夜の海は静寂に包まれ、その深い藍色の水面は星々の光を反射してきらめいている。
波の穏やかなさざめきがかすかに聞こえる中、船のデッキに一人佇むリズ。
彼女の長い髪は夜風に揺れ、微かに光る月明かりがその横顔を優しく照らし出している。
リズは手すりに寄りかかりながら、遠くの水平線を見つめていた。
黒い瞳には深い思索の色が宿り、その表情には一抹の寂しさを浮かべている。
『フェアリーはさ……宇宙に帰ってしまったら、もう会えないの?』
『それはそうです。私の仕事は宇宙でドラゴンと戦い地球を守ることですから』
昼間のフェアリーとのやりとりを思い出し、大きく溜め息を吐いた。
少しくらい悩んでくれてもいいじゃない……
我ながら勝手だなと思いつつも、そう思わずにはいられなかった。
夜風が冷たく、リズは肩を軽くすくめるが、それでも目を閉じることなく、夜の海を見つめ続ける。
……フェアリーとはずっと一緒にいられると勝手に思っていた。
普通に考えれば、そんな事はないとすぐに分かったはずなのに。
どうかしてる。
なんで自分はこんなにフェアリーのことばかり考えているんだろう?
フェアリーは妖精で、自分は人間。
ずっと一緒にはいられない。当たり前なのに。
そもそも出会うことすら奇跡のはずだ。
……わかっているのになんで、なんでこんなにフェアリーと離れるのが嫌なのだろう。
ふと気づけば、頬が涙で濡れていた。
それを手の甲で拭うと、隣から視線を感じた。
そこには……フェアリーがいた。
「ひっ!」
「なぜ泣いてるんですか?」
驚いてのけぞるリズに、フェアリーは淡々と聞いてきた。
「な……なん……で、ここに?」
「寝室から出ていくのが聞こえたので、追い掛けて来ました」
心底意外だった。
フェアリーは一度寝たら引っ叩いても起きないのに。
「最近のあなたは様子がおかしいです。気になって夜も眠れないじゃないですか」
そ、そんなに気に掛けてくれてたのか。
それはそれで凄く嬉しい。
けど……
「……なんでもないわよ」
「そうですか。なら深くは聞きません」
「…………いや、深く聞いてよ」
「え? なんでもないって言ったのはあなたじゃないですか」
「そ、そうだけど! もっとこう……心配してここまで来てくれたならさ、食いついてくれたっていいじゃない……」
「何なんですかあなたは……面倒くさい人ですね……」
うん。
自分でもそう思うよ。
なに言ってんだろアタシ……
素直に構ってほしいって、言えばいいのに……
「うぅ……」
バカな自分に泣きそうになってしまう。
それを見たフェアリーは小さく溜め息を吐いて、リズの頭を撫でてきた。
そんなフェアリーのアクションに驚いたが、不思議と悪い気はしなかった。
むしろ、嬉しくて、ずっと撫でてほしい気持ちさえ湧いてきた。
「……それで、どうしたんですか?」
撫でながらフェアリーはもう一度聞いてくれた。
これが最後のチャンスだと思い、リズは勇気を出して口にする。
「この旅が終わったら、フェアリーは宇宙に帰るって言ったよね?」
「ええ」
「それが……凄く嫌だった」
「……? 何故ですか?」
「だって……せっかくこうして旅をしてるのに忙しなくてさ……アクアヴェールでも刺身やカフェも楽しめなかったし……」
「はぁ……」
「もっとこう……旅が終わっても、一緒にいろんなところを回って、楽しみたいって言うか……」
「そんな暇はありません」
「だ、だってフェアリーは宇宙に帰っちゃったら、またあの生活になっちゃうんでしょ? ずっとドラゴンを見張るだけの……」
「ええ。それが私の仕事ですから」
「……少しくらいこっち残って、いろいろ楽しんだっていいじゃない……フェアリーずっと頑張ってるんだし……」
「そういうわけにもいきませんよ。妖精として生まれた以上、妖精としての責務を全うする。それが私なんです」
確固たる意思を見せるフェアリーに、リズは何も言えなくなってしまった。
暗く沈むリズの顔を見たフェアリーは小さく微笑み、また優しく頭を撫でてきた。
「そんな顔しないでくださいリズ。少なくとも私は……あなたに感謝しています」
「え?」
「あなたを見ていると、やはりこの地球は守らねばと思えるんです。大切なあなたがそこにいますからね」
その言葉にリズは胸を打たれる思いだった。
顔が赤くなり、ドキドキしてしまう。
大切なあなたと言われて、嬉しすぎる。
けど、それでも、やはりフェアリーは帰る前提で話している。
それだけが不満で、悲しくて……
ずっと側にいてほしいのに……
「リズ。あなたはあなたで精一杯生きてほしい。そのために私は戦います」
「……ずっと戦うんだよね? アタシが死んだその後も、ずっと……」
「そうですね。……いつかドラゴンに焼かれるその日までは」
「フェアリー……」
「ま、私もたまに思うことはありますよ? いったい、いつになったら死ねるのかなって」
「え!? し、死にたいの?」
「漠然とそう思う時はあります。数億年も生きていると、それこそ数億以上の仲間を看取って来ました。いったい何時まで看取り役をやらされるのだろうと。いま仕えている世界樹さまも何本目か忘れましたし」
数億年の月日。
数億以上の仲間と世界樹を看取る。
どれも人間のリズにはあまりに途方もない数で、掛ける言葉が見つからない。
「かと言って、手を抜いてドラゴンにやられるわけにもいきませんからね」
「……今日までフェアリーが生き残って来たのは、やっぱりフェアリーが強かったから?」
「違います。フェアリーはみんな同じ強さです。違うのは運でしょう。死神が鎌を振った時、私はたまたま屈んでいた。それだけの事です」
淡々と語るそのフェアリーの横顔は、平静な声の割に疲れ切っていた。