去年の冬頃に友人のヘルプで参加したメイショウドトウ合同誌に寄稿した作品。主催の関係者にネット公開しても良いのか話を聞いた所、「していいと思う」と返事があったので投稿。同名のタイトルがハーメルンにあると気付いたのは、寄稿した直後の事でした。

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牧場暮らしのドットさん

 青々とした芝を走る感覚は、現役を退いた今もなお想起する。

 夢に見るのは某年六月第三週にて、阪神レース場で開催された春のグランプリ宝塚記念。五度挑んで五度負けた宿敵との対決だった。既に格付けは済んでいたけども、それでも諦め切れなかった勝利の栄光。彼女がゴール板を横切る度に、やっぱり凄いなあ、と憧憬した彼女の背中。その眼差しに羨望が混じるようになったのは何時からか。たぶん最初からだった。本格化するのが他のウマ娘よりも遅かった私はメイクデビューを一年遅らせる選択もあった、だけど私は彼女の背中に憧れたから同じ年にデビューした。

 凌ぎを削った五度のレース。君に勝ちたい、と願ったのは星の数ほど。憧れたから貴女に勝ちたかった。

 レースの内容は、覚えていない事が多かった。あれこれと考えていたような気もするけども、必死だった、兎も角、必死で走っていた。開け放たれた鉄扉の向こう側へと足を踏み出して、曲がって、直線に入り、また曲がって、最後のコーナーを走り抜けた時、視界には他の誰も映らない開けた景色があった。先頭、先頭だ。五度の敗北を超えた六度目の挑戦で、やっと掴んだ最大の好機。だけど私は知っている。彼女は必ず追い上げて来る。私は知っている、彼女が魅せる末脚が規格外であることを私は知っていた。絶体絶命の窮地において、誰もが諦める絶望の中でも彼女は必ずやって来る。

 だから私は彼女に憧れたのだと、執念を燃やして突っ走る。

 貴女に憧れて貴女を追いかけ続けたトゥインクル・シリーズ。貴女と出会えて、貴女と共に走れて、本当に良かった。

 彼女と共に過ごした時間が今の私が象っている。

 

 

 六月下旬。早朝、頬に伝わるネコパンチで目を醒ます。

 まだ重たい瞼をゆっくりと開ければ、すぐ隣で腰を降ろす茶トラ柄の猫が私を見下ろしている。彼は私が起きたのを確認すると、ぴょんとベッドの上から飛び降りた。窓の外は薄暗い、地平線から太陽が顔を出した頃合いだ。猫の彼がカリカリと部屋の扉を引っ掻くので、眠気の残る身体を起こして取っ手を回す。開いた猫一匹分の隙間からするりと外に出るのを見送り、私も私で身支度を整えるべく彼の後を追いかける。

 大きな欠伸を零し、共用の台所まで足を運ぶと私を起こした猫がコンコンと自分のフードボウルを前足で突いていた。

 背伸びして、吊戸棚からキャットフードの入った袋を取り出し、彼のフードボウルにカリカリを注いだ。彼は一瞥もせず、カリカリに噛り付いた。今日も食欲がある元気の良い姿を見て、ほっこりと口角を上げる。袋は戸棚に戻し、冷凍庫からカチコチの食パンを取り出す。電子レンジに入れて、タイマーをセット。焼き上がるまでの間、なんとなしにテレビを点ける。丁度、ニュース番組が放映されていた。冷蔵庫から山羊乳を取り出し、コップに注いだ。出来上がったトーストには、たっぷりの林檎ジャムに蜂蜜をかける。椅子に座り、出来立てのトーストを齧る。

 暫しニュースを眺めていると先日、開催された宝塚記念の映像が流される。

 昨年まで、天才少女と呼ばれたウマ娘が人気投票で一位を取り、そのまま優勝を勝ち取った。強い勝ち方だった、私達の世代で天才といえばトウカイテイオーの事をいうのだけど、今の時代ではもう彼女は天才と呼ぶよりも帝王の方が親しみ深いのかも知れない。六度にも及ぶ激戦の果て、私が宝塚記念を勝ち取ったのも今は昔、時代の流れを肌身に感じ取る。

 しんみりとした気持ちになっていると廊下の向こう側からウマ娘が姿を現す。

「オウ……ドトウ、グッモーニンデース……」

 寝癖で跳ねた栗色の髪、彼女はまだ眠たそうな目を擦っている。

「タイキさん、おはようございますぅ」

 挨拶を返す。彼女は大きな欠伸を零し、キッチンに置いてあるバナナを手に取る。テレビ画面は、レース映像からニュースのスタジオに戻された。ゲスト席に座るのは、テイエムオペラオーとキタサンブラックの二人。今もドリーム・トロフィー・リーグで活躍を続けるキタサンブラックは、天才少女の師として知られる。二人が宝塚記念の感想を述べた後、オペラオーさんが高笑いと共に年末に開催される新レースの告知を始めた。それはURAファイナルズの再開であり、現役を退いてなおもウマ娘レース全体のことを考えているオペラオーさんに「凄いなあ」と尊敬の眼差しを向ける。そんな私に、隣の席に座ったタイキさんが「ドトウはどうするのデス?」とバナナを片手に問い掛けた。

「う~ん、私は、もう良いでしょうか~?」

 少しの逡巡、私は曖昧に笑ってそう答えた。

 

 現役を引退した私、メイショウドトウは今、北海道にあるとある牧場で働いています。

 オーバーオールの作業着に袖を通し、めえめえと腹を空かせた山羊達に朝御飯を与える。檻の隙間から首を伸ばし、外に置かれた餌箱に顔を突っ込んだ。もぐもぐと食欲旺盛な様子を眺めて、今日も山羊の皆さんは元気一杯です、と頭の中で花丸を付ける。昔からこの牧場で働いている姉妹のウマ娘が搾乳器の準備を始めたので、私は先に放牧地の点検に向かった。この試される大地では、稀に野生動物の被害が出る。そうでなくても山羊に有害な野草なんかが生えている事があるので、見つけ次第、根っこから抜き取るのも大事なお役目であった。朝のお勤めを終えた山羊さんは、放牧地に移動する。私が連れ出す時は何時も山羊さんに囲まれるのだけど、タイキさんが連れ出す時は後ろから追い立てる形になる。身体を擦られてボロボロの私とは対照的に綺麗な作業着姿のタイキさんにコツを伺うと「ドトウは舐められ過ぎデス」と言われてしまった。なので威厳を出す為に凛々しい顔で仕事に臨んだ、何時も変わらずボロボロになった。山羊の中心で固まる私に向けて、スマホを構える同僚の葦毛ちゃん。後日、タイトルでウマスタに投稿されてバズッてました。コメント欄では山羊の皆さんを従える凛々しい佇まいに山羊の王と讃えられています、照れちゃいます。

 絞った山羊乳は、ウマ娘の力でトラックに積み込んで、工房まで葦毛ちゃんが運んでくれます。

 

 とある牧場では、山羊の飼育の他に農作物も取り扱っている。

 山羊乳を載せたトラックが出発するのを見届けた後、私達は畑に移動して力仕事を手伝う事がある。作物の収穫時は私達ウマ娘の出番というもので大量の野菜が入った箱を両肩に担いで、これもまた道路脇に停めてあるトラックに運び入れる。此処で採れる野菜の大半は、門別トレセン学園に卸される。また余った土地を利用した芝生の生産も行っており、これもまた門別トレセン学園のトレーニングコースで使われている。

 この牧場の規模は、決して大きい訳でないが、現役のウマ娘との距離は近かった。

 昼飯時、山羊の放牧地に戻る道中、畑の手伝いに行った時に貰った人参スティックをポリポリと齧る。甘くて美味しい、それでいて栄養満点。生でも何本でも食べられる、マヨネーズがあればごはん三倍はいける。しかし始まりあるものには終わりがある。紙コップに詰め込まれた人参スティックを絶え間なく齧り続けていると、ふと気付いた時には消えてなくなってしまった。隣を歩くは同じ屋根の下で暮らす同僚のタイキさん、彼女もまたポリポリと人参を齧っている。その手に持った紙コップには、まだ半分以上も残っていた。

 じっと彼女の横顔を見つめる。その私の視線に気付いたのか、タイキさんは私から一歩距離を取った。

「……あげまセーン」

 私は首を傾げてみせる。

 かーらーのー? と粘り続けるも結局、タイキさんが人参を分けてくれることはなかった。

 

 

 大量の食材を載せた軽トラックを走らせる。

 同僚の姉妹ウマ娘の妹の方を助手席に門別トレセン学園の駐車場にトラックを停めて、野菜の入った箱を降ろす。地方であっても何百人とウマ娘を抱えるトレセン学園は、常に大量の食材を求めている。妹ちゃんが学園側の責任者と話をした後、荷物運びを手伝ってくれた。台所に運び込まれた野菜は、数を確認した後、すぐ夕食で使う為に下拵えが始められる。地方であってもトレセン学園の食堂は戦場のようで、ワタシは妹ちゃんと苦笑し、軽く頭を下げてから台所を後にした。

 トラックに乗り込もうとした時に「すみません!」と二人のウマ娘に声を掛けられる。

 学園指定のジャージ姿に、あどけなさの残る顔。門別トレセン学園の生徒と思しき二人は、頬を赤らめていた。期待に満ちた目で色紙とペンを手に持っているのを確認し、運転席に座る妹ちゃんに目配せを送る。妹ちゃんが小さく頷いてくれたので、色紙とペンを受け取り、サラサラッとサインを書いてあげた。最後に軽くハグをした後、助手席に乗り込んだ。帰りの運転は同僚に任せている。

 窓から外を眺めているとトレーニングコースが視界に映った。

 コースの上を走るウマ娘の姿に目を細める。

「また走りたくなった?」

 妹ちゃんに問われて、笑みを深める。

 良い芝生を見て、駆け出したくなるのはウマ娘の性である。

 しかし、それだけだ。

「モウ現役は懲り懲りデスヨ」

 今のワタシには、もう現役時代に持っていた熱意はない。

 苦しいトレーニングを積んでまでして、もう一度、あの舞台に立ちたいとは思えなかった。

 URAファイナルズの再開も、今となっては他人事である。

 

 

 URAファイナルズが廃止となった最大の理由は、ウマ娘に掛かる負担にある。

 短期間で予選から決勝までの三連戦は、トゥインクル・シリーズやドリーム・トロフィー・リーグを走るウマ娘のスケジュールに多大な影響を与えるし、怪我のリスクも大きかった。ドリーム・トロフィー・リーグ主催の春レースは人気が低迷し、トゥインクル・シリーズではURAファイナルズを機に引退するウマ娘が相次ぐ結果となる。ウマ娘レース全体の人気低迷にも繋がり、企画主である秋川やよいは止む無くURAファイナルズの廃止へと踏み切った。

 しかしURAファイナルズが世間的にも好評だったのは事実だ。

 世代も立場も関係なく皆が等しく参加できるレースは、トゥインクル・シリーズの殺伐とした雰囲気とは違った年に一度のお祭り騒ぎとしてウマ娘ファンに受け入れられていた。URAファイナルズを廃止した後、メディア主催のトゥインクルスタークライマックスが開催されるも同様の理由で廃止となり、VRウマレーターを用いたVRソフト「メガドリームサポーター」で開催されるグランドマスターズが世代を超えた夢の最強決定戦としての地位に収まっている。

「違うのだっ!」

 昨年の夏、URA本部の会長室に永遠の美少女こと秋川元中央トレセン学園理事長、現URA会長の声が木霊する。

「確かにVRウマレーターは優れた機械ではあるのだが、現実ではないのだ! 決してeスポーツをバカにしている訳ではないぞ? VRウマレーターはあくまでも優れたシミュレーターであって、ゲームでないのだからな! どれだけリアリティを追求しようとも現実とは違うのだ! トレーニング用の機材としては優れていても、あくまでもそれはシミュレートした結果でしかないのだ!!」

 従って、と秋川会長は愛用の扇子で自らの手を叩いた。

「URAファイナルズの復活を宣言する!」

 そんな会長の突発的な発案に頭を抱えるのは、会長秘書の駿川たづなである。

 しかし駿川とて、会長の言わんとすることは理解していた。それどころか心情的には、会長の意見に同意すらしている。神と評されたウマ娘の誕生から皇帝の旅路、アイドルウマ娘の復活。そして帝王の奇跡を見届けて来た。これはただの精神論。ウマ娘が凌ぎを削り、魂を燃やし尽くせる場所はターフの上でしかないと心の奥底で考えている。観客すらも呑み込む圧倒的な熱量はシミュレーターでは生じないと彼女は信仰していた。

 だが、それは、ウマ娘の負担を度外視した時の話である。

「分かっておる。流石に毎年開催では、負担も影響も大きからな」

 会長は、しかと頷いてみせる。

「来年、開催予定のWBCの特集を見ている時にピンと来た。毎年開催が難しいのであれば、WBCと同じ三年に一度。もしくはオリンピックと同じ四年に一度であれば、ウマ娘の負担も、トゥインクル・シリーズやドリーム・トロフィー・リーグへの影響も軽減できるのではないかとな!」

 それは単なる思い付きであった。何時も会長の暴走、しかし駿川は熟慮する。

 URAファイナルズの復活を希望する声は少なくない。当時のレースは今でもウマ娘ファンの間で語り草になっており、現役ウマ娘からの要望も届いている。しかしウマ娘に掛かる負担を無視することはできないし、あくまでもウマ娘レースのメインはトゥインクル・シリーズとドリーム・トロフィー・リーグなのだ。同シリーズ、同リーグの衰退は、日本のウマ娘レースの衰退に直結する。

 だが、それも三年に一度、もしくは四年に一度の頻度であれば、耐え得るかも知れない。

 日本のウマ娘レースを盛り立てるというURAファイナルズが持つ本来の趣旨。そして何よりも一ウマ娘ファンとして、夢の第11レースが見たいと思わない人間が居るはずがないのだ。

 故に駿川たづなは、秋川やよいの夢に乗ることを決断する。

 

 

 私、メイショウドトウは放牧地の中心で佇んでいる。

 地面に撒いた飼餌に山羊が群がり、囲まれてしまった私は押し退ける事も出来ずに立ち尽くしていた。今は正午、太陽が最も高い時間帯、お腹の虫が鳴く昼飯時である。元気よく飼餌を頬張る山羊の姿。そんなに美味しいのかと身を屈めてみれば、丁度、顔を上げた山羊の頭が私の顎をかち上げた。涙目で顎を撫でる。タイキさんが飼餌を撒く時は碌に近寄らず道すら開けるというのに、私の時は遠慮がない。このまま身動きも取れず、昼食の時間が過ぎるのを指を待ち続けるしかないのでしょうか。そんな感じで悲嘆に暮れていると柵の向こう側から「はっはっはっ!」と懐かしさすら覚える高笑いが聞こえて来た。

 振り返れば、栗色の髪をしたウマ娘がスーツ姿でサングラスを掛けている。

「山羊の王という話は聞いていたけども、まさかキミに仁君の才があったとはね」

 私が誰よりも尊敬するウマ娘の気障なポーズに、私は破顔する。

「オペラオーさん!」

 ずいっと山羊を押し退けて、彼女の傍まで駆け寄った。

「ドトウ、キミに話があって来た!」

 サングラスを外し、昔と変わらない自信たっぷりのキラキラな笑顔で手を差し伸べる。

 にへらと笑って、話の先を促す。彼女は小首を傾げて、口を開いた。

「URAファイナルズの話は勿論、キミも聞いているだろう?」

「はい、聞いています」

「そこでボクの悠久の好敵手であるキミが、どの距離に登録するつもりなのか話を聞きに来たんだ!」

 距離適性で考えれば、中距離か長距離。しかし年を考えればマイルも一興か。と彼女の矢継ぎ早に伝える言葉に少し申し訳なく思いながらも耳を傾ける。

「どうしたんだい?」と黙り込んだ私に彼女が問い掛ける。

 現役時代の私なら、迷いながらも彼女から差し出された手は全て受け取っていた。

 だけど、今の私はもうアスリートではない。

「私は参加するつもりはありません」

 私にしては、驚くほどにはっきりとした意思表示。

 ふむ、と彼女は私の目を覗き込んだ。仕方ない、と首を横に振る。

「昔と違うんだ、キミにはキミの生き様がある」

 此処に来たのはほんのついでだったんだ。と彼女は、はにかんでみせた。

 その笑顔が、やけに寂しそうに感じられたのは気のせいか。

 めえ、と山羊が鳴いた。頭で背中を小突かれる。

 背後を振り返れば、もう地面に撒いた飼餌を食べ切ってしまったようだ。

「それでは、今日はこれで失礼するよ」

「え? もうですか?」

「また時間が空いた時に来ようかな」

 そう言って彼女は高笑いと共に牧場を後にした。

 職員用の休憩室で少し遅れた昼食を摂る。なんとなしにテレビの電源を入れた、来春公開の映画のCMが流れる。オペラオーさんも助演として参加しているようだ。彼女は手広く仕事を熟す。自前の歌劇団で定期公演をしている他、映画俳優としても活躍し、ウマ娘ライブの企画や演出を担当する事もあった。トゥインクル・シリーズに関わる番組にゲスト出演することも少なくない。テレビのCMでも顔を見る事が多く、国民的アイドルとしての地位を確立しつつある。今の日本に生きている人間で彼女の顔を見た事がない人間は、ほとんどいないはずだ。

 数ヶ月後、紅葉が枯れて落ちる時期、URAファイナルズの出走者一覧がネット上に公開される。

 そこにテイエムオペラオーの名前はなかった。

 

 

 立て続けの台風で日本の農作物は大打撃を受けてしまった。

 それは勿論、ウマ娘レースにも使われる芝生にも多大な影響を与える。でもまあ危急の事態に備えて、余剰分の生産を行っているのでトゥインクル・シリーズとドリーム・トロフィー・リーグの開催分だけは辛うじて確保できていた。だがそれはあくまでも例年分の補填であり、例年にはないレース。即ち来年開催のURAファイナルズに使われる分の芝生までは確保できていなかった。しかし、この事態を想定していた秋川会長は、即座に自前の大農園の一角を潰して芝生の生産に着手する。「斯様な事態は、前にも経験した事がある」と彼女は告げて、外部の手も借りた総動員でURAファイナルズの開催に向けて動き出す。

 様々な機会を経験し、克服した秋川会長に死角なんてあるはずもなし。なんとか水際で堪えていた。

 そんなことが起きているなどと露知らず、とある牧場では秋野菜の収穫に追われている。メイショウドトウの頭の上には、猫が乗っかっている事が多く、時折、タイキシャトルの頭の上にも乗っかっていた。二人が家で飼っている猫は、廃屋と化していた小屋に住み着いていた先輩猫だった。猫はMETOと名付けられて、そのまま二人の手で飼われる。放し飼いにされていた猫は、次第に二人の後を付ける事が多くなり、気付いた時には牧場まで付いて来るようになっていた。とある牧場に住み着いた鼠を狩ってくれるので従業員からの評判も良かった。そうしてMETOは、とある牧場の名物猫として知れ渡る。最初はメイショウドトウとタイキシャトルが飼っている牧場猫として知られていたが、今や二人のGⅠウマ娘を押し退けて、彼を主役の写真集が販売されてしまった。METOは下手なウマ娘よりもアイドルしてる牧場猫である。

 そんなMETOも寒波が近付けば、暖房の利いたダイビングキッチンでメイショウドトウかタイキシャトルの膝の上で丸くなる。

 秋の収穫を乗り越えて、冬支度を終えた今は山羊の世話ばかりが仕事になる。この時期になると牧場に足を運ぶ従業員も少なくなり、閑散とした雰囲気が漂い始める。まだ雪も降り積もっていないので除雪に手を焼かれる事もなく、他の時期と比べて幾分か落ち付いた日常を過ごすことができた。

 URAファイナルズの開催危機の情報がメディアに流れるのを眺めながら、二人と一匹は暖と取る。

 そんな折、秋川会長から二人に連絡が入った。

 

 

『久闊ッ!』

 その久し振りに聞いた威勢の良い切り口に懐かしかった。

 懇願、と切り込んだ彼女は『しかし、話を聞いて貰う前に確認しておきたい事がある』と話を続ける。彼女が先ず最初に聞いたのは、私のURAファイナルズ参加する意志の有無だ。私の隣では、タイキさんが何故かむすっとした顔で聞き耳を立てている。おどおどとした態度で参加の意志がない事を伝えれば『残念だ』と彼女が零す。隣で話を聞いていたタイキさんは、何故か満足げに頷いていた。

 此処までは本題ではない、秋川元理事長が話を切り出す。

『懇願ッ! メイショウドトウ、タイキシャトルの二人を短期スタッフとして是非とも雇い入れたい!』

 それが不参加を決めた私達がURAファイナルズに関わる始まりの言葉だった。

 話を要約する。芝生の収穫の経験を持つ短期で雇えるスタッフを求めていたURAファイナルズは、伝手を頼って各地に協力を要請している。その過程で雪が積もる北海道では、冬場の仕事が少ないことを思い出した。また欧州がそうであったように北海道では、冬場のレースが開催されない事に気付いた秋川理事長は今、北海道のレース場とトレセン学園の関係者に片っ端から当たっていた。その過程で自分達にも話が回って来る。尤も最強マイラーであるタイキシャトルの動向は、元理事長も把握していたようで比較的早い段階で連絡したようだった。

 私は返事を一度、保留し、他の従業員と相談してから決める事にする。

 その翌日、私達は短期スタッフで働くことを承諾した。

 

 北海道に雪が積もり始める頃、私達は本州にある秋川元理事長の運営する畑まで足を運んでいた。

 秋川元理事長は、今のURA会長である。彼女はURA会長の推薦を受けた後、中央トレセン学園理事長の座を樫本理子に引き継いだ。だから彼女を呼ぶ時は会長と呼ぶのが正しいのだけど、それだと違和感がある。突飛な行動で色々と問題を起こす彼女ではあったのだけど、周りを巻き込みながら前に突き進む行動力は誰にも真似できるものではないし、なんだかんだで学園を良い方向に引っ張っていたので皆からは慕われていた。私も彼女の事を慕っていたし、理事長としての彼女ばかりを見て来たので頭の中では元理事長と呼んでいる。

 此処での主な私の仕事は、芝生の手入れだ。

 北海道から連れて来たMETOを頭に乗せて、サッチ取りに除草を精を出す。行道を走る自動車と遜色ない速度で走るウマ娘が走るレース、ちょっとしたことでも大事故に繋がり兼ねないので丁寧な仕事が求められる。安全管理に不慣れだとか、新人だとかの言い訳は通用しないのだ。実際、皇帝のシンボリルドルフは芝生の窪みに足を取られて怪我をしてしまっている。

 部屋はURAの社員寮の一室を借りている。

 ペットに理解のある秋川元理事長の計らいでペット可の部屋、タイキさんとも相室だ。家に戻って来た私は、押し入れに詰め込んだ段ボールから猫缶を取り出す、猫愛好家としても知られる理事長からの贈り物だ。賞味期限切れの在庫たっぷりなおいしい猫缶。中央トレセン学園に在籍していた時、何故か売店で売られていた猫缶と同じものである。あの売店には時折、変なものが売られている。にんじんBBQセットなんてものも販売されており、タイキさんがバーベキューをする時に買っていた。後は罰ゲーム用になっていたロイヤルビタージュースとか、メジロマックイーンがトレーナーに内緒で購入していたプレーンカップケーキとか、今にして思うと随分と謎なラインナップである。

 仕事で疲れたのかベッドで仰向けになるタイキさんを横目に私はにんじんスナックの袋を開けた。

 そう、おやつである。おやつタイムは終わらないのだ。

 

 

 ジャパンカップを終えた翌週、嘗ての天才少女がドリーム・トロフィー・リーグへの移籍を宣言する。

 有マ記念には出走せず、年始開催のURAファイナルズの出走を優先した。海外でも勝利を勝ち取った現役最強ウマ娘と名高い彼女の参戦により、URAファイナルズは中止する前以上の盛り上がりを見せる。彼女と共にレースが走りたいと現役を引退したはずの皇帝や帝王、規格外の怪物が現役時代と大差ないトレーニングで自分を追い込んでいるという話も聞いた。彼女の師であるキタサンブラックは、得意の長距離から中距離に距離を変えて参戦する程だ。実際、天才少女がドリーム・トロフィー・リーグに参戦したのは、己の師である嘗ての最強にまだ力が残っている間に挑戦したかったことにあるようだ。テレビ番組で、そんな感じの事を言っていた。

 そして、そんな最強と呼ばれたウマ娘が競い合う頂上決戦の場に、歴代最強ウマ娘の一角を担うテイエムオペラオーの名前もあって然るべきなのだ。

 しかしウマ娘ファンの期待に反し、テイエムオペラオーは最後まで夢のレースに出走を表明することはなかった。

 

 

 十二月中旬。アグネスデジタルが、とある葦毛のウマ娘とレースをする為に涙を飲んでダートでの参戦を表明する。

 URAファイナルズで最も競争率が高いと謂われる中距離路線、出走ウマ娘は360名。予選突破の条件は掲示板内、準決勝は3着以内。決勝戦は18名のウマ娘が一堂に会することになる。そんな中距離路線の予選第1レースの出走表にサイレンススズカとツインターボ、そして今年のサウジカップで先頭を駆け抜けた世界の逃げウマ娘の名前が並んだことで話題を呼んだ。勝敗予想だけではなく、道中で誰が先頭に立つかでも盛り上がる稀有なレースになっている。

 決勝戦を終えた後に開催するウイニングライブの舞台監督を務めるのは、あのグランドライブを復活させたライトハローを起用した。またかつての世紀末覇者であり、今をときめく歌劇王ことテイエムオペラオーも全面的な協力を申し出ており、彼女が自前で用意した劇団が舞台スタッフとして参加している。

 万全の態勢で進められるURAファイナルズ、問題が起きたのは十二月の末。芝生を載せたトラックが道中で転倒してしまった。

 その日は特別に寒かった。

 昨晩、好奇心旺盛な子供が氷の水溜まりを作ろうと撒いた水が路面を凍らせる。それだけならば、まだ問題にはならなかった。輸送に用いられたのが秋川元理事長が自前で用意したトラック、此処に問題の大元が存在する。芝生の生産に使った秋川元理事長の畑は営利目的で使われておらず、慈善事業に近い性質を持っている。そして今回、大量の芝生をレース場に輸送する必要が出た為、普段は使っていないトラックまで持ち出したのだ。これがいけなかった。タイヤが摩耗しているのも気付かないまま、大量の芝生を載せたトラックは氷を張った水溜まりにタイヤを取られてしまった。この事故による負傷者は出なかった、しかしトラックが転倒してしまったので芝生をレース場まで運び入れる事が出来なくなってしまった。他にも芝生を輸送するトラックはある。しかし元理事長が用意できた芝生の量は、大会を開催できるぎりぎりだった。トラック一台分も無駄には出来ないという貧乏運営で成り立っている。

 幸いにも事故による怪我人は出なかった。

 建造物にも被害はなく、運転手に軽い打ち身が見られる程度。事故を起こしたトラックの前を走っていたトラックの助手席に乗っていた私は、とりあえず無事な方のトラックは先に行ってもらって私は現場に残る事にする。運転席から運転手を助け出した後は、警察と救急車、あとURAに連絡を入れて立ち往生となった。

 灰色の空模様。寒いですぅ、とかじかんだ手に息を吹きかけて温める。

「ドトウ!」

 もう雪も降るんじゃないかという寒空の下に現れたのは、防寒具で全身を包んだオペラオーさんの姿だった。

 高級そうな靴も気にも留めず、彼女は現場まで息を切らして駆け付けてくれたのだ。彼女は私と運転手が無事なことを確認し、安堵の息を零す。それからトラックの惨状を見て「困った事になったね」と肩を竦めてみせる。

 此処からレース場まで結構な距離がある。

 時間に余裕を持って出発したけども、それは事故が起こらないことが前提の設定だった。そして元理事長が自前で用意できるトラックは全て出払っている状態だ。今から他のトラックを用意するにしても予定に間に合わないのは目に見えていた。何よりも、このまま荷物を放置していては芝生の方が駄目になる。まあ尤も、これだけ派手に転倒してしまったので、どれだけ無事な芝生が残っているのかって問題も付き纏ったりする。

 結局、立ち往生するしかない私達に、また遠くからガラガラという音と共に近付いて来た。

「はい、お助けキタちゃんです!」

 何処から話を聞き付けたのかキタサンブラックが大型のリヤカーを引っ張って来た。

 商店街から借りて来たようだ。「さあ荷物を載せてください!」と急かすキタさんにオペラオーさんは少し考え込む仕草を見せる。

「ありがたくリヤカーだけ頂戴するよ」

 オペラオーさんがキタさんにリアカーのハンドル部分から出るように指示を出す。

「いいえ、私の方が頑丈ですし力持ちです! 私が運びます!」

 ドンと自らの胸を叩いたキタさんに、オペラオーさんは分かりやすく溜息を零してみせる。

「キミの走りを披露する舞台は、ここにはないよ」

「いいえ、私は冬山に荷物を届けることもして来ました。こういう時は私が適任です!」

「まあキミが適任なのは否定しない」

 オペラオーさんは、近場にあった自販機に千円札を入れる。

「だけどキミはレースの出走者だ。キミの走りを期待するファンが居て、キミにはまだレースに懸ける想いがあるはずだ。皆の想いを成し遂げる為にボク達は努力してきた」

「ですが……!」

「ふむ、そうだね」

 ピッと自販機のボタンを押した。ガタンと商品の落ちる音、取り出し口から缶を取り出した。

「キミには、この言い方が良いのだろうね。あまりボク達の仕事を取らないで欲しい」

 リヤカーは助かったよ、と彼女はキタさんに先程買ったばかりの缶ジュースを放り投げる。 

 ラベルを見るにおしるこのようだ。

 受け取ったキタさんは心配そうな顔で私達を見つめていたけども、私はキュッと口元を引き締めて彼女に伝える。

「私はレースが好きです、今も……楽しみ方は変わっちゃいましたけど……だけど、好きです。レースで走る皆さんを見るのが大好きなんです」

 だから、と笑いかける。

「行ってください、ここは大丈夫です。リヤカーを持って来てくれてありがとうございます」

 そう言って頭を下げる。

 キタさんの瞳には迷いがあった、この場から離れて良いのか考えていた。

 だけど彼女は受け取った缶ジュースを手に力強く頷いた。

「わかりました! お祭りキタちゃん、期待していてください!」

 彼女もまた大きく頭を下げて、何処ぞへと駆け出していった。

 まだ現役で走り続ける彼女の背中を眺めていると「ドトウ!」と声を掛けられた。

 放り投げられた缶ジュース。おしるこのラベルが貼られた缶を両手で受け止める。

「見ない内に随分と頼りになるようになったもんだ」

 オペラオーさんは嬉しそうに、そして少し寂しそうにはにかんだ。

 

 リヤカーに積み込めるだけの荷物を積み込んだ。

 ヒトじゃ到底、動かせない量の荷物もウマ娘の膂力があれば引っ張れる。

 高く積み上げた荷物を落とさないように安全運転で公道を直走る。

 途中、雪が降って来た。

 オペラオーさんと交代で走り、今は彼女が荷物を引っ張っている。

 私は、休憩も兼ねて荷車に乗っていた。

「ぐぺっ!」

 足を滑らせた彼女が、頭から地面に倒れた。

 怪我はしなかったようで直ぐに起き上がった、だけど高級そうな衣服が汚れてしまった。

 ばっちりと決めた髪も乱れている。

 だけど、それでも彼女は前に進む意志を欠片も萎えさせなかった。

 レース場に向けて、ただただ走り続ける。

「なんでも良かったんだ」

 不意に彼女が告げる。

「ボクにはもうレースに懸ける想いがない。ターフの上でボクに出来ることはやりきった自覚がある」

 赤信号、長くレースから離れた彼女は息を切らしていた。

 首に巻いたマフラーを私に投げつけて、服の裾で汗を拭い取る。

 代わろうか、と問うか悩んだ。それは野暮だと考え直した。

「だからボクがターフを走るとすれば、趣味以上には成り得ないんだ」

 彼女が後ろを振り返る、乱れたメイクで笑顔を浮かべていた。

「キミと走る。それ以上の理由がボクには見いだせなかった」

 信号が青に変わる。

 もう少し頑張ろうか、と彼女が足に力を込めた。

 走る彼女の背中で風を受ける。私は、頬が緩むのを堪え切れずにいた。

 嬉しかった、他の誰でもないオペラオーさんだから嬉しかった。

 私には、もうレースに懸ける想いはない。

 だけどオペラオーさんとなら、もう一度、走りたいなって思った。

 何処でも良い、レースって形式でなくても良い。

 ただ共に走りたい、それだけで良かった。

「URAファイナルズに参加できなかったウマ娘達だけで走る草レースが近場で行われるみたいなんです」

「ふむ、それで?」

「もしよろしければ、一緒に走りませんか?」

「ボクと、キミで?」

「駄目でしょうか?」

 おずおずと問い掛けると彼女は走りながら大きな高笑いを上げる。

「はーっはっはっはっ! 流石にそれは不味いだろう!!」

「えっ? 駄目ですか? えっとタイキさんも誘いましょうか?」

「それはもっと不味いことになるんじゃないかな!?」

 だけど、まあ。と彼女は続ける。

「折角の好敵手からの誘いだ。受けようじゃないか!」

 寒空の下、オペラオーさんが笑い声がよく響いた。

 

 

 芝生は無事にレース場に送り届けた。

 その甲斐もあってかURAファイナルズは滞りなく進行する。

 途中で何度か発生した問題も、ハプニング慣れした運営陣では大した問題になり得なかった。

 そして夢の第11レース。無双の閃光がトップを駆け抜けた。

 

 大会を終えた後、早々に打ち上げを抜け出した私達は草レース場に向かった。

 URAファイナルズに出走しなかったウマ娘が多く集まっている。イクノディクタスにゴールドシチー、マンハッタンカフェ、アグネスタキオンに加えてファインモーションも参加している。メジロアルダンにツルマルツヨシ。ハルウララが居て、キングヘイローも居た。余りにも豪華過ぎる面子に周囲のウマ娘が萎縮してしまっている。ちょっとした騒動にもなっているウマ娘の中心には、タイキシャトルの姿がある。彼女は、私の姿を確認すると手を振りながら満面の笑顔で駆け寄って来た。その光景を見て、今日の情報を流したのが彼女だと察した。

 後にURAからお気持ちという名のお叱りを受けたけど、その夜はとっても楽しかった。


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