……嗚呼……」

 水晶。

 みんな、みんな、水晶になってしまった。

 安らかな時間。停滞の星。何も考えなくて良い、安寧の世界。それを実在させたゼニスたちは、その力を継ぐ秘伝の救世主は。みんな、みんな、いなくなってしまった。

 みんな、みんな、水晶になってしまった。

 

「こんなもの……」

 いらない。

「こんなもの、いるか!!」

 

 誰も、考えない。誰も、目的を持たない。

 それがシャングリラの望んだ世界だった。それで誰もが幸せだった。それを壊したのが、水晶だった。

 それでなぜ、ハードコアまでも、水晶にしたのだ、この蝿は。

 何故、それを崇めて生きて行けというのだ。

 

 ……だが。

 理解が及ばない様子なのは、先方も同じであった。

「……なぜじゃ?」

 彼女の言葉には、戸惑いすら見えそうであった。

「恩知らずであるの。お主は。苦しいときに神頼みをして、助けに来て貰えた。それだけで大したものであるぞ。それだというのに、報われんのう」

 ふう、と彼女は嘆息する。

 

「まあ、唯一の信者にも拒まれたならば、かえって居るだけ惨めなものか。骨折り損じゃった」

 

 その時。

 何かが落ちた。その後。

 死して水晶色の偶像となったはずのハードコアが、泣いたように見えた。

 

「……ハードコア、様?」

 その涙を見て、さすがにゴスペルも注意を引かれた。だが、次の瞬間……彼は知った。

 それは、涙ではない。

 涙なら、静かに床に広がる。ぴち、と、細長い形でうごめかない。

 

 涙のようなものに先駆けて落ちたのは、ハードコアの眼球。

 そして、それが抜けからっぽになった眼孔から……いや。ハードコアの身体の穴と言う穴から、堰を切ったように「ある物」が一斉に流れ落ちた。

 度を越して大量に号泣し、嘔吐し、失禁するように、水晶の色をした何物かが流れ落ちると同時に、ハードコアの身体はしなしなと萎んでいく。風船が萎んでいくように。

 そうだ。

 流れ出しているのだ。「中身」が。

 エモーショナル・ハードコアに残されていたのはもう、水晶の花びらで出来ていた鱗で覆われた表皮一枚だけ。それだけ残して消え去った後に詰められていたもので、彼は水晶の偶像と化したのだ。

 水晶の花びらを溶かした鱗の中に。世にも美しい、純粋無垢の、透明の。

 水晶の蛆の群れをびっしりと詰められて、あの偶像は出来ていた。

 

 それが、流れ出ていく。一斉に。ブリティッシュ・パビリオンだった廃墟の床の上に。きら、きら輝き、うぞうぞと蠢き、水晶の華畑に逃げていく。

 

 かしゃん、と音を立て、中身全てに逃げられた、文字通り抜け殻になったハードコアの表皮が床に無残に落ちた。

 

 裏オラクルの計画の最後を彩ったのは。

「……あっけない」

 ゼニスの意志を継ぐはずの龍の、何とも形容のできぬ、虚ろな笑い声だった。

 

「あの裏切り者共もそうじゃが、なぜこう簡単に気がふれる。わらわの逆鱗に触れる者の仲間は。……まあ、よい」

 彼女はつい、と指を動かした。途端に、その狂った龍の背中に、蝶の翅が生える。

 

「自我を喪った身なら憑代にもなりやすかろう。水晶の王。身動きもとれぬそやつの身体で、せいぜいお暮しあそばしませ」

 

 

 そう言い残し、水晶の蝿はブリティッシュ・パビリオンから飛び去った。信徒たちの歓喜の声など、何も気にかけず。

 

「さらばじゃ。裏オラクル・セレス」

 

 

 ●

「……?」

「起きたか?ツラトゥストラ」

「タブラ=ラーサ様……?あれ……?ここは……タブラサ・チャンタラム……?」

「うむ。少々、色々と闇文明であっての」

「……どのような?」

 ツラトゥストラはそれに関し、当然の疑問を呈した。色々?裏オラクル・セレスの一件が片付いていないうちに何が起こったというのか?なら打つ手を考えねばならないからだ。だが……彼がそう聞いたことに対してタブラ=ラーサが謎にくすり、と顔をほころばせ……安堵した様子を見せたことに、彼は更に疑問を持たざるを得なかった。

「あの……」

「後から話す!今はゆるりと休め」

 つん、と彼女は部屋のクッションにツラトゥストラをうずめる。そして、言った。

「お主が無事でよかった」

 ……何か、あったのか。自分の身に。

 あの白亜の龍が何かしたのか。さっぱり記憶が抜け落ちている。……が。

「分かりました……暫し、もう少し寝ます。色々に働き詰めでしたので」

 タブラ=ラーサが望むなら、後回しにしよう。

 

 ……何故だろう。

 何故、こんな不合理を考えるようになったのだろう。頭が回らねば、何もできなかった自分が。

 そう自由にあっても安全なのは、タブラ=ラーサほど強力な存在くらいなのに。

 

 

 

「何故であろうのう」

 再び眠りに落ちた、しかしそれはただの眠りである事が確約された眠りに落ちたツラトゥストラを見て、タブラ=ラーサは語る。

 

「神とは何か。信心とは何か……よう語ったものじゃ。あの者の言う通りじゃ。やたらに能弁になったものじゃの。わらわは」

 そっと、彼女は笑う。

「少し、お主に似てきたのかもしれぬ」

 

 水晶の神は、一人の男を眺めて輝いていた。

 水晶の輝きとは、無垢であるのだろうか。

 

 無垢が、光に染められた。そう見ることもできるかもしれない。

 

 生まれたての水晶は本来濁っているものだ。研磨され、光に染められ、それは透明になる。

 真の無垢とは、どちらなのだろう。

 

 どちらであろうとも、今のタブラ=ラーサは「この姿」になって以来、一番に煌めいていた。

 

 

《終》

 

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