幻の夢を追いかける華 作:日振
レースに出走するウマ娘達がアピールをする場であるパドックには、沢山のファンや同じウマ娘、はたまたトレーナーバッジを着用しどこか緊張した面持ちの人が集まっていた。1人、また1人とパドックにはウマ娘が姿を現していく。
人混みの中でパドックを見つめるトレーナーの若旅伊吹は、同じ場所に立つ他のトレーナーと比べると落ち着いた表情で同じ場所へと目を向けていた。
「お、来たな」
小さく呟く。
パドックには、胸元に番号の割り当てられたゼッケンを着用した若旅の担当するウマ娘の1人であるアセビロードが立っていた。今日はレースとあって、普段は動きに合わせて揺れる長く綺麗な髪は意図的にまとめられていた。
ロードの調子は絶好調。トレーニングも問題なく進められ直近のレースにおいては悔しい結果が続いているロードにとって、自信を取り戻す一戦にしたかった。
「一番人気、アセビロード。正に、準備万全といった仕上がりですね。先週のレースで好成績を残した同じチームのアセビツバキに続けるか」
放送の中で友人である名前が口にされた事へ、ロードはピンと耳を立て反応する。そして、マイクから伝わった声に対して反応する様に拳を握りやってやると言わんばかりに笑う。
アピールの場とは言え、パドックはたった1人に時間が与えられているわけではない為、ロードは踵を返していく。最後に、頑張るよと一言を添えながら。
「アイツ、あんな呑気にしていて勝てんのかよ」
「まぁ。なるようになるさ」
若旅は隣から言われた言葉にロードから移ったのか、それとも元来のものなのか、のほほんと笑って見せた。
東京レース場、芝3110メートル。ジャンプレースのGIII「東京ジャンプステークス」は、ウマ娘達のバ場入りが始まっていた。スタート場所である2コーナーには見慣れたゲートが設置されており、ウマ娘達はバラバラとゲートの方へと向かって行った。
出走メンバーの1人であるロードも茶色の髪や尻尾を揺らし、丁度降り始めた小雨に濡れる地面を確かめながら小走りでコース上に設置された純粋な人間のものと比較すると巨大な障害物の脇を通り過ぎて行く。刻一刻とスタートの瞬間が近付いてくる中で、様々な表情を浮かべるウマ娘の中、ロードは先程と変わらずやる気に満ち溢れたものとなっていた。
「やってみるよぉ」
ロードはキュッと口の端を結び、小さく深呼吸をした。
「東京ジャンプステークス、今スタートしました! 揃った綺麗なスタートです!」
12人のウマ娘達が一斉にゲートを飛び出す。スタートした瞬間から緩いカーブを進み、事前に決めていた作戦通りにそれぞれが己の得意な位置を選択する。ロードは最後方、それも前から離された位置を走る。しかし、出遅れた訳でもアクシデントがあった訳でもなく、ロードは明確な意思でもって11人の背中を見つめる位置を選んだ。
「アセビロード、今日も1人後方で虎視眈々とウマ娘達の背中を見つめます」
何度もジャンプレースの実況を担当しているアナウンサーは慣れた口振りでロードの状態を口にする。だが、アセビロードの走り方に慣れていない若旅の周辺でレース観戦する人々は、困惑もしくはウマ娘が出遅れた時と同じ「やってしまった」と似た感情を覚える。
ロードは先頭を走るパステルアスが向こう正面の連続障害をクリアした時、漸く二つ目の障害をクリアする。素人目でも分かり易く差の開いた状態だが、若旅はロードの惚れ惚れとする飛越の美しさに目を奪われる。
「先頭はパステルアス。続いてテガイウーブラクン、並んでチャンバエフォートがレースを牽引します」
ジャンプレースでは珍しい左耳に飾りを付けたウマ娘が3コーナーを回り、8号のいけ垣を飛越する。それを皮切りに二番手、三番手、更にその後ろに続くウマ娘達が続々と飛越していく。
「2コーナーからスタートし、早くも4コーナーから正面スタンド前の直線に入ります。先頭は変わってチャンバエフォート、四番手位置から順位を上げてアルフエイサンコウが肩を並べます。アセビロードは今、8号のいけ垣を飛越しました」
ロードが極端な後方位置を走っている為、他のレースと比べても時間を掛けた後に全員の飛越を讃える拍手が湧き上がる。ウマ娘達が、観客との距離が近くなる直線コースに入ってからは、応援の声が一層大きくなる。若旅も周りの声に負けじと声を上げて応援の言葉を叫ぶが、ロードの耳へしっかり届いているかは分からなかった。
チャンバエフォートが1号障害である水濠を飛越する。タイミングが合わなかったのかギリギリの着地となってしまったが、経験によって直ぐに体勢を整えるとロスも消耗も最小限で正面コースの連続障害、二つ目となるグリーンウォールへとタイミングを合わせる。
「タカオカミシャーナ、水濠で水飛沫が上がりましたが……問題ありません! そしてここでアセビロードも水濠を飛越、こちらは余裕を持ってクリアしました! おっと、ここでマジュルカサドールが飛越拒否、競走中止となっています」
6枠6番に割り振られていたウマ娘がゆっくりと減速し立ち止まる。本人の気持ちとしてはまだ走る意欲が残っていたのか、納得がいかない様に歯を食いしばっている。けれど、ウマ娘の本能として何かを感じ取った故の競争中止であると応援とはまた別の暖かな拍手がマジュルカサドールへと降り注ぐ。
拍手と共に与えられた「頑張れ」の言葉に、マジュルカサドールは悔しさを滲ませながらも、しっかりとした動きで頷いてみせた。
11人のウマ娘が連続障害をクリアし1コーナーを回ると、2周目に入る。約1675メートルを走った疲労が少しずつ蓄積されていくが、重賞レースへと駒を進める実力を持つウマ娘達にとって、その疲労を対処するのもまた実力の内だった。
「向こう正面、二度目の連続障害……今、先頭でアルフエイサンコウが飛越! 直ぐにチャンバエフォートが続いて飛越! 少し間を置いて、パステルアスが飛越……しました!」
スタートした時からはウマ娘達の位置がバラバラと変わりながらも、ロードは未だ後方にいる。前を走るウマ娘が連続障害を全てクリアした時、ロードは二つ目の障害を飛越する。
3コーナーから4コーナーへと向かう途中、最後から2番目となる障害を飛越する手前マーゴデズィロが急に脚を止める。
「ここでマーゴデズィロが競走を中止! 足首を押さえていますが、何かアクシデントが起こった様には見えなかったので、疲労から攣ってしまったのでしょうか」
マーゴデズィロが立ち止まった瞬間からレーススタッフや白衣を着た医師、スーツ姿の女性などが一斉にコースへと足を踏み入れる。マーゴデズィロ自身、深刻そうにしている様子はなく、医師の動きからも緊急性を感じない。恐らく、アナウンサーの言葉の通りに脚が攣ってしまったのだろう。
良かったと胸を撫で下ろす観客達は、ダートコースを抜けて最終直線へと入ったウマ娘達のラストスパートへと意識を戻す。
最終直線、「無理だろう」と言われる場所から「もしかして」と言われる場所に、いつの間にかロードはいた。相変わらず、なぜそうなるんだと言いたくなる距離の詰め方、遅い遅いエンジンの掛かりからは想像つかない程の伸び。
「ここでアセビロード! 最終障害を飛越……しました! 残るはほぼ平坦な直線!」
アナウンサーの声に熱が籠る。ロードの追い込みはジャンプレースの控えめな人気とは裏腹に、一度見たら忘れられない程の魔力があった。
ロードが普段は見せない真剣な眼差しでギアを上げる。ワッと声が上がり、柵に体重が掛けられる。
「今、1着でパステルアスがゴールッ!」
アセビロードはどんな時でも、前から離された様に見える位置でエンジンが掛かる瞬間を待っている。爆発力は凄まじいが、言ってしまえば最初に作った差を埋められる確証はない。それ故に、こうして前に届かない時もある。
最近は、その届かない状況が続いていた。本人は気にしていない様に見えるが、若旅にとっては少し歯痒い感覚を覚えてしまう。
レースを終えたウマ娘達が戻って来る。
「センパイよぉ」
ほけほけと戻って来たロードを観客側にいた1人のウマ娘が、口をへの字にしながら呼び掛ける。
ロードは立ち止まりパッと顔を晴らすと、呑気に「来てくれたんだね?」と変わらない調子で手を振りながらやって来る。
「ありゃないな。アンタなら勝てただろ」
強い口調の言葉に、ロードは顎に手を当てて目を閉じふーむと考える。
観念した様に、髪をまとめていたゴムを解きながら、ロードは眉を下げながら口を開く。
「それがね、うらは勘違いしていたんだ。今日のレースは3110メートルだったけど、頭の中では3300メートルだと思ってたんだね?」
「……は?」
「だから、仕掛け所も3300メートルを想定したタイミングだったから、今回のレース距離では遅かったね? それに、もう少し涼しい感覚でいたから暑さの面でも、想定外だったんだ」
「それって、つまり」
「完全に、うらの勘違い負けだね!」
「おま……お前!!」
大きな声が響き渡る。
頭を抱えたウマ娘とは反対に、ロードはごめんねと言いながら気不味そうに頭を掻いた。