幻の夢を追いかける華   作:日振

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 煌めきからの休息

 

 馬群の中、エメラルドグリーンのメンコを付けた一頭の牝馬が鋭い瞳でただ真っ直ぐに前を見つめている。キックバックによって額のデフォルメされたナポレオンフィッシュが茶色く染まる中、最終直線に入る第4コーナー、前を塞いでいた馬達が遠心力によって少し膨れたその隙間を縫ってスピードを上げると残りの約400メートルでエメラルドグリーンが先頭へと躍り出る。

 周りの馬、力の差がある牡馬達に競られて1馬身の差すら開く事が出来ない。けれど、絶対に前へはいかせないと気迫を見せる。

 

「残り100メートル! なんとここでトゥカーナェが更に差を開いたッ!?」

 

 エメラルドグリーンを身に付けた鹿毛の牝馬、トゥカーナェは鞍上である伊波実幸の合図によってまた一歩、前に出る。トゥカーナェが前に出れば、それを追い抜こうと他の馬もまた前に出る。だが、全員が全力を出している手前、トゥカーナェの作った差は中々埋める事が出来ない。

 ギリギリの攻防、先頭で固まった複数の馬達が人の目には見えない程の差で雪崩れ込む。

 1着を競う馬達の中、1コーナーの手前、飾り付けられたゴール地点をトゥカーナェの鼻先が通過していた。

 

「佐賀競馬所属のトゥカーナェ! 交流重賞では悔しい結果が続いていましたが、遂にその努力が夏の夜空に輝きました!」

 

 結果が確定され、電光掲示板に順位が表示される。

 歓声が広がり、「優勝」という栄誉を噛み締めた伊波は手綱を握りながらも両手でガッツポーズをし、全身で喜びを発露させる。伊波は直ぐにトゥカーナェの首筋に抱き付いて、その身体を全力で撫でる。

 カメラに映された伊波の顔は、ゴーグルで隠されても尚溌剌とした笑顔が溢れていた。

 

 

 大井競馬場、ダート2000メートル、ナイター競走。JpnI「帝王賞」が行われてから数日、地元である佐賀の地へと戻ってきたトゥカーナェは、可愛らしくデコられた名札が下げられた馬房の中で機嫌良く尻尾を振っていた。

 鉄のパイプで区切られた馬房の前には鞍上である伊波立っていて、切り分けた林檎を掌の上に乗せながらトゥカーナェの口元へと持っていく。

 

「美味しい?」

 

 伊波が柔らかな声でそう言えば、林檎を咀嚼しているトゥカーナェは上下に首を振る。そんなトゥカーナェを撫でながら伊波が目線を移動させた厩舎の壁には、濃紺の優勝レイを肩に掛け、調教師や厩務員、馬主である生駒道彦が並び笑顔で写った写真が飾られており、数日経った今でも伊波はそれを見て思わず口角が緩む。

 あのレースでのトゥカーナェは本当に強かった。と、生駒は伊波と握手をしながら誇らしげに言った。

 地元、佐賀競馬場で開催されるローカルな重賞レースでは随一の実力を発揮していたトゥカーナェだが、やはり交流重賞の場では中央との差から長い間悔しい結果が続いていた。他の馬に囲まれても果敢に食らい付く勝負強さはあっても、最後の最後で飲み込まれてしまう。それがトゥカーナェの恒となっていた。

 でも、今回は違った。

 いつもの様に最後まで粘り続けて、普段なら飲み込まれてしまいそうになる瞬間にもう一度ギアを上げた。それが何故出来たのか、何が噛み合ったのかは伊波もまだ分かっていない。

 

「それでも、勝ったのは私達、だもんね!」

 

 伊波がトゥカーナェへと抱き付けば、トゥカーナェもそれを返す様にギュッとその小さな身体へと密着する。

 人間よりも大きな身体をいつもの様に撫でれば、トゥカーナェは目を細め、伊波の身体へと更に力を込めて寄せ付ける。

 

「次はどこを走ろうね」

 

 身体を離し、伊波が問い掛ければトゥカーナェは首を傾げる。それがあまりにも可愛らしくて、クスクスと笑いながら最後に残っていた林檎を差し出せば「まだ残っていたのね!」と言いたげな、キラキラとした瞳でトゥカーナェは伊波の手を傷付けない様に気を付けながら、けれど勢い良く林檎を口にして咀嚼する。

 厩舎の軒下に並べて干されたトゥカーナェ専用のメンコが揺れる。帝王賞に出走した時に身に付けていたナポレオンフィッシュのメンコ、トゥカーナェの由来となった鳥のメンコ、佐賀三冠を達成した時の煌びやかなメンコ、ハイビスカスのメンコ、珊瑚のメンコなど、様々なデザインのメンコは正に「トゥカーナェが可愛がられている証」であり、トゥカーナェがお洒落だと言われる要素の一つ。

 

「もし、今年もGIレースに出走出来るってなったら、また新しいの作って貰う?」

 

 何の気なしに伊波が口にすれば、口の中の林檎はなくなっている筈なのにトゥカーナェは首を上下に振って、明確に伊波の言葉へ反応したかの様な素振りを見せる。

 トゥカーナェは、デビュー前からずっと一緒に歩いてきた伊波が絶えず話し掛け続けた結果か、他のサラブレッドと比べたら人間の言葉を理解する様になった。だからこそ、今の反応もきっとトゥカーナェとしては「良いね」と返してくれたのだと、伊波はそう解釈する。

 

「ほんっとうに、可愛いなぁ!」

 

 伊波が再びトゥカーナェと抱き付けば、トゥカーナェもまたギュッと抱き締め返す様に密着してくる。

 1人と一頭でイチャイチャと同じ時間を過ごしていれば、私用から戻って来た厩務員が「またやってらぁ」と大きな声を響かせた。

 

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