幻の夢を追いかける華 作:日振
体操着姿のウマ娘達が東京レース場のターフの上に姿を現し、何人かのウマ娘がペチペチと頬を叩く。もう少しで出走時間となり、本番前特有の緊張感が辺りに流れている。
これから始まるレースに出走するアセビロードは地下バ道の出口前で立ち止まると、今一度確認の為に靴紐を結び直す。
「頑張れよ、ロード」
「お? うん。うら、ちょっくら頑張ってみるんだね?」
フォーマルな格好をした男、ロードのトレーナーである若旅伊吹が気合いを入れる為か、緊張から意識を逸らす為か、その背中を軽く叩けば本番前にも関わらずロードは相変わらずののんびりさで立ち上がり、歩いて行く。
その背中に向かって若旅はもう一度、応援の言葉を口にして、付け加える様に「転ぶなよ」と言う。その言葉を聞いて、ロードは歩みを止める事は無く、頭と右手だけを若旅の方へ向けると得意気な笑顔とピースで返した。
「うっし!」
若旅はレースに出走するウマ娘の様に頬をバチバチと叩きながら、観客席へと歩き始めた。
変則的に第2コーナー途中から誰一人出遅れる事なく、綺麗なスタートが切られると、唯一の逃げウマ娘が単独で飛び出す形となった以外は、メンバーが固まった隊列で緩やかな曲線のターフを走ると、直線のコースへと入り、最初の5号障害である竹柵を飛越して行く。
明るい茶髪のロードは最後方。逃げウマ娘からは軽く30バ身離される状態で続く6、7号障害のいけ垣を飛越する。
全員が飛越を無事に終えると拍手が起きる、平地のレースではスタートとゴール、多くて2回しか起こらない拍手は既に3回鳴り、4回目も無事に鳴り響いた。
「ロード! 良い感じだぞーっ!」
聞こえるかどうかは分からないが、若旅は自身の担当へと応援の言葉を叫ぶ。
先頭を走る逃げウマ娘は、作戦か疲労かスタート時より少しペースが落ちているが、変わらず15バ身から20バ身程の差を作り単独で2周目に入って行く。
ロードは水濠、グリーンウォール、竹柵、いけ垣を惚れ惚れする様な美しい飛越でクリアすると、ほんの少しスピードを上げ最後方から3人を追い越すが、追い越されたウマ娘達はフォームを崩す。それは、素人目だと分からないレベルのものだが、競争の世界に身を置く者なら理解出来る「作戦」がハマった光景。ロードの直ぐ前を走る2人のウマ娘も追い越したウマ娘と同じ様な状態となり、若旅は心の中だけで拳を握る。
「大丈夫。後は、もうロードの自由だ」
2周目にロードが入るか入らないかのタイミングで、ロードがグンとスピードを上げる。ロングスパートだとしても障害がある分、手前過ぎるのではと感じてしまう位置からロードはスピードを上げ、前を走るウマ娘達を次々に追い越しながら、そのスピードを緩める事なく、最初にクリアした向こう正面の竹柵、いけ垣障害を越えて行く。
3コーナーを回り、スタミナが切れ始めた逃げウマ娘すら視野に入った4番手の位置までロードが上がり、最終コーナー前に設置された8号障害のいけ垣を飛越する。
「そろそろ、見えるかな?」
1人、疲労の色を見せないロードが長い髪を揺らし、髪の色よりは深い色を持ったその瞳を開くと視界の中に、ただ一点の光が映る。
ロードはそれを目指し、誰もが羨む様な無尽蔵のスタミナを溢れさせ、更にスピードを上げる。それはまるで、短距離レースのトップスピード時の様にも見えて、末恐ろしい娘だなと観客席から見守っていた若旅は背中に冷たい汗を流す。
砂を巻き上げダートコースを横切り、スピードが乗っているにも変わらずロスの無いコーナーワークで逃げウマ娘を捉えると、悠々と前に出て最終障害を難なく飛越する。
そのまま、ロードのスピードは緩む事なく、ゴールの前を通過する。
「……よし、勝てたよ」
ゴールを過ぎて暫く、スピードを緩めたロードが立ち止まりギュッと両手を握る。平地では惨敗続きで活路を見出した先の障害レース、見違える程成績は良くなったが重賞とされているレースを勝つのは初めてで、ロードは湧き上がる喜びを味わう。
勝てたよと、若旅がいる方へ身体の向きを変えるが、客自体は平地の重賞と比べてまばらで、注目度の差を感じて嫉妬にも似た感情が湧きそうになるが、その感情は深呼吸と共に吐き出す。
「きっと、いつか……」
ロードは新しい自分となった障害レースを愛している。だからこそ、障害レースの歴史に名を刻んだ先輩達の様に、平地のレースにだって負けない格好良くて、美しい走りをする凄い娘が現れる事を信じている。もしかしたら、記録の中では沢山見る事が出来るメジロ家やシンボリ家からも再び凄い娘達が現れるかもしれない。
「流石に名家からの障害参戦はもう難しいかな?」
ロードはウィナーズサークルの方へ向かいながら、1人笑う。
名家は無理でも、スターはきっと現れると期待しながら。
レース後、インタビューや記念撮影、ウイニングライブなど全てを終わらせて、トレセン学園と戻る途中。若旅は隣に立つロードへと視線を向ける。
「次、どうする? やっぱり大障害?」
「まぁ、そうなるかなぁ。うらが勝てるとは、思わないけど」
「何言ってんだ。手応えバッチリだったぞ」
「おー! それはそれは、先生の教えが上手いんだねぇ」
ほけほけと笑うロードに緊張感は無く、また、疲労も見えない。だが、若旅の提案に乗ろうとするロードに対し、若旅はそういえばと思い出した事を問い掛ける。
「ロード、海外で挑戦したいレースがあるんじゃないのか?」
「へ? 海外? どうして思うのかな?」
「いや、間違いなら良いんだけど、この前海外のレース動画見てただろ? 覗き込むのも変だと思って反応しなかったけど、障害レースに見えたからさ」
「んー? あぁ! あれの事かぁ。うん。確かに、興味があるレースはあるんだね?」
ロードが珍しく、尻尾を大きく揺らす。興味があると言った通りに、その瞳には好奇心の色が浮かんでいる。
若旅はトレーナーとして、ロードの興味があるレースを問題が無ければ走らせてやりたいと純粋に思う。
「ちなみに、なんて名前のレースなんだ?」
「えぇとね〜……Velká pardubickáって言うんだね〜」
「ブェ……なんて?」
「ヴェルカパルドゥビツカだね」
「……すまない。勉強不足だ」
「謝らないで良いよ。うらも詳しく知っている訳ではないんだね?」
「ロードは、そのレースに挑戦したいか?」
「興味はあるね。日本とは全然違う形式のコースで楽しそうだ……でも、出走する為に予選レースにも出ないといけないから、ちょっと大変な気がするんだ」
「そうか」
「そうなんだよ〜」
夕陽の中を2人で進む。
ロードが途中で言ったグランドナショナルミーティングにも興味があるという言葉に、若旅がそれなら分かるぞと返し、会話を弾ませる。
「今日は良い夢が見れそうだ」
「俺もだよ!」
笑顔を見せ合いながらスキップをする様な楽しさで、2人は帰路を歩いて行く。