幻の夢を追いかける華   作:日振

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 暮夜の語らいは海の香りを纏って

 

 夕方のオレンジから、夜の濃紺へと空の色が変わった頃。若旅伊吹は自身に与えられたトレーナー寮の私室へと戻ると、ジャケットを適当にハンガーへ掛けソファに座る。手を洗う事すら後回しにして、全体重をソファへと委ねながら携帯の画面を触る。

 慣れた手付きでアプリを開き、電話を繋げる。音声はスピーカーモードにして、携帯自体はソファの上へと放り出す。

 

「……もしもし?」

 

 数コール待ち、携帯から若旅や普段話している担当ウマ娘達、同僚達とは違うほんの少し幼さの残った可愛らしい声が響く。

 

「俺だ、若旅伊吹」

「うん。分かってるさー、この時間に電話掛けてくるのなんて伊吹先生くらいだもん」

「そうか……そっちはどうだ? 相変わらずか」

「うん。そうだ! あのね、今日のトレーニングで自己ベスト更新したんだよ! もう本当にうっさんでよー!」

「自己ベストって、この前もレースで凄い走りをしていたのに……カナは本当に凄いな」

 

 スピーカーから流れる嬉しそうな声に、若旅もまた釣られて笑顔が浮かぶ。

 若旅が定期的に近況報告を兼ねて電話する相手であるトゥカーナェは、現在佐賀にあるトレセン学園へ通うウマ娘であり、若旅が幼少期から縁が続いている幼馴染みの様な相手だった。

 トゥカーナェは普段佐賀トレセン学園に籍を置きながら、飛燕賞・九州ダービー栄城賞・ロータスクラウン賞を勝利し、2002年以来の九州三冠を達成するとその後は中央のレースにも挑戦しながら優秀な成績を収め、先日行われた日本テレビ盃でも唯一左耳へ飾りを付けたウマ娘ながら砂で全身が汚れるのも厭わずに掲示板へと名を連ねた。

 若旅は、トゥカーナェの躍進をトレセン学園からデータや映像で見ながら、内心では勝手に誇らしい気持ちを膨らませていた。トゥカーナェと若旅は故郷である沖縄で出会い、それから紆余曲折を経てトレーナーと担当ウマ娘の様な関係を築いていた。だが、当時は高校生と小学生で当たり前であるがトレーナーとして活動出来るライセンスを若旅は持っていなかったし、トゥカーナェもまた勝負の世界とは無縁の少年のだった。

 それでも独学ながら若旅がトゥカーナェへと与えた知識と、多少の土台は、トレセン学園へ入学してからのスタートダッシュへと結び付いた。教本の受け売りであれど、ウォーミングアップや身体の使い方など初歩の初歩が出来ていたお陰で早いタイミングのデビュー戦へと挑戦し、周りより経験を積めた事により、現在の成績と更なる成長へ繋がった。

 

「そういえばさ、中央の方ではもう少しで大きいレースがあるけど、伊吹先生の教えているウマ娘さんは出走するの?」

「大きい……秋華賞の事か? それなら何かアクシデントが怒らない限り挑戦する奴がいるよ」

「本当? なら、カナはそのウマ娘さんを応援するね!」

「応援か……ツバキは少しメンタル面が弱い所があるからな。最近は持ち直してきたとはいえ、応援は多い方が良い。カナの事も伝えておくよ」

「ツバキさんって言うんだね! 応援の団扇も作っちゃうんだから!」

「有難う、楽しみにしてる」

「うん! 期待しておいてね!」

 

 きっと尻尾を揺らしながら言っているであろう楽しそうな声に、若旅は昔を思い出す。

 トゥカーナェは一時ではあるが捻くれた事がある若旅の嫌な態度を向けられてもなお、変わらずにいてくれたウマ娘だった。それは、件の時期が終わり気不味い感覚を覚えていた若旅にとっては有り難い以外のなにものでもなく、また、変わらない態度に心の底から救われた。

 若旅が昔の事を思い出していれば、相槌がなくなった事を心配したトゥカーナェがどうしたのと聞いてくるが、若旅は秘密だと返す。

 

「なにそれ! 意地悪?」

「意地悪? それは駄目だな、じゃあ、何を考えていたか教えとこうか」

「うん、聞きたい!」

「そうだなぁ。あれはカナが4歳の時、お昼寝で」

 

 若旅が懐かしむ様に口を開いた途端、トゥカーナェの方から音が割れんばかりの大声で制止する声が響く。どうしたんだと聞けば、もう一度「意地悪」という声が続く。

 

「それカナのちゃあがつか話さー!」

「恥ずかしい? 別に変な話じゃないと思うけど」

「変じゃなくても駄目なの! 伊吹先生なんて嫌い!」

「ごめん、ごめん。もう言わないよ」

「……もう」

 

 機嫌の悪くなったトゥカーナェの声を聞いていれば、遠くの方から別のウマ娘の声が聞こえてくる。

 ミュートを忘れたのかそのまま流れてくる声を聞いていれば、就寝についての話の様で、若旅はもうそんな時間なのかと時計へと目を向ける。

 

「普段はまだ起きているんだけどね、明日、いつもより早く起きなきゃいけなくて」

「大丈夫だよ。カナの用事を優先して」

「ありがと。じゃあ、伊吹先生、お休み」

「うん。にんじみそーれー」

 

 プツリと電話が終わり、部屋の中が静寂に包まれる。明日は休日なのに、早く起きなければいけないのはトレーニングか、それとも友人と出掛けるのか。

 なんにせよ、大切な妹分が楽しくやっているのなら良かったと、若旅は立ち上がると手を洗う為に洗面所へと漸く足を向けた。

 

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