幻の夢を追いかける華   作:日振

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先に保険を掛けさせて頂きます。今回のお話に登場するヒトミミさんには元ネタとなる方がいらっしゃいますが、あくまでもモチーフ程度、≠でお読み下さい。



我が愛は、未だ存在せず

 

 人間とは違う位置にある耳と、毛先にいくにつれて黒くなる特徴的な白髪を揺らしながら、ウマ娘、アセビボタンは府中にあるレース場を歩いている。

 一年の中でも今日は特に注目度が高いレースの開催日であり、レース場は時間が進むのに比例して入場者の数は増していき、レース場の中にある施設はどこも大きな賑わいをみせているが、これから始まるレースに出走する予定のないボタンは、時折緊張した面持ちのウマ娘や人間とすれ違いながら、慣れた様子で暇を潰す様に場内の様々な場所へ意識を向ける。

 レースを観戦する為に、そろそろ移動しようかと考えながら辿り着いた一番混雑するパドックからスタンドに続く通路の途中、入場者が多いとはいえ、誰からも注目されない様な隅の方に影を見つける。

 

「……失礼。こんな所でどうされましたか? もしかして、体調が優れませんか?」

 

 ボタンの目線の先、壁に寄り掛かった姿の男性は自分が話し掛けられているのだと気付くと閉じていた目を開け、表情を変えず、小さく目線だけをボタンの方に向ける。

 

「あぁ、いや。違うよ。只、息がしたくてね」

「息……やっぱり、喘息か何か、症状が出てしまったのでは……」

「そうではないんだね。本当に、この場所で呼吸したいだけなんですよ、それに、今日は破滅する気持ちでもないから」

「? 不思議な方」

「そうかな……そうだ、そういえば、君は夢に身を寄せなくて良いのかい?」

「夢。レースの事ですか? それなら、私は今日、夢を見る日ではないので」

「……そう」

 

 騒がしいレース場。それも大きなレースが始まる前、先程まであった通路の賑わいから一転、沢山の目が一箇所に集まってただ一点を見つめる微かな時間に、世界で2人だけが誰もいなくなり、静かになった空虚に隣り合わせで存在している。

 1人はスーツを着た男。1人は頭の上に耳を生やしたウマ娘。

 2人から積極的に溢れる音はなく、レースが終わった後の喝采の様な盛り上がりもない。

 

「お兄さん。レースはお好きなんですか?」

「……お兄さんと呼ばれる歳でもないんだけども、まぁ、好きなんじゃないかな」

「そうですか。あっ、巫山戯て聞いてみますけど、私の顔は知ってます?」

「知らないよ。僕は馬の顔しか知らないし、見た事がないんだから」

「……やっぱり不思議。貴方の話し方はなんだか小説家とか、詩人の様な独特な表現を感じます……ねぇ、お兄さん。お兄さんは見た事がないと言っていたけれど、ウマの顔は知っているんですよね? 好きなウマ娘はいるんですか?」

「ウマ……馬か。僕が好きなのは雷神の名前が付いた馬だったけども、このセカイにはいないんだ」

「いない? デビュー前、それとも引退されたウマ娘の方?」

「知らない男の自叙伝みたいに君が気にするものではないんだけれども……そうだね、今走ってるのだったら、あのミスターシービー。その名前はほんの少し注目しているよ。例え知らない馬の顔だとしても、今度は最後まで見れると良いんだけどね」

「そうですか。それは良かった」

「……良かった?」

「えぇ。不思議な魔力のあるお兄さんにヒトらしい趣味があった、それだけで我々が生きる意義が生まれる。ノンフィクションを届ける意味がある。お兄さんに趣味がなかったら、それこそ百鬼夜行の様に、沢山の人を不気味に演技させる様な雰囲気があるから」

「それはもう、してしまったかもしれないね」

「……あらま。少し遅かったか」

 

 左の耳に飾られた牡丹の花を揺らしながら、同じ様にボタンはクフクフと笑う。

 1人の男は笑いたくないとばかりに、感情を箱の中に入れた雰囲気のまま、それでも少し封が開いたのかぎこちなく顔を歪める。

 2人の耳の奥に薄い歓声が響く。恐らく注目されるウマ娘達が表に出て来たのだろう。

 男はそれを聞き届けると、壁に貼り付けた背を剥がす。

 帰ってしまうのか。と、察したボタンがその背中に声を届ける。

 

「また、遊びに来て下さいね……!」

「うん。気が向いたら来てみるね」

「次の時は、悲喜交交の夢を見届けて下さい。静かな桟敷から様々な情念を見下ろす様な気持ちを持って!」

「どうかな……競馬場とは違うこの場所に、ベルトコンベアから突拍子もなく降りてしまうドラマティックなものがあるのかなと」

「無ければ作って頂戴な!」

「無責任なものですね」

「貴方だって、ウマを応援する時は無責任なのだから、お互い様です!」

「……それも、そうだね」

 

 男は移動するヒトの波を切り裂きながら、1人淡々と静かに歩いて消えて行く。

 先程まで静かだと感じていた世界から目を覚ますと、案外自分が五月蝿い世界にいたのだとボタンは気付く。

 

「あの! サイン貰えませんか!」

 

 意識が現実に戻って直ぐ、ボタンの顔を知っていた小さな小さな女の子が身体と同等なのではないかと勘違いするサイズの色紙を差し出して、ボタンはしゃがみながら笑顔でそれを受け取る。

 ボタンからしたら通常サイズの色紙を持ち、ペンのキャップを開けた瞬間に今更気付く。

 

「……あのヒトの名前、聞き忘れちゃった」

 

 まるで、文学青年らしい真面目そうな風体を成していた男の人。少し恥ずかしがり屋そうな独特な近寄り難さを身に纏うヒト。

 会いたいな、会えるかな、なんて柄にもなく変な事をひっそりと考えながら黒いインクを紙の上に滑らせて、女の子へと返す。

 立ち上がり、ボタンは男が歩いて行った逆の方向、静かではない、騒がしさしか感じないけれど、心地の良い夢を見れる場所へと歩いて行く。

 

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