幻の夢を追いかける華 作:日振
日本の牝馬が2010年以来に出走したフランス、パリロンシャン競馬場で行われる2400メートルのレース。秋になると日本でも特に注目度が高くなるレースである凱旋門賞の前哨戦にも指定された「ヴェルメイユ賞」。10頭という日本の感覚からしたら少数参加の中、後方から突き抜けたのは日本で二冠を達成した後、秋華賞には向かわずにヴェルメイユ賞へと参戦したジングランディ。
いつかの日、美しい牝馬と共に夢を目指していた騎手は長い時間が経った今、同じ様に美しい牝馬から降りると差し出されたマイクに向かって勝負服を捲り「もしも」を想定した時の為に用意していた腕の文章を拙い言葉で読み上げる。
「Nous vous remercions de……えっと、continuer à lui accorder toute、ば、ゔぁー……votre confiance lors デ la prochaine、course ! はい! よろしくお願いします!」
発せられる言葉自体は拙いの一言であったが、爽やかな笑顔に誇らしさを映しながら頭を下げた波多野八雲は、現地のインタビュアーから解放されると次は休む間もなく日本のインタビュアーに囲まれる。
問われるのは矢張り、ジングランディの事と本番である凱旋門賞への期待。
「えっと、そうですね……何十回と聞いた事があるであろう言葉で恐縮ですが、ジングランディと共に最善を尽くし頑張りたいと思っています。日本の皆様から期待していただいた三冠から進路を変えて参加する凱旋門賞ですので、相応しい結果を……そうですね、掲示板には必ず入りたいです。そして、秋華賞に代わりフランスの牝馬三冠の最終戦であるヴェルメイユ賞を優勝出来て良かったです。日本の三冠目には挑戦出来ませんが、フランスの地で夢のある三冠牝馬になりました。ジングランディを応援して下さっている皆様、本当に有難う御座います。本番でもどうぞ、応援をよろしくお願いします!」
頭を下げる波多野の意気込みに対し、日本の競馬ファンからは期待と応援の言葉を返される。しかし、日本とは全く違う馬場や凱旋門賞のメンバーを踏まえ、3歳牝馬という斤量のアドバンテージが多く貰える状況でもなお「今回も無理だろう」と期待からかけ離れた言葉は打ち消せなかった。
後のジングランディとなる牝馬は、北海道の日高にある零細牧場で生まれた。血統の中に主要な馬の名前はなく、父と母もまた無名の存在。長所は他の仔馬達の面倒を見るリーダーシップがある所だったが、それが競馬の世界で役に立つのかと言われれば恐らくノーであり、牧場のスタッフ達はセールまでの間、心を込め平等な愛を向けて世話をしたが主取りになるだろうと競争の世界に限定した思考では最初は期待されていなかった。しかし、牧場の考えとは裏腹にセールでは「美しい姿に一目惚れした」と500万円で購入され、駄目だったら転向すれば良いと中央でのデビューを目指し調教が始まった。
牝馬は、美しい花と美しい宝石の名前を組み合わせ「ジングランディ」と名付けられ、ピカピカのゼッケンを付けて挑んだ新馬戦は現場に駆け付けた馬主と、中継画面の前に勢揃いした牧場のスタッフ達から見守られ、騎手である波多野八雲を背に乗せ最低評価だった13番人気を覆し金メダルを掴む。
「生意気言って申し訳ないんですけど、この子絶対凄い子になります……!」
新馬戦から戻って来て直ぐ、興奮が収まらない様子で馬上から叫ぶ波多野の言葉を証明する様に、「ききょうステークス」を勝利し、更には重賞レースである「ファンタジーステークス」も勝利してみせた。
GIには挑戦しなかったものの、見向きもされなかった始まりから一躍クラシック路線への期待を向けられる様になったジングランディは、現在の主要な血統から外れている珍しさからも注目され、3歳になってから挑戦したクラシック第1戦目、桜花賞のトライアルレース「チューリップ賞」も楽勝と言える手応えでゴールし、4戦4勝と文句なしの記録を携えて桜花賞へと駒を進めた。
ジングランディは己の実力を年齢と共に伸ばしていくと、誰にも先頭を譲る事なく「クラシックはベテランを乗せて確実に」と向けられる言葉に目もくれず波多野八雲のエスコートによって二冠牝馬となると、誰もが最終戦の秋華賞へと挑戦するのだと考えた。
けれど、競馬情報を扱うサイトが近況として発表したのは日本ではなくフランスのレースへと出走するといった情報であり、誤報ではなく公式の予定であると確定した瞬間忽ち拡散され、様々なコメントや感情を向けられたのだった。
フランスにある馬房の窓から顔を出したジングランディは、波多野から撫でられると目を細め耳を横に向ける。
昨日の凱旋門賞では運が良い事に開催前から本番まで数日間雨が降る事はなく、ジングランディもまた最高の状態で出走する事が出来た。
そして、波多野も本番では良い所をと意気込んだ手前、酷い有様ではいけないからと過去のレースデータや映像を片っ端から集め研究し、凱旋門賞を経験した事のある騎手達へダメ元でコンタクトを取り教えを乞い、出来る限りの準備をして挑んだ。その結果、凱旋門賞では言葉の通り良い結果を残す事が出来た。少なくとも、自分で口にした「掲示板入りする」事は守れたし、日本で三冠を望んでいたファンが多少なりとも溜飲を下げられるパフォーマンスは出来たはず。
競馬に絶対はない。だからこそ、日本で名だたる名馬達を送り出した偉大な血を受け継ぐ馬がフランスでは上手く走れない事もあるし、逆に記録にすら残っていない小石程度の血がフランスで上手く走れたりする事があっても不思議ではない。
「本当に、よく頑張ったね」
いくら日本で無類の強さを誇っていたジングランディと言えど、今回、走り慣れない馬場で2戦した疲労やダメージはある。
だからこそ、彼女が感じる不快をいち早く取り除ける様にとケアを万全に行い、今の所問題らしい問題は起こっていない。
「早く帰って、沢山美味しいものを食べようね。今回ばかりはお腹いっぱい人参とか林檎を食べてもきっと怒られないよ」
日本の人参や林檎は大好物だが、フランスのそれらはお気に召さなかったジングランディへ波多野が笑い掛ければ、ジングランディもまた「人参」「林檎」は理解している様で、目を大きく開くと耳をピンと上へ向けた。