幻の夢を追いかける華 作:日振
阪神レース場、15時過ぎ。GIIの格付けされた「チューリップ賞」の発走時間が直ぐ側まで迫り、パドックや外のベンチにはレースファンの人やウマ娘達が集まり始めていた。
チューリップ賞は格付けとしてはGIIレースとなっているが、来月に予定されているクラシックの第1戦目、GI「桜花賞」のトライアルレースにも指定されており、注目度も高くなっている。
運が良い事にゴール板の目の前だった指定席に座り、ウィナーズサークル周辺を見下ろしながらポンポーソは場内の売店で購入したスナック菓子と、林檎ジュースを口にしながらレースを見つめる。
「ちょっと貰っても良い?」
「うん。良いよ、イオもさっきマエストロから唐揚げ貰った」
「オタガイサマってやつだ。有難う」
ポンポーソの隣に座ったマエストロと呼ばれ、胸元にトレーナーバッジを付けた男は、差し出された袋の中に手を入れて個包装されたお菓子を何個か掴み上げると机の上に転がせる。
サクサクと音を立てながら咀嚼し、コーヒーで流し込む。個包装のプラスチックに付着していた粉が広げられていたノートの上に落ちる。
「普段は後追いっていうか、モニター越しに見てるけどこうして現地で観戦するのも悪くないよね」
「迫力、あるね?」
「本当に。でも、自分が一番迫力を感じるとしたら、きっとそれはポンちゃんが勝った時だ」
「ポンちゃん……?」
「そう、ポンちゃん。嫌だった? 仲良しアピール的な?」
「嫌じゃないけど、慣れないね。イオは可愛いと、思うよ」
初めて使われた呼び名にポンポーソはむず痒そうにしながら、残り少なくなったスナック菓子へと手を付ける。食べ慣れた味が口の中に広がり、ポンポーソは無意識に口角を上げる。
お菓子を食べレースを見ながら話していれば、チューリップ賞の一つ前、第10レースが決着する。3勝クラスの条件戦は、年が明ける前の12月から月に1度という早いペースで諦めずに出走し続けていたウマ娘が勝利を掴む結果となっていた。順番通りに進めば今回の勝利によって彼女はオープンウマ娘となり、誰もが憧れる重賞レースの舞台へ立つ事が出来る。
ウィナーズサークルで自分事の様に喜ぶトレーナーの姿を見つめながら、ポンポーソはキュッと拳を握る。
「イオも、きっと、あのウマ娘さんと同じ場所に、辿り着いてみせるからね。そして、ノイだって……大きなレース、勝つ」
日本人らしい焦茶色の瞳と、日本人には殆ど見られない鮮やかな青色の瞳。不思議な組み合わせの瞳が、隣に座る男の何の変哲もない揃った明るい茶色の瞳を見る。
変わらないいつも通りの話し方と声色ではあるが、瞳の奥には確固とした強い意志が映り込む。
「勿論だよ。絶対、ポンポーソをあの場所まで……いや、あの場所の更に先まで連れていってみせる」
差し出された手を握れば、強く握り返される。
極々小さな場所から伝わってくる温みと安心感に、ポンポーソの尻尾が布地を「パタン」と叩く。
握手らしく握った手を軽く上下に動かし、離した瞬間、タイミング良く第11Rへと出走するウマ娘達がターフの上へと姿を現し始める。
続々と集まった15人のウマ娘が2コーナー手前に設置されたゲートへと向かって行く。誰もが勝利を目指し、桜花賞に出走する為の優先出走権獲得へと舵を切る。
「始まるよ」
「……うん」
先程の様子から一転、真面目な声で言われポンポーソもまた目線を向こう正面へと固定する。ファンファーレが鳴り響き、ゼッケンを付けたウマ娘達がゲートに入っていき、扉が閉められる。
目の前の扉が開くまでの一瞬、誰かが深呼吸をする。
一斉にゲートの扉が開き、出遅れる事なく15人のウマ娘達が走り出す。桜花賞と同じ1600メートルの距離で行われるチューリップ賞は、時間にして2分にも満たないからこそ一瞬たりとも目を離せない。
先頭を走るウマ娘が3コーナーを回る。平坦とは言えないが、穏やかな上り坂を進み後続への差を広げていく。悠々自適な一人旅に見えるが、1.5%の勾配があるゴール前の上り坂はキツく、最後まで安心する事は出来ない。
「イオなら、この場所で……」
逃げるウマ娘を除き、綺麗な一列となっていた後続の集団が最終コーナーで一つの塊となり、最終直線へと入る。600メートル標識を通過してほんの少し脚の鈍った逃げウマ娘を捉える為に、1人、また1人とスパートをかけ始める。
少し、横に広がったウマ娘達が200メートルの標識を過ぎた瞬間に、ギアを一段、二段上げる。坂に蹄鉄を刻み込み、最後の最後に伝えられる負荷へ歯を食いしばって1秒でも前へ。コンマ1秒でも前へと脚、腕を動かす。
胸の前に「3」の数字を付けたウマ娘が一歩、また一歩、前に出る。徐々に差を広げ2バ身はある様に感じられる差を広げ、優勝を手にする。
優勝の瞬間、誰が優勝するのかと緊張した空気が緩み、ポンポーソ達と同じ空間にいた何人かのファンが前のめりになった身体を背もたれに預ける。
「やっぱり、ゴールの瞬間は息が詰まるね……って、どうした!?」
身体を伸ばしながら隣を向く男の声が変に区切られる。目線の先、映ったポンポーソは両目から静かに涙を流していた。
何かあったのか、それとも目にゴミが入っただけなのか、椅子から立ち上がりポンポーソの側で膝を突く姿を歪んだ視界に映しながら、ポンポーソは両手で目を拭う。
「ちが……違う、よ。た、だ、悔しいな、って」
「悔しい?」
「イオも、あの……場所、いたかった……マエストロを、クラシック……連れて、行きた、かっ、た」
途切れ途切れに言葉を紡ぐポンポーソの頭へ、男の手が置かれる。優しくグラデーションになった髪を撫でる。
「クラシックなら、まだ間に合うよ。ティアラ路線のレースだけでもあと2戦ある。ポンポーソなら、秋華賞に絶対間に合う」
「でも、イオ……脚、弱い、よ」
「それをケアして、レースに送り出すのはこっちの仕事。だから、ポンポーソは何も不安にならず思うままに走って良いんだよ。それに、クラシックは特別な舞台だけど、他にも特別なレースは沢山あるんだから」
「イオ……頑張り、たい。1人でじゃ、なくて……ノイで」
「やっていこう。それで、ポンちゃんの未来を豪華なトロフィーで飾り尽くすんだ」
「うん、うん!」
ガラスの脚で必死に立つポンポーソは涙を拭いながら笑ってみせる。その強さに、男もまた釣られて笑う。
クラシックには変え難い確かな価値がある。でも、それだけが全てではない。
2人は小指を絡め、約束を口にする。
絶対に、華やかで豪華な未来に辿り着くんだと。