幻の夢を追いかける華 作:日振
夏の強い日差しに照らされた新潟レース場。芝、直線1000メートルという唯一無二の施行距離で行われるGIIIレース「アイビスサマーダッシュ」には、17人のウマ娘が出走予定となっていた。
他県と比べ最高気温は低いものの、日本の夏特有の湿気により開始前にも関わらず同じ空間にいる全員が、背中や額に汗を滲ませていた。普段なら時間を掛けて行われるパドックも真剣勝負でレースを行う為に、手早く済まされている様だった。
「今日の私は調子が良い。つまりそれは、プロングホーンに打ち勝ちチーターをも超える可能性があるということ」
レースに出走する1人のウマ娘がパドックでポツリと呟く。真っ直ぐ見つめる視線には強い意志が宿っており、長く美しい黒髪を揺らして歩く姿はパドックを見つめる観客の目を奪う。
たった一瞬で終わるレースは、目前へと迫っていた。
楕円を描くターフの奥に設置されたゲートの扉が一斉に開く。最初は緩やかな上り坂を進み、4コーナーと合流する辺りで下り坂に変わり、残りは若干の起伏があるもののほぼ平坦。
ウマ娘達は有利とされている芝の荒れていない外枠に集まり、内枠を走るウマ娘は珍しい。
先程のパドックで視線を集めた件のウマ娘もまた、外枠にピッタリと位置付けている。
「さあ、コースの幅いっぱいに広がったウマ娘達が新潟の直線を走る! ここでカルストンライトオが一歩前に出る!」
ウマ娘にとってはたった1000メートルと言えてしまう距離を、カルストンライトオば誰よりも速く、スピードを上げる。
瞬きしたら終わってしまいそうな距離でありながら、ライトオは誰よりも速く、後続に差を開く。
1バ身、2バ身と開いた差は結局誰にも縮められる事なく、唯一無二のレースはライトオの優勝で決着する。
「今日の私は、正しく最速だった。ほら見ろ結果もそうだと言っている」
見上げた先、巨大な電子掲示板にはタイムである「53.7」という数字と、紛れもない「レコード」の文字。
ワッと湧き上がる観客を見つめながらどこまでも冷静にいる様子に、嬉しくないのかと問われライトオは首を振る。
「いや、とても嬉しい。今直ぐにでも喜びの舞セカンドシーズンをやりたいくらいだ」
「セ、セカンドシーズン? 喜んでいる様には見えなかったけど」
「なんだって。私のこの喜びが伝わっていないとは。それすらも最速になった私はつまり最速という事だな。それではもう一度やったー、だ」
真顔のまま、唐突に両腕を高く突き上げるライトオに、話し掛けてきたウマ娘は一歩後退りながらも、改めておめでとうと口にする。
中継映像を映すモニターの前でパチパチと手を叩く。ジリジリと窓の外から聞こえる蝉の鳴き声を聞きながら涼しい室内でソファに座るアセビルピナスは、満足げに背もたれへと体重を預ける。
画面の中では優勝者インタビューとして、一着となったカルストンライトオがマイクを向けられているが相変わらず個性的な口振りで、与えられた質問に対し淡々と答えていた。
「それにしても残念だったね」
ルピナスの隣に座るウマ娘が言う。ルピナスは目線を隣へと移しながら大きく頷いた。
「本当、ですねー」
「出る気満々だったし、トレーニングもバッチリだったじゃん」
「マジそれな、ってやつですねー。ナーさんもやってやるぞーって感じでしたー」
「それがまさか、直前で夏風邪なんてね」
「治りはしましたけど、大事を取っちゃいましたー」
ルピナスはアイビスサマーダッシュが開催される5日前に風邪を引いた。幸い、風邪自体は大した事なく2日前には完璧に回復しており、医者に相談してもオッケーが出ただろう。
しかし、レースという全力を超える場を体調不良から回復したばっかの身体で挑むのは辞めようと、ドクターストップならぬトレーナーストップが出てしまったのだ。
「ほんと、悔しいね。スプリンターってさ、重賞レース少ないじゃん。ウチみたいなウマ娘はまだしも、ルピっちは重賞レースでバチバチやる側じゃん」
「そこまで評価して頂くのはウマ娘冥利に尽きますがー、自分を卑下してしまってはー、勝てないものも、勝てなくなってしまいますねー? 一足先におっきいレースに出させて貰っているルーちゃんが言うと嫌味に聞こえるかもしれませんがー、ついこの前3つ目の勝ち星を上げた今、貴方はもうめちゃつよウマ娘の1人なんですねー」
「……そうだね。卑屈になっちゃダメだね! マジ上げてかないと勝てるものも勝てない! ってやつ?」
「そうですよー? それに、案外噛み合わせで直ぐかもしれませんしー」
「噛み合わせの鬼だったルピっちに言われると元気出るかも」
隣に座るウマ娘が勢い良くルピナスへと抱き付けば、一度ぐらりと揺れた後に、その身体をしっかりとした力強さでルピナスも抱き締め返す。
いつの間にか画面の中ではインタビューが終わっており、左上に「この後はウイニングライブ!」と表示されていた。
その瞬間、ルピナスの携帯が震える。なんだなんだと画面を見れば、表示された名前にルピナスは小さく「え」と驚いた様な言葉を漏らす。
「も、もしもし? どうしたんですかー?」
「ルーちゃんさんか。私だ、カルストンライトオだ」
「えぇ。それより、何かありましたかー? この後ライブですよねー?」
「なんだ、分かっていたのか。そうだ、ライブだ。時間はない。しかし私は最速、用事を済ます事など造作もない」
「う、うんー?」
「私は勝ったぞ。ルーちゃんさん」
「そうですねー、おめでとう御座いますー」
「最速という称号は、来年まで持っておくぞ。本来なら今直ぐでも良いが、今回ばかりは私も来年まで待とう。あぁ、明日にでも来年になって欲しい」
「来年? あぁ! そういう事ですかー!」
「では切るぞ、また来年会おう」
「あ、ちょっと待って下さいー!」
「なんだ。私は今忙しい」
変わらないライトオの口振りに、ルピナスはクスクスと笑いながら、焦るライトオに若干申し訳なさを感じながらも言いたくなってしまった。
姿は見えないものの、ルピナスは居住いを正し改めて口を開く。
「レコードも、優勝も、走りも、全部全部凄かった。本当に、本当に、おめでとうですねー」
「有難う。その気持ちを噛み締めながら私は歌うぞ、じゃ」
電話が切られる。テレビはライブ会場へとカメラが切り替わっていた。
通話が切られてから殆ど待つ事なく音楽が流れ始め、会場で光るペンライトが揺れる。もしやと思ったが、この切り替わりの早さ、ステージ裏で電話してきたのかとルピナスはまたクスクスと笑う。
「これ使う?」
「お、有難うーですねー」
ペンライトを渡され、光を灯す。ペンライトを音楽に合わせて振れば、タイミング良く優勝者であるライトオがステージ上に姿を現した。