幻の夢を追いかける華   作:日振

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 リベンジをしよう

 

 馬主の挑戦したいという言葉が後押しとなり、地方競馬場である船橋ケイバに所属するアセビコウロは有難い事にJRAの管理である東京競馬場で開催される「フェブラリーステークス」への出走が叶う事となった。

 東京競馬場は左回りのコースが使用される為、コウロをよく知る主戦騎手である新田翡翠の得意コースであった。しかし、交流重賞レースと違い休日の開催となる関係上、新田のスケジュールを確保する事は出来なかった。

 そこで、白羽の矢が立ったのが「アセビ」の冠名と切っては切り離せない「小金井」の苗字を持つ小金井斗真の存在だった。コウロを所有する馬主である高垣琴がダメ元で騎乗依頼を出せば、レースへの出走同様、奇跡的にスケジュールを確保する事ができ本番前のとある日、小金井はコウロの馬房前に立つ。

 

「走りの特徴としては、何か特別癖がある訳ではありません。暴れる事はないし、反抗する事も、ソラを使うなどもありません。走り方としては、スタート時は後ろに控えてから道中を進め、最終直線でギアを上げるといった形が多いです」

「分かりました。何か他に気になる事はありますか?」

 

 小金井は馬房の奥でジッとするコウロを見つめた後、新田へと向き直れば新田は顎に手を当て、ほんの少し考える素振りを見せる。

 腕時計の秒針がカチカチと何回か進んだ後、新田はポツリと口を開く。

 

「えっと、人間の方が驚いてしまうくらいのビビりです」

「ビビり?」

「えぇ。今も、馬房から顔を出さないでしょう?」

「え!? これビビってるんですか!?」

 

 声量は変えず、語尾だけに驚きの反応を込める小金井の様子に特に驚く事もなく、新田は続ける。

 

「私1人だったら普通は顔を出しますから」

「……えぇっと、これ、私は乗れますか?」

「暫くここにいれば顔を出すでしょうから、その時に触れれば大丈夫です」

「本当に……?」

「えぇ。本当に」

 

 表情を一つも変えずに言う新田に対し、小金井はコロコロと表情を変え大丈夫なのかと何度も聞くが、新田は大丈夫だと返すばかりで後はレースでの事や、その他の細かな部分を共有していく。

 小金井は内心では不安を払拭できないまま、けれど、仕事は失敗しない様にと情報だけは漏らさずに頭の中、時にはポケットにしまい込んでいた小さなメモ帳へ書き込んでいく。

 馬房の前、大人2人が真面目な会話を開始してからある程度の時間が経ち、アセビコウロという馬が持つ癖や作戦などの話にも区切りが付いたタイミングで、何か、粉の様なものが動かされる音が聞こえる。

 

「あ、来ましたね」

 

 新田が顔を動かした先、馬房の奥深くで固まっていたコウロは漸く脚を動かし、鉄パイプの側で立ち止まる。

 目配せをした後、小金井はそっとコウロの側へ右手を持っていき、何も危ないものは持っていないと掌を見せた後、灰色に見える体毛を持つ顔にまずは力を込める事も、動かす事もせず、ただ添える。

 小金井が持つ熱に慣れさせてから、ゆっくりと親指だけを動かして小さなアクションを起こす。コウロが驚く様な反応を見せる事はない。小金井は次に掌全体で顔を撫でる。コウロは変わらずにジッとしている。

 

「大丈夫そうですね」

「大丈夫、なんでしょうか?」

「コウロが本当に駄目だと思ったら何日馬房の前にいても顔を出しませんし、触る事はまず無理です」

「そういう人が、過去にいたんですか?」

「競走馬と言えど、色んな人間と触れ合いますから」

 

 含みのありそうな新田の言葉に小金井は「まさか」と嫌な想像をする。だが、小金井の想像は当たる事なく、新田は付け加える様に「獣医の何人かが」と言う。

 

「あ、そっか! そうですよね!」

「えぇ」

 

 初対面故か、掴み所のない新田に対しコウロ以上におっかなびっくり接する小金井だが、その後調教師などを交えた作戦会議や、別れる瞬間まで新田の持つ空気感へ慣れる事はなかった。

 

 

 2022年2月20日、東京競馬場。ダートGI「フェブラリーステークス」は向こう正面、芝の地面からスタートする1600メートルで開催される。

 重賞レース開催日という事もあり、競馬場内の飲食店前や、ターフィーショップ、客席にキッズエリアと様々な場所に数多くの人が集まっていた。

 お昼を過ぎ、15時になると徐々にメインレースを見ようと散らばっていた人々が一箇所に集まり始める。

 

「……宜しくね」

 

 怖がらせない様に、小金井は優しく言う。初めて顔を合わせた時から、何度か会いに行ったお陰かコウロ自身も小金井の存在を覚えたのか、怯える事はない。

 だが、ザワザワと騒がしく人が多い地下馬道は慣れないのか、コウロは常にあちこちへと顔を動かし分かり易く集中力が切れた状態にあった。

 

「大丈夫だよ」

 

 小金井は優しく言うが、それでもコウロの余所見が直る事はない。その上、心を許す新田は現れない。

 どうしようかと小金井を始め調教師に高垣と全員で顔を見合わせる。慣れない場所で落ち着かないのは仕方ない。けれど、この集中力のなさはどうにかしたい。

 

「……あ、そうだ」

 

 小金井は新田と話していた事を思い出す。コウロがどうにもならなくなった時に、もしかしたら役立つかもしれない最終手段。

 小さく、記憶を辿りながら、慣れない音を紡いでいく。自身が「父親」という肩書きを持っていたからこそ、どうにか適応する事が出来た。

 視線同様にあちらこちらと動いていたコウロの耳がピンと立ち上がる。

 

「落ち着いた……よし、このまま行きましょう!」

「コウロ、大丈夫だからねー」

 

 調教師、高垣も参加して全員でコウロへ話し掛け、歌いながら、歩き始める。周りからは変な視線を向けられるが、今回ばかりは気にせずに歌う事を辞めずに進む。

 時間を掛け、外に出る。変わらずに小金井は歌い続けるが、交流重賞などで走った事がある競馬場とは全く違う景色に熱狂、落ち着いていた筈の意識が再び崩れていく。

 小金井はこれまでの経験から湧き上がる嫌な予感を払拭出来ないまま、ゲートへと向かった。

 

 

 東京競馬場の最終直線。前を走る馬からのキックバックを受けながらも、コウロは必死に走る。先頭の方では名だたる名馬達が激戦を繰り広げ、実況の声にも熱が入る。

 矢張りと言うべきか、コウロは全く違う環境に落ち着ける事はなく、そもそもスタート時の芝生に困惑し集中力を持てぬまま14着に終わった。

 地方からやってきた馬だったコウロは、物珍しさはあれど期待される程のものはなく、特に褒められる事も落胆される事もなく世の注目は「フェブラリーステークス連覇」へと向かっていた。

 

「……すみません。上手く走らせてやれませんでした」

「いえ! いえいえいえ、初めての場所に舞台ですから最下位じゃないだけ良くやりました! それに、今年しか出られない訳じゃありません」

 

 高垣はコウロの首筋を撫でながら首を振る。

 コウロは初めて走った芝の感覚が今でも抜けないのか、地面へ蹄を擦り付けたり、足踏みを続けている。

 

「リベンジするんですか?」

「もし出来るならですけど……ね、コウロ!」

 

 小金井が来年も走るかもしれないってと言えば、相変わらず足踏みを続けたままコウロは首を傾げた。

 

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