幻の夢を追いかける華 作:日振
青空からの光をキラキラと反射し、美しく手入れされたグラウンドへと蹄鉄を沈ませるウマ娘、アセビルピナスはやる気に満ち溢れた表情でストレッチを行う。
ふっと息を吐き、一度蹄鉄の状態を確認した後、トレーナーである若旅伊吹へと向き直る。
「準備万端、になったんですねー?」
「よし。それじゃあ、トレーニング始めるぞ」
「はいー、レース前。気合い入れますー」
「今回はルピナスの得意距離だから勝ちにいこう」
「勿論、ですねー? ルーちゃんの最速を見せますー。ひかりにも負けませんー」
むふふと笑うルピナスの言葉に、若旅は首を傾げる。ルピナスが口にした「ひかり」という単語の意味を聞き返してみれば、得意げに指が立てられる。
「ひかりとはー、新幹線のひかりなんですねー? 地上を走る乗り物の中では、最速ですー。好敵手というやつ、ですねー?」
くるりと回りながら楽しそうに言うルピナスに対し、若旅はいやーと何かを考える様に目を閉じる。
数秒程間を置いて、ポケットに入っていた携帯を触る。
「どうしましたかー」
「……いやぁ、何と言うかな」
的を得ない反応に、今度はルピナスが首を傾げると、若旅の隣に移動して携帯の画面を覗き込む。
どちらかと言えば型落ち気味な携帯には長々と検索結果の画面が表示されていた。
「やっぱり」
「んー? 何が、ですかー?」
「いやなに、ひかりってそんな速いか? と思って」
「え!? あのひかりですよー!? とても、とーっても、速いですねー?」
「確かに速いっちゃ速いけど、それは昔の話だな……?」
「む、昔、ですかー?」
「あぁ、今だと記録上の速度はリニアが一番だな。走っているものだとはやぶさになる」
「リニア……? はやぶさ……?」
「知らないか? はやぶさはまだしも、リニアはニュースで見たりするけど」
渡された携帯には若旅の言葉と同じ内容が表示されているが、ルピナスはそのまま固まり時間が流れる。
おーいとルピナスの顔の前で若旅は手を振るが、返ってくるのは反応ではなく「おーまいがー」という力なく漏れ出た声のみ。
「ルーちゃんの、ひかりが……」
「ま、まぁ、ひかりもまだまだ速いぞ?」
「うー……そんな優しさ、今はいらないですー」
耳と尻尾をへにゃりと下げ、今にも涙を流しそうなほど落ち込むルピナスの姿は珍しい。しかし、珍しいからこそ何故そこまでと若旅は思う。
もしかして、新幹線が好きなのか。と、場違いな事を考えつつこれから始まるトレーニングの為に、意識を戻そうとルピナスの肩を叩く。
「なんですかー?」
「悲しむのは良いが、そろそろトレーニングに移行しても大丈夫か?」
「勿論ですー。よーし、ルーちゃんはひかりを超えますよー」
「そこはやっぱりひかりか」
「ルーちゃんの好敵手、ですからー」
携帯を手渡し、ルピナスはコースへと歩いて行く。
アセビルピナスはマイルの距離を満足に走れないほどに短距離に特化した選手であり、短距離の重賞レースの選択肢が少ない現状を踏まえると、その一勝が貴重なものとなる。
目前に迫った函館ジュニアステークスは1200メートルで行われるGIIIレース。貴重な適性ドンピシャな距離。
「2桁順位のスタートから4戦目での勝利、そして次は重賞レース」
「運良く、タイミング良く、ルーちゃんは恵まれていますねー?」
「あぁ。だから、恥ずかしくない走りをしよう」
「お任せですよー!」
若旅の合図に合わせてルピナスは走り出す。ウマ娘からしたら一瞬で終わってしまう距離を、スピードを上げ続けながら進んでいく。
誰にも負けない速さを出しながら、ルピナスは楽しそうに笑っていた。
左右を見渡しても誰もいない。僕は、誰よりも速く、一番前を走っていた。
疲れる事なんて気にせずに、全力で進む。
おちついて。ってどこからか声が聞こえた気がしたけど、落ち着けない。だって、一番前で走るのはとっても気持ち良いから。
もっともっと、僕は速くなる。
僕の名前、アセビルピナスだって格好良くて速そうな名前なんだから、それに似合う子になるんだ。
わっと色々な声が聞こえる。グッと噛んでいたやつを引っ張られて、嫌になって立ち止まれば、走るのは終わりみたい?
ルピナスが一番って言われて、嬉しくなる。
僕が、一番。僕が一番速かったんだ。
ジョッキーさんが「勝ち」って言ってくれた。
でも、勝ちになったのに、カイゼンテンありってどういうこと?
ビリビリとした音と枕元の振動に促され、ルピナスは身体を起こす。アラームを止め、筋肉を伸ばす様に伸びをすれば夏特有の独特な空気感に包まれる。
二度寝など知らず、直ぐにベッドを整えて髪の毛を整える。小さな二つ結びと、トレードマークのベレー帽を被れば鏡に写るルピナスは頷く。
「……今日は本番、やりますよー」
普段と変わらない語尾を伸ばした口調でルピナスは頬をペチペチと叩く。
トレセン学園から離れ、函館の宿泊施設には同じ部屋の中にルームメイトはいないし、家具の一つだって同じものはない。気温だって夏なのにずっと低い。
「変な夢を見ましたがー。気分は最高、なんですねー」
レース時に着用するゼッケンを手にしながら、ルピナスは1人、先程まで見ていた夢を思い出す。
自分の事の様で、自分とは全く関係ない様な変な気持ち。あれは、誰なのだろうか。そして、一人称視点の持ち主である「僕」とは、誰なのだろうか。
「ルーちゃんは神ではないのでー、やっぱりルーちゃんですかねー? いやでも、それだとルーちゃんはおんぶで走ってた事になりますねー?」
ふと、頭に浮かんだあり得ない考えにルピナスは珍しく声を上げて笑う。
一通りわはわはと楽しんだタイミングで携帯が震え、画面を見れば「ナーさん」と表示されている。
「おはよう。体調はどうだ?」
「おはよう御座いますー。体調はバッチリですねー。面白い夢も見れて、テンションもマックスですよー」
「面白い夢?」
「はいー。でもそれは、長くなりますのでー、会った時のお楽しみですねー」
「あぁ。楽しみにしてる」
何度か言葉を交わし、また後でと電話を切る。
ルピナスは一度、大きく深呼吸をすれば再びゼッケンを大切そうにギュッと握り込んだ。