「
唐突に誘われた蒸し暑い夏の日、
鋭い眼光を向けられた
「いや、空いている日はある」
さっと頭の中でバイトやバンド練習、ライブなどの予定を思い返し、立希は真面目に答える。だが疑念は晴れない──どうして私を?
つっけどんな調子で問われても、たじろぐことなく海鈴は微かに笑って、立希さんだからですと答える。何それと眉をひそめる彼女だったが、それ以上言及することなく珍しいお誘いに対して承諾。
「では、また後ほど」
サポートしているバンドの下へ向かう海鈴、内心は驚きに満ちている。あっさりと乗ってくれるとは思いもしなかった──どちらかというと一人の時間が好きな上に、比較的にインドア系の気質だから断られるだろう、と。まだまだ自分は彼女のことを知らないのだと改めて思いつつ、一つ知れて良かったと笑みが零れた。
迎えた当日、都内から離れた海水浴場にて彼女たちは集まる。無難なデザインの水着とTシャツ姿の立希、スポーティーな水着の上にパーカーを羽織っている海鈴、そして飛び入り参加者が一人。
「なんで
思わず立希が問う。麦わら帽子とサングラス、淡い黄色を基調としたビキニとパレオ、上から日焼け対策の白いパーカー。アイドルらしい可憐さを持ちつつも、どことなく大人っぽい雰囲気も醸し出している同級生──
「あはは……お邪魔しちゃったかな……?」
鋭利な語調と目つきを向けられれば、肩身は狭くなる。されど立希としては、決してのけ者として扱おうという意図はなく、ただ単純に疑問を正直に口にしただけ。気まずさが漂う中、淡々と海鈴が理由を話す。
「今日はお休みなのだそうで、せっかくだからお誘いしました」
なるほどと頷く立希、とりあえず参加しても大丈夫そうだと安堵する初華。今度は海鈴の瞳が立希を映したまま止まる。流石にじっと見られると気恥ずかしさがあり、彼女は眉根を寄せた。
「何?」
「いえ、意外と普通の水着を着てきたんだなと思いまして」
含みのある言い回しに、立希はさらに目尻を吊り上げて睨む。事あるごとに変人扱いしてくるのだから、今回もきっと変なところを取り上げてくるのだろう。しかし予想の斜め上方向に話は転がる。
「てっきり、この前みたいな大胆なものを──」
「あれは愛音のせいだから!」
以前、水着を新調したいという愛音の付き添い、もとい巻き込まれたそよに道連れにされる形で大型商業施設に訪れたときのこと。何を思ったのか、言い出しっぺが渡してきたのは胸元や脇腹などを大きく露出するデザインのものだったのだ。もちろん断ろうとしたものの、押し負けて断り切れず渋々試着──結果、二人のスマホに収められた挙句、後日グループチャットに載せられたところを海鈴に覗き見されてしまう。
二人は大いに盛り上がり、事情を知らない初華は置いてけぼり。何往復かしたやりとりは立希が投げ出したため、途切れてようやく次の話柄へ。
「っで、何するの?」
「…………」
無言のまま海鈴の双眸は鋭い紫瞳から逃げる。普段は滅多に読めないのだが、今回はどういうことを考えているのか分かり、立希はため息をつく。
「何も考えてなかったってこと?」
「……ええ、何をすればいいのか考えていませんでした」
「あっ、それだったら私からいい?」
初華が挙手して注目を集める。彼女は楽しげな笑みを浮かべながら売店を指さす。
「私、ビーチバレーしたいな」
老若男女が海と砂浜、あるいは海の家を往復する最中、三人は砂浜にて売店で買ってきたビーチボールで遊んでいた。人数が足りないため、初華の望むようなビーチバレーこそできないものの、何回ラリーが続けられるかあるいは誰がボールを落とすのかというシンプルなゲームを楽しむことに。
アイドル業をこなしているだけの豊富な体力と抜群の身体能力を持つ初華、身体能力は群を抜いて高いわけではないが負けず嫌いな一面でカバーする立希、運動量も運動神経も平凡ながらも沈着冷静に見極めてボールを返す海鈴。白熱する三者の争い、しかし決着はあっけなく訪れる。
初華から放たれた強烈なスパイクを立希がレシーブ、高々と上がったボールをチャンスと捉えた海鈴はシュート回転をかけながら打つ。自分から逃げていくボールを何とか片手で上げた初華だが、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。ボールの行方を目で追う立希は勢いを殺せていないまま海に走っていく子どもへ向かっていくのを認める。
まずい、慣れない砂地に足を取られながらも立希は駆けていき、子どもに当たる直前でダイビングキャッチ。誰にも接触しないように己の身を容赦なく砂浜に叩きつけ、ぐえっと呻き声を漏らした。
突然の出来事に子どもは足を止めて、うつ伏せの立希をじっと見つめる。おもむろに顔を上げた立希は、子どもの視線を感じ取っては睥睨しながら口を開く。
「……何?」
恥ずかしさが込み上げて、ついぶっきらぼうな口調になってしまう。当然、子どもは鼻白んで口を噤む。とりあえず怪我はなさそうだと見て取れても、立希はつっけどんな言葉が次から次へと出てきそうで何とか食いしばる。
「そんなに睨んだら、怖がりますよ」
遅れて海鈴たちが歩み寄っていく。初華はかがんで子どもと目線の高さを合わせ、柔和な眼差しで言問う。
「驚かせてごめんね、怪我はなかった?」
子どもがこくりと頷くのを認めると、良かったと微笑みを零す初華。一言、二言やりとりしたあとは子どもは当初の目的地へ向かって走り去っていく。
元気な後ろ姿を見送り、初華は立希とも目を合わせる。椎名さんも大丈夫? 穏やかな目つきで気遣い、手を差し出す。
「とりあえずは」
相変わらず仏頂面で返答し、立希は手を借りることなく立ち上がった。体中についた砂を払い落とすも、苦虫を噛み潰したような表情に。口の中に入り込んだ不快感が収まらない、ビーチボールを海鈴に預け水道でゆすいでくると洗い場へと向かう。
「では一時休戦としましょうか」
海鈴はビーチボールを初華に手渡すと、かき氷を買ってくると言って売店へ。残された彼女は海の家に赴き、三人分の座席を確保して二人の帰りを待った。
数分後、立希は初華を見つけて空いている席に座る。海鈴のことを訊ねると、今かき氷を買いに行っていることを聞く。お金渡しそびれたなと思いながら、ぼんやりとしていると初華がいたずらな笑みを浮かべて話しかけきた。
「さっきの椎名さん、格好良かったよ」
「べ、別に……大したことはして、ない」
気恥ずかしくなって視線をそらす。心なしか頬も赤くなっている気もする、熱いのはきっと今日の気温のせい。
ぎこちない反応を見せる立希を見て、初華は緩やかに笑い声を立てる。さらに口の端を下げて相好を硬くする彼女、さらに弾んだ声は転がった。
「あ、そういえば海鈴ちゃんと仲いいよね」
「ま、まあ……向こうがちょっかいかけてくるだけだけど」
何気なく投げかけられた質問に立希は歯切れ悪く答える。入学当初、他校から来た上に人付き合いが苦手で一人になりがちな自分に声をかけてきたのは彼女だった。今では気の置けない友人だが、第三者から面と向かって言われるとなんとなくむず痒い。
「三角さんも海鈴と仲いいの?」
「うん、ちょっとね」
今度は立希が問い返し、初華は苦笑いを零す。同じバンドに所属しているから、とは言えない。秘密を胸に彼女は笑みを崩さずに言う。
「もしかして意外?」
「まあ確かに意外な組み合わせだなって……」
学校で話している姿は見かけていない、記憶を引き出しながら立希は素っ気なく返す。いや海鈴は物腰丁寧で誰に対しても親切ではあるが適当な距離を取って深入りしないし、初華は芸能活動が忙しいが故に誰かと親しげに話す暇なぞなさそうだからか、二人が仲睦まじく話す様子が想像できないともいうべきか。
そっかと特に気を悪くすることもなく、初華は頷くだけ。話題が尽きて、湿った沈黙が訪れる。穏やかな海風が通り抜ける度に潮の匂いが運ばれていく。
「ねえ椎名さんのこと、立希ちゃんと呼んでいい?」
先に口を開いたのは初華、予想外の質問に驚きつつも立希はまあいいけどと不器用に首肯した。嬉しそうに笑いながら初華は告げる。
「じゃあ立希ちゃんは私のこと、初華って呼んでいいから、ね」
「あ、うん、分かった」
錆びた車輪で走る列車の如く、少しずつ距離を縮める二人。人数分のかき氷を両手に遠くから眺める海鈴の瞳、さざ波のように揺れるも平然を装う。彼女はもっと他者との交流が下手な人間だと思っていたのに、落胆したような──―自分だけの優越感が消えてしまったような──心模様をひた隠し合流した。
海鈴が買ってきたかき氷を堪能したあと、先程中断してしまったビーチバレーを再開し、一進一退の攻防を繰り広げる。誰が勝者なのか、誰が敗者なのかがどうでもよくなったら、人気が少なくなりつつある波打ち際で水をかけ合う。日の一部が水平線へ消えた頃合いには三人は私服に着替え、バスを利用して最寄り駅に向かい、電車に乗って都内に戻っていく。
「立希ちゃん、寝ちゃってるね」
「どうやら徹夜していたそうなので」
三人並んで座った車内、電車の揺れが心地よかったのか、日頃の疲労も相まって立希は寝息を立てていた。普段気を張っていた分、寝顔は穏やかなものであり、海鈴はすかさず撮影して保存する。ついでに初華も写真に収め、立希ちゃんって可愛いねと微笑む。
「もしかして、立希ちゃんって遠足前は眠れないタイプ?」
「いえ曲作りだそうです」
他の理由もあるだろうが作曲していて寝不足ということが多い。ボーカルが書いた言葉の世界観、楽器隊の技量に合わせた音作り、満足の出来になるまで何度も思考錯誤を繰り返す故に夜は簡単に通り越してしまう。おまけに基本的にはどんなことにも手を抜きたがらない性分だからか、勉学もバイトも無理やり両立させようとしている──のだが、身体は正直で大体授業中はわりと寝ている。
「よく知っているね」
「よく聞いていますから」
初華の感嘆を眉一つ微動だにせず淡白に返す海鈴。単純に不器用なだけで誰よりも真っ直ぐな立希、自分にはない愚直さが眩しい。だからこそ、ちょっかいを出したくなるし、信頼が自然と寄っていく。
「本当に海鈴ちゃんは立希ちゃんのこと、好きなんだね」
いたずらっぽく笑いかける初華、思いがけない一言に海鈴は瞼を軽く持ち上げて固まった。珍しい彼女の動揺を目の当たりにして、初華はさらに口元を緩める。
「海鈴ちゃん、立希ちゃんと話しているとき楽しそうに笑ってるよ」
「気のせいですよ」
「でも私の前では見せてないよ」
「そんなことはないと思いますが……」
どことなく拗ねるギターボーカルをなだめながらも、彼女だって幼馴染にしか見せない満面の笑みがあるのにと内心毒気づく。だからといって触れたくない、面倒事が降りかかる──いや触れた瞬間に絶妙に保たれた距離感が崩れてしまうのが怖い。
「私たち、同じバンドなのに遠目でしか知らないよね」
「それでいいではありませんか」
むしろそれ以上踏み込むことはお互いのために良くない。あくまで自分たちはビジネスパートナー、必要以上の接触は余計な不和を生み出すだけ。
「仮面の奥を覗く必要なんてありませんから」
裡に潜む苛立ちが収まらない、だが顔に出すことなく冷静に言葉を継ぐ。だが初華も黙ってはいない。
「怖いんだよね?」
急に鋭く刺され、喉が締まる。真剣な顔つきで彼女は続けて言う。
「本当は立希ちゃんと一緒にバンドしたかったんじゃないの?」
「さあ、どうでしょう」
普段通りの平静とした八幡海鈴を保つために、恐怖から逃げていく。先には全く起きる気配のない立希の寝顔──自然と眉尻が下がっていた。
「彼女は誘わないつもりでしょうから」
発語した途端、なんとなく寂しさを強く覚えるも海鈴は誤魔化すために口を硬く結ぶ。初華も言及することなく閉ざす。最後に残ったのは冷え切った沈黙だけだった。