幻の夢を追いかける華   作:日振

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 乾き、渇いて、勝利を注ぐ

 

 建物が割れんばかりの喝采と、人気者達をまとめて交わし下剋上の興奮に包まれた東京レース場。荒れた芝の真ん中で、1人のウマ娘が拳を握る。

 東京優駿。日本ダービーと呼ばれる随一の知名度と名誉あるレースの歴史の中、新しくアセビスズナの名前が克明に記された。

 

 

 レースから数日経ち、忽ち有名人となったアセビスズナはトレーナーである若旅伊吹に向かうと、端的に普段通りの調子で口を開く。

 

「満足シタわ」

 

 その言葉が何を意味しているか分からず、若旅はまず首を傾げ、何の事だと問う。すると、スズナは迷う事も後悔も浮かべずに淡々と「走ること」と追記する。

 走る事に満足した。唐突に言われた言葉を若旅は最初飲み込む事が出来ずに、スズナの言葉を鸚鵡返ししてしまう。

 

「アァ。アタシはダービー勝って満足シタ。もう、芝のレースは走らナイ……いや、走ル気分にならナイ」

「それは……ごめん。俺の実力不足だ、スズナの言っている事が上手く理解してやれない」

「だから、ナンテ言うかな……燃え尽き症候群? みてぇな感じダヨ。兎に角、モウ、無理なんだよ」

「……そう、か」

「おう」

 

 スズナは何も変わらない。だが、若旅は受け入れたくないとばかりに深刻な表情を浮かべる。

 若旅は諦めきれないのか、せめてクラシックレースが終わるまでは、怪我ではなく気持ちなのだとしたらもしかしたら復調させられるかもしれないと願い、スズナもまたキリが良いからとそれを了承する。

 しかし、スズナは自分の事だからよく分かっている。分かってしまっている。

 自分が2度と、芝では上手く走れないのだろう。という現実を。誰も悪くない、ただ漠然と「無理なのだ」と己自身が認めてしまっている。

 アセビスズナは、綺麗な緑に染まる地面の上では日本ダービーと日本ダービーの舞台へ辿り着くまでのレースしか勝てないのだと、ずっと昔から自覚していた。

 

「お前ハ何も悪くネェ。だから、どうなっても……お前の所為デモ、実力不足デモねぇから、責めんナよ」

 

 スズナの言葉に、若旅は何も返さなかった。

 言葉を返してしまったら、実力か運命か、分かる事のない「何か」を受け入れてしまう様な気持ちになってしまうから。いや、もしかしたら、運命を変えられない無力さを若旅は自覚したくなかったのかもしれない。

 

 

 日本ダービーが終わり、約1ヶ月の時間が経った。スズナは前走のパフォーマンスが支持され、人気投票によって宝塚記念へと出走する事が決まった。

 全てを食い尽くす様な苛烈な走りをしながらも、ダメージが殆ど残っていなかったスズナはこれまでのレース同様、慢心せずしっかりとしたトレーニングでもって阪神レース場、2200メートルの舞台を走り切る。

 

「……やっぱりな」

 

 最終直線、2番手まで位置を上げた最後のラストスパート。日本ダービーを制したウマ娘が、宝塚記念までも制するのだと誰もが期待し、熱狂したあの瞬間。スズナの脚は突然鈍った。

 怪我をした訳でもない、不慮の妨害を受けた訳でもない。抜群の手応えのままスズナは不自然な形で後方へと下がり、結果、8着という順位に落ち着いた。

 何かあったのではと心配するファンの心理、次は大丈夫だと励ます声、間隔が短かった故に疲労が残っていたのだと糾弾する声、全ての声をスズナと若旅は受け入れ、スズナはただ一言静かに言う。

 

「これが、運命ダ」

 

 若旅にしか聞こえない声に、若旅は強く拳を握った。

 

 

 宝塚記念後、遂にトレーニングで走る芝ですら居心地が悪そうにし始めたスズナに対し、若旅はどうしてだとタイムの表示されたストップウォッチを睨む。

 ウマ娘の中には、他のウマ娘やレースに対して運命的な何かがあるとスピリチュアルにも似た感覚を覚える娘がいる。それは、若旅の担当しているウマ娘にも当て嵌まる事で、摩訶不思議な事象であれど実感は出来た。

 

「どうして、スズナを走りから遠ざけようとするんだろうな」

「……それが、アタシだからだろ」

 

 スズナは相変わらず飄々とした態度を取っていた。

 居心地の悪い芝、どんどんと遅くなるタイム。掲示板どころか2桁着順に沈んだセントライト記念。最下位となった菊花賞。

 いつも通りに走り、優勝もしくは表彰台は確実だと言える素晴らしいパフォーマンスを見せ、不可解に沈んでいく。

 スズナの事を同じ世界で戦い、時に非科学的なスピリチュアルすら共有するウマ娘達はスズナの事を気にしなかった。どうしようもない「何か」があるのだろうと納得した。

 しかし、人間の場合だとそうはならない。スズナの負け方を見た大勢がレースを舐めていると、真面目に走れと声を上げる。

 

「スズナの事を知らない癖に」

「ア? んな事気にスンナよ。アタシらだって、これに確かな名前を付けられネェんだ」

 

 どこまでも他人事に話すスズナに対し、若旅は色々な言葉を飲み込んで一つの言葉を絞り出す。

 

「本当に、スズナはダービーを勝つ為だけに走ってたみたいだ」

「……そりゃおもしれぇ。もしかしたら、前世からこうだったのかもな」

「もしそうなのだとしたら……その前世というやつを覆したかったよ……」

「死ぬ訳じゃネェんだ。アタシはこれデ良い」

 

 スズナはケラケラと楽しそうに笑うと、翌日、約束だと言って若旅もまたその約束を受け入れる。

 アセビスズナ専用のトレーニングメニューが破棄され、新しいメニューが組み直される。酷く驚いた反応を見せる同じチームのアセビコウロへ向かって「宜しく」とスズナは言うと、芝とは違いサラサラとした砂が敷き詰められた地面へ蹄鉄を沈ませる。

 

「どうだ? 大丈夫そうか?」

 

 心配そうな若旅の言葉にスズナは頷く。

 ウォーミングアップを終わらせ、ストップウォッチのボタンを押す。無機質に刻まれるタイムと共にスズナは日本ダービーと同じ2400メートルの長い距離を走る。

 珍しく調子が良さそうにスズナは走ると、ゴールと同時に若旅高く小さな機械音を鳴らす。小さな画面には芝の同距離と比べたら遅く、砂の同距離と比べたらレコードが狙えうる2分30秒9の文字が表示されていた。

 

「……お前、始めたてでこれとかマジで周りの奴らが泣くぞ。それこそコウロとか」

「ぼ、暴力と言いますか? パワハラ〜……みたいな? 兎に角同じレースに出ないで欲しい……うん。欲しいのですがぁ!!」

「ハハッ! これが運命ダ!」

 

 溜め息を吐く若旅と、必死に文句になり得そうな言葉を探すコウロ。2人の様子に、スズナは諦めろと言わんばかりに舌を出し、ドリンクへと手を伸ばした。

 

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