幻の夢を追いかける華 作:日振
秋になると日本では話題に挙げられる事が多い「凱旋門賞」の前哨戦に指定されたレースであり、凱旋門賞と同じフランス、パリロンシャン競馬場で行われる2400メートルのレースである「フォワ賞」は、日本からは菊花賞を勝利したサトノダイヤモンド、重賞レースで好成績を残しサトノダイヤモンドと同じ菊花賞で2着になった経験のあるサトノノブレスが参加を表明し、更にはもう一頭も出走登録を行った。
その馬の名は、2015年の桜花賞を5着になってからは長期の海外遠征を行なっているアセビデージー。同じく凱旋門賞に参加する為、前哨戦であるフォワ賞に名を連ねていた。
日本の調教施設と比べると自然に囲まれた、森の中とも言える場所を走りながらデージーの鞍上であるルドルフ・コヴァーチュは満足げに頷く。デージーは己の血筋に海外の血や、海外で戦う事が出来るかもしれないと期待される血が流れていないにも関わらず、日本よりも海外の競馬場で素晴らしい成績を収めていた。
「で。レース前、直前の乗り心地はどうよ?」
チームとして共通のジャージを着た1人である調教師が目線を上げ、デージーの背中に乗るルドルフへ問い掛ければ、ルドルフはサングラスを外しサムズアップをしながら快活に笑う。
「良いですよー。最高に、いつも通りね〜」
「いつも通りって、良いのか悪いのかよく分かんねぇな」
「デージー、いつも最高で素敵で強いね!」
「全く、言うと思ったよ」
カラカラと笑う調教師につられて、ルドルフもまた笑い、2人の反応を「意味が分からない」と言わんばかりにデージーは首を傾げる。
レースの種類に関わらず、必ず勝てるなんて保証はどこにもない。しかし、今回遠征してきたダイヤモンドとノブレス、二頭とデージーを比べた時、優っているものが一つだけ存在する。それは、海外競馬への慣れ。実際にデージーはヨーロッパの競馬場で勝利を挙げており、ルドルフは内心、夢の為だと莫大な金を出してくれているオーナーとオーナーが世界中に作り上げていた伝手と助けてくれる人々に報いれる様に「日本の馬には負けたくない」と、海外ジョッキーの様なライバル心を燃やしていた。
「やってやりましょね! デージー……Pojďme společně usilovat o vítězství !」
娘を可愛がるが如く、ルドルフが頭に手を添えれば、くすぐったかったのかデージーは頭を振った。
2017年9月10日。パリロンシャン競馬場、凱旋門賞と同じ芝2400メートルで行われるGⅡに格付けされたレース「フォワ賞」。重馬場と発表された地面は日本よりも時間のかかるタフな地面となっていた。「7」と書かれたゼッケンを身に付けたデージーは、今回は唯一の牝馬であり、枠入りからスタートまでの一瞬の内に隣のゲートに入ったタリスマニックから鼻を寄せられていた。ルドルフは、挨拶程度に鼻を寄せるデージーを見ながらリラックス出来ているなと胸を撫で下ろす。
ゲートが開き、スタートを切ってからバラバラと動きながら、日本とは違う凸凹の地面を黒い土の塊を巻き上げながら力強く蹴る。デージーとルドルフはいつも通り、一番後ろへと自然に後退しながら前を走る馬達の動向を伺う事を選んだ。
400メートルまでは地面こそ凸凹であるが、平坦と言って良い道を内ラチに沿ってほぼ一塊の状態で進む。けれど、その後400メートルを通過してから1600メートル付近の約1200メートルという長い間、中山競馬場の倍近い10メートルの高低差を挟まなければならず、それを乗り越えた先には偽りの直線が待ち受けている。日本ではまず見ない形態のコースであるが、条件こそ違えどデージーは既にガネー賞でこの地面を経験し、ペース配分やスパートで間違えることはない。
地面が緩やかに上り坂へと変わっていき独特の重さと、スピードが鈍る感覚を感じるが、焦らず、ただじっと隠したスタミナを温存する事へと専念する。先頭を走るのは、同じ勝負服を着た2人。そして鹿毛と黒鹿毛の背中。
「そう、その調子です」
ルドルフは小さく呟きながら手綱を握る。デージーは前に出ようとも、走るのが嫌になってスピードを落とす事もない。ルドルフのエスコートにただ、従っている。
やる気がない訳ではない。それだけ、ルドルフの事を信頼しているのだ。
山の様な高低差を其々が攻略して行く中、サトノノブレスが集団から一歩踏み出して後続へ数馬身の差を開くが、下る時には再び隊列がギュッと固まっていた。
「行きましょう。デージー」
フォルスストレートに入り、デージーは大外からスピードを上げ、偽りの直線で先頭に立つ。緑と黄色、サトノの勝負服をチンギスシークレット、クロスオブスターズ、タリスマニックの青い勝負服が追い上げる。
だが、イギリス・スウェーデン・ドイツ・フランスで鎬を削ってきたデージーの勝負根性は並大抵のものではない。
「そのまま走って! デージー!」
規約の違いにうっかりして、間違いが起きない様に鞭は一発か二発、只の合図として最小限しか使わず、最後は己の腕力だけでルドルフはデージーを追う。
チンギスシークレットが直ぐ側にいる。相手が負けたくないと思うのなら、それはこちらも同じ気持ちで負けるものかとデージーを2本の腕で絶え間なく鼓舞し続ける。
約530メートルの最終直線。牡馬達の強い威圧や迫力にも屈せずにデージーは最後まで粘り、スピードを鈍らせる事なくゴールを通過する。
「Daisy je jako vždy úžasná! デージー、おめでとう!」
ガッツポーズをしながら喜びの声を上げるルドルフの声を聞きながら、徐々に走りを緩め、言葉は理解出来ずとも隠し切れないテンションで感情を察したのかデージーもどこか楽しそうなステップでゆっくりと芝の上を進んで行く。
デージーは長い海外遠征の中、幾許かのファンが生まれ始めたのか、それとも優勝したものや素晴らしいレースをしたもの達への賞賛か、観客席からは歓声が上がる。
「……このまま行きましょう、デージー。その脚で辿り着ける頂点まで」
首筋を軽く叩き、デージーを労ったルドルフは最後にもう一度手綱をギュッと握りながら、今まで走っていたコースを振り返る。
直ぐ側まで迫った未来、同じ場所で行われるレースの事をルドルフは考える。
デージーとなら、日本馬が目指す「優勝」の喉元へと、噛み付ける自信があった。