守矢神社を目指して妖夢と玲子は歩いていた。特に広いわけでもない山路を独占するのが憚られたのか、玲子は隣を歩かず妖夢の一歩後ろを歩いていた。
「(本当に後ろにいるんですよね?)」
玲子の本質がそうさせるのか、気配が無ければ足音もしない玲子の前を歩く妖夢の内心はハラハラとしていた。この気持ちを妖夢が抱いたのは初めてではなかった。
「(玲子さんとの移動はこわいです。意識していないとひとりでいるかのように錯覚させられる。)」
そろそろ解決策が欲しいと妖夢は思考する。
「(......門の中に入れたときのようにすればマシになりますかね。)」
妖夢は実際に玲子の体を直接掴んで連れていた時のことを思い出したが、最適解とは思えなかった。しかし、他に手があるわけでもない。
「むむむ......玲子さん、手を繋ぎましょう。」
「はい。」
玲子は素直に妖夢の左手を右手で握った。
「うーん。」
空を握るかのような感覚。手を握るという行為は、玲子の存在認知という課題に対しては効力の小さい解決策であった。
「(......空っぽが手の中にある。)」
完全な虚空ではないが、周囲よりも薄い何かを妖夢は己の手の中に感じ取った。間接的に玲子の存在を確認することに成功したのだ。
「(初めての道なのにあんまり緊張しないなぁ。森と調和してるから?)」
妖夢が手を引いてくれるおかげで周りを見る余裕ができた玲子は、道を覚えることにより意識を割いていた。山に入る時は獣道のようなものを想像して少し身構えていた玲子だったが、参道に入るとその印象は改められた。玲子が歩いている参道は石畳のようなものは無くとも程々に整備されていた。小さい荷車なら引くことができるだろう。
「玲子さん......?」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。玲子さんはどうして守矢神社に?」
「端的に言えば行方不明の私に出会うためです。」
「もう一人の玲子さん、ですか。」
「はい。私は消滅したいんです。それで博麗の巫女さんに除霊?のようなものをしていただいたのですが......」
「うまくいかなかったと。」
「そうです。でもその後にもう一人の私と出会ったんです。記憶喪失の私と。」
「一度会ったんですね。」
「はい。知らない巫女さんに抱えられてどこかへ行く私を見ました。色々と話を聞く内に守矢神社にいるかもしれないことが分かりました。」
「なるほど、それで。」
説明を受けた妖夢は疑問を抱いていた。彼女の目的は消滅すること。そのために巫女を頼るというのは話の筋が通っている。しかしわざわざもう一人の自分と会うことに何の意味があるのだろうか?妖夢は玲子からもう一人の玲子への執着を感じ取った。それは彼女の消滅とどのように関係があるのか、問いかけたい気持ちと踏み込んでいいものかという気持ちが妖夢の口を詰まらせる。
「もう一人の自分に、どうして会いたいんですか?」
しかし妖夢の背中は幽々子に押されている。妖夢は多少の失礼を踏み越えてでも知らなければならない状況にいた。
「消滅に失敗した私は、新たな知見を二つ得ました。」
玲子は淡々と答える。妖夢の心配はどうやら的外れだったようだ。
「ひとつは、巫女さんが想定したやり方では消滅できないこと。もうひとつは、復活を以て消滅が失敗するということ。」
「復活、ですか。死を自覚したんですか?」
「はい。最初は自殺が成功して幻想郷に来た時。次は巫女さんに除霊してもらった後に知らない森の中にいた時です。巫女さんが他人を眠らせて森の中に放置するような方でもない限りは正しい認識だと思います......実はそういう方だったり?」
「いえ、どちらかというと無駄なことを避ける人ですね。わざわざそんなことはしないと思います。」
「なら、正しいと思います。私は何かのせいで復活している。そこで亡霊の性質について考えました。霊の本質は執着です。私には何らかの執着がはたらいている。」
「意外とそういったものは知っているんですね。」
「はい。これでも巫女見習いだったので......」
「そうだったんですか......」
妖夢は思ったより複雑そうな事情に気が重くなり始めていた。見習いとはいえ神事を司る者の死。色々なものが絡み合ってそうなことを察したのだ。妖夢が相手にするのは、もっと大きな存在なのかもしれない。
「私への執着の発生源となる候補は二つあります。前世の世界か、私自身です。」
「なるほど。つまり会いたい理由というのは......」
「もう一人の私を殺すこと__」
「それは......」
「__でした。」
「変わったと?」
「はい。ここで彼女を処分したところで、私と同じように復活する可能性が高いです。それに、彼女と自分自身を消したとしても、執着の原因が前世の世界にあるのならば復活は避けられません。執着の解消こそが消滅への道。であれば理想はもうひとりの私と元の世界へ行き、執着を解消することです。」
「......物騒な目的が急に丸くなりましたね。」
「あくまでも消滅したいのは私なので。未来永劫、復活することが無ければそれでいいんです。死がその役割を担ってると思っていたんですけどね。」
「一応、幻想郷にはあの世というものがありますけど、御存知でしょうか?」
「はい、知ってます。でも、何故か三途の川を渡れなかったんです。駄賃が足りないとかなんとかで。」
「それはどういう......大変でしたね。」
「いえ。」
妖夢は得られた情報を整理する。彼女はどうやら神事を司っていたらしい。死因は自殺。霊夢に頼んでも復活してしまったこと。その後もうひとりの自分を見つけ、今は執着を絶つために二人で外の世界に行くことを目指している。
「(執着というのは、斬れるのでしょうか?)」
妖夢は右手を開いて掌を見つめた。己の実力と腰に下げている得物。足りないものは何か。玲子を斬ろうと試みて失敗した時のことを思い出しながら妖夢は思考を巡らせていた。妖夢の不安を和らげるように暖かな風が両手を撫でた。
「?」
違和感。風が妖夢にもたらしたものはそれだった。特に理由もなく妖夢の体が玲子の方へと向き始める。
「(風が、両手に......左手には玲子さんが__)」
振り返り始めてそろそろ玲子の顔が見えるという頃、妖夢の目には参道だけが映っていた。
「っ!?玲子さんっ!!」
山の中で妖夢の声が響くも、応えるのは山の音ばかり。玲子は消えたのだ。この場にあるすべてがそれを如実にあらわしていた。
「......」
玲子は震えながらその場に座り込んだ。足元が急になくなったかと思えば夥しい量の目玉が玲子を取り囲んでいた。上を見れば閉じていく窓。妖夢を巻き込まないように咄嗟に緩めた右手を必死にそこへと伸ばすが、落ちていくだけの玲子に得られるものがあるはずもなかった。窓が完全に閉じて悪夢のような場所に閉じ込められるかと思ったその瞬間、玲子は森の中にいた。
「......はぁ。」
玲子は木に体重をかけたまま膝を抱え込んだ。全てが終わるかもしれない瞬間だった。見えた光景は正に異世界。知らない世界に飛ばされて尚、解決方法を見つけられるなどという幸運が二度も起こるはずがないと玲子は直感的に思えてしまった。あそこには魔理沙のような人はいるのだろうか?目玉だけの空間で楽に死ねる方法なんてあるのだろうか?足元に来たということは自分は狙われていたのだろうか?玲子は自分の身の安全について思考してしまう。
「消えたいのに、身の安全とか......」
恐怖を誤魔化すように玲子の口から自分自身への嘲笑が出ていた。恐怖は玲子の記憶を呼び起こす。幽々子に説明された外来人の扱いについて。
「(今は何も考えたくない。)」
鮮烈な恐怖は、そんな気持ちを慮ることなく魔理沙の言葉を玲子に思い出させた。
”幻想郷じゃ問題を起こす側のやつらの方が圧倒的に多いから気を付けるんだな。ちなみに私はその中でも貴重な問題を解決する側の人間だ。覚えておくといい。”
「魔理沙さん......」
か細い声で玲子は呟いた。
「(魔理沙さん、妖夢さん、慧音さん、小町さん......)」
玲子は心の中で自分によくしてくれた人の名前を呟きながら、自分に使われた異能の対処方法を考える。だが何一つとして案が浮かばないようだった。
「(あんな拉致能力の極みみたいなやつの対処なんて無理だよぅ......)」
襲われないことを祈るしかない。そんな心許ない状況につい本音が漏れる。
「......死にたい。」
「早苗といいアンタといいウチの神社でしけた面しないでくれる?運気が逃げるわ。」
玲子は顔を少しあげた。玲子はここがまだ幻想郷であることは分かっていた。それは目の前に見たことのある神社があったからだ。迷惑になることは分かっていたが、配慮できる程の気力など今の玲子には無かった。
「すみません、霊夢さん。」
玲子は元気のない声で謝罪した。
「......アンタ、名前は?なんでこんなところで塞いでんのよ。」
「あ、まだ言っていませんでしたよね。私は柳玲子です。なんでかは、私が知りたいです。」
「......めんどくさい雰囲気を感じるわ。」
「嫌いですよね、そういうの。妖夢さんが言ってました。」
「妖夢ぅ?あんた幽々子んとこのやつ?」
「無関係です。消える方法を聞きに行っただけです。」
「あっそ。気が済んだらとっとと帰んなさいよねー。」
霊夢はそう言う踵を返そうとした。
「無理です。外来人なので。」
「はぁ?外来人なら最初にウチに来なさいよ。」
霊夢は玲子の方へと向きなおした。
「来ました。」
「来てないわよ。」
「いいえ、来ました。私は博麗の巫女なら色々分かると小町さんに言われてここに来ました。そして、霊夢さんに除霊していただきました。」
「何を言っているの?」
「?」
霊夢はしゃがんで玲子と目線を合わせる。
「嘘はついていない、みたいね。」
「それはどういう......」
「悪いけど、私はアンタのことを覚えてないわ。」
「ほとんど言葉を交わしていませんでしたから、しょうがないです。」
「......他に会った人とかいる?」
「魔理沙さんとか__」
「おーい!霊夢ー!見てくれ。置いた覚えのない石板が机の上にあてさー。」
箒に乗った金髪の少女が空から降りてくる。世話になった人物が登場し、玲子の心が軽くなり始めた。
「ぁ、魔理沙さ__」
「ん?霊夢、そいつ誰だ?」
「ぇ......」
がしかし、それも束の間。玲子を絶望が襲う。玲子の頭の中は真っ白になった。
「柳玲子、外来人よ。アンタの知り合い?」
「いんや?初めて聞くぜ。」
「ここは......幻想郷......」
「お、こいつ外来人なのに幻想郷だって分かってんのか。こりゃ幻想入りしたばっかじゃないな?」
「さぁ、どうでしょうね。」
「なんだよ他人事だなぁ。外来人なら世話焼いたんだろ?忘れたのか?」
「忘れてないわ。私はこの外来人とは初対面よ......アンタも、そうなんでしょう?」
「おう、そうだぜ。それが何だ?」
玲子の思考は止まらない。真っ白になった寂しいキャンバスに色を足すように、孤独感で空いた心の穴を埋めるように理屈を組み上げていく。
「(ここは幻想郷。でも、二人は私のことを覚えていない。違う、知らないんだ。)」
「ここは......もうひとつの......幻想郷......」
「面倒事の気配がするわ......」
「これは大物の予感だぜっ!」
都合よく組み上げた理屈はそれでも玲子にとって残酷なものだった。
「(目玉の空間が連れてきたのか、私が死んだのかは分からないけど......)」
玲子は意図せず霊夢と同じような表情をした。
「(また私の死が遠のいた。)」