幻の夢を追いかける華   作:日振

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番外編:いつかのクリスマスは離れた場所で

 

 トレーナーである若旅伊吹が契約したウマ娘、アセビボタンがトレーニング前のストレッチを行う最中、若旅もまたストップウォッチや記録用紙を準備しながら片手間にボタンへと目を向ける。

 季節が移ろい、年末と呼ばれ始める時期になった今、雑談の代わりにこれからの予定を問い掛ける。

 

「そろそろ帰省が始まるけど、ボタンは冬休みに帰省するんだっけか?」

「えぇ。私は年末にレースの予定はありませんし、クリスマス前から年明けまで少し長めの帰省になります」

「そうか。じゃあ、学園出るのがいつか早めに教えてくれ。それまでに最低限やっておいて欲しいトレーニングメニューをまとめて渡すから」

「有難う御座います」

「トレーニングといっても大前提は家族との時間だからな、ちゃんと休めよ」

「ふふっ、はーい」

 

 若旅とボタンは、トレーニングを開始する前の微かな時間、会話に花を咲かせる。しかし、契約を結んでからある程度の時間が経ち、お互いに緊張はなくなったとはいえ、会話自体は未だに少しの距離感があった。

 周りに目を向ければ、グラウンドには1人と1人というよりも1人と複数のチームの姿が多く、若旅は内心、自分勝手に居心地の悪さに似た感覚を覚えるが、ボタンは気にしていない上に、その感覚は若さ故の自意識過剰なのだと若旅自身も理解している。

 

「トレーナーさん」

「んー? どうした」

「常々思っていたのですが、トレーナーさんは他のウマ娘さんの事をスカウトしようとは思わなかったのですか?」

「え、何だよいきなり」

「だって、私なんて他の方と比べて面白みがなければ、共に目指したいと思えるような目標だってないじゃないですか」

「そんな、謙遜だぞ。ボタンの持つ夢や目標だって、他と同じく大切なものだ。それに、俺は沢山のウマ娘達の走りをこの目で実際に見て、そしてボタンが一番気になった。ボタンの一緒に頑張れたら良いなと思った。それがスカウト理由」

「まぁ……思っていた以上に真面目というか、しっかり考えてくれていたなんて。私はその熱意に応えねばいけませんね」

「そうだぞ〜。自分らしく走り切ってくれよな」

 

 ストレッチを終わらせ、立ち上がったボタンがトラックへと歩き始める背中を見つめながら、若旅はストップウォッチを握る。

 合図と共に走り出したボタンの背中を、若旅は相変わらず「綺麗だ」と思いながら見つめていた。

 

 

 ウォーミングアップとして比較的ゆっくりとしたスピードで、1,000メートルを1周、2周と走り、その後はウッドチップのコースも使いながら負荷を高めていく。

 寒い空気の所為か、吐き出す息は酷く熱いのに吸い込む酸素が冷たくて身体の中が違和感を訴えてくるが、気にせずに走る。走り始めた頃はこの感覚が気持ち悪くて、苦しくて、走るのを辞めてしまっていたが今はもう平気になった。

 ボタンはこれもまた一つの成長なのかと感じながら、蹄鉄を使い地面を蹴る。まだ発展途上な力だから、ボタンはその昔選手としてレースを走っていたお姉ちゃんを思い浮かべながら、次の帰省でアドバイスでも貰おうかと考えて直ぐ、はぐらかされそうだと走る途中、思わず苦笑いを浮かべた。

 

「……よし、それじゃあもう1本行くぞ。今度は全力も全力でな」

「はい」

 

 何本かのタイムを記録し、ボタンは若旅に促されるまま指定の場所に立ち、合図と共に再び一歩を踏み出す。直ぐにスピードに乗り、あっという間にコーナーを回り、芝と土を巻き上げる。

 圧倒的な才能に、グラウンドにいた他のウマ娘やトレーナー達が注目する。

 ゴール地点を通過し、減速していくボタンの背中とストップウォッチに記録された数字を見比べながら、若旅は満足そうに頷く。

 

「今日のトレーニングはこれで終了」

「はい。有難う御座いました!」

 

 予定されていたトレーニングが終わり、ボタンは走っている時の感覚や気になった部分を報告して、ストレッチを始める。

 時計は18時前を指しているが、数ヶ月前と比べて空は暗くなり、電灯が辺りを照らしている。若旅は、白くなった息を吐きながらトレーニング前と同じくコミュニケーションの一つとしてボタンへと話し掛ける。

 

「突然こんな事聞くのもなんだが、ボタンの家はクリスマスとかしたりするのか?」

「クリスマスですか? 普通に、しますが……何か変ですか?」

「いや、なんて言えば良いのか……ちょっと前に俺とボタンで買い出しに行っただろ。その時、特に珍しくもない家電にも新鮮に驚いていたから、凄い古い家なのかとおもって」

「もしかして、トレーナーさん。失礼ですね……?」

「え、すまない……でも、あの驚き方を見るとちょっとな……」

 

 ボタンが頬を膨らませるのに対し、若旅は謝罪の言葉を口にするが、それでも頭の中にある最新でもないテレビに驚いたり、型落ちのものとして割引されていた電気ケトルに世紀の大発明だとはしゃぐ姿には、若旅よりも10以上歳下の学生である事を踏まえると、不躾にもそう思ってしまう。

 若旅の言葉に不服を申し立てるのか、ボタンは得意げに人差し指をピンと立てる。

 

「トレーナーさんは私を舐め過ぎです。確かに、私の育った環境は少し懐かしい質感かもしれませんが。クリスマスは私が生まれたよりずっと前からちゃんと楽しんでます! 良いですか? クリスマスや年末にはですね、私の家に沢山の親戚が集まって大人はお酒を楽しみ、私達はいつもより少し濃くカルピスを作ってどんちゃん騒ぎなんですよ? それに、お兄ちゃんが毎年チビ達にキャラメルを1粒ずつ配ってくれますけど、私は長女なので2粒も貰えるんです! それで、騒ぎに騒いだ末、夜になったら庭の松の木に飾った電気の飾りへ電気を入れて、キラキラ光る風景を雪見窓に集まって皆て覗き込む、素敵な夜なんですよ!」

 

「クリスマスにキャラメル、カルピスって、大正時代の金持ち?」

「え!?」

「なんかこう、ゲームとか、しないのか?」

「花札にカルタ、双六に将棋。ゲームだったら私の家には基本何でもありますよ?」

「今度は昭和……それに、おばぁの家感が凄い」

 

 楽しげに話すボタンを見つめながら、若旅はボタンの携帯へと送ったメッセージの返信が酷く遅い理由が分かった様な気持ちになった。

 









 とある年のクリスマス。アセビボタンは、懐かしい記憶を思い出しながら目を開ける。あの時は、今と違ってトレーナーである若旅伊吹と二人三脚をしていた。2人共、信頼という意味でも少し距離があったような気がする。
 ボタンが時計へ目を向けると、短針と長針は同じ6を指していた。
 広間の中、集まった皆が今年も楽しく話している音を聞きながら、ボタンはそっと立ち上がると少し離れた自分の部屋まで歩き、昔よりは幾分か使い慣れた携帯のロックを開く。
 約束していたとはいえ、初めて挑戦する事の前に緊張しながら、何回も調べた通りのやり方で、通話を開始する。
 静かな部屋の中、やけに大きく聞こえるコール音が何度か響く。

「……も、もしもし。アセビボタンです。聞こえ、ますか……?」

 間違えていたらどうしようと、恐々声を出すボタンに対し、スピーカーの向こうからは楽しげな声とクラシックの音楽。
 そして、同じく楽しげな声。

「えぇ、聞こえるわ。コンニチハ、ボタン! Happy Christmas!」

 約束していた相手と無事に繋がれた事実に、ボタンは漸く胸を撫で下ろし、同じく「メリークリスマス」と笑った。
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