その夏、私は幽霊と沖縄へ行った──

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夏の果て、あるいは私たちの最期

あの神崎美咲が、こんな小さな骨壷に収まっている。

その現実をうまく飲み込めないまま、私は線香に火を付け、機械的に手を合わせた。

 

「彩奈ちゃん、久々やね。今日はありがとうねぇ」

 

美咲の母から差し出された茶菓子を食べ、通り一遍の世間話を受け流し、やがて私は本題を切り出した。

 

「あの、良かったら…美咲の部屋を見せてもらえませんか?」思い出とかも色々あって、と補足を忘れない。

「もちろん、ええよ。漫画とか、CDとか欲しいもんあったら持って行ってくれても」

「いえ、悪いですよ」

 

 と言いつつ、一応言質は取れたなと内心呟いた。

 

「ほな、ごゆっくり。また、声かけて」

 

そうして足音が去った途端、他のモノには目もくれず、机の引き出しを無心で漁った。

記憶が確かならこの辺に…あった。溶液で満たされた小さな瓶。

それをポケットにそっと入れる。何も持たないのも不自然なので、適当にCDを何枚か持って部屋を出た。

 

「コレ、いただいていきます。お菓子も、ありがとうございました。お邪魔しました」

「あぁ、ちょっと待ってな。お父さんとも話し合ってんけど...」

 

そう言って出されたのは、黒いギターケース。その中身は、いつも彼女が弾いていた朱色のグレッチだった。

 

「いえ、流石に悪いですよ」

 

心情的にも、金額的にも受け取り難かった。これを買うために美咲はかなりバイトに力を入れた。中古でも売ればそれなりの金額になるはずだ。

 

「ウチらは弾けへんし、かといって売るのもねぇ。彩奈ちゃんはギターも弾けるってあの子も言ってたから」

 

結局押し切られる形で、ギターも持って帰ることになった。予想以上に荷物が増えたので急遽、駅まで車で送ってもらった。

 

...

 

「またいつでも来てな。あの子も喜ぶと思うし」

 

会釈をして車を見送り、改札を通る。平日のこの時間、ホームの人はまばらだ。盗んだ瓶を空にかざして眺めた。

 

「コレな、アタシの骨やねん。医者に言って記念にもらってきた」

 

あの部屋でこれを見せてくれたのも、確かこんな、春を少し過ぎた頃だっただろうか。

 

足根骨癒合症(そっこんこつゆごうしょう)っていう、足に余分な骨ができる病気なんやって。それが部活でパキッと欠けてな。神経を圧迫しててん。で、手術して取ったんがコレってわけ」

 

そんな説明を十年経った今でも覚えていた。

もちろん彼女の骨は全て、あの骨壷に収められるべきで、四十九日が終われば、神崎家の墓に埋められるべきなのだろう。

でも美咲は、あんな小さくて無機質な骨壷にも、ましてや土の下にも収まるべき人間ではない。瓶を握る手が強くなった。

 

 

美咲はカリスマだった。それは私だけでなく誰もが認めた。

モデルのようなスタイル、整った顔立ち。成績も優秀で人当たりも良い。

 

しかし、一方で、どこか刹那的な危うさもあった。

普段は上手く隠していたけれど。時々美咲が何を考えているか、私ですら分からなくなることもあった。

高校の軽音部でギターボーカルを始めた彼女は、すぐにその才覚を発揮した。

 

声、音、表情、瞳、立ち姿。全てが観客を魅了した。

時に優しく、時に激しく、時に切なく。彼女の歌には美しさと危うさが、奇跡のようなバランスで存在した。

 

そんな美咲にベーシストとして誘われた私は、彼女に釣り合うために死に物狂いで努力した。 

大学もバンドのために同じ所に進学した。コピーバンドがメインの軽音部には入らず、自分達でバンド活動を始めた。

 

授業はそっちのけで、チケットノルマを捌くためのアルバイトとライブ出演を重ねた。

私は曲を書き、美咲はそれに詞をつけて歌った。美咲の存在はもちろん、私にも作曲の才能があったようで、学生ながら界隈でも評判になった。

 

観客たちの熱狂やSNSの反応はどんどん大きくなる。美咲の魅力もいろんな人に伝わり始めた。

初めは、嬉しさや誇らしさもあった。けれど、少しずつ言い知れぬ不安感も覚えるようになった。

そして、全ての青春には終わりがあり、私たちも例外では無かった。

 

就職するかどうか?という問題に直面したのが大学三年生の春。

 

「一緒に東京行かへん?」

 

美咲から誘われた。実際、インディーズながらレコード会社からの打診もあった。

私はその時、自分が臆病者だと知った。大学までは良かったが、それから先の人生で不安定な道を生きることが考えられなかった。

そして、何より不安だったのは、あの言い知れぬ不安感の正体を掴めずにいたことだ。

 

そんな中途半端な自分は彼女にふさわしくない、というのを言い訳に、結局、私は就職を選んだ。

他のメンバーは流動的なサポートメンバーだったので、いないも同然だった。

 

その後、美咲は歌手を目指して単身上京。連絡は数ヶ月で自然と途切れた。

数年して、特に芽も出ず交通事故で死んだ。あれだけ共に過ごしたのに。

 

臆病さで彼女を突き放した私は、まさに裏切り者でしかなかった。

 

...

 

梅雨になると、体に違和感を覚え始めた。

昔から自律神経は弱かったし、気圧や生理の影響かとも思ったが何かが違う。

 

眠れないことも増えた。流石に変だと思い、有給を使って病院に行くとうつ病だと診断された。

 

「環境の急激な変化とか、ありましたか?あるいはストレスとか」

 

低気圧も、ホワイトな職場も、きっと原因たり得ない。

思い当たる節は一つ、美咲の死。

裏切り者の私に、彼女の死を悲しむ資格なんてないのに。

それでも結局、抗うつ薬と睡眠薬と診断書を出された。会社に出した休職の申請はスムーズに受理された。

 

クローゼットに閉まっていたベースも、美咲の遺したギターも、全く触る気が起きなかった。

夕方ごろに目を覚まし、明け方に眠くなるまでオンラインゲームをした。

あるいは、布団の中で適当にスマホを触り続けた。

それにも飽きたらマスターベーションをして、空腹に限界が来たら買い置きの袋麺を食べた。

家から出るのもおっくうなので、タバコはカートンで買い溜めした。

風呂に入るのは数日おき、爪も髪も伸び放題。私はまさに生きる屍だった。

 

ある程度の貯金はあったが、それらも毎月減っていく。

このまま、生きて社会に復帰できるのか考えると不安になった。

 

数週間が過ぎて、いっそ美咲の後を追おうと思い始めた。

生きることを考えると不安になるのに。死ぬことを考えると、気持ちが楽になった。なんとも不思議なものだ。

 

(折角なら、あそこで死のう)

 

決断を下したら後は早かった。布団から出られなかったのが嘘のように、風呂に入れて、食事も摂れて、玄関のドアを開けることができた。

久々の外の空気が肺を満たす。時刻は早朝、今日は久々の晴れらしい。

夜明け前の青色が全身を包み、人も車もほとんどない静けさが広がる。なぜか泣きそうになった。

 

...

 

「同じ学年やんな、サボりー?」

 美咲から初めて声をかけられたのは、公園のベンチで横になっていた時。

入学して一ヶ月程の頃だったと思う。私たちの高校は、学年ごとに自転車に貼るステッカーの色が違っていて、私の自転車を見て声をかけてきたのだという。

 

 

「えっと、貧血で...」

 

 そんなしどろもどろな受け答えしかできなかった。クラスは違ったけど、美人な子がいるなぁと一方的に知っていたし、そうでなくても当時の私は今よりもっと人見知りだった。

 

「そうなんや、大丈夫?水とかいる?」

「あ、いえお構いなく」

「いや敬語いらんて。同い年やし」

 

それをきっかけに連絡先を交換し、廊下ですれ違えば挨拶して、放課後になれば二人で帰るようになった。

私も美咲も当時は帰宅部で、美咲の友人は運動部に入っている子が多く、私は単純に友達がいない。

二人とも放課後は暇で、アルバイトは禁止されていたので金も無い。

仕方なく自転車であてどなく出かけては、適当な公園のベンチや河川敷で駄弁る日々だった。しかしある時

 

「彩奈、今日ちょっと寄りたい場所あるけど、いい?」

 

 と唐突に切り出された。

 

「別にいいけど、どこ行くん?」

「ん、内緒〜」

 

 そう笑った彼女の瞳は、少しの危うさを孕んでいて、でもそれに惹かれる自分もいた。

 自転車でおよそ十五分。駅の近くにひっそりと建つ白くて古ぼけたビルに案内された。

 

「自転車はその辺に停めて。こっち来て」

 

 ビルの裏手に回ると、鉄製の螺旋階段が建物の外側に付いていた。侵入禁止の張り紙と鎖はあるものの、跨いで通れば無いに等しい。

 

「手すりは触ってもいいけど、結構汚れるから気ぃつけてな」

「これ、入って大丈夫なん?」

「バレへんかったらね」

 

錆びた足場は踏みつける度にギシギシと嫌な音を立てた。飛び跳ねたら崩れるかもしれない。

手すりに触ると、言われた通り乾いた白いペンキと茶色い錆で汚れた。

 

螺旋階段を何周かすると、そこはだだっ広い屋上だった。

室外機とビル内からの通用口があるだけで、他には何もない。

 

 

「どうこれ、ウチらの秘密基地って感じで」

「夏になったら暑くて死にそう」

「夢無いなぁ。こういうのは気持ちの問題なんよ」

 

 それから私たちは、この屋上にたむろするようになった。取るに足らない話を続け、好きな音楽や動画をイヤホンを分けあって観たりした。そして美咲は時々タバコを吸った。

 

「ごめん、嫌やった?家やと吸えへんくて」

「ううん、大丈夫」

 

 中学の時にソフトボール部でエースだった美咲は、足根骨癒合症を機に退部。それから吸い始めたそうだ。

 

「肺とか、黒くならへんの?」

「全然平気、毎日吸うわけちゃうからね」

 

 結局、やはり夏場の屋上は暑すぎて、冷房のある適当な部活に入ろうとなった。

そして、二人揃って軽音部に入り、音楽にのめり込むようになるのはもう少し後の話だ。

 

...

 

久々にあの屋上に来ていた。大学三年生、彼女と袂を分かったのもこの場所で、来たのはその時以来だった。

思い出すのは、美咲が好きだったリプトンのミルクティの味、馬鹿でかい空、たまに吹く風、涼しくなればギターを弾いて歌ったこと。下らない記憶の断片ばかり。

 

「メビウスの三ミリ、私も吸い始めたよ」

 

この匂いだけが今も変わらずここにある。会社員になって吸い始めたけど、私も吸うのはたまにだけ。

健康診断によれば、肺はまだ黒くなっていない。美咲の言葉は正しかったみたいだ。

 

何本か吸い終えて、屋上の縁に足を掛けた。

フェンスの一つもないので、ここから地面には直通で飛び降りられる。ポケットの中のあの瓶は、少しひんやりした。

 

空を見上げた。

朝日が登り鮮やかな青が空を塗りつぶしている。

死ぬのにふさわしいようにも、何の変哲がないようにも見えた。気温は上がり、蝉の声が響き始める。

 

地面を見下ろした。

心臓の鼓動はどんどん大きくなる。

ここに来て恐怖を感じているらしい。

臆病者で、裏切り者で、骨まで盗んで。

死の直前まで怯えている。いよいよ生きていることが恥でしかない。

 

自分は死ぬべき存在だと覚悟を決めた瞬間──

 

「やめた方が良いと思うよ」

 

突然、背後から声がした。

鼓動は跳ね上がり、落下しそうになった体を前後に揺らし、文字通り命懸けでバランスをとった。

なんとか落下を回避して床面にへたり込んだ。

 

結局生にしがみつくなんて、みっともないことこの上なくて、そんな自分が嫌すぎて、思わず怒鳴った。

 

「ざけんなやクソが!」

「驚いた。聞こえたのか、失敬。しかし、恩人に対してちょっと失礼じゃないか?」

 

 振り向けば制服を着た少女が立っている。

女子高生だろうか。自称・恩人は人形のように整った目鼻立ちと長い黒髪の少女だった。

青空をバックにした姿に、正直少しだけ目を奪われたが、それが余計にムカついた。少女は話を続ける。

 

「飛び降りで即死するには、大体ビルの六階から七階ほどの高さが必要になる。ここは残念ながら五階建てでね」

 

 どこか浮世離れした喋り方をするヤツだ。そして朝からこんなところにいるあたり、かなり頭がおかしい。いわゆる厨二病というヤツだろうか?

 

「まぁ、運良く頭から落ちれば楽に逝けるかもだけど。そうじゃなければ、激痛に苦しんで死ぬか。運が悪ければ、後遺症を抱えて生き延びるか」

 

 ペラペラと続く言葉を無視して考える。コイツは、いつから屋上にいた?あの錆びた階段を音を立てずに登ってきたのか?腑に落ちないことが多い。

 しかし、暑さで考えるのも面倒になった。とりあえず相手は年下のようだし、適当にいなして、さっさと帰ろう。名残惜しいが、死ぬのは別の場所でやればいい。

 

「うん。やはり、聞こえてるし、見えてもいるようだね」

 

 少女は意味の分からない独り言を続けている。私は黙って立ち去ろうとしたが、背後から声がかけられた。

 

「” 少しのことにも、先達はあらまほしきことなり”って、習わなかったかい?」

 

 古文は私の一番の苦手科目で、テスト前に美咲とここで勉強もした。そんなこと、どうして今になって思い出すのだろう。

 

「…徒然草」

「正解」

 

 栄養不足が続いていたからか、思い出を汚された気がしたからか、正直キレる寸前だった。

 

「あのさぁ。話が見えないから。私も用事あるし、暇じゃ無いんで」

 

 どこの制服かは知らないが、警察に通報してやろう。

 

「ええと、まぁつまりだね…自殺にも先達がいた方がいいということだよ」

 

 これで話が()()()()()だろう、と言われ、そして、実際信じられないものを見た。

 

 私の胸から腕が生えたのだ。比喩でもなんでもなく。

文字通り、少女の腕が、私の胸を貫通していた。しかし、痛みも出血もない。ゾクリとする冷たさだけがある。

 

「幽霊なんだよ、私は。かつてここから飛び降りて、激痛の中で死んだ」

 

...

 

幽霊の名前は黒澤玲華といった。

姿形は死亡した女子高生の時のままだが、私よりも十歳近く年上らしい。

 

「君、何年か前によく来てた子だろう?」

「…あの時からいたんですか?」

 

 年上と聞き、玲華にはなんとなく敬語で話すようになっていた。

 

「幽霊ってのは退屈だからね。君たちは良い暇つぶしだったんだ。だからまぁ、本当に親切心だったんだけど...」

「その節は大変失礼しました」

「まぁ私も、本当に声が届くとは思ってなかったけどね。実際、ダメ元だったよ」

 

玲華は死後、他の幽霊とも、霊能者の類とも、もちろん生者とも話すこともなく、二十年間、一人で彷徨い続けていたらしい。

久々に人と話せて本当に嬉しいと喜んでいた。そういえば私も、人と話すのは久々だっけ。

世間話から、幽霊や霊魂といったテーマについても話した。

曰く、私が玲華を見えるようになったのは、同じ場所で死のうとした縁である可能性が高いのだとか。とはいえ、これもただの仮説でしかないようだが。

 

「まぁ、幽霊って結構適当なものでね。私も地縛霊だけどある程度は自由に動き回れるし。姿も死の直前のグチャグチャの肉片じゃないだろ?」

 

それからも話続ける中で、玲華は少し意を決したように尋ねた。

 

「聞くのは野暮かもだが、もう一人の子は」

「死にました。東京で、事故で」

「お悔やみ申し上げるよ。死んでいる私が言うのも変だけど」

「あの、美咲が、あの子が幽霊になっているっていうのは」

「そういう可能性は考えない方がいいね。幽霊なんてひどく曖昧な存在なんだ。むしろ、私だけが例外なのかもしれない」

 

二十年の間、他の幽霊に出会ったことすらない彼女の言葉には説得力があった。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 しばしの沈黙が流れる。

 

「別の死に方を探すのかい?」

「止めるんですか?」

「いや、私にそんな資格はないよ。せいぜい痛くないようにと言うくらいさ。ただ...」

「ただ?」

「今すぐ死にたいのでなければ。一つ取引をしないか?報酬は現金で五十万円」

 

 今から死ぬのにお金なんてあんまりいらないと思ったのだが、それは違うらしい。

 

「これはアドバイスだけどね。どうせ死ぬなら、パーっとやって死んだ方が良い。生者の特権だよ、死んでからじゃ金は使えない」

 

 なるほど、一理あるような気がした。玲華は説明を続ける。

 

「安心してくれ。依頼自体は簡単。ある遺品を処理するだけでいい。私もそろそろ成仏したいけど、それがあるとできないんだよ」

「遺品って何です?」

「生前に書いたちょっと恥ずかしい手紙」

 

 その言葉通り、依頼人は少し照れていた。

 

「両親は今も私の部屋をそのままにしていてね。まだ隠せているんだけど、いつ発掘されてしまうか気がかりで」

「報酬の受け渡しは?」

「同じように部屋の中に隠してある」

「それって、不法侵入ですよね?」

 

 この屋上にいる時点で、今更ではあるが。

 

「まぁ、そうなるね。だからこそ、人からは見えない私が全力でサポートする」

「...もしヤバいと思ったらやめても?捕まったら死ぬどころじゃなくなりますし」

「構わない。私に止める力はないしね」

「分かりました、いつやりますか?」

「それは...今でしょ」

 

 玲華はなぜかドヤ顔で胸を張った。以前、人の家に侵入して観たバラエティ番組のネタを使いたくてウズウズしていたらしい。

 

「ネタ、古いですよ」

「仕方ないだろう。幽霊ってのは、暇すぎて時間の感覚が狂うんだ」

 

...

 

結論から言うと、依頼はスムーズに終わった。

現場はオートロックの高級マンションだったが、エントランスのパスワードは玲華から教わって無意味だった。

 

玲華の父は深夜まで仕事。彼の帰宅まで玲華の母は玄関の鍵を空けっぱなしにしている。玲華の母が風呂に入っているタイミングで私たちは侵入した。

玲華の部屋は死後二十年近く経ってもそのままで、参考書や教科書のデザインは古臭く、本棚や箪笥の中身などは当時のままらしい。掃除だけが行き届いている。

 

目当ての物は、本棚にあるLPレコードに入れられていて、あっさり回収できた。

初犯にして完璧な空き巣を果たし、帰宅して成果物を確認した。玲華の言葉通り、白い便箋に丁寧に入れられた手紙と、茶色い事務封筒に入った札束があった。

 

「本当に五十万ある…どうやって貯めたんですか?」

 

 地縛霊だった玲華は、今は私に取り憑いた状態で、私の周囲なら自由に動けるらしい。やはり、幽霊というのは曖昧な存在なのだろう。

 

「あぁ、援助交際だよ」

「なるほど…」

 

 正直、五十万円の存在は半信半疑だったが、もし真実なら、と考えていたことを口にした。

 

「追加の取引をしませんか?五十万円の使い道、決めましたので」

 

 

...

 

 

「シーズン間近だねぇ。もう少し遅かったら、人が多すぎてやばかったんじゃない」

 

めんそーれ。私たちは沖縄に来ていた。

玲華との追加契約として、私の最期の旅に付き合ってもらうことにした。彼女は快諾してくれた。

地縛霊だった頃の反動だろうか。普段クールな彼女だが、道中の空港や飛行機など、何にでも都度興奮するのが可笑しかった。

 

那覇空港を出てすぐのレンタカー屋で車を借りて、行くあてもなく走った。ちなみにどういう原理かは知らないが、幽霊でも飛行機や車には乗れるらしい。

カーステレオではずっと音楽を流し続けた。玲華と私は趣味も合って、特に彼女の死後に出てきたアーティストを教えると喜ばれた。

 

沖縄本島の高速道路を周り続け、疲れたらサービスエリアに入る。

たまに高速を降りて観光名所や離島も巡った。夜は民泊アプリで予約を取るか、ネカフェや車中泊で過ごした。

ソーキそば、ステーキ、シークワーサーのハイボール、ハブ酒等々。

飲まず食わずな幽霊に申し訳ない気持ちもあったが

 

「見てるだけでお腹いっぱいだよ」

 

と笑われてしまうほど堪能した。

そんな旅にも少し慣れた頃。サービスエリアの喫煙所で、周囲に人もいなかった夜、なんとなく聞いてみた。

 

「あの手紙、何を書いたんですか?」

「ラブレターだよ。生前の想い人へのね」

「どんな人でした?」

「あぁ、素敵な人だったよ。私とは違って明るくて人気者だった。そして何よりも」

「何よりも?」

「顔が好みだった」

 

 結局顔かよ、肝心なところがクソじゃん。そう言って私たちはゲラゲラ笑った。

 

「でも、玲華さんが認めるって、よっぽどイケメンだったんですね」

「いや...相手は女の子だったんだ。その子に彼氏が出来て私は一方的に失恋した。それに親は医者になれって煩くてね。反抗代わりに援助交際に走って、ムシャクシャして飛び降りて、今に至るというわけだ」

「...その子は今どうしてるんですか?」

「さぁ、あの辺には住んでないだろうね」

 

 そんな玲華の遠い目が、悲しく、でも愛おしく見えた。なぜかは分からなかった。

 

...

 

 

「ツアーファイナルは沖縄。打ち上げは海で花火とビール一択やろ」

 

 それが美咲の夢の一つだった。普通、ツアーファイナルは東京か、あるいは地元なのではと言った私に、美咲はこう笑ったっけ。

 

「こういうのは気持ちの問題なんよ」

 

...

 

ホームセンターで花火を、コンビニでオリオンビールを買った。

離島と離島をつなぐ橋の下に車を停めた。

砂浜には誰もいない。

 

最初にロケット花火を、次に手持ちの花火を使い尽くした。

誰もいない海岸に私たちの笑い声と花火の音が響いた。

やがて線香花火が弾ける小さな音すらも聞こえなくなった。

 

タバコもこれで最後の一本だ。

 

玲華の目を見て頷いて、ライターで手紙に火をつけた。彼女の恋が灰になっていく。

玲華は涙を流した。なんて美しい涙なんだろう。

 

私は睡眠薬をオリオンビールで全て流し込み、缶を捨てて海に向かって歩き始めた。

海は冷たく寒い。体が震える。しかし薬の影響か、感覚も朦朧としはじめた。

 

そういえば、今になってやっと。あの喫煙所で玲華の目が愛おしく思えた理由が分かった気がした。

 

「私も美咲が...」

 

涙が出た。私と玲華は、似たもの同士だったのかもしれない。

気持ちを伝えられなかった弱虫が二人。

こうして泣きながら、死んでいく。

 

私なんかは臆病者で裏切り者で、盗人でもある。もう、なんかクズの役満だ。

 

でも、不思議と悪い気分ではなかった。

視界がぼやける。玲華は成仏できただろうか。水面に移る月が揺れて、私は意識を手放した。

 

 

...

 

 

目が覚めると、あの屋上にいた。でも、空も壁も床も、何もかも真っ白だった。

(夢?走馬灯?天国?)

 

「さぁ?あんまり考察に意味ないんちゃう」

 

そこにいたのは、袂を分かった頃、そのままの美咲だった。彼女の言う通りだ。疑問も思考も全部どうでもいい。

 

「…美咲、私は」

「自分が裏切り者やって?」

 

 その瞳に、何も言えなかった。

 

「舐めんなや。うまくいかへんかったんは、単純にウチの実力と運の無さ。アンタにはアンタの人生があった。それだけや」

 

 違う。私は私の気持ちが露見するのが怖くて、貴女を遠ざけただけ。

後悔から目を逸らして、楽な道を選んでこんな所まで来てしまった。どうしようもない臆病者。

 

「ヘンなところで真面目やもんなぁ」

 

 そんなに言うならと美咲は続ける。

 

「彩奈が、死ぬまで生き続けること。神崎美咲という人間が生きていたっていう記憶と一緒に。

アンタの中に私はいる。死んで楽になんかさせへん。勝手に死んだら許さへん。それがアンタへの罰。それでどう?」

「それは...辛いわ」

 

 美咲が私の中にいる、なんて言われてもそんなのきっと実感できない。虚しさしかない。

 

「じゃなきゃ罰にならへんやん」

「そうやね...けど、なぁ、また会えるん?」

「知らんけど。こういうのは」

 気持ちの問題やろ、同時にそう言って、二人ともあの頃みたいに笑った。

 

...

 

 翌朝、地元の漁師のおじさんに頬を叩かれて目が覚めた。

訛りが強くてわからなかったが「こんなところで寝てると風邪を引く」という旨だった。

実際、風邪を引いた。熱で朦朧とした運転で車を返却し、飛行機の当日券を買って、薬を飲んで帰りの飛行機に乗り込んだ。

 

降りた空港から家までタクシーで帰ったらしい。

記憶は全くないが、バカみたいな金額の領収書を見てそう判断した。

 

玲華の金に助けられた。

それにしても、帰巣本能というやつか、よく帰ってこれたと思う。

 

美咲の骨が入った瓶はまだポケットの中にあった。

 

風邪が治って数日。台所で瓶を割った。そして溶液を洗い流し、彼女の骨を粉々に砕き、水と一緒に飲みこんだ。

 

「記憶の中の美咲と生き続ける」

 

言葉としては理解できる。しかし、やはり、その実感の薄さに耐えられなかった。私は罰も守れない、卑怯者でもあるようだ。

でも。これでようやく、美咲は本当に私の一部となった。私が生きる限り、彼女もまた生き続ける。今ならそう確信を持って言える。

塊で飲み込んでしまえば、そのまま排泄されるかもしれないから、わざわざ粉末にした。私の身体に吸収されるように。

実際どうなのかは分からないが、こういうのはそう、気持ちの問題だ。

 

音楽制作用のソフトを購入して、五十万円はそれでちょうど使い切った。

体が勝手に動くかのように、ベースと、美咲のグレッチを弾いた。

 

曲を作り、自宅の機材で録音するのに一ヶ月。久々に外に出ると少し肌寒かった。

 

「自分の声って録音して聴くと、なんであんなに気持ち悪いんやろ。しゃあないからボーカロイド使ったわ」

 

屋上で、出来上がった曲をスピーカーから流した。

死後の世界があるのかは知らない。それでも彼女たちに捧げたかった。そして、かつての自分自身にも。

 

曲の再生が終わった。ただ一人、私は満足だった。

いつも作詞は美咲だったけど、今回は私だ。けど初めてにしては悪くないだろう。

 

ふと、この曲をネットにもアップロードしようと思った。

誰にも聴かれなくていい。誰にも評価されなくていい。

ただ、私たち三人がここにいたと言う証拠を、世界に残しておきたかった。

 

空の写真を一枚撮ってサムネイルに設定し、アップロードを開始した。

メビウスを一本吸い終えた頃、スマートフォンが震えてアップロード完了が通知された。画面には投稿した曲のタイトルが表示されている。

 

 

『夏の果て、あるいは私たちの最期』


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