幻の夢を追いかける華 作:日振
授業の終了時間を告げるチャイムが学園内に響き渡り、挨拶を済ませると、楽しそうな声で教室が包まれる。
時刻は12時を過ぎ、食堂に向かう者、袋や包みを持って他のクラスへ向かう者、教室内で机を動かし始める者など様々な動きを見せる中、ウマ娘の中でも珍しいエメラルドグリーンの色をした髪の毛を結んだトゥカーナェは、友人と共に何個かの机を動かしてお弁当を広げる。
いただきます、と声を揃えた後卵焼きを摘んだトゥカーナェに対して机を囲んだ3人の内、1人のウマ娘が顔を向ける。
トゥカーナェがその視線に気付き、顔を上げればいつの間にか1人分の視線は3人分に増えていた。
「……そういやさぁ、明日レースだよね?」
最初にトゥカーナェを見つめ始めたウマ娘が確かめる様に首を傾げれば、トゥカーナェは特に疑問も抱かずに頷く。
「いや、何というかさ、練習? 本番前の追い込み? しなくて平気なん?」
「平気では、ないかもしれない。明日は重賞だから」
「なら……」
「心配してくれて有難う。でも、トレーナーさんが変に気負うより、いつも通りが良いって」
「そうなの? それなら、良いんだけど」
トゥカーナェはデビューから連対を重ね、佐賀三冠も達成した実力がある。しかし、明日のレースは初めてのダートグレード競走であるJpnI「JBCスプリント」であり、これまでのレースとは全てが違う舞台となる。
初めての勝負服、初めての遠征、初めての中央との対決。
それらの要素も相まって、本人以上に周りの友人がドキドキしていた。
「大丈夫! カナは転ばない様に頑張るだけなので!」
「いや、本当にそれだけは辞めな?」
「結果はどうあれ、堂々と佐賀に戻って来なね」
「よっ! 総大将!」
3人の言葉に乗せられて立ち上がり、力こぶを作ってみせる。そうすれば、他の教室に残っていたウマ娘達もトゥカーナェの事に気付き、「頑張れ!」と声援を送った。
季節柄、太陽が沈み始め、これからレースが始まるタイミングでありながらも見慣れない景色が広がっている様だった。
調整の時にしか着た事がない、殆ど新品の勝負服からは新品故の独特な香りがしている。
「うん。気持ちバッチリ、体調もバッチリ」
鏡の前で一回転してみれば、身体の動きに合わせて揺れる勝負服にトゥカーナェの心がキラキラとときめいた。
後は本番までの僅かな時間を落ち着いて過ごすだけだとトゥカーナェがソファに座ろうとすれば、その瞬間に携帯の着信音が鳴り響く。
「もしもし……どうしたの?」
通話ボタンを押せば、テレビ電話だったのかジャージ姿の友人達が画面に映りトゥカーナェの尻尾が驚いた様に、ほんの少しだけ動きを止める。
「いやぁ、なんかウチらがドキドキしちゃってっからさ、我慢出来なくて応援? みたいな?」
「そーそー! かませよ、トゥカーナェ!」
「そっちの砂に佐賀の旗立てちゃいな!」
思い思いの言葉に、トゥカーナェの心がほわほわと温かくなる。楽しもうと思っていた手前、緊張はしていなかったが、その代わりに勇気という名の追い風が吹く。
トゥカーナェは持っていた携帯を、壁に立て掛ければ昨日の様に力こぶを作ってみせる。
「なんだか滅茶苦茶かませそうです!」
インターネットを通して、トゥカーナェの言葉が佐賀にいる友人達へ届けば、再び思い思いの声援がスピーカーで増幅された音となって響き渡る。
やってやります、頑張れ、の言い合いをしていれば、控えめに扉がノックされトゥカーナェは変な声を上げながら驚く。
「あ、はい! います!」
電話の声をミュートにしながら、扉のノックへと返事をすれば「時間だよ」とくぐもった声が聞こえる。
もう、そんな時間なのか。トゥカーナェはミュートを切り、「行ってくるね!」と元気に言うと、画面の向こうからも元気な声で「行ってらっしゃい」と返される。
電話を切り、トゥカーナェは鏡の前で頬をペチンと叩く。
「……よしっ!」
控え室から出れば、目の前にはトレーナーが緊張した面持ちで待っていて、2人は無言でパドックへと歩き始める。
パドックに出る手前、立ち止まったトレーナーが小さく「やってやろう」と言った。その言葉に、トゥカーナェは笑顔で「はい!」と返す。
オオハシの挑戦が今、始まる。
空は晴れているものの、バ場は重だと発表された地面を走る。レース名にスプリントと付いている通り、1200メートルという一瞬でも気を抜いた瞬間に勝敗が付いてしまう距離をスタートした一歩目から、全力で脚を動かして、回転数を上げる。
トゥカーナェは1200メートルならば、問題ないと踏んで最初から最後まで逃げて、逃げて、逃げまくる戦法を選んだ。キックバックもない、砂の上を先頭で走って出来る限りの差を作る。
「頑張れ、トゥカーナェ!!!」
練習の時、トレーナーが何時も言ってくれる言葉を口にする。全力を出している分その声は酷く、荒い呼吸でノイズが走るけれど、気にせず言葉にする。
その言葉は、魔法の様にトゥカーナェの身体を巡ると、苦しさが和らいで更にスピードが上がる。
最終直線、後ろを走っていたウマ娘達がトゥカーナェへと追い付き、その前へ出ようと襲い掛かる。
「頑張れ、頑張れ! トゥカーナェ!」
負けじと声を出して、一歩前へ出る。
一人だった場所に、他のウマ娘達が現れた事によって、トゥカーナェの特徴的な髪色を引き立てる為、赤を基本とした美しい勝負服が土に塗れる。
自分よりもずっと経験のあるウマ娘達に負けじとトゥカーナェは食い下がる。
「最後は大混戦となりました!」
ゴールを過ぎて、トゥカーナェは唯一聞こえた言葉を噛み締める。1着は獲れなかった。しかし、大混戦を形作る1人にはなれた自覚があった。
直ぐに立ち止まる事をせず、数百メートル程の距離を使って徐々にスピードを緩め、呼吸を整えながら出口の方へと歩く。
観客がいる方に近付けば、佐賀三冠という肩書きとJBCスプリント前の連対率からある程度の注目がされていた様で、トゥカーナェと声援が送られる。
「有難う御座いました! 勉強になりました!」
声援に対して、トゥカーナェが頭を下げれば、ワッと声が上がる。
何事だと頭を上げ、促されるままに視線を動かす。
「3、着……!?」
大混戦の1人になれたと喜んだ手前、5着、6着くらいかと思っていた順位はトゥカーナェの想像以上の結果を示しており、喜び以上に狼狽えの方が強くなる。
順位が確定し、優しく暖かい観客の更なる「おめでとう!」という声にトゥカーナェはもう一度、深く深く頭を下げる。
「有難う御座いました! どうか、見ていて下さい! オオハシの輝きを!!」
地方所属のウマ娘がこんなにも受け入れて貰えると思っていなかったトゥカーナェが、時間も忘れて求められるままに手を振っていれば、焦った様なトレーナーから肩を叩かれる。
「カナ! ウイニングライブ!」
「へっ? あ、あぁ! そうでした!?」
先程のファンサービスから一転、バタバタと慌てながら走って行くその背中に笑いが起きる。
嬉しい結果、悔しい結果もひっくるめて最後は「楽しい状態」でJBCスプリントは幕を閉じた。