幻の夢を追いかける華 作:日振
暑さが本格的に過ぎ去り、世の中を寒さが包み始めた11月。トレセン学園も、他の学校と同じく所属する生徒達は全員冬服への衣替えを終え、本格的な寒さと、一年の中でも特に重大なイベントとして取り上げられる事の多いクリスマスへと向けて盛り上がりの色を見せ始めていた。
トレセン学園に通うウマ娘達、ひいては街にいるウマ娘達は、不思議と寒さに強い体質の者が多く、上着やマフラーを着用していても特に必要としない存在も多い中、トレセン学園に通うアセビボタンは珍しく憂鬱な表情を浮かべていた。
ボタンは冬服の上から上着を羽織り、制服の下にはいち早く体感温度の上昇を謳い文句としている有名なインナーを着て、スカートの下には透け感のない真っ黒なタイツを履いていた。
いくら寒くなり始めたとは言え、11月の気温では過剰とも言える防寒対策はある種の風物詩かつ、目立つ姿であり、ボタンはトレセン学園随一の「寒がりウマ娘」として有名だった。
今日もまた、周りと比べると随分と暖かそうな格好をしながらボタンは寮から学園へと移動し、所属するチームの教室へと入る。チームリーダーとして早め早めの行動により、未だ誰もいないガランとした教室ではあるが、ボタンが入室してから直ぐ、再び扉が開かれる。
「お早う。今日も冷えるな……って、やっぱり始まったか」
「お早う御座います。今年も始まっちゃいました、トレーニングでもしたら体温が上がって大丈夫なんですけど、それまではやはり」
「なんか、その格好のボタンを見ると冬が始まるな〜って感じがするよ」
「あはは。私も誰よりも早くこの姿になると1年の終わりだ〜って思います」
チームに与えられる教室にトレーナーである若旅伊吹と、ボタンが向き合いながら座れば、暖房を入れようかと聞かれ流石にそこまではと笑う。
何か特別な事をした訳ではないが、部屋の中で一人、ジッとしているよりも誰かといる方が部屋の温度が高い気がすると、ボタンは思う。
朝のミーティングの為、若旅から告げられた時間になるまでボタンと若旅がポツリポツリと会話のキャッチボールをしていれば、何回目かの言葉を交わし終えたタイミングで若旅が徐に目線を上げながら首を傾げる。
「そういえば、ずっと気にはなっていたんだが」
「えぇ。何でしょう?」
「ボタンの耳。まぁ、トレセン学園にいる他のウマ娘でも見るけど、冬になるとやけにモフモフというか、言葉を選ばずに言うと毛深くなるよな」
若旅の言葉に、ボタンは白と黒が混ざり合ったカラーリングをしている自身の耳へと手を添える。
「毛深く……あぁ、確かに、そうかもしれません。どうしてでしょう?」
「人間は秋や春先だと抜け毛が多くなると言うが、耳だし、なんなら生えてきている訳だしなぁ……犬や猫みたいな冬毛なのか?」
「冬毛、なのでしょうか……確かにここまで耳が毛で膨らんで見えるのはこの季節だけですけど」
「やっぱり冬毛かな?」
「冬毛、ですかね」
「ほんと、ウマ娘は人間とは違う不思議な性質を持っているよな」
ボタンは、自分自身が今まで気にした事も無かった事実に意識を向ける。思い出してみれば、親戚の子も、チカラちゃんだって、冬に会えば己と同じ様にモフモフな耳になっていた。
若旅と同じ人の形をしているのに、ウマ娘という分類以外にも、細かな部分でも未だに驚くべき違いがあるのだとボタンは不思議な感覚になる。
「俺も身体中モフモフになったら、冬もあったかく過ごせるものかね」
「トレーナーさんも、寒いの苦手でしたっけ?」
「元々、南の生まれだからな。寒くはなるが、内地程じゃない気がする」
「分厚いコートが手放せないですもんね」
ボタンは若旅と話しながら過去の記憶を思い浮かべる。若旅は、「注目されるウマ娘を相手にしているのだから、自分の格好でウマ娘の品位を下げない様に」という名目で上品かつ、値段も相応なコートを着用している。だが、その心意気の7割は品位の為、3割がボタンのタイツやインナーと同じ他のコートと比べた時の体感温度の高さである事をボタンは知ってしまっている。
誠実なその優しさを持ち、しっかり者な若旅ではあるけれど、所々可愛らしい部分のあるその性質が親しみ易くてボタンはずっと好ましく思っている。だからこそ、若旅の能力が本物である事を証明する為にもボタンは全力で走り続けたい。
若旅がボタンが突然尻尾を揺らした事へ首を傾げるが、特に気にせずに「さて、」と前置きをして手を叩く。何か話そうと口を開き、言葉を放とうとした瞬間、教室の扉が開く。
「おはよう御座います」
「お、おはよう! 御座い、ます〜!」
ボタンと若旅に続き、同じチームのメンバーであるアセビツバキとアセビコウロが集合時刻の5分前に姿を現す。挨拶をし合い、ツバキとコウロがいつもの場所へ座れば、また扉が開く。
「おはようー御座いますーですねー」
集合時刻丁度、チームの最速娘であるアセビルピナスが現れる。ルピナスがバッグを置き、席に座る。再び扉が開く。
「おはよう?」
「おい、全く、遅刻だぞ」
「ありゃ? それは申し訳ない事をしたんだね、お婆ちゃまのお手伝いをしていて」
「嘘だな」
「おや〜?」
集合時刻から3分程遅れて現れた障害レース選手であるアセビロードは早朝という事もあり、ツバキと見慣れたやり取りをしつつもいつも以上にホワホワとした雰囲気で自身のポジションに座る。
時計の針が進み、長針が予定時刻から過ぎた10の位置から少し進んだ頃。
「……ん」
「スーちゃん! 遅かったね、何かあった?」
「ア? 別に、婆ちゃん助けてたダケだ。あと、スーちゃんって呼ぶナ」
「そうだったんだ。じゃあ、仕方ないね」
「およ? うらは信用されなかったんですね?」
「信用がないからな」
「およ〜」
ロードがシクシクと泣く真似をする中、若旅は立ち上がると書類を手に持つ。集まったメンバーへと配りながら、自身もまた書類へ目を落とす。
「じゃ、ミーティング始めるぞ」
「はい……って、そう言えば先程何か言いかけませんでした?」
「え、あぁ、本当に何でもない事だから気にしなくて良い」
「そうですか?」
「そうです」
「では」
ボタンは若旅の言葉に納得し、顔を下げる。
それぞれのレースプラン、トレーニングプランが書かれた書類に合わせ、ミーティングを進めていく。
真面目な空気が流れ、ミーティングに必要な会話だけが行われるが、若旅は唯一思考を脱線させ、全員の耳をこっそりと見比べていた。