幻の夢を追いかける華   作:日振

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 絶対がある場所

 

 地方競馬場の一つである浦和競馬場で開催される「さきたま杯」が2024年よりJpnIIからJpnIの格付けへと変更された。

 2024年、6月開催となったさきたま杯に出走表明をした競走馬の中で注目されたのは「アセビコウロ」という名前のサラブレッド。

 

「レース自体は大きくなったけど、コウロには関係なし。次も頑張っていこう!」

 

 馬主である高垣琴が薄い体毛に覆われたコウロの額を撫でる。

 コウロは地方所属の競走馬として様々なダートグレード競走に出走し、華々しい成績を収めていた。そして、勝ち負けの世界に身を置きながら浦和競馬場で開催されるレースでは百戦錬磨、必ず勝利していた。

 ある意味で珍しい経歴に浦和競馬場で開催されるレース、特にさきたま杯や浦和記念の時などにはコウロへと大きな注目がされる様になった。

 

「さ、結ぶよ〜」

 

 今日もまた、高垣は馬房の中へと足を踏み入れコウロの背後に回る。何度かブラシを掛け、尻尾の毛を一房手に取る。慣れた手付きで長い尻尾の毛を三つ編みに結んでいく。

 高垣が出来るのはここまでで後は本番となる明日コウロに跨る騎手である新田翡翠と、普段と同じ様に完璧な状態で本番へと持ってきてくれた調教師や厩務員達を信じるのみ。

 

「頑張れ、頑張れ、コウロ」

 

 改めて首筋や額を撫でれば、コウロは嬉しそうに目を細めた。

 

 

 2024年6月19日。ダート1400メートルJpnI格付けの「さきたま杯」は、夕方17時45分からの発送予定となっていた。

 天候は晴れ、馬場状態は重の発表され、JRA、中央競馬からも圧倒的な強さを持つ競走馬達が集まったが、浦和競馬場で開催されるレースの手前、コウロに対しての心配はなかった。それくらいの信頼が向けられるほど、コウロは浦和競馬場においては「絶対」を持ち合わせていた。

 

「今日もお願いします!」

「……はい」

 

 高垣が馬上の新田へと頭を下げる。新田もまた、普段通りの静かさで頷きを返す。

 デビュー当時と比べたらマシになってきているとは言え、相変わらずコウロは沢山の人や競走馬に怯える素振りを見せるが、新田はコウロの意識を逸らす為に舌鼓を鳴らし小さな声で童謡を歌う。そうすれば、コウロの意識が新田へと向き、次第に他の競走馬と落ち着きを持ってゲートへと向かって行く。

 

「今、スタートしました!」

 

 ゲートが開いた瞬間に競走馬達が一斉に飛び出す。まだ明るさが残る空と、住宅街を背にしながら土埃を巻き上げ縦に長い隊列でレースが進む。

 一昨年、去年と地方所属馬が優勝しているレースという事もあり、コウロにも優勝の期待が掛けられるが、直ぐに厳しいだろうと観客の意識は先頭を走る競走馬に移り変わる。

 

「ここで大外アセビコウロ! どんどんと前に迫っていきます!」

 

 新田の得意な左回りのコース、右には誰もいない。気にしなければいけないものはない。

 後は、前に出て、先頭に並んで、更にそれより前に出れば良い。

 簡単で、一番難しい事。

 

「先頭はリモナナ! 残り400メートルを切って、2番手3番手にはスパークプラグ、アルファハル!」

 

 先頭に立つリモナナは後続を引き離す。その背中をスパークプラグやアルファハルが追い縋る。

 

「ここでアセビコウロが突っ込んで来た! しかしまだ差がある! 今回ばかりは苦しいか!」

 

 新田がコウロへと鞭を一発入れる。どこまでも冷静に、少ない視界でジッと前を見つめながらもう一度鞭を入れる。

 無敗の馬が来たとしても、世界一の馬が来たとしても、浦和競馬場においてのみ勝利の女神はアセビコウロへと微笑む。

 

「アセビコウロが並んだ!? いや、前に出た! 残り20メートル地点で船橋所属のアセビコウロが先頭!」

 

 観客の顔が驚愕に染まる。日本のレースにおいて無敵とも言えるリモナナがコウロの影を踏む。

 同じ歳、同じ性別、同じ斤量、同じ土俵。違うのは所属のみ。

 コウロがゴール板の前を通過する。コンマ数秒遅れてリモナナがゴールする。

 歓声が起こり、新田はいつもの様にコウロを減速させながら首筋を軽く叩く。

 

「今日も頑張りました」

 

 新田が言えば、コウロの脚取りがどこか跳ねる。どこからともなく「おめでとう」という声が聞こえ、顔を左右に振りながら有難うを返す。

 ふっ、と息を吐き。漸くレース結果を受け止める。新田の頭の中に浮かぶのは、自分毎にレース結果へと一喜一憂する高垣の姿。

 騎手として仕事を任せて貰っている以上、結果を出せて良かったと胸を撫で下ろす。

 

「帰ろうか」

 

 手綱を動かせば、コウロはそれに従いゆっくりと歩いて行く。遠くからでも分かる高垣の喜んだ姿に、新田は感情が豊かな人だと何度も思った事を改めて考える。

 コウロを讃える歓声に怯えない様に注意しながら高垣の元へと戻れば、高垣はこれもまた見慣れたものとなったがコウロの首筋に抱き付いておめでとうを何度も口にする。

 

「本当に、本当にコウロは強い子だね!」

 

 馬主である高垣が昔から大好きだった埼玉にある浦和の他で文字通り「無敗」でい続けられる強さをコウロが持つ理由は分からないが、純粋無垢な笑顔を見てしまえば、やれるだけ頑張ってみようと思ってしまう。

 それだけの魅力と言えば良いのか、老若男女に好かれるオーラを高垣は持っていた。

 

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