幻の夢を追いかける華 作:日振
一瞬、強い風が吹いて地面の砂が舞い上がる。パチパチと足首に砂の粒が当たり、痒くなって何度か砂を落とす様に足を振る。
薄い黒色の尻尾を揺らしたアセビコウロが頭を振りながら、ズボンの紐を結び直す。
「コウロ! 最後の一本やっていくぞ〜」
準備が終わったのかストップウォッチを片手に持ったトレーナーの若旅伊吹が声を掛ければ、コウロは肩を揺らしながら大袈裟に頷く。
体制を整え、若旅の合図によって走り出す。左回りの距離1400メートル。1分30秒も掛からない、独走。
普段のおどおどとした様子からは一転、鋭い目付きで前を見る姿はギャップであり、選手としての強さを感じさせる。
「よし、これなら充分……というか、何時もより良い感じだ」
「ほ、ほほ本当でやんして?! 次は、浦和の……レース、ですから、ね!」
「そうだな。コウロが絶対優勝したい場所だ」
「はいぃ! 絶対、絶対、か……勝ち……カチマス……」
「大丈夫! 勝てるよ!」
勢い良く言い出したものの徐々に小さくなる語尾をカラカラと笑いながらも、若旅から自信を持って向けられた言葉にコウロは尻尾を弄りながら頬を染める。
そして、数日後に迫った大舞台へ向けて、コウロは強く手を握った。
GI、JpnI、と違い着慣れた体操服にゼッケンというラフな格好でコウロは控え室の椅子へと座る。小さく息を吐いて、緊張を誤魔化す様に歌う。それは昔、母が歌ってくれた思い出の童謡であり、コウロにとってはライブで歌う楽曲よりも、ずっと歌い易いものだった。
自然と耳と尻尾が揺れ、気分が乗ってきた辺りで扉がノックされ、飛び上がる。ガタンと椅子が倒れ、勢い良く扉が開かれる。
「何があっ……大丈夫、か?」
「だ、大丈夫、大丈夫なんです!? わたし、大丈夫です!?」
「へ、え? 大丈夫、なんだよな……?」
「わたしは大丈夫でした!! 至って健康って感じ!?」
「いやでも、ガタンって凄い音して」
「わたしが椅子を倒してしまった事に代わりはありませんが!?」
「……あー、そっか。ごめん」
穏やかな心持ちから打って変わり、普段と同じ状態となったコウロを見て、若旅は驚かせて申し訳ないと何度も口にする。その度にコウロもまた、仰々しく手を振ったり頭を下げる。
何分かそのやり取りを行い、漸く落ち着いてから改めてコウロと若旅は向き直る。
「天候は晴れ、バ場状態も良。ベストコンディションって感じだな」
「はい! わたし、が、頑張ります……から!」
「浦和の地に、コウロの名前を刻み込んでやろう!」
「しょ!? それは畏れ多いぃぃ……」
尻尾を握り、身体を小さくするコウロを見つめながら、若旅は相変わらずだなと思いながらも落ち着ける様に用意されていた水を差し出した。
本番前までおどおどとした状態であったものの、浦和レース場で行われるレースかつ同じチームの先輩達も見に来ていると教えられていたコウロの心は、第三者から見える様子とは裏腹に「やってやる」と燃えていた。
浦和競馬場、第11R。JpnIII「テレ玉杯オーバルスプリント」。大外13番に割り当てられたコウロはゆっくりとゲートへと入り、全員の枠入りが終わるのを待つ。
巨大なライトで照らされコース自体は視界が良好であるものの、ナイター競争とあって空自体は暗く染まっている。
静かさの中、ゲートが開きコウロは砂を巻き上げる。
前に立つ方が有利とされるダートレースではあるが、コウロは前から少し離れて中団やや後ろにポジションを取る。風が吹いた時とは違う、痛みを伴う細かい砂が身体にぶつかってくるが、レース中のコウロはそれを気にせずにただ前を見つめて脚を動かす。
前にポジションを取るウマ娘が殆どだからか、コウロの目に分かり易く距離を離し逃げるウマ娘の姿は見えない。しかし、前に沢山のウマ娘が固まっているが故に、壁の様になって前に出るのは絶望的に感じられる。
スタートから1コーナーを回り、2コーナーに入る直前にはポジション取りが終わり、残りは勝負を仕掛けるかどうか。
「このレースは……負けられない……!」
コウロは丁度前にいたウマ娘の1人がスピードを上げるのに合わせて自身もまたスピードを上げ、すました顔で先行集団へと潜り込む。
そのまま周りに合わせ位置を調節しながら目だけで左右を確認するが、前方のウマ娘も含めて差はなく一塊で進んでいた。
「……今っ!」
最終直線に入る4コーナーを回り、目の前に隙間が現れる。コウロは迷う事なくその隙間の中へ進路を選び、短い直線で先頭に立つ。
強く砂を踏み込んでコウロはスピードを上げるが、それは他のウマ娘だって同じ事で、根性比べの様に何人かのウマ娘達と並びながら中央と呼ばれるレース場とは違い平坦な直線をひたすらに走る。
「浦和のレースだけは負けられないからぁ!!」
1400メートルという短い距離、短い直線、その瞬間にコウロは己の全てを賭ける。
本来ならもっと長い距離だって走れる体力がある筈なのに、もう無理だと言いたくなる程の力を使い、残り50メートルの辺りで完全に前に出る。
後はこのまま逃げるだけだとコウロはもつれそうになる脚を必死に制御して、背後からの鋭い威圧を感じながら溢れそうな涙を押し込める。
「13番のアセビコウロ! 後続に2バ身の差を付けて今、堂々とゴールインッッ!!」
青く塗られたゴール板の前を駆け抜けて、コウロはゆっくりと速度を緩めると疲労を気にせずに飛び跳ねる。
「やったー!!! 見ました!? 勝ちましたよ皆さん!!
声が届かないと分かっていても、気持ちが抑えきれず立ち止まった場所でコウロは大きく手を振る。その純粋な喜び様に、悔しさも誤魔化されてしまったのか他のウマ娘達がコウロの身体を抱き締め、次々に「おめでとう」を口にする。
もみくちゃにされ、コウロは照れながらも耳と尻尾を忙しなく動かしながら観客の方へと戻って来る。
キョロキョロと顔を動かして若旅を探す最中、とある人物が見えて思わず動きを止める。そして、直ぐに破顔すると再び大きく手を振りながら口を開く。
「
コウロの視線の先、元々通っていた船橋トレセン学園で契約していたトレーナーである杜若怜が立っており、驚いた顔をしながらも笑って手を振り返す。
大好きな地元である浦和の地でレースを勝った事、自身の強さの半分を作ってくれたトレーナーが見にきてくれていた事、コウロは二重の幸せを噛み締めながら深い緑の優勝レイを肩に掛けた。