幻の夢を追いかける華 作:日振
大きなレースを目前に控えたとある日のトレセン学園。特に予定も、その後の授業もなかったアセビスズナが廊下を意味もなく歩いていれば、目の前にいくつかのサイコロが落ちている事に気付く。
学園という場所で考えれば少し珍しい落とし物にスズナは気紛れで拾い上げれば、掌の上でコロコロと転がす。手の中のそれは、特に何の変哲もない、ただのサイコロの様だった。
「オイ」
目線を上げ、持ち主を探せばスズナの身の回りには、目の前をスタスタと歩いて行く1人のウマ娘しかいなかった。
高圧的にも聞こえる口調でスズナが声を上げれば、目の前を歩いていたウマ娘は脚を止め、振り返る。
「私か?」
「あァ。コレ、お前のか?」
スズナが掌を差し出せば、ウマ娘は制服のスカートにあるポケットを右、左と何度か触るとサイコロを摘み上げる。
「悪いな。助かった」
「レクリエーションでもやるのカ?」
ほんの、気紛れだった。サイコロを拾った時と同じように。
サイコロを受け取ったウマ娘は、スズナの言葉にクツクツと喉を鳴らすと意味深な笑みを浮かべて小さな声で囁く。
「アンタも……楽しい事に興味があるのか?」
「楽しいコト?」
「あぁ。腹の底からヒリヒリして、指先が震える、とっておきのゲームさ」
「……お前、危ない事デモしてるのか?」
「危ないなんて事はないさ。そこにあるのは、究極の一戦」
「究極の一戦?」
「ほら、気になっただろ? 特別にアンタを招待するぜ」
危なくはないと言いつつその雰囲気はアウトローで、スズナは警戒しながらも年頃らしい好奇心に襲われて焦茶が揺れるその影を追って行く。
途中、スズナが「オイ」と声を上げれば、前を歩くウマ娘は立ち止まり、振り返る。
「アタシを誘った割ニ自己紹介もないノハ不親切ダ」
「……それもそうだな、私はナカヤマフェスタ」
「アタシはアセビスズナだ」
「アセビ、スズナ……そうかそうか、今年のダービーウマ娘様か」
「そういうお前ハ、セントライト記念ヲ勝ったウマ娘ダナ……次ハ、日曜カ?」
「アンタもか」
2人の間に火花は散らない。その代わり、互いに皐月賞・ダービーとクラシック競争に出走している関係上、ライバルとしての「あぁ、そうか」の感情が湧く。
負けないも、頑張ろうもなく、会話が終わると再びコツコツと音を鳴らして歩き始める。
暫く歩き、恐らく使われていないであろう教室の前に辿り着くと、フェスタはガラガラと勢い良く扉を引く。
「ここは……」
「ようこそアセビスズナ。さぁ、席に着いてくれ」
フェスタに促されるままスズナは席に座る。部屋の中は外からの光だけで妙に薄暗い。
部屋の空気感はジメッとして埃っぽく感じるのに、綺麗に掃除された机や椅子が変にアンバランスに感じた。
「アンタ、どんなゲームが好みだ?」
「ゲーム……さっきのサイコロで良い」
「これか。なら、古式ゆかしいチンチロでもするか」
「チンチロ……アタシは賭けるものなんて」
「分かってるさ。今回のルールは決められた回数を振って、どちらがより強い役を出せるか……そして、勝った方が負けた方の言う事を聞く。まずは、3回勝負から始めようぜ」
フェスタは立ち上がると棚の上に置かれている安価なプラスチックの椀を手に取ると、机の上に置く。
両手でサイコロを包み、何度か振った後、椀の上で手を開く。
「役無しか、まぁ、最初はこんなもんだろう」
フェスタはサイコロを掬い上げると、スズナヘ渡す。
手慣れた様子のフェスタとは変わり、スズナは必死に昔の記憶を呼び起こす。ずっと昔、親が見ていた漫画かドラマの中でチンチロをやっているシーンがあった様な気がする。
確か目を揃えれば、良かったはず。
「ははっ! 盛大に溢したな。安心しな、最初はそんなもんだ」
フェスタは間を置かず、サイコロを手に取ると椀の中へ落とす。
コロコロと小さな四角が滑り、腕の真ん中で3つが止まる。
「ゾロ目だ。これで、アンタはピンゾロを出さなくてはいけなくなった。少なくとも、ゾロ目でトントンだな」
「ゾロ目か、ピンゾロ」
スズナは必要かどうかも分からないまま、手の中でサイコロを振り、椀へと落とす。
1、5、3でサイコロは止まる。
「おっと、役無しだ」
3回勝負の内、2回の役無し。金銭を賭けている訳ではないが、純粋なゲームとしてもフェスタの次の手と、スズナの次の手で全てが決まる。
スズナの背筋に何か冷たいものが滑り落ちた気がした。
「今、緊張してんだろ? それを忘れるな。そして、ヒリ付いた後にやってくるかもしれない神の一手を信じてみろ」
フェスタがサイコロを転がす。2、6、4の役無し。薄い首の皮が繋がる。
次にゾロ目をスズナが出せれば五分、ピンゾロを出せれば勝ち。
意味もなく、指先が冷たくなる。震えも出ているかもしれない。深く息を吸って、吐く。
「……これは」
パステルカラーの椀の中、三つのサイコロが綺麗に収まる。2、2、2の揃った目。
止まっていた時間が、動き出したかの様な錯覚に陥る。スズナは漸く、肩から力を抜く。
「土壇場、負けられないこの場所でゾロ目出した。今の気分はどうだ?」
「……2度とやりたくねェ」
「ははっ! だが、2度目があるぜ?」
「2度目?」
「菊花賞。出るんだろ?」
「出るケド、アタシはもう芝ハ走れない。区切りとして出走スルが、本能ガ無理だと言ってる」
「だが、その無理を覆した時こその喜びだ。勝負師は、そういうものだろ?」
「アタシは勝負師じゃナイけどナ」
「手厳しいな」
フェスタはまたクツクツと楽しそうに喉を鳴らす。
スズナがお開きを示す様に立ち上がれば、引き留められる事なく部屋の扉を引く。
「また来いよ」
「もう来ない」
スズナは振り返る事なく、来た道をそっくりそのまま戻って行く。
先程までの遊戯は楽しかったものの、なんだか覚えてはいけないものだとスズナは首を振った。
スズナとフェスタが出会ってから数日、京都レース場には数え切れない程のファンによって賑わいを見せていた。目的は明確で、今日はクラシックの最終戦GI「菊花賞」の開催日だった。
3000メートルという最長のクラシックレースを前に、ファンは期待に胸を躍らせ、勝負服を着たウマ娘達は緊張を浮かべる。
「大丈夫か?」
「別に」
控室の中、トレーナーの若旅伊吹が担当であるスズナヘと声を掛ける。その声には幾分かの不安が込められている様だったが、スズナは特に何かを気にする事なくブーツの紐を結ぶ。
「3冠ヲ期待されている訳でもないアタシが緊張なんてする筈ないダロ」
「でも、トレーナーとしては、ウマ娘の皆が何も問題なく自分らしく走って欲しいと思ってしまう」
「走った。ダービーでな」
「……スズナ」
「ジャ、行ってくるカラ」
スズナは1人、控室を出る。
その顔に不安も、物足りなさも、はたまた自信もない。いつも通りのスズナの表情。
「……また会ったな」
「そうだな」
「良いレースにしようか。命を燃やす、ヒリ付いた勝負を」
「アタシ以外の事は知らないガ、アタシは今日、最下位でゴールするだろうな。12着辺りか?」
「12? オイオイ、今日の出走人数は18人だぜ?」
「あぁ、そうか。ナラ、18着だ」
「じゃあ、私はアンタが最下位にならない方へ、ベットする」
「正気カ? だとしたら、今日は引き分けでなくナカヤマフェスタの負けダナ」
黒と薄紫のシンプルなデザインの勝負服を身に付けたスズナが地下バ道を抜ければ、一気にファン達の熱がその身に刺さる。
しかし、その中にスズナを応援する声はごく僅かで、殆どは別のウマ娘へと向けられていた。
「サ、どっちになるカナ」
よしっと気合いを入れ、芝の感触を確かめながらターフの上を歩き始めた反面、ダービー後からスズナの中で噛み合わなくなった歯車はそのままだった。