幻の夢を追いかける華   作:日振

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ウマ娘の話
昔日の手綱と牡丹は紅霞に沈む


 

 夕方、太陽が本格的に傾きオレンジというよりも赤い色が濃くなったトレセン学園。

 トレーニングをするウマ娘達である程度の賑わいを見せていたグラウンドは、先程と打って変わり酷く寂しい様相となっており、微かに有難う御座いましたと元気な声が遠くから響くばかり。

 そんなグラウンドの中、誰からも目を向けられない場所で1人のウマ娘が靴紐を結び直していた。契約を結んだトレーナーと呼ばれる大人の姿は近くになく、表情も真剣そのものでトレーニングを切り上げたというよりは、まだトレーニングを続けるといった様子で周りに大人がいない以上、オーバーワークに繋がる可能性がある。

 

「……ボタンさん。アセビボタンさん」

 

 立ち上がり、歩き出そうとした後ろ姿に、1人のヒトが近付いて声を掛ける。

 トレセン学園に在籍している者なら誰しもが見聞きした事のある特徴的な緑色のスーツを見に纏った理事長秘書、駿川たづなが心配そうな顔で立っていた。

 

「はい、どうしましたか?駿川たづなさん」

「他のウマ娘の皆さんはもう練習を終えましたよ。追加の自主練習にしても、充分な休息を取らないと」

「大丈夫です。これくらいなら」

「……今は大丈夫でも、それを許容し続けたらいつか必ず怪我に繋がります。続けるのなら、少し休憩にしましょう」

「……分かりました」

 

 たづなから、アセビボタンと呼ばれたウマ娘はたづなの言葉に長考した後に頷き、ゆったりとした足取りで青々とした芝の上に腰を下ろす。

 邪魔にならない場所に置いていたカゴから、ドリンクボトルを取り出し、飲み口に口を付ける。タオルを肌に当てじわりと滲んだ汗を丁寧に取り除いていく。

 

「あの……」

「はい。なんでしょうか?」

「少し、近くありませんか」

「そんな事はありません。私はアセビボタンさんがちゃんと休めているか、確認しなければいけませんから」

「そういうものですか」

「はい。そういうものです!」

 

 ボタンが行った一連の動きをジッと見つめていたたづなに対し、居心地が悪そうにボタンは苦言を呈す。しかし、たづな自身はどこ吹く風で笑顔と楽しそうな声色で会話する。そればかりか、広々としたグラウンドの隅に座ったボタンの横へ、たづなは同じ様に腰を下ろす。流石にその行動へはボタンも尻尾を硬直させる。

 ボタンとたづなが並んだ場所から見えるものは、遠くのビルとグラウンド特有の等間隔に並んだ木々と、芝生と柵。美しい景色でも何でもない、見慣れたものには面白みがなさ過ぎて話の種にすらならない、だが、黙っているのも息が詰まる。

 

「……あの、駿川さん」

「なんでしょうか、アセビボタンさん」

 

 身体を小さくしながら、両腕で膝をギュッと抱き締め、膝に顔を埋める様に目線を下げたボタンが会話始めようと一歩を踏み出す。

 

「ずっと不思議に思っているんです。駿川さんはどうして私を気にかけるのですか?」

「私はアセビボタンさんだけ気にかけている訳ではありませんよ?」

「そう、ではなくて……他と比べて話し掛けられる頻度が高い感じがして……業務的なものならまだしも、日常的な会話で」

「……気の所為ですよ」

 

 会話が終わる。お互いにお互いの事をよく知らない上、雑談をしようにも立場の違い故に共通の話題なんてものはなく、直ぐに会話が途切れてしまう。

 沈黙が辛くなって、息苦しさを紛らわせる為に時計を確認すれば休憩を始めてから、5分程経っている。何十分にも感じた時間だったにも関わらずこれだけしか進んでいない事に少し驚きつつも、これならば何も言われないだろうと、立ち上がる。

 

「アセビボタンさん……!」

 

 一歩を踏み出そうとした所で、呼び止められる。なんだろうと思い、ボタンが後ろを振り返れば変に手を伸ばす体制をしたたづなの姿。

 

「……アセビボタンさんは、走る目標はありますか?」

「目標、あの子に勝つ事です」

「あの子、ですか?」

「はい。私の中には鹿毛色の髪の毛を揺らしてずっと、ずっと先を走るウマ娘がいるんです。きっとその子は妄想や幻覚と呼ばれるもので現実にはいない。だけど、追い付きたくて、追い付けなくて……」

 

 バカみたいでしょう。と、ボタンは戸惑った様な、嫉妬する様な様々な感情がごちゃ混ぜになった表情でたづなを見つめる。

 トレセン学園に入学して、たづなを初めて見た時、ボタンはその髪色と背中に衝撃を受けた。長年焦がれ続けた記憶に、たづなはあまりにも似過ぎていた。穏やかに笑う顔を見て、記憶の中にしかいないあの子も、ボタンが顔を歪めて走る時にあんな顔で走っているのかと思えば、勝手に悔しくなった。

 たづなはボタンの言葉に、トレセン学園の関係者なら見慣れた笑顔をボタンへ向ける。そして、静かに立ち上がり、少し冷たいそれを両手で包む。

 

「奇遇ですね」

「……奇遇?」

「私も幼少期に見た絵本のキャラクターに憧れたんです。そのキャラクターは誰にでも優しくて、子供達を愛して、家族を愛して、外に出ればボタンさんと同じ色の綺麗な髪がキラキラと輝いて」

「そうですか。それが私に話し掛ける理由、ですか?」

「最初はそうでした。でも、話している内に、どんどん別の感情が溢れてきて……そうだ! アセビボタンさん、私達、お友達になりませんか?」

「……へ?」

 

 全く想像のつかなかった提案に、ボタンは珍しく気の抜けた顔を晒して、これまた気の抜けた声を出すが、たづなはそんな事も気にせず握った手にほんの少し力を込める。

 困惑しかないと言わんばかりのボタンとは裏腹に、たづなはどこまでも楽しそうに小さな一歩を踏み出して距離を詰める。

 

「私の名前は駿川たづなです。アセビボタンさん」

 

 今更名前を言い合って何になるのだ。と、言いそうになるが、たづながスッと近付けた顔と笑顔に絆されて、ボタンもまた小さく自分の名前を口にした。

 普段は話すと言っても一言、二言で終わる会話から離れて、初めて会話らしい会話をしてみたが、まさかこんなにも勢いのあるヒトだとは思わなかった、あの子に似ている姿だからこそ押しも強いのかと失礼な事をボタンは1人考える。

 なんだか追加のトレーニングをやる気持ちもどこかにいってしまい、今日はお開きにしようと考えた所で、たづながまた突拍子もない事を言う。

 

「ボタンさん、一回で良いんです。私の事、名前で呼んでくれませんか?」

「……たづなさん」

「呼び捨てで」

「流石に、それは……」

 

 風が吹いて、2人の髪の毛が揺れる。

 全てが赤色に照らされる世界に今だけは2人しかいないと誤解させる様に、やけに静かな沈黙が流れる。

 たづなはボタンと合わせた瞳をそらす事なく、名前を呼んでともう一度口にする。

 ボタンは先程理解した押しの強さを思い出して心の中だけでため息を吐いて、静かに揺れている彼女の髪の毛と自分の髪の毛を見つめながら、何時間にも感じる沈黙を破りその言葉を口にする。

 

「たづな」

 

 たった3文字の言葉を出しただけなのに、トレーニングを終えた後以上の疲労感を感じる。けれど、心のどこかで「やって良かった」と漠然とした気持ちが沸々と湧いてくる。

 何故かとても幸せそうに笑ったたづな顔を見て、ボタンは小さく深呼吸した。

 柔らかく吹き続ける風によって揺れる2色が、時折混ざり合う様に触れるのを見ながら、ボタンは無性に「こうしてみたかった」と不思議な感覚に襲われた。

 





たづなさんは代理です。
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