あれ程までにカンカン照りだったと言うのに、梅雨に入ったからか雨雲模様で曇天だ。
そうなると必然的に光源が弱くなるので、肌寒さを解消するためにもリビングにスウェーデントーチと言う物を設置した。
大木の丸太にL字の穴を開け、上から火種を入れて内部から燃焼させて長時間燃やす事の出来る丸太ストーブだ。
上で物を焼いても良いし、ストーブとして温まっても良しの便利なアウトドアグッズでもある。
やや薄い鉄のフライパンで猪の腸詰を焼きながら、白湯を口にしてほっと息を吐く。
気温は体感で二十度前後であり、三千七百年も経つと気候変動も著しいと実感が湧いてくる。
「はふっ、……ふぅ、中期に作った奴だからかそこそこの出来かな」
一番最初に作ったものは塩の塩梅や乾燥などが手探りだった事もあり、一部廃棄したり既に消費しているので残っていない。
そんな紆余曲折な右往左往があっての次弾のファーストロットな訳だが、箱根遠征にあたり大量廃棄と言うのは宜しくないので、と言うか司くんが頑張り過ぎたのでそうなる未来が確定しているので消費に勤しんでいる訳だ。
食べられるけども若干怪しいのは壺の中で一匹減っていた蛇の餌としてぶつ切りにして放り込み、竹筒の底を切った水を与えておく。
なお、杠の育てていた子兎たちは半数が脱走し、二匹だけ残っているあたり野生って逞しいな。
それにより杠の巧みな手腕で柵のグレードが上がり、もはや牢の様になっているが元気そうで何よりである。
井戸横の氷冷室の温度も15℃前後くらいをキープ出来ているので今のところは安心だな。
蜂蜜入りの白湯で身体を暖めながら、しとしとぴっちゃんと降り始めた天気模様をただただ眺める。
あれこれと色々していた忙しさが嘘の様にまったりとした時間が流れていた。
未来ちゃんは自室で司くんにお勉強を教えて貰っていて、杠は紐の大量生産に入って大樹はその手伝い。
やや肌寒いリビングで外をぼんやりと眺めるオレの隣で、千空はあーでもないこーでもないとお手製の和紙と木炭を手に悩んでいる。
箱根に着いてから鉱物を取り扱うに当たって、今の物よりも強い鞴炉が欲しいとの事で効率的な作業場の構成を頭捻っているらしかった。
「このスウェーデントーチみたいに地面を大きく彫り込んで溶鉱炉みたいにしちゃ駄目なの?」
「取れる資材次第で反射炉みてぇな大規模建設も視野に入るが、まぁ、最初からレベルマックスなもん作らなくてもいいか……。そうだな、ある程度効率的な物をグレードアップしていく方が長い目で見れば良いか」
「水銀とか見つけたいねぇ。そしたら温度計作れるし」
「ガラスは……まぁ、海砂から作れば良いか。そう考えると荷車じゃなくて人力車みてぇにデカい車軸の踏破性能に振り切ったもんを作るべきだったか……」
「それはあっちに行ってからで良いんじゃない? と言うか司くんが居るから伐採して貰えば良いじゃん、あちょーって」
「……それもそうか、一撃で太い樹木をぶち折る威力を出せる奴が仲間側でマジで良かったわ」
「だねぇ、流石にあれは搦め手じゃないと倒せないよ」
搦め手なら倒せるのかよ、と言う視線が飛んできたが搦め手も搦め手だけどね、カエンダケって言う今の環境なら地獄を見せられる代物があってだな……。
物理タイプな人を仕留めるのであれば現環境で手にする事のできない治療方法を必要とする物で仕留めれば良い。
旧現代人だとイマイチであるが、仮に生き残りから増えた現代人が居るのであれば糞を付けた鏃でも十二分に殺傷する事が可能だろう、何故なら破傷風のワクチンなんて受けてないだろうからね。
戦国物で糞付き鏃が外道戦法として成り立つのはあの時代に破傷風を何とかするための術が無いからだ。
と言った風に病魔を絡めた悪辣な搦め手であるならば司くんでもきっと仕留められる事だろう。
まぁ、流石に口にはしないけどね、んな物騒な事は。
……しらーっとオレを見つめている千空の視線が訝しい物になっているのはもはや信頼の現れか。
「だからまぁ千空がサルファ剤を作るって言ってたのは良い事だと思うよ」
「本当かぁ? なんか含む感じがするのは勘違いか?」
「……三千七百年で薬剤耐性が落ちると思う?」
「落ちるぞ? 耐性菌の選択圧が減るからな、三千七百年もありゃ環境が一変どころか二転三転としていてもおかしくねぇ。自然的な選択圧を受けている影響で薬剤耐性菌が脱落する可能性は高ぇ、人間が対象だったからな。薬剤耐性を持つ奴の増えるのが早い様に、滅びるのも早いんだよ」
「選択圧って?」
「あ゛ー……、生き残りやすい奴が育つんだよ菌ってのは。薬剤耐性のある奴が生き延びて増えた様に、逆に耐性が無いのは滅びてんだよ。それを選択圧と言う訳だ」
「そうなんだ? なら、今の時代ならサルファ剤も効くの?」
「可能性は高いだろうな、その菌が俺ら由来じゃなければな。つっても日本で復活してるのなんて多分俺らぐらいだろうし、俺らが感染源じゃない限りは問題無く効くだろうよ」
「そっかー。てっきりずっと薬剤耐性を持ったまま進化し続けるのかと思った」
「俺らの脚の小指が小さくなって無くなりつつあるように、必要の無ぇ能力は切り捨ててくんだよ無駄なリソースだからな」
「へぇ、そうなんだ」
確かに足の小指を見てみれば手の小指よりも短くて今にも無くなりそうな感じではある。
薬剤耐性を持っていても意味が無いとなったら別の耐性を得るために捨てる訳か、成程ねぇ。
……万が一を考えてペニシリンを作る用意はしておきたいところだね。
石化で病気までがしっかり治ってるかどうかまでは分からないからね。
未来ちゃんは先天性の疾患か何かで脳死状態になったんだろうし、欠けてた物が石化で治されて健康体になったパターンだろうしねぇ。
新鮮な鶏肉だからと言ってカンピロバクターが居ないって訳じゃない様に、健康体だからと言って病気も治っているかどうかまでは分からないからなぁ今の所。
うちの人たちは健康優良児ばっかりだからね、サンプルにならないや。
若干冷めて飲みやすくなった白湯を飲み干しつつ、箱根にある湘南ゴールドの子孫がちゃんと残ってると良いんだけどな。
柑橘類の傷から生まれやすい青かびがペニシリンの材料となるので、寒天培地を作って培養出来るような環境を作らないといけない訳だ。
ふふん、今生でもやってたJINを読んでて良かったね、ペニシリンの作り方は何となくだが覚えてる。
ちゃんと図解もあったから意外と覚えているもんだ、当時そんな作り方だったんだと感心した覚えがある。
「ふぅ……、一息つくか。カナメ、俺にも白湯をくれるか」
「あいあい、ちょっと待ってね」
オーダーに応えて白湯に蜂蜜を溶かした物をお出しすると、フル回転した脳の疲労を糖分が癒してくれたのか眉間の皺が緩んでいた。
机にべったりと倒れてたれ千空と化した千空を可愛らしく思いつつ、再び訪れた静寂に寂しさを感じた。
と言っても会話になるようなネタはもうあんまり無いんだよな、常に喋ってたらそりゃ無くなるよねって言う話で。
千空が小指で耳を穿っている様子を見て、痒いのかと丁度良い物を持っている事を思い出した。
竹を編んだ敷物を取り出して、スウェーデントーチの近くに敷いてから座り込み、首を傾げる千空に太腿を叩いて見せた。
「来なよ、耳の痒みなんとかしてあげる。このお手製耳かきでね」
「……ほんっとお前の手先は器用だよな、よく作れたなそんなもん」
「硬い孟宗竹の端材から作ってみたんだよね、ほら、こっちおいで千空」
「……ぉぅ」
渋らず素直に頷いた千空に珍しさを感じつつ、隣に座って黙ってオレの女の子座りした太腿に右耳を上にした状態で寝転んだ。
少しくらい慌てふためくかと思ったんだけどなぁ、地味にオレに対して耐性付いて来たんだろうか。
さっきの薬剤耐性菌の話を思い出しつつ、スウェーデントーチの横穴から漏れる明かりを利用して耳かきを始める。
あ、ちょっと角度厳しいな、と耳の位置を調整してから身体を斜めにしながら耳朶の窪みからこりこりと擦っていく。
実は面倒臭がりな横着しい性が現れているのか、耳朶から垢が取れたので耳の洗い方が甘いみたいだな。
痒さの原因は最近の暑さで汗かいて蓄積したのが、この梅雨の湿気でふやけたりして生じた結果だろうか。
ソースは耳の痒さからこれを作った先日の自分の先行体験の結果である、なんかもう凄い事になっていた。
工作などをしている千空の耳に木屑の細かい物などが入って来たりしていたのだろう、中々凄い事になっていたので案外声が聞こえ辛くなってたりしたんじゃなかろうか。
手前側から奥へ落とさない様に小まめに取り除きながら、気持ち良さそうにされるがままの千空に愛しさを感じつつ丁寧に耳掃除を続ける。
こんなに溜まってたらそりゃ痒くもなるよなぁと耳垢を掻き出しては捨ててを繰り返し、手前側を完了して奥側へと耳かき棒を伸ばす。
「手前終わったから奥側やるからね。刺激強かったら言ってね」
「……ぁぁ」
随分と気持ち良さそうな様子である、オレも後で千空に任せてみようかな、と思いつつもちょっとした女心がそれを許さなかった。
……と言うか杠にやって貰った方が専門家みたいなレベルで耳かきしてくれそうだしな。
うわっ、耳の中汚ぇ、って感じでドン引きされたりしたら憤死物であるからして。
恋する乙女は繊細なのだ、とガラスハートを自称しつつ耳かきを進める。
耳垢は、日本人は乾燥した物が多く、外国の人だと水気のある物だったりするんだっけな。
髪色からして外国人っぽい千空であるが、名前通りに日本人らしい乾燥タイプの耳垢が出て来た。
……いやほんと、このネギっぽい髪色と髪質は何処から遺伝したものだろうか、子供にも遺伝したりするんだろうか。
オレの黒と千空の白が混ざると書道の筆みたいな色になりそうだなぁと苦笑する。
……しれっとオレとの子の事を考えていた事に気が付いて頬がかぁっと熱くなったが、横を向いている千空は気持ち良さからか瞑目しているので気付いている様子は無かった。
耳垢は主に奥から手前に貯まるので鼓膜のある様な奥底にはあんまり溜まらないものだ。
なので奥側と言いつつも実は中間地点辺りだったりする場所をこしょこしょと削りながら綺麗に掃除していく。
あんまり掻き過ぎると今の湿気だとふやけた内耳が傷付いちゃうからな、程々に取っていくのが正解だろう。
お、中々手強いのが居るな、これを取ったら右耳は終わりかなっと。
傷付けない様に慎重な耳かき棒捌きで強敵を排除し、耳朶を摘まんで中を見遣って問題無さそうなのでふっと息を吹き掛けて細かいのを飛ばした。
びくりっと背筋を跳ねらせて瞑目していた目が開いたので一緒に眠気も飛ばしたようだった。
「ほら、右耳終わったよ。反対側にごろんしな」
「ぁぁ、分かった……」
なんかもう若干お眠って感じだな千空、頭の使い過ぎで身体が昼寝を求めているらしい。
左耳の耳朶から始めて、角度的に太腿に若干顔が沈んでいるのが気になるが、ちゃんとデリケートゾーンはしっかり洗ってるから大丈夫だろう。
女性のアソコが臭い易い場所であると言うのは知識で知ってたからな、毎日のお風呂でも抜かりなくケアしているとも。
太腿の柔らかさに夢うつつなのか、千空が寝息を立て始めたので耳かきの手を慎重かつ丁寧に切り替える。
耳の中は神経が敏感だからな、綿棒は大丈夫だが耳かき棒だと咳き込んでしまう人も多いくらいだ。
こっちの耳は意外と耳垢が少ないな、耳垢も意外と個人差があるもんなのだろうか、右と左で量が違うってのは意外とありそうな話だ。
そんな事を思いつつ左耳も綺麗にし終えたので優しく息を吹いて終わらせる。
さっきの反省も兼ねて少し距離を変えたからかそこまで感じさせずに、寝息を立てている千空を起こさずに終える事が出来た。
……さて、どうしたもんかな、と思いながら膝枕で熟睡し始めた千空の頭を優しく撫でながら微笑む。
箱根遠征のために色々と頑張ってたもんな、これぐらいの労いは許される事だろう。
どうせ雨で何にもできないしな、今ぐらいはゆっくりしなよ。
肌寒い中で毛布も無しに寝るのは少し危険か、と思い毛皮の掛け布団を近くの棒を使って引っ掛けて、眠る千空の身体にかけてあげた。
オレは隣がスウェーデントーチだからそれなりに温かいから問題は無いし、膝枕で寝る千空の温かさもあるので十分だ。
「……明日はもっと良い日になるよな、千空」
へけっと返ってきたらびっくりもんであるが、熟睡している千空は寝息を立てているだけだった。
第一次箱根遠征の目的はベースポイントの確保と簡易拠点の設営だ、それが終わったら戻って来て本格的な引っ越し準備をして箱根に戻る。
そして、素材をフル活用して簡易的な村を作ったら、本格的に人を増やす算段に取り掛かる。
誰を復活させるかの算段はテレビ出演などの縁で交流が地味に広い司くんが担当するらしく、取り敢えずこいつだけは復活させたいと言う人が居るそうなので楽しみではある。
どんな人物かと尋ねれば、俺とは真逆な奴だ、きっと役に立つとの事だった。
……ペミカンのレシピを復活させたの早まったかな、食料問題がほぼ解決したので復活の予定が早まったとも言えた。
獣と竹さえあれば量産できちまうからなペミカン、バリエーションが少ないが魚と肉で誤魔化せば事足りるだろう。
人、増えるのかぁ……、ちょっとだけ嫌だなぁと思いつつ、千空のGOサインなら仕方がないかと諦める。
未だに止まぬ雨を眺めながら、千空の髪を撫でつけながら時間を潰す事に意識を戻した。
その日が来ればその日のオレが頑張るだろうさ、と他人任せならぬ自分任せに投げ遣るのだった。