幻の夢を追いかける華 作:日振
昔から、カメラが好きだった。いや、カメラが好きというよりも運動会や旅行の時にカメラを構えているお父さんの姿が格好良くて大好きだった。そのお陰で、自分もカメラに興味を持って、お父さんの様な格好良い大人になりたいと思っていた。
高校生に入学して直ぐ、お父さんが第一志望合格のお祝いに一眼レフカメラをくれた。高価なものだから、新品でくれたのは本体だけでレンズやCFカードはお父さんが持っていた物のお下がりだったり、共有で、ごめんなと言われたけどそんな些細な事は気にならなかった。
自分専用のカメラを貰ったという事実が私の中では一番大切で、幸せな事だった。
私はカメラを貰って直ぐに色々なものを撮った。風景、友達、家族、畑にいるお爺ちゃんやお婆ちゃん。兎に角シャッターを押して、あっという間にCFカードの容量が一杯になった。
お母さんは、私のそんな姿を見てお付き合いをしていた頃のお父さんにそっくりだと笑っていて、高校生になってから最初の誕生日にはスタートダッシュのテストが偶然にも良い点数を取れたからか、それも加味されて新品のCFカードを買ってくれた。
両親からの恵まれたサポートと言うか、与えられる優しさに、いつかこの趣味を仕事にして沢山恩返しがしたいと思った。きっと、簡単な道ではないし、周りの才能を見て何度も苦しい思いをする事は分かりきっているけれど、それでも、この両手で持つカメラを、仕事道具にしたくなった。
「……次は何撮ろっかなぁ」
「またカメラ? あたし撮れよ」
「いつも撮ってんじゃん……ハイ!」
「いぇーい!」
教室の端っこ、入学と同時にウマが合って既に親友とも呼べる子を写す。
被写体として、積極的に応じてくれるのは有り難い事だけど、人物だけじゃなくて他のものも沢山撮っていた方が仕事に繋げ易い。けど、周りにものが沢山あるからこそ「これだ!」を探すのは案外難しいものだ。
「どうすっぺかなー」
「じゃあさ、あれどうよ、動物園みたいなものでしょ?」
友人の指を指す方向に目を向け、首を動かした先では所謂オタク気質な子が何らかの雑誌を読んでいた。ここから分かるのはその背表紙、馬が写っている写真。
「馬?」
「馬じゃん?」
「って言ってもさぁ、ここら辺で馬見れるのどこよ。上野には馬いたっけ?」
「えー、分からん……あ、ケイバジョウ?」
「競馬ぁ?」
背表紙の文字を読んだのか、目の良い彼女は競馬場はどうだと提案してくる。競馬、単語だけでは知っているけど、お父さんもお母さんも興味がない人だから一生無縁のものだと思っていた。
確かに、簡単に見る事が出来ない珍しい動物を見れるという点においては魅力的。だが、知識がなさ過ぎる。
「競馬場ってさ、高校生入場可?」
「しんなーい。父か母に聞いてみれば?」
「私の親はどっちも興味ない人だもん。そっちの親は?」
「お母さんが本能として賭け事を嫌っていて付き合いとしてパチンコに入った父とフットワーク軽めに離婚したくらいなので、これっぽっちも分かんないねぇ。あの時の父は、本当に可哀想だった。まぁ、元々酒癖が悪くて迷惑掛けてたから仕方ない部分もあるけど」
「……そっかぁ」
「そうなんだよぉ……でも、そっちは賭け事の話題平気でしょ? なら相談してみれば? 撮影目的って言えば、悪くは思わんでしょ」
「適当に言った?」「適当に言ったよぉ」二人でケラケラと笑い、授業開始のチャイムで別れる。頭の中には競馬場かぁと同じ言葉がクルクルと回って、いつしか不安よりも好奇心が勝ち始めて膝の上に乗せたカメラに触る手に力が入る。
まずは相談して、オッケーが貰えたら、本格的に考えよう。
私の両親は案外ノリが良い。親友と話した当日、寝る前に相談してみたら「良いじゃないか」と二つ返事で了承され、昨日の今日で競馬場に連れて来て貰えた。
出先だから、CFカードの容量とバッテリーを使い過ぎない様に気を付けながら写真を撮る。
これから始まるのは「新馬戦」というものらしいが、新馬戦がどういうものなのか意味が分からず、取り敢えず何かが新しいのだろうなと思いながらグラウンドみたいな場所で沢山の馬がグルグル歩くのを見る。もしかしたら、新馬戦というのはこのグルグルする事なのか、なんて思っていたら端っこの方からカラフルな洋服を着た人達が登場して馬に乗る。そして、何処かへ歩いて行く。
「なんで同じ場所をずっと歩いてたんだろうね?」
「さぁ? あれじゃない? 俺の方が強いぜーっていうアピール?」
「違う違う、今のは写真撮影タイムだよ」
「あー、成る程〜」
両親と話しながら、ゾロゾロと動く人の波の後を追って歩く。そうすれば、開けた場所に出て柵に区切られた先を先程見た沢山の馬が歩いているのが見えた。
聞こえ辛いアナウンスに耳を傾けながら、シャッターを押す。
「あ」
「ん? どうした?」
「あの子」
とある馬の姿に目が止まる。他の焦茶だったり、黒だったり、明るい茶色とは違う雰囲気の馬。茶色は茶色だけど、他と違って毛先に向かって明るくなっていく珍しい色。そして、瞳の色も右側だけが綺麗な水色になっている。
「私、あの子を応援する」
「確かに綺麗だな」
「じゃあ、お母さんも」
頑張れ。と、箱の様な場所に入って行くのを見ながら祈る。「珍しいから」という安直な考えだけど、応援する気持ちはスポーツ観戦と似ている。
一斉に、いや、ちょっとバラバラな状態で馬達がスタートする。目立つ見た目をしたあの馬は一気に先頭に立つと、そのままドンドン差を開いて行く。
競馬なんてどれ程の距離を走るのか全く分からないけれど、全力疾走をした時の苦しさは私も分かる。だから、応援の気持ちがドンドン心配へと変わる。
「あの子、大丈夫かな!?」
「さ、ぁ……?」
「分からないけど、きっと大丈夫なんだろう!」
三人で首を傾げながら、あの子を目で追っていれば、変わらずに先頭を走っているが、最初に作った差は小さくなっている様に見えた。
「だ、大丈夫かなぁ!?」
「大丈夫でしょ! 分からないけど!」
「信じればきっとどうにかなる!!」
写真を撮りにきた筈なのに、いつの間にか心配で写真を撮る事も忘れて応援ばかりが声に出る。
向こうを走っていた馬達が私達のいる方に戻って来て、思い出した様にカメラを手に取る。ブレているとか、綺麗じゃないとかは気にせず本能のままにシャッターを押す。
ファインダーを覗いて、馬を見てを繰り返していると後ろからわあっと声が上がる。どうやら終わったらしい。
私達が応援していた馬は、最後の最後で2着になってしまった。でも、走っていた時の格好良さは間違いなく一番だった。
「あの子、また走ってくれるかなぁ!」
「きっと走るよ。あんなに格好良かったんだからね」
その後も写真を撮りながらレースを観戦したが、最初に見たあの子以外印象に残る馬はいなかった。名前も知らない、珍しい見た目のあの子。
またいつか、走っている姿を見れたら良いな。
あの日から、テレビで競馬の番組がある時は定期的にチェックして、競馬場にも何度か連れて行って貰ったけど、結局あの子が走っている姿を見る事は叶わなかった。競馬場は全国に沢山あると聞いたから、あの子が走るタイミングを掴めなかった自分の運とタイミングの悪さに呆れてしまった。
時間が経ち、沢山の凄い馬が現れた。それでも、私の「推し」が変わる事はなかった。
会いたいなぁ。なんて、毎日の様に思いながらSNSをチェックしていたらつい先日大きなレースが開催されたからか、ファンが撮影した優勝馬の写真や紹介記事がタイムラインに沢山流れてくる。それらをなんの気なしに眺めていれば、一つの投稿に手が止まる。
「あれ、この子……?」
優勝した馬のお母さんとお父さんを紹介する内容の投稿。「美しき個性」と書かれたお母さんの名前は「ポンポーソ」、添えられた写真には毛先に向かって明るくなる茶色の身体に、右目が明るい青色になっている顔。
ずっと探していた、間違える事のない私の焦がれた馬がパソコンの画面に写っていた。
「やっと、会えた……」
あの子がポンポーソという名前である事を知って、直ぐに検索エンジンへ単語を打ち込めば、見た目の珍しさから組まれた特集や馬の情報、現在の様子などが沢山出てきて夢の様だと思った。
ポンポーソは怪我をしてしまったから、一度も勝利を掴む事なく引退した。その後は、お母さんになって北海道の牧場で穏やかに過ごしているらしい。それから更に調べたら、ポンポーソはお母さんとしてのお仕事は数年前に終わっていて、見学も可能になったという情報があって我慢出来ずに牧場へと電話をした。
当時、昨日の今日で競馬場へ遊びに行った様に、今回もまた昨日の今日みたいな早さで牧場に確認を取って見学の予約を入れる。初めての北海道、しかも冬手前の季節など無謀でしかないけど、この溢れる気持ちを止める事は出来なかった。
貯金を切り崩して飛行機やホテル、レンタカーなどの手配をして、何日も掛けてスケジュールを組み立て、牧場までの経路を綿密に調べる。
世間的には笑う人もいるけど、こういう時には実家に住んでいるとある程度貯金が出来て助かるものだ。
遠くなる地面を見つめて、約2時間のフライト。どこかふわふわとした感覚を携えて車に乗り込む。音声案内をセットした携帯を助手席に置いてアクセルを踏む。
北海道の見慣れない風景を楽しみながら、普段以上に気を付けながら道路を進めば暫くして目的地が見えてくる。
「ここが、あの子の……」
車から降りた瞬間に、ポンポーソに会える実感が湧いてきて、心臓がバクバクと音を立てる。震える脚で、牧場の中を歩けばどこかから馬の鳴き声が聞こえて更に期待感が高まる。
ポンポーソを探しながら、途中に出会った子達を画面に収めていく。人懐こいのか、好奇心が高いのか私が向けるレンズに寄って来てくれるのが有難い。
「この先が……」
案内図に書かれている名前に足が止まる。何故こんなにも緊張をしているのか分からないまま深呼吸をして、一歩を踏み出す。
20年前の新馬戦で心を奪われてからずっと会いたいと、もう一度あの美しい姿を見たいと願っていた。
その願いが、漸く叶う。
「久し振り」
誰にも聞こえない程の小さな声が漏れる。私が流れた時間の中で身体が老いた様に、柵の中でのんびりと草を食むポンポーソもまた記憶にある姿よりは大人びている様に見えた。
だけど、美しさだけは今も変わらず健在で、あの時と同じ感覚が心を震わせる。
「ずっと、会いたかったんだ」
一歩。柵へ近付けば、草や落ち葉を踏んだ音が聞こえたのか、ポンポーソがこちらへと振り向く。そして、ゆっくりと近付いて来る。
チャンスを逃すものかと首から下げていたカメラのシャッターを押す。昔と比べて、容量を気にしなくて良いから何十枚、何百枚とその姿を切り取っていく。
「私ね、あなたの走っている姿を見た事があるんだよ」
勝手にポンポーソへと話し掛けていれば、柵の中からグイッと顔を出されて一歩後ろに下がる。その顔に触れたいと思ってしまうけれど、グッと我慢してポンポーソの姿を記憶に刻み付ける。
「本当に、会えて良かった」
お互い、大人になって、お母さんになった。今持っているカメラだってあの頃と比べると倍以上の機種になった。
それでも、今だけはあの日と同じ気持ちで、ポンポーソとの時間を過ごしたい。
「ポンポーソ。私は、あなたが大好きよ」
この気持ちが、伝わってくれたら嬉しいな。