幻の夢を追いかける華   作:日振

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 ロイヤルブルーの祭典にて

 

 安曇直幸がグロスターシャーの地に初めて降り立ち、何となく感覚が掴めないとぼうっと1日を過ごした次の日、自身のトレードマークとしているサングラスを掛けながら珍しい正装に身を包み、チェルトナム競馬場へと足を踏み入れる。

 見慣れない海外の競馬場を不審がられない程度に見渡して時折写真を撮りながら歩いていれば、チェルトナム競馬場は祭典ともあってか大いに盛り上がっており、これから始まるレースに誰も彼もが胸を躍らせている姿が嫌でも見て取れる。

 

「おーおー、改めてすっげぇネイチャーだねぇ」

 

 コースの近くに立ち止まり、安曇は乾いた笑いを出す。日本ではまず見る事のないグネグネと曲がったコースを区切る柵に、自然由来なのか態と作られてるのか分からない高低差。見ている分には面白く、興奮する光景ではあるが、出る側になると考えたら日本人的には「どうしようか」と唸ってしまう。

 

「うへー、コース分からん」

 

 安曇は思わずサングラスを上へ上げながら、芝の上を走る競走馬達を見つめる。

 大雑把に分けた時、障害・芝・砂とある程度区切られた日本の競馬場と比べ、同じコースの中に何種類もの分け方があるこの競馬場はどのレースでどこのコースを使うのか頭に入れてきた安曇ですら、混乱してきてしまう。

 安曇は祭典を楽しみながらも、自身の知らない世界にぶつぶつと感想という名の独り言をしていれば、気の良さそうな1人の男に話し掛けられる。

 

「Japanese? Are you enjoying the Cheltenham Festival?」

「……ん? いえーす、いえす。ジャパニーズ、エンジョーイ!」

 

 滑らかに鼓膜を揺らす本場の英語に安曇は狼狽えながらも、ギリギリ聞き取れた言葉に対して日本人的な発音を隠しもせずに答えれば、辛うじて聞き取ってくれたのか男は快活に笑いながら、何か言葉を続ける。

 しかし、簡単な英語にほんの少し食らいつけた程度の語彙とリスニング力しかない安曇は、男の言葉を遮る様に「そーりー!」と言うと、小さな手帳とペンを取り出して紙の上に線を引き「書く……書くって何だっけ……あー、えーと、OK?」と続ける。

 男は、どこまでも人が良く、また安曇の英語に対しての不得意を察したのか相変わらず快活な笑顔を浮かべながら「OK! OK!」と返し、大きな遅延が必要な会話が開始される。

 お互いに1人だった事が幸いし、第1レースから最終レースまで男と共に存分に楽しんだ安曇は、いつの間にか兄弟と呼べる程の好感度を築き様々な事を指南してくれた男と連絡先を交換する。

 

「Catch you tomorrow!」

 

 去り際、男が言った言葉に対して安曇は首を振る。すると、安曇の事を一般の旅行客だと思っている男は寂しそうな反応を見せるが、安曇は「違う」と今日だけで随分と上手くなったジェスチャーをしながら紙の上に、自身が知っている単語と男が書いてくれた文字を組み合わせ、とある文章を完成させる。

 

「I am a Japanese jockey. I will run in tomorrow's race.」

 

 様々な文章が並び、真っ黒になったページの最後に書かれた文章を男は目で追うと、初めて表情を変え「What!?」と大声を響かせた。

 

 

 ピカピカに手入れされた栗毛の馬体に、相変わらずごちゃごちゃとした結び方の鬣、デビューしてから初めて付けたメンコには額の部分へ桜の刺繍が入れられていた。

 チェルトナム競馬場で行われる祭典、チェルトナムフェスティバルの2日目、メインレースに設定された「クイーンマザーチャンピオンチェイス」に日本の障害馬であるアセビロードが参加すると発表された日には、数十年振りの海外挑戦ともあって日本の障害レースファンからは「頑張れ!」と沢山のエールが送られ、反面、現地のレースファンからは「無理だ」「着いて行く事すらも出来ないだろう」と厳しい言葉を向けられた。

 しかし、挑戦する事に意味があるのだ。と、アクシデントが起こらない様最善を尽くし辿り着いた舞台に、惜しみない金銭的支援を行なった馬主の高垣芳司は、黒と薄紫の勝負服を着た安曇と、ゼッケンを付けたロード、誰1人欠ける事なく1人と1頭を送り出すスタッフの姿を見て、レース前にも関わらず皺だらけの手で頬を拭った。

 

「道間違えんな〜」

「緊張よりそっちがヤバいです!」

「はっはっは! まぁ、期待されてないんだし、気楽に行け〜」

「いや、せめて高垣さんには少しでも良い結果を持って帰りたい! な、ロード!」

「……前言撤回。それには自分も同意見!」

 

 まるで学校からの帰り道の様な気軽さで緊張をほぐしながら、お調子者の厩務員はその背中へ「やってやれ!」と声を掛ける。

 安曇とロード、1人と1頭はその言葉へ「やってきます!」と返し、鼻を鳴らした。

 

 

 日本で走る時、アセビロードは最後方の位置に立つ。更に付け加えるならば、一つ前の馬からも差を開いた言ってしまえば「置いていかれた」様に見える位置を選ぶ。

 だが、クイーンマザーチャンピオンチェイスと近い距離の日本のレースがだいたい3分40秒あればゴール出来るのに比べ、この場所はプラス20秒から30秒程度遅く、時には5分近く必要な場合もある。

 タイムから馬場、何もかもが違う場所で「いつも通り」を行なった場合、惑わされ事故が起こる可能性はゼロではない。だからこそ、今日のロードは最後方ではなく、馬群と「肩を並べる」事を選んだ。

 

「もしかしたら、慣れないレース運びに無駄な体力を消費するかもしれない。困惑して、上手く走れないかもしれない」

「でも、人間だって初めましてな舞台で日本の様に自由気儘に走ったら、それこそ見せ場ゼロだ。本来なら3日目、4日目のレースの方が本領に近い筈なのに何故、ロードの適性からは随分と短い距離のレースに出るのか、それもまた事故を減らす為の小さな一手だ」

 

 昨日のミーティングまで悩み尽くして出した答えのままバランスの悪い芝の上をロードは駆け、安曇は必死に縋り付く。

 楕円を描かない複雑なコースを進み、タイミングを見計らって合図を送れば日本と変わらない、美しい飛越でロードは障害を越える。アプローチの違いで、走っている時や飛越の時、隣の馬と身体がぶつかったり、ぶつかりそうになるが、ロードの体幹が良いお陰で影響はあまりない。

 何よりも、日本と比べ何十倍、何百倍もの歓声がスピードの所為で雑音に変わり聞こえている筈なのに、酷く心地が良かった。

 コーナーを回り、高い障害ももろともせず果敢に飛越し、目の前に見えたゴール位置。

 

「これが、最後っ!」

 

 最終障害を完璧にタイミングを合わせた美しい栗毛が飛越し、ブレる事なく無事に着地する。

 安曇が鞭を入れ、直線のラストスパートてギアを上げる。隣に並んでいるのは3番と2番の馬。差はなく、正に横並びの状態で最後の最後まで一瞬の油断もせずに前を目指す。

 

「Oh my God!」

「The Japanese horse did it!」

「How many places did that guy get!」

 

 叫びにも似たそんな言葉を聞きながら、安曇は深く息を吐くと、お互いを称え合っていた2人から口々に「You are Lovely!」「Brill!」と言われ、意味も分からないまま反射的に「サンキュー!」と返す。

 そして、初めて見たかもしれない酷く疲れた様子のロードに優しく抱き付くと「有難う」と何度もその身体を撫でる。

 ゆっくりと、時間を掛けて安曇はロードを歩かせると、全員が目に涙を浮かべた「応援団」を称したチームメンバーの姿が見える。

 

「お前やってくれたなぁ!」

「ロード! あぁ、もう! 最高な男だよ全く!」

 

 口々にやったなと安曇へと声が掛けられて、ロードがもみくちゃにされながら褒められる。

 安曇が負担が掛からない様に慎重に降り、渡されたバケツをロードの口元へと持っていけば、ロードは水飛沫を上げ勢い良く喉を動かす。

 どこか問題が起こってないかチェックされ脚や身体に水が掛けられるとロードは少しずつ息が戻り、落ち着いたのか、漸く先程まで褒められていた事への反応を見せる。頭を振ったり、リズム良く足踏みをしたりするロードを見て応援団は再び「良く頑張った」と存分に身体を撫でる。

 

「……あの、素晴らしい経験をさせて頂いて、有難う御座いました」

 

 褒められ、喜ぶロードを横目にしながら、安曇は杖を持った高垣へ深々と頭を下げる。

 騒がしい中の2人きりで共有する静寂の後、高垣は安曇へと近付きその手を取る。

 

「こちらこそ、有難う。有難う御座います」

 

 握った安曇の手の甲へ額を付ける様に頭を下げた高垣の声は、誰よりもずっと震えていた。

 





今年のお祭りがとても悔しかったので、空想の世界ではありますがロードに挑戦して貰ったifの物語。
どうか来年は、元気増し増しで挑戦出来る事を願って。
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