幻の夢を追いかける華 作:日振
目を開ければ、見なれた景色が広がっていてまだぼやぼやとする頭を振りながら何度かまばたきをして、欠伸をする。
暇だなぁって思いながら、お部屋にある窓からお外を眺めていれば、聞きなれた音が聞こえてくる。
もしかしてと思いながら、急いでろうかの方に顔を出してみればあんのじょう、わたしが思った通りだった。
「アセビさん、ご機嫌は如何かな?」
わたしの大好きな人にそう言われて「うん、元気だよ」と伝えるために、顔を近付けてあいさつをする。
撫でられたのが嬉しくてくふくふと笑ったあと、「つぶらやせんせいはお元気かな?」ってわたしも聞いてみる。つぶらやせんせいがわたしに会いに来てくれたのが久しぶりだから、わたしは本当に嬉しいんだから。
でも、ここはお外じゃなくてお部屋の中だから、嬉しくてもさわがないように気を付ける。むかし、それで怒られたからちゃんと覚えたのよ。
「身体も、もう、白くなってきたね。アセビさんは芦毛だから成長がとても分かり易いよ」
アシゲというのは分からないけれど、つぶらやせんせいが嬉しそうに身体を撫でてくれるから、わたしもまた笑って「そうでしょう?」と答える。
わたし、大きくなって素敵なオトナになるんだよ。小さいころ、わたしをいじめてた皆よりも綺麗でりっぱなオトナになるの。
あっ。つぶらやせんせいの頭もまえに会った時よりもちょっとだけ白いわ。わたしと同じ、お揃いなの。
でも、つぶらやせんせいは昔とちがって最近はゴホゴホってしているから心配よ。早く元気になって頂戴な。
わたしの手とせんせいの手は違うから、わたしはせんせいの頭を撫でて「大丈夫」をしてあげる事ができない。せんせいは沢山わたしを撫でてくれるのに、それができないのはとても悲しい。
「……心配してくれて有難う、アセビさん。私は大丈夫だよ」
「先生。これ以上はお身体に障ります、もう休みましょう」
「そう、ですね……アセビさん、大丈夫。私は大丈夫だから、ね」
わたしはお返しにせんせいを撫でる事ができない。だから、代わりに精一杯顔を寄せてわたしの元気をつぶらやせんせいにあげるの。
わたしのお鼻を寄せて「元気になぁれ」って、たくさん沢山お願いするの。
カラカラって音を立てながら、つぶらやせんせいが丸いわっかが付いたイスに乗ったまま帰って行く。
わたしはせんせいの後ろ姿を見るたびにすっごく寂しくなるけれど、また来るねって約束してくれたから、わたしはその約束を楽しみにしながらお利口さんにして待っているの。
今お別れしたばっかりなのに、早く、つぶらやせんせいが来ないかしらと願ってしまう。
せんせいに会えるのが、わたしはとっても楽しみなんだから。
設定した時間の通りに目覚まし時計の音が部屋の中に鳴り響くと、ウマ娘のアセビボタンは意識を戻しながらゆっくりと目を開ける。
アラームを切りながらボタンが身体を起こせば、カーテンの隙間から漏れる光に照らされた部屋を、歪んだ視界で見つめている事に気付く。何か異常でも起きたのかとボタンが目の近くをそっと両手で触れてみれば、漸くその両目から涙が流れていた事を知った。
何故、泣いているのかは分からない。けれど、幸せで、ずっとずっと続けば良いなと願った日常をボタンは見ていた気がする。
それなのに何も思い出せない。
ボタンは誰かを見つめていた。きっと、大切なヒトの筈だった。
なのに、最初からなかったかの様に、顔も声も思い出せない。
記憶に存在しない、心の底から大好きで、大切な誰か。
「……もう一度、会いたかった」
無意識に零れ落ちた言葉を向ける相手は誰なのか。
この、形容し難い小さな悲しさはどうすれば良いのか。
「先生が生きていたら、教えて、くれたのかな」
朝から心の中に生まれる違和感を抱えながら、ボタンはルームメイトと共に学園に行く準備を進めていれば、その途中に机の上にあるカレンダーが目に入る。
今日の日付けと、数字の下に書いてある文字を認識して、あぁ、父の日なのかとボタンは気付く。カレンダーを見て、ボタンは久し振りに先生に会いに行こうかなと頭の中で計画を立てる。
先生ならば、心に生まれた形容の出来ない感情の答えを教えてくれるだろうと期待しながら。
父の日から少し経ったとある日、ボタンは花束を持ちながら石の上を歩く。均等に整備された道を慣れた順序で進み、他と比べるとしっかりとした造りの墓の前で立ち止まる。
野生動物の事を考えて食べ物などは置いていないが、花立には溢れんばかりの花が挿されていて、苔や雑草が一つもない程に綺麗に整えられている。
この光景を見る度に、ボタンは自身の父が沢山の人から謳われていた事実を実感して誇らしくなる。
「……久し振り、先生」
きっかけが何だったかは覚えていないが、いつの間にか「先生」と呼び始めた父の事をボタンは思い出しながら持参した花を供える。線香に火を付けて、立ち上る煙の香りを感じながら手を合わせる。
「先生。私が見た夢の相手は、誰だったんだろうね」
語り掛けても答えは返ってこない。
しかし、この場所にやって来て気付いた事があった。
あの夢に出てきた名前も顔も分からないヒトと、この場所にやって来て感じる「愛おしさ」はとても似ていた。
「もしかして、私の前世? だったりして」
クスクスと笑いながら口にしてみれば、本当かどうかも分からないのに不思議と「そうかも」という気持ちになる。ウマ娘の中には、一つの出来事に対して運命的な「何か」を感じる事があるという。
ならば、前世の夢をボタンが見たって不思議ではない。だって、あれだけ幸せな夢だったのだ。例え違っていたとしても、うだうだと考えるよりもきっぱりと己が前世で経験した幸せだと思ってしまった方が気持ちとしても丁度良い。
「ボタン!」
ボタンがただ1人、物言わぬ石へと学園での思い出話をしていれば、突然遠くから名前を呼ばれて顔を上げる。
声の主は、ボタンも見知った人物で近付いて来るその姿に手を振り返す。
「久し振り。突然こっちに戻るなんて連絡がきたから、何事かと思った」
「御免なさい。ちょっと先生に会いたくなって」
「……ほんと、ボタンは先生が好きだよな」
「それはお兄ちゃんもでしょ?」
「ははっ! そうだな……ワタシ達は皆、先生が大好きだ」
ボタンが「お兄ちゃん」と呼ぶその人は、目尻の皺を深めて目の前へと目線を向ける。その表情だけで、その中に眠る人物がどれ程好かれていたのかがありありと分かる。
「あれ? あの花、誰だろう。先日来た時にはなかったのに」
「あの花は今日、私が持ってきたやつだよ。お墓参りには合わないかもしれないけど、先生にピッタリだと思って」
「そうか。わざわざ花まで……いや、先生は動物の他にも花も好きだったから、色々な種類に囲まれていた方がきっと喜ぶさ」
「うん、そうだと良いな!」
お兄ちゃんはおもむろに太陽の方への目線を向け、強くなり始めた陽の光から守る様にボタンを自身の影へと入れると、柄杓の入った水桶を持ち「そろそろ行こうか」と笑う。
ボタンもその言葉に頷き、先生へ「また来るね」と手を振ると、お兄ちゃんと共に一歩を踏み出す。
「ねぇ、お兄ちゃん。私が持ってきた花はなんて名前だと思う?」
「え? そうだなぁ。ワタシはあの人と違って花には疎いからなぁ……でも、形は百合に見えたよ」
「百合は正解! 百合の中の、スカシユリって種類だよ。今日は沢山のスカシユリを持って会いに来たの!」
「スカシユリかぁ。綺麗な花だね」
成長しても昔と変わらない無邪気さで得意げに話すボタンの頭を、お兄ちゃんが慣れた手付きで撫でれば、ボタンは幸せそうに目を細めた。