幻の夢を追いかける華 作:日振
アセビルピナスはグラウンドの上を全力で走る。本番前の最終調整は順調で、ルピナス本人の調子も良い。
数ヶ月前、トレーナーである若旅伊吹から告げられた「高松宮記念」へ挑戦してみないか。という提案に、ルピナスは考える間もなく頷いていた。
「でもー、高松宮記念は中距離ですよねー? また、バテバテになっちゃいますー。頑張らないと、ですねー」
「中距離? 何言ってんだ、高松宮記念は1200の短距離だぞ。前の規定と間違えてないか?」
「おー? あー! そうです、そうでしたー。高松宮記念はもう短距離、でしたねー」
「ったく、変わったのはルピナスが生まれる前だろー?」
「んっふっふー、ルピナスちゃんも偶にはうっかりがあるのでしたー」
などとやり取りをしながら辿り着いた本番前日。ルピナスは自己ベストを更新するタイムを叩き出し、気合充分でトレーニングを終わらせた。
「楽しみですねー」
そんな事を言いながら、ルピナスは何よりも大切な自身の脚を丁寧にケアしながら、くふくふと笑った。
高松宮記念当日、GIともあって沢山の観客がパドックを見つめる中、勝負服に身を包んだルピナスが姿を表す。
カッチリとしたシンプルなシャツにハーフパンツを合わせ、ほんの少し余裕のあるジャケットを羽織る。肌は手袋とタイツで隠し、足元は走り易いスニーカーで彩るルピナスは、本人の性格を表現したスポーティーな格好であり、煌びやかな勝負服の中ではシンプルなものであった。
ルピナスはパドックの中心まで来ると、自身を応援する観客へと手を振り、胸に手を当てながら一礼をする。
「ルピナス先輩! 今日は宜しくな!」
ヒーロー風の勝負服を着たウマ娘、ピコーペガサスが変わらない明るさと元気な声でルピナスへとビシッとポーズを決めれば、ルピナスもまたその動きに合わせ自身もポーズを取る。
「宜しく、お願いしますねー」
「今日こそ先輩の背中に追い付くんだぞ!」
「ルーちゃんは、追い抜かせませんよー」
ルピナスはヒーロー的なポーズを取っていた姿から一転、「がおー」と動物を思わせる動きをすると、ビコーもまたそれに挑む様にまた別のポーズを取る。
本番前にも関わらず、和やかなそのやり取りに観客からは「可愛い!」と声が聞こえてきて、ルピナスは有難うと手を振る。
「……あの」
ビコーとルピナスのやり取りか途切れたタイミングを狙って、第三者からの声が聞こえてルピナスは首を傾げながら目線を動かせば、同じく高松宮記念に出走するケイエスミラクルが立っていた。
「どうされましたー?」
「えっと、レース前に挨拶をしておきたくて」
「おやー、挨拶を忘れて楽しんでしまっていました、ですねー? 失礼しました。今日は、宜しくお願いしますねー」
「アタシもごめん! 今日は宜しくお願いします!」
「ううん。2人が可愛くて話し掛けなかったのはおれだから、宜しくね」
レースでは鎬を削るライバルと言えど、パドックでならばまだ学園にいる頃と同じ仲の良さを見せ、三者三様に挨拶を終わらせる。
時間となり、パドックからターフへと移動する為に一度、ルピナスは表から離れるが、進んだ通路の出口付近で待っていたのはトレーナーである若旅であり、ルピナスは若旅の隣へと小走りで近付くと立ち止まり、背中を向ける。
「いつもの、頼みますよー!」
「おう」
若旅がルピナスの背中を叩く。その瞬間に、ルピナスの中にだけある歯車が噛み合い、足りなかったピースが嵌め込まれる。
「……やってきますねー」
「今日のお前は完璧だ。全員、置き去りにしてこい。ルピナス」
「はい!」
普段は見る事のない真面目な表情で、完璧となったルピナスは一歩を踏み出した。
6ハロンの電撃戦。1分と少しで決着がつく距離。目を離せない一瞬の煌めき。
ガコンと音を立てて一斉にウマ娘達が飛び出す。距離が短いからこそ前につけるウマ娘が過半数を占める中、自分の力を信じて後ろで虎視眈々と脚を溜めるウマ娘もいる。しかし、ルピナスは他の15人よりも更に前、5バ身以上の差をつけてただ1人先頭を走る。
ルピナスは今回、短距離レースの成績を加味されて3番人気に推されている。しかし、これまでのレースと比べ無鉄砲とも捉えられる様な走りにファンは心配の声を口にする。
ターフの近くに設置された大型のモニターにルピナスの顔が映し出される。レースの時だけにしか見られない真面目な表情に、心を奪われたのかレースを見つめる誰かが顔を赤く染めた。
目線の先、ルピナスが早くもたった1人で4コーナーを回り、坂道へと蹄鉄を刻む。後ろからは、徐々にルピナスを追い抜こうと他のウマ娘達は前へ前へとスピードを上げるが、不思議とその差は縮まらない。
「ヒーローは、諦めないッ!」
「おれも負けない!」
パドックで声を掛け合った2人が鋭い末脚で迫って来るが、ルピナスは変わらず前を走る。
勘違いしていたからこそ諦めていた「高松宮記念」への出走。自分が一番得意とする距離で勝負できる幸せ。GIという特別な場所。
「楽しい!」
全力で走って苦しい筈なのに、その顔は晴れ晴れとしていて今にも笑い出しそうな喜びが浮かんでいる。真面目な顔から打って変わり破顔したルピナスはそのまま2バ身の差を開いたままゴールの前を駆け抜ける。
しかし、余裕のある勝利とも思われたその後は何十メートルかの距離を使ってスピードを緩めると、案の定芝の上に倒れ込み、乱れた呼吸を整えながら拳を突き上げる。
「や、りま……し、たー……」
ゼェゼェと心配になる姿で倒れていれば、ビコーとケイエスが駆け寄って来てその身体を抱き支える。
震える脚で立ち上がって、フラフラと歩けば若旅が心配半分、分かっていた半分の顔をしながら待っていて、2人から支える役を代わると「やり過ぎ」と、誇らしそうな声色で小声を言った。
「先輩! また後でな!」
「無理はしないで下さいね」
「あいー。それは勿論、ですねー」
漸く呼吸が落ち着いてきたルピナスは、若旅から支えられながら控え室へと戻って行く。ゆっくりと椅子に座って、脚を冷やされてルピナスは「うへー」と声を出す。
「今まで出たレースで一番やる気だったんじゃないか?」
「そうですかー? まぁ、ルーちゃんは皆よりずっと勝てる勝てないのレースが少ないですから、頑張っちゃったのかもしれないですねー」
「全く……優勝、おめでとう」
「んふふ。有難うー、ですねー」
相変わらずの間伸びした声でお礼を口にしながら、ルピナスは心の底から幸せそうに笑った。
勘違いを正されなければ、一生手にする事はなかったであろう煌びやかな優勝レイを手にするルピナスを見ながら、「綺麗だ」と、若旅は心の中だけで呟いた。