霊夢の前に気怠そうな少女が膝を抱えていた。彼女は項垂れ、目線だけを霊夢の方へと向けていた。
「......」
「......」
「......はぁ。」
ため息を吐いたのはどちらだったか、ただ先に言葉を発したのは彼女だった。
「......安全な場所、知りたいです。」
「ウチ以外のところがいいって話なら喜んで紹介するけど?」
「......」
挨拶代わりの軽口。博麗神社が安全な場所だと暗に伝えるとともに、この場が安全ではないとでも言うのかという二つの意味を持つ言葉を霊夢は返した。幻想郷では至って普通の言葉の応酬。しかしその言葉を聞いた玲子は、気怠そうな表情を更に濃くしたかと思うとそのまま顔を伏してしまった。
「そんなトゲトゲするなよ霊夢ー、かわいそうだろー?」
「トゲトゲなんてしてないわよ!むしろトゲトゲした態度なのは無視してるこいつの方じゃない!」
「余裕が無いなー。その調子なら今回も私が一番乗りだな。」
「なーにが今回もよ。私はあんたと競争をした覚えはないわ。」
霊夢と魔理沙が騒いでいる中、玲子は静かに苦しんでいた。
「(あぁ、ダメだ。無理した反動が......)」
空気を吐き出す度に、胸の真ん中が疲れていく。先生の宿題をやった時と同じだ。頑張っても何もなくて、一気に体が重たくなったんだ。
「(瞼が......重い......)」
目を閉じたって楽にならないのに、体が無理やり動けなくさせるんだ。意識が飛ぶまで、嫌なことばっか考えて、それで......だめだ。これからのことを考えなきゃ。私の......やらなきゃいけないこと......!
目に浮かぶのは目玉だらけの空間。もし今折れたら、ここで折れたらきっと目玉に怯えながら永遠を過ごすことになる。死ねないままずっと。
「いや......」
やだ。嫌なのに、体が動かない。もう少しだけ頑張って欲しいのに!口を動かさなきゃ。早く魔理沙さんたちに協力してもらわないと......!
「(もう、うまくいかないでしょ。)」
違う。やろうとしてたことはあってたはずなんだ。でも、たまたまダメになっただけで__
「(全部リセット。無駄なんだよ。一回ミスしたら全部終わり。)」
終わりなのに、私はまだ生きてる。
「(生きてる......どうだろう、失敗したら全部忘れられるのに。いないのと同じじゃない?)」
生きてるかどうかはどうでもいい。ただ終われればそれで。
「(それが簡単じゃなくなったのに?)」
......。
「(死んでも無駄だった。それでいいじゃん。死んでからずっとお腹もすいてないし、喉も乾いてない。これが終わりだったんだよ。)」
......。
「(どっちも考えたくないよ。ちゃんと生きるのも、ちゃんと終わらせるのも。)」
......自分の気持ちを跳ね返せない。こんな合理化、普通の人はしないんだろうな。出来損ないらしい言い訳に耳を傾けて安心する。あぁ、もう自虐もめんどくさいや。他人への迷惑だって、どうだっていい。わたしはもうがんばらない。
「__そもそも異変かどうかもまだ分からないでしょ?アンタは家に帰って借りてる本でも読み漁ってなさい。そしてさっさと持ち主に返却すること。」
「持ち主が器の広いやつでな!読み終わったら返すって言ってあるから何の問題もないぜ。私はおまえの方がいろんな問題を抱えていると思うけどな。騙されやすいわんこに居候、いっつも協力せずにぐーたら寝てる大妖怪とかな。」
「居候はもういないわよ。それに、私ひとりでもウチの仕事は回ってるから問題は......ねぇ、アンタ。」
霊夢は膝を抱えた少女に声をかける。無視されたとはいえ皮肉交じりの軽口を叩いたのは自分。その上ほったらかして魔理沙とお喋りを続けるほど霊夢は雑な性格をしていなかった。少女の様子を横目に話していたが、石のように動かなくなった彼女に霊夢は違和感を覚えたのだった。
「ねぇ......あぁ、もう!せめて静かになる前に用件を言いなさいよね!」
「なんだ?こいつどうしたんだ?」
魔理沙の問いかけに答えず、霊夢は右手を少女の後頭部に置き、左手を少女の腕と顔の間に差し込んだ。
「顔を見させてもらうわよ......」
特に抵抗もされず、霊夢は少女の顔を正面に立たせた。彼女の顔に外傷は見られない。
「さっきから聞こえているの?聞こえているのなら瞼を開いて欲しいのだけれど。」
少女は両目を閉じたまま何の反応も示さなかった。
「寝てる......のか?」
「そんなお茶目なヤツに見える?」
「霊夢よりは可愛気がありそうだぜ。」
「一方の意味なら同意するわ。アンタ、足速いんでしょ?竹林の医者を呼んできてくれない?」
「医者?こいつ自分のこと霊だとかなんとかって言ってなかったか?」
「だから竹林の医者なのよ。ほら、どうせ暇なんだからさっさと行く。首突っ込みたいんでしょ?」
「おう!代金は友人のよしみでツケておいてやるぜ!」
魔理沙は手に持った箒に跨ると空へと飛んで行った。
「友人のよしみとやらがあるならタダにしなさいよ......」
魔理沙の冗談への軽口も程々に、霊夢はこの少女をどうすべきか考え始めた。
「(『もう一つの幻想郷』、だったかしら?繋がりが消えたことを認識して自我が消えた......いえ、そもそもこの子、霊力が無い?)」
霊夢は物言わぬ少女を観察しながら、屋内に運ぶために彼女の体を一旦立たせることにした。
「うそ、軽い......」
少女の両脇を掴み、立たせるだけの力を入れたつもりがどうだろう。少女の足はぶらんと垂れていた。立たせるだけの力で少女の体は持ち上がってしまったのである。足と同じように垂れた頭は上から霊夢を覗き込んでいた。死相を感じさせない顔に、張り付いたように閉じたままの瞳。彼女の顔は故人と生人が同居しているかのような不気味さを醸し出していた。
「どんな妖怪よりもこういうのが一番不気味だわ。助かる手段まで消えてなければいいけど。」
何を求めているのかが分からない。それは解決から最も遠い場所のひとつ。しかし、今の状態はそこではないと霊夢は考えていた。
「(安全な場所。それがこの子が求めていたこと。彼女風に言うのなら前の幻想郷では得られなかったもの......になるのかしら。人里に何かあったのか、彼女が人里に居られない理由があったのか......いえ、違うわね。)」
少女が口にしていたことから霊夢は推測を重ねていく。一言二言程度の情報量だがしかし、こちらを欺こうとする者たちの言葉から真の意図を導くよりかは楽なことだった。
霊夢がそう思っているからだろうか。それとも、少女に雑な態度を取ったままこの急展開を迎えたからだろうか。霊夢の面持ちは普段のものよりどこか真剣味を帯びていた。
「(はぁ......この子の言っていた『もう一つの幻想郷』とやらが寝言だったら助かるわ。)」
「丁度使いの仕事が被ってラッキーだったぜ。やっぱりラッキーアイテムとは仲良くしないとな!」
迷いの竹林には幸運を運ぶ兎がいると言われている。魔理沙はその者のことをラッキーアイテムと評していた。魔理沙は魔道具の収集にその力を役立てられないかと思案していたところ、同じ竹林に住む者から薬の素材を取ってきてくれと依頼が来たのである。魔法の森という魔理沙の自宅の立地と活動範囲の広さを見込んでの依頼だった。具体的に幸運の力を利用する方法は思いつかなかった魔理沙だが、縁を持つに越したことはないと考えその依頼を了承した。以来、魔理沙は度々竹林を訪れていた。今回はその用事と霊夢の頼みが重なったところである。
「幸運が続いてる間にさっさと終わらせるか!」
魔理沙は体を低くして箒を強く握ると、箒から強い光がレーザーのように飛び出した。強力な推力を得た魔理沙は、青空に星と光をばら撒きながら高速で移動し始めた。さながら彗星である。きっと見た者の目を引くことだろう。
「あやややや!今日もおはやいですねー。」
「げっ、なんでこんなところに。」
「あや~?匂いますねぇ、魔理沙さんから極上のネタの香りが。」
「すまんが急いでいるんでな。取材はまた今度にしてもらえると助かるぜ。」
「少ししたらすぐに行きますよ。こんな派手に飛ばれると確認せずにはいられないんですよねー、色々と。」
「排他的な癖に外の事情には敏感だよな。そろそろ慣れて欲しいもんだ。」
高速で移動する魔理沙を横から話しかける黒髪の少女がいた。彼女の名は射命丸文。天狗という妖怪である。妖怪の山には天狗の社会がある。警戒心が強く、自分たちの縄張りには殊更敏感である。ただ最近は争いもなく暇しているので、何か話題を見つけると情報収集合戦が始まるようになっていた。魔理沙が派手に飛んでいたため、その様子を見に文が来たのだ。
「魔理沙さん以外だった時はそれこそビッグニュースなので。目が離せないんですよ~。」
「まったく、スターは辛いぜ。」
「そのスターの器に免じて少し教えてくれませんか?何かあったんですよね?」
「んー、何が起きているのかを確認するところだからなー。色々あって医者を呼びに行くとこだぜ。」
「緊急じゃないですか!」
「でも患者は亡霊らしいんだよ。」
「亡霊に医者ですか......?」
「そ。霊夢に頼まれたから詳しくは霊夢に聞いてくれ。じゃあなー!」
速度を上げた魔理沙を文は追うことなく見送った。
「なんだかトリッキーな気配を感じますね。取材範囲を広げる必要があるかも?」
幻想郷の異変は派手だ。それこそ誰もが感じられるほどの変化が日常に訪れる。しかし今回は気色が違うと文は感じていた。異変ではないが面白そうな謎。話題に飢えている天狗が食いつかないわけがなかった。
「とりあえず見舞いの品でも買ってから行きましょうかね。」
飢えているからといってただ食いつくような真似はしない。少しでも取材の成功率を上げるために何ができるのか。それを考える程度の冷静さを文は持ち合わせていた。取材よりも患者優先。人里を経由すれば丁度良い時間になっているだろうと文は考えた。
「別件で調べたいこともありますしね。」
時間があるのなら別の用事を済ませるまで。どうやら文は人里へ行く前に寄る場所ができたようだった。
鈴仙は守矢から頼まれた仕事を終えて帰路についていた。
「(どこにも異常は見られなかった。衰弱による昏睡......と言えるほどの根拠はない。状況証拠で診断を下すだなんて、己の未熟さが染みるわ。)」
どうやら満足のいく働きをできなかったようである。
「霊体の患者がいるなんて幻想郷らしいと思えるのはいいことなのかしらね。」
鈴仙は広がり続ける患者の定義に対して疲労感を先取りしつつ、新たな成長の可能性をその身に感じているのだった。
「おー!間がいいとはこのことだな!」
「い、一体なんなのよ。こっちは仕事帰りなんだけど?」
クールダウンしている中、鈴仙の元に魔理沙が駆けつけてきた。
「尚更丁度いいな。ちょいと診てほしいやつがいるんだよ。」
「風邪とかなら市販薬がここにあるけど......」
「たぶん効かないんじゃないか?聞いて驚け?患者はなんとびっくり亡霊だぜ!おっと、クレームは博麗神社に入れてくれよ?私は霊夢に頼まれただけだからな。」
「はぁ、そう......なるほどね。いいわ、さっき似たようなものを診たばかりだし。」
「えっ、似たようなヤツがいたのか!?どこだ?どいつなんだ?」
「患者に突撃しそうな人に教えるわけないでしょ。容態が結構重いし勘弁してほしいわ。」
「それを聞いて突撃するほど私はガサツな女じゃないぜ。ま、ピンピンしてる医者には根掘り葉掘りだがな。」
「残念だけど、話をするのは貴女の方よ。診てほしい人がいるんでしょ?場所は博麗神社でいいの?」
「おう、そうだった!あのな、いかにも疲労困憊ですみたいな顔をしたやつがいたんだが霊夢がな__」
鈴仙は魔理沙と博麗神社へ向かいつつ、新たな患者の話を聞いていた。
「(守矢の方はずっと昏睡状態のようだけど、こっちは少し前まで覚醒状態だったのね。その後の細かい症状は診てみないと分からないけれど、同じ時期に場所、種族、症状までもが類似してるとつい気になってしまうわ。異変を思い起こす幻想郷なら何かが起きていてもおかしくないし。)」
鈴仙が魔理沙の頼みを聞いたのは、彼女が守矢神社で似たような症状の患者を診たばかりだったからだ。診断結果は異常なし。だからこそ目覚めない理由が分からなかった。そこに降ってきた『類似した患者がいる』という情報が鈴仙を博麗神社へと向かわせていた。
「(『もうひとつの幻想郷』......患者は魔理沙と霊夢に会ったことがあると主張し、二人からは覚えがないと伝えられて出てきた言葉。私も人里によく通っているけど新しい外来人の話題があれば耳にしているはず。私は柳玲子なんて外来人の話は聞いたことがない......あの二人と同じようにね。私たちを信じるのなら患者は混乱状態にあると言える。そういえば守矢の子の波長は乱れていたっけ。意識下でも混乱状態が続いているのかしら?もしかしたら鎮静剤とかでなんとかなりそう?)」
鈴仙が魔理沙の話を聞きながら情報を整理していると、目的地である博麗神社に着いていた。鈴仙と魔理沙は霊夢がいるであろう場所へと向かう。
「霊夢ー、いるかー?」
「意外と早かったわね。引き受けてくれないかと思っていたわ。」
「おいおい、無理難題を押し付けたのかー?」
「難題だろうが何だろうが抉じ開けるのがモットーのアンタには関係ないでしょ?お疲れ様、お茶くらいは馳走するわ。」
「ふぃ~、ありがたく頂戴するぜ。私は休んでるから後で簡潔に結論を教えてくれ。」
「まったく、これじゃあどっちが使われてるのか分からないわね......鈴仙、急な呼び出しに応えてくれてありがとう。早速いいかしら?」
「はい。彼女はどちらに?」
「こっちよ。」
「......布団、敷いてあげてるんですね。」
「私をなんだと思っているのよ?」
「いえ、気が利く方だなと。」
「......。」
「診察を始めますね。」
「えぇ、頼むわ。」
何故か気まずそうな顔をした霊夢を放置して、鈴仙は診察を始めた。
「(呼吸なし。外傷なし。体温計を......)」
人間相手ならばとんでもない結果だが、相手が霊体だと分かっている以上、鈴仙が焦ることはなかった。淡々と作業を進めていく。体温を測るための器具を少女の口に差し込む。
「(なに?この子。なんというか、触感が曖昧......)」
鈴仙は少女の頬に触れた手を見つめた。そして確かめるように、もう一度少女の頬に手を添えた。鈴仙は自分の手と少女の顔を交互に見た。
「(まるで触れていないかのよう。体温は室温と同値。生き物なら確実に死んでいる値。この子の代謝はもう止まっている。)」
鈴仙は最後の確認をする。彼女は少女の体をよくみた。
「(......。乱れどころか、波長が無い?)」
予想外の結果に少し疑問を覚えたが、医者としてやることはもう無かった。
「診察が終わりました。」
「そう。それで?」
「診断結果を伝えます。彼女は死んでいます。」
「......どういう意味?」
「言った通りです。」
その場の空気が消える。重くのしかかるものも無ければ解放感もない。宙に投げ出されたまま浮かんでいるような無を霊夢は感じ取っていた。
「死因は?」
「不明です。」
「何も、分からないじゃない。」
「どうでしょう。少なくとも医者としてはそうだとしか言えません。霊に関してはあなたたちの領域です。あなたが分からないのであれば私に分かることはありません。」
「何よそれ。どう考えてもおかしいじゃない。霊が死んだら、それこそ存在が消えるはずでしょ?でもこの子はここにいるじゃない。」
「分かりません。」
「えぇ、そうね。あなたは医者だものね。誠実な見解をどうもありがとう。ねぇ、鈴仙としてはどう思うか聞かせてくれないかしら?」
「私としてですか。それでも答えは変わりません。分かりません。でも、言えることはあります。」
「なによ。」
「聞く前に約束していただきたいことがあります。」
「......なによ。」
「私が今からする話はとある患者さんの話です。この話を聞いたらその患者さんが快復するまでは患者さんに近付かないで下さい。」
「えぇ、もちろんよ。果報は寝て待て。いつだってそうしてるから得意よ。」
「分かりました。ではお話します。」
__霊夢さんのところに来る前、私は守矢神社でこの子と同じ顔をした患者さんを診ました。