幻の夢を追いかける華 作:日振
朝。薄暗い空が広がる中、街の中を歩いていた1人の女が何かに気が付き、顔を上げる。徐に掌を持ち上げれば、何処かで驚きに満ちた声が上がる。
同じ街を歩いていた男のコートに模様が生まれる。ウマ娘が何気なく被ったフードに染みが生まれる。
持ち上げた掌の上、皺に沿って小さな水溜まりが生まれていた。
「……雪だ」
普段は騒がしい筈の世の中から音が徐々に奪われていき、小さく脆い声にも関わらず全ての人へ届く程の大きさに感じられた。
北国と違い、水分を含んだ重いそれが量を増し乾燥した地面や木、建造物へ白さと冷たさを足していく。
関東では、珍しくも本格的な雪が降り始めていた。
トレセン学園の一室、コートを着たウマ娘がギュッと飲み口から湯気が立ち上る缶を握る。
「は?」
怪訝そうな顔で、ウマ娘、アセビスズナはアセビボタンから言われた言葉に舌打ちをする。ボタンの方は、眉を下げ「ごめんね」と最初に言った言葉を復唱する。
「別ニ、先輩の所為ジャねぇだろ」
スズナはそれだけを言うと、教室の中に置かれたソファに座ると温もりの残るコーヒーを口にする。
目線の先、消されていないテレビの画面には中止の文字が表示されていた。
「デ、何ガどうして中止なんかに」
「それがね。スーちゃんも気付いてると思うけど、雪が降ってきたから安全の為に」
「あー。雪ねェ」
スズナが先程まで着ていたコートへと目を向ければ、所々色が変わっている。
そして、道中すれ違ったはしゃいでいるウマ娘達の声が頭の中で騒ぎ立てる。
「一応、皆に中止のメッセージは送ったけど、来ちゃうよね」
「ダロウナ。予定なんてないのニ、暇だからと理由ヲ付けて」
「想像出来ちゃうなぁ」
ボタンは苦笑いをしながらスズナの隣に座る。スズナは拳程の距離を横にズレるが、ボタンが気にする事はない。
テレビの画面は切り替わり、別の映像が流れ始めている。
淡々と時間は進み、時計の長針が12の位置を指す。タイミング良く扉が開かれる。
「や、やっぱり! いましたぁ!」
「おーやっぱり、来てみて良かったんだね?」
「ルーちゃん。あったかぽかぽかスープ、持ってきたんですねー?」
「吾は、過去の映像を借りてきました」
耳当て、手袋、マフラー、コート、それぞれの防寒を施したアセビコウロ、アセビロード、アセビルピナス、アセビツバキが続々と教室の中へと足を踏み入れる。
一気に賑わいの増した部屋の中、ボタンはあらあらと口元に手を当てる。
「来なくて良かったのに」
「で、でもぉ! 絶対、皆さん来るって、思いました、思いましたのでぇ!」
「えぇ。同じチームとして過ごした日々のお陰で、思考回路が似てきた様です」
本来なら重賞レースも開催される今日、中継を見ながらレースのあれこれを研究しようと話していた手前、天候の影響を受けてレース自体が白紙となった。その筈なのだが、何かやれる事はあるだろうと全員が予定通りに集まってしまった。
嬉しいやら、申し訳ないやら、反対の感情が混ざり合うもののルピナスから手渡されたスープの美味しさにボタンは頬を緩ませる。
「何もやる事ネェなら帰ルわ」
スズナが立ち上がる。だが、その肩へロードがそっと手を置き、体重をかける。ボスンと音を立て、ソファが沈む。
「ア?」
「そんな事、言わなくて良いんだね? ほら、ツバキが中継がない代わりに映像を持って来てくれたって言うし」
「もう何遍も見た映像ダロ」
「同じ映像でも新しい発見はあるんだね? それに、うらはUNO持ってきたし」
「……意味ガ分からん」
屁理屈だとしても、スズナを逃さんとするロードの口振りにため息を吐き、背もたれに体重を預ける。後ろで「勝った!」と小さい声が聞こえるが、スズナの気持ちとしては歳下の我が儘をしょうがなく飲んだだけで、負けたつもりはなかった。
暖かい部屋の中で更に暖かくなるスープを全員で楽しんだ後、ツバキがDVDディスクをプレーヤーの中へ入れる。キュルキュルと長めの読み込みが終わり、映像が流れ始める。
2000メートルで行われたレース映像。ルピナスは距離が長過ぎると言い、反対に、ロードは距離が短過ぎると言う。ツバキは映像を見ながらボタンに質問し、ボタンから返ってくる返答を小さなノートに書き留めていく。
「み、皆さん坂があるコースを……凄い、です!」
「お前モ場合によってハ走ルだろ」
「で、でも……わたしは基本的に、平坦、真っ直ぐな道です、からぁ」
「それヲ言うならアタシもだ。もうコノ道は走れナイ」
「うぅう〜……」
「いや、何がドウシテそんな顔ニなるんだよ」
「だ、だってぇ! スズナ先輩、凄いウマ娘だったからぁ!」
「ハァ? アタシは凄くねーケド」
「凄いんですぅ!!」
バッと立ち上がったコウロが勢いのままにスズナへ抱き付く。普段のコウロなら出来ない事だが、そんな事には意識が向かっていない状態である今、側から見たら怖いものなしの状態だった。
スズナは勢いに任せ覚束ない語彙ながら必死にスズナの凄さを口にし、スズナはスズナでハイハイと頷く。
ボタン、ルピナス、ロード、ツバキに見つめられている事にも気が付かないまま、コウロが必死にスズナヘの気持ちをマシンガンの様に口にしていれば、新たに扉が開く。
「あ、やっぱりいたな」
「トレーナーさん? トレーナーさんも来ちゃってんですか?」
「おう。どうせいるだろうと思ってな」
「おー、考える事は同じー仲良しさん、ですねー?」
トレーナー、若旅伊吹は後ろ手に扉を閉めると机の上に持っていたレジ袋を置く。何だ何だと好奇心のままに覗きにくるロードがパッと顔を明るくする。
それに釣られ、ルピナスが服の中を覗き同じ様に口角を上げる。
「ナーさん、中々のやり手ですねー」
「お褒めに預かり、光栄です」
2人のやり取りに首を傾げ、ボタンが遅れて袋の中を覗く。
カラフルなお菓子のパッケージが乱雑に入れられた底、お菓子の隙間から美味しいという評判と、平日でも早々に完売御免で有名なケーキ屋のロゴが見えていた。