幻の夢を追いかける華   作:日振

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 故郷は彩の国

 

 地方競馬で所有馬を活躍させる馬主の高垣琴は、47都道府県の中でも埼玉県に対して強い思いがあった。それは、琴がまだ10にも満たない幼少期の頃、家族旅行で行った秩父の緑豊かな風景に目を奪われ、暑い街でお馴染みの夏の熊谷で見た祭りの熱狂に心を奪われたからだった。

 琴は自分の生まれや、日常生活、両親や親族を含めた全てで埼玉という場所にルーツは持っていなかったが、それでも埼玉の土地を「自身の第2の故郷」として自由に歩き回れる様になってからは毎年、一度で収まらずに複数回は必ず旅行していた。

 成長し、運の良い事に家族と同じ様に始めた事業や、自身がメインとする職のどちらもである程度の金銭を稼げる様になり、遂には馬主資格を取得した。馬主となり美しいサラブレッドが走る姿を間近で見る。それもまた、親族の隣で見ていた印象に残るものの一つだった。

 馬主となり、まず所有した馬は一頭。それも長年懇意にしている家とプライベートな状態で購入したオスのサラブレッド。少し、いや、結構ビビリなその馬には血統に名前が載っている美しい芦毛から連なる冠名を受け継ぎ、その蹄跡が一つの道となる様に「アセビコウロ」と名付けられた。

 しかし、馬を買い、いざレースに出る為のトレーニングを始めるタイミングで問題が起こった。

 高垣琴は、馬の走る姿に美しさを見出せど、レースのルールや事務的な事情に関してはあまり詳しくなかったのだ。それ故に、知り合いからレースについて学ぶ中でお勧めされた場所へ自身の愛馬を預けた。そこが、長年思い続けた浦和競馬場ではなく、船橋競馬場であると気付かずに。

 

「……次が浦和競馬場で走る3戦目。頑張ろうね!」

 

 琴がコウロの鼻先に触れれば、コウロは慣れた相手だからか普段の様な怯えは見せずに、「もっと」と言わんばかりに馬房と通路を遮る鉄パイプへとその大きな身体を食い込ませる。

 コウロは青毛でありながらも、その色味は薄く時たま芦毛であると勘違いされる。全ての競馬場を見ても珍しいその色味は人の目を惹き、特別な美しさを放つ。琴はコウロの色が大好きで、お気に入りだった。

 

「それじゃあ、失礼しますね〜……」

 

 琴はレース前のルーティンもしくは願掛けをする為に厩務員へと許可を取り馬房の中へと足を踏み入れる。コウロとの信頼関係と、ゆっくりと場所を移動する事によって無事に辿り着くコウロの尻尾付近。

 体毛の色は薄めでも、尻尾の毛はある程度の黒さを保っていて、琴はその中から一房を手に取り白いリボンと共に三つ編みにしていく。

 

「さきたま杯も元気に走っておいで」

 

 毛先まで編み終わり、ゴムで結ぶ。そうすればパッと見るだけでは残りの毛に覆われて分からないが、確かに存在する思いが込められた飾りが作り終わる。

 ピョン君と呼ばれたアセビコウロが出走する大舞台は、目の前に迫っていた。

 

 

 6月1日、水曜日。JpnII「さきたま杯」。ダート1400メートルの舞台にコウロは新しく付け替えた蹄鉄を沈ませる。天気は曇りとなっているが、馬場は荒れる事なく良の発表がされた。

 相変わらずレースファンや、見慣れない関係者達に驚いたコウロは少し暴れる様な素振りを見せるが、馬上に跨った新田翡翠は舌を鳴らし、コウロを宥めながら小さな声で歌を歌う。そうすれば、パニックからの暴れは収まり大好きな歌が聞こえた事に対する嬉しさでスキップをする様な歩き方に変わる。

 

「お願いします!」

「はい」

 

 馬場入りをして少し、隣を歩いていた厩務員が離れれば新田は短く返事をすると、目的の場所までコウロを歩かせて行く。

 

「ほら、大丈夫。落ち着いて」

 

 ゲートの中、新田は軽くその首筋を叩く。

 ふっと息を吐いて、目の前が晴れるのをただ待ち続ける。

 

「枠入り完了。さきたま杯、スタートしました!」

 

 目の前が開け、コウロが飛び出す。前を行く馬や騎手達の背中を見ながら新田は大きく首を動かし、自身の右側を確認する。運が良い事に、隣そして後方にはコウロと並び立ったり右側から追い越して来そうな存在はなく、新田は前方と左側に意識を向ける。

 1コーナーを通過して出走メンバーの位置取りも完了し、後は周りを窺いながら脚を溜めながらどのタイミングで仕掛けるか。

 

「昨年、羽田盃・東京ダービーと二冠を達成したアセビコウロは中団やや後ろ。新進気鋭の4歳馬が経験を詰んだ先輩達へと挑みます」

 

 一番前を走る馬は大々的に逃げるという事はしておらず、新田がミスをせずコウロがしっかりと走れる様に合図を送る事が出来れば、きっと届く距離。

 2コーナーを回り、新田が少し手綱を緩めればコウロは制限がなくなった事で誤差の範囲だと思われる、けれど確かな事実としてじわじわとスピードを上げる。直ぐ隣や前方2馬身以内にいる馬達を追い抜かす。

 

「先頭集団は早くも3コーナーを通過します。隊列は徐々に動きを見せ始めました」

 

 先頭から遅れ、コウロが3コーナーを通過する。バチバチと新田やコウロの身体に砂が当たる。コウロは様々な物事に驚いてしまう性格ではあるが、ダートレースでの特に顕著なこのキックバックに対しては怯む事なく進んでくれる。だからこそ、虎視眈々と前を狙う中団や後方で脚を溜める事が出来る。

 4コーナーに入る前、新田はコウロに鞭で合図を送る。

 コウロは、たった一つの衝撃でギアを上げ前に出る。200と少しの短い直線、コウロが先頭に並び立つ。黒かったチークピーシーズとシャドーロールを焦茶に染めながら4頭が並ぶ。

 今だけは雑音にも聞こえる「勝って欲しい」と願う夢への声援を聞きながら、新田は左目に映る2頭と2人の姿に遅れまいとコウロが少しででも前に出られる様に追い続ける。新田には見えない場所にも気配を感じるが、レースが始まった頃と比べて今は確認する余裕はない。

 

「4頭がほぼ並んで今ゴールイン! 最後は接戦となりましたが、僅かに8番のアセビコウロが先着か!」

 

 ゆっくりとスピードを緩めれば新田から首筋を叩かれてコウロはまた、レース前と同じスキップを踏む様な独特のステップをする。

 分かり易く感情を表に出すコウロを見ながら、新田も「よく頑張りました」と労う為に首筋を叩く他にも、頭や身体を撫でる。

 楽しそうにステップを踏みながら、コウロ達が厩務員達が待つ場所へ戻って来れば厩務員は勿論、調教師や馬主である琴からも出迎えられてコウロは更に嬉しそうな反応を見せる。

 

「有難う御座いました!」

「こちらこそ、おめでとう御座います」

 

 新田へと顔を向けた琴から嬉しそうな声色で言われ、相変わらず控えめなテンションで新田は返す。

 

「コウロ〜! よくやったよ〜!!」

 

 全力で破顔し、煙が出るのではと心配になる程全力で褒め、全力でその顔を撫でる琴からの愛情に、コウロもまた全力で喜びを表現した。

 

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