幻の夢を追いかける華   作:日振

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 53秒の最速を焼き付けろ

 

 ある夏の日、気温の事を踏まえて普段以上に気を遣いながら調教を終わらせた小金井斗真は、明日に行なわれる予定の重賞レースで相棒となるサラブレッドの体調を確認する為に厩舎へと向かうと、丁度シャワーを浴びていた様で普段よりも少し濃くなった首筋を撫でる。

 冷たい水で身体を冷やされ、気持ち良さそうに目を細める相棒を見つめながら小金井は雲一つない、正に晴天の空を見上げる。あちーとボヤきながら汗を拭い、再び相棒の方へと目線を戻しその鼻先へと触れる。

 

「明日、頑張ろうな」

 

 小金井が笑いかければ撫でられた感覚を強請る様に、前脚を犬かきの様に勢い良く出されて、思わず一歩程後ろに下がった。

 

 

 本番前、呼吸を一回。深く息を吸って、深く吐く。緊張をしているのかと問われれば、それはきっと「ノー」であると小金井は目を開ける。水色と白が中心となって構成された爽やかな色彩の勝負服を身に纏い、一例をしてパドックへと一歩踏み出す。

 ゼッケンを付け、体調不良や怪我など問題が起きる事なく無事に本番を迎えられた相棒を見付け、その背中に腰を下ろす。

 

「では、宜しくお願いしますっ!」

 

 額から汗を流す厩務員に連れられて脚を踏み入れた緑の地面、離れていくその人へ小金井が軽く一例をして走り出した相棒の手綱を強く握る。

 ジリジリと太陽の光に焼かれるが、比較的低い気温で止まってくれたお陰で殆どの馬がベストな状態でゲートへと向かって行く。

 

「やるぞ、ラムレナ」

 

 最内に振り分けられた小金井の相棒であるラムレナは大人しくゲートの中でジッとしている。

 首筋を叩いて、その時を待つ。

 新潟競馬場、直線1000メートル、GIIIに格付けられたレース。

 

「アイビスサマーダッシュ、今スタートしました!」

 

 目の前が開いた瞬間に、抜群のスタートダッシュをラムレナが決める。そのままグングンと加速し、小金井はその気持ちが途切れない様に鞭を入れスピードが緩まらない様にただ真っ直ぐに進む。

 他のメンバーが外ラチの方へと進路を取る中、小金井とラムレナだけは内ラチに進路を取る。馬場が荒れているなんて気にするな、実力で捩じ伏せろと、一見すると荒唐無稽だけれどラムレナの事を一番理解している言葉を小金井は信じる。実際、ラムレナは調教師の言葉を実現出来る程のポテンシャルを持っていて、荒れている馬場などものともせずに最速に触れる。

 

「残り100メートルでラムレナが前に出たっ! 内ラチに進路を取った唯一のコンビがこの一瞬で更に差を広げるっ!!」

 

 小金井が手綱にしがみ付けば、ラムレナは絶えずスピードを上げ続け、ラムレナの蹄鉄が地面を抉る音を小金井は聞きながらゴールの前を通過する。しかし、ラムレナはこんな早くレースが終わるとは思っていなかったのか、小金井が労う暇すら与えずに、そのスピードを緩める様な素振りを見せずに進んで行く。

 

「終わり! 終わりだよ!」

 

 どっと襲い掛かってきた疲労などどこかへと飛んでいってしまい、焦りに染まった声で小金井がラムレナを落ち着かせれば、コーナーを回り向こう正面のコースの半分辺りまで辿り着いた所で漸くスピードが緩んでいく。

 全く、と笑いながら小金井が首筋を叩けば、得意げにラムレナは目を細める。

 

「君の勝ちだ。おめでとう」

 

 進路を観客席へと戻し、タッタッタと速足で歩き始めたラムレナへ小金井が言葉を掛ければ、尻尾が揺れる。正式なタイムは分からないが、体内時計的にはレコードを持つあの最速と同じくらいだろうかと小金井は小さく拳を握る。

 そして、レース前と同じ様に呼吸を一回。深く息を吸って、深く吐く。頭が切り替わって、色々な思考が頭に浮かぶ。

 

「……ルピナス……君は、どれだけ速かったのかな」

 

 思い出されるのは小金井の父である小金井近江が手綱を握ったスプリンターであるアセビルピナスの存在。ルピナスが現役の頃は今回走ったレースである「アイビスサマーダッシュ」は存在すらしなかった。

 だが、アセビを冠する馬の中で最速を誇ったあの馬が出走出来たとしたら、53.7という高過ぎる壁を越えられるのでは、はたまたあの最速馬がレコードへの挑戦者だったのではと考えてしまう。

 マイペースな最速の背に跨った格好良い父が、1000メートルの直線を駆け抜ける姿を見たいという願望が生まれてしまう。

 

「……兎も角、今日勝ったのはラムレナだからね。ほら、この歓声は君のものだ」

 

 小金井へと飛んでくるおめでとうの言葉、ラムレナへと飛んでくるおめでとうの言葉。小金井が手を挙げ、その後にラムレナへを指差す。そうすればラムレナへの祝福の言葉が大きくなる。

 ラムレナは人間の大きな声が自身を褒めている言葉であると理解しているのか、走った時には近寄りもしなかった外ラチへと近付いてスピードを緩めながらトコトコと歩いて行く。

 

「おめでとう御座います!」

 

 時間を掛け、沢山の関係者達が待っている場所へと戻って来た小金井とラムレナを厩務員が迎える。

 

「相変わらず、強い子ですね」

「いえ、小金井さんの技術も合わさってですわ!」

「そんな事ないですよ。な、レナ」

 

 小金井が首筋を叩けば、ラムレナはブンブンと首を大きく振る。

 その素振りがあまりにもタイミングが良くて、厩務員は豪快に笑うとその鼻筋を力強く撫でた。

 ラムレナの走りをもってしてもレコードは変えられなかった。でも、だからこそ、斗真の頭に浮かぶ名馬と名手のコンビにいつまでも期待し、夢を見る。

 

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