極夜に囚われたセリカ   作:時空未知

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赤評価、だとっ……!ありがてえ……
それはさておき、ようやく血い渇潰せました……長かった。
私は遅効毒を許しません。
次会った時は覚悟の用意をしておいてください。火をつけたのこ鉈でぎこぎこしてやります。

それはさておき、前回に引き続き地獄は続くよどこまでも。


side past 黒見セリカ、又は見初められた少女(2)

マイペースで寝てばかりだけど、みんなをずっと守ってくれているホシノ先輩。

のほほんとしていつもニコニコしている。面倒見のいいノノミ先輩。

突飛な行動をしてばかり。でも、ここぞという時に頼りになるシロコ先輩。

そして、中学校からの幼馴染で、しっかり者で怒ったら怖いけどやさしいアヤネちゃん。

……みんなの笑顔が、一緒に過ごした日々が、頭の中で駆けるように流れる。

 

走馬灯、というのだろうか。

 

もっと一緒にいたかった。もっと笑いあっていたかった。

それなのに、何で、私は、こんな……

 

「お願い……ホシノ先輩、ノノミ先輩、シロコ先輩……アヤネちゃん……」

 

気がつけば、セリカは無意識に言葉を紡いでいた。

 

「誰か、誰か助けて……」

 

ここにはいない、大切な人への助けを求める声。

……素直ではない彼女が初めて発した助けを求める声が、

この地獄のような場所というのはなんと因果で、心苦しいものであろうか。

 

セリカは動かない。

ただ、自分に訪れる死を、静かに待つことしかできなかった。

そして……

 

「……?」

 

……曝け出された首筋に、いつまでたってもあの焼けつくような痛みがやってこない。

こんな状況であるというのに、何故か安堵や恐怖よりも先に疑問がわき出てくる。

その時、彼女の首を押さえつけていた男の手がそっと離れた。

 

「……え?」

 

思わずそんな声を上げて正面に目をやると、男が自分から背を向けて立ち去っているところだった。

 

「な、なんで……」

 

……命が助かった。待ち望んでいたことのはずだ、

だというのにセリカの脳裏を安堵ではなく疑問が埋め尽くす。

少女の言葉に男は立ち止まり、少しだけ振り返った。

 

「……早くいけ、獣。俺の気が変わらぬうちに」

 

男は短くそう言うと、背を向けようとしたが、ふと何か思いついたように懐に手を入れた。

取り出したのは種類が違う二つの小瓶。

それらを彼はセリカの方へと投げてよこした。

的確に投げられたそれは、座り込んだセリカの懐へポスっと音を立てて収まった。

 

「症状が悪化した時に使え。少しは楽になる」

 

男はそれだけ言うと今度こそ背を向けて、どこかに立ち去って行った。

その様子を呆然と見ていたセリカだったが、ふと投げてよこされた小瓶の存在を思い出し、

それを手に取った。

 

「……なに、これ」

 

どちらも薄汚れた小瓶だった。

片方は中がオレンジ色の液体で満たされていることが辛うじてわかるが、

もう片方はそもそも中身が見えない。

そして、外に巻かれた布に古い血がこびりついているようにも見える。

それについていたラベルをセリカは辛うじて読み取った。

 

「鎮静剤、と……輸血液?何よそれ……」

 

鎮静剤はわかる。しかし、輸血液を渡された意味が全く分からない。

それに、どちらもコルクで止められており、鎮静剤の方は少しひねると空きそうな感触があったが、

輸血液の方は瞬間接着剤で固定されているかのようにびくともしない。

一体全体何を思ってこれを渡したのだろうか?

……でも、ひとつ確かなことは、

 

「助けてくれたの、かな……?」

 

セリカはぽつりとそう呟いた。あの時、相手にどんな心境の変化があったかは分からない。

でも、言葉数は少ないながら、きっと見逃してくれたのだろう。

そう思うと、ほんの少し、ほんの少しだけ心が救われた気がした。

まあ、一先ず、だ。

セリカは鎮静剤のコルクに手をかけた。

ドラマやアニメでしか聞いたことがない単語であり、本来の使い方などわからない。

もしかすると、今は使う場面ではないのかもしれない。

けれど、自分の今の状況が落ち着いているかといわれると決してそんなことはない。

少しだけ、あと少しだけ楽になりたい。

そう思いながらセリカは小瓶の蓋を開けた。

 

瞬間、

 

「うっ……!」

 

小瓶の内部から、恐ろしい臭気が立った。

……この匂いは嗅いだことがある。頭がかき乱され、眩みそうになるほど濃厚な……

 

「……こ、これ、血の匂い、よね……?」

 

そう、血だ。先ほどの逃走で、嫌というほど嗅いだ鮮血の匂い。

しかも、それを幾重にも凝縮したような代物。

 

「うっ……」

 

先ほどの悪夢のような記憶が鮮明によみがえる。

胃から何かがせり上がる感触を覚えたセリカは、再び深い用水路に走りよった。

しかし、先ほどの吐しゃで既に胃の内容物はなくなっており、

出てきたのは苦い胃液のみだった。

セリカは何度か苦しそうにえずくと、手の中の小瓶を見る。

……これが本当に鎮静剤?嫌がらせでこんなものを渡したのだろうか?

 

「……いや、あの人はそんなことをするぐらいだったら、私を……殺してるはず」

 

セリカはその思考を自身の言葉で打ち消した。

先ほどのやり取りとよべるかも怪しい言葉を交わしただけで、相手のことなど何も知らない。

だというのに、セリカには不思議とそんな確信があった。

小瓶からは未だ、濃厚な血の匂いが漂ってくる。

……小瓶の中身を飲むか、それとも飲まずに捨ててしまうか。

数分ほど、セリカは迷い続けた。そして、

 

「そう、これは薬。薬なんだから、おいしくなさそうなの、よ」

 

結局、自分の精神状態を安定させることを優先したようだ。

セリカはそう自分に言い聞かせながら恐る恐る小瓶を口元に近づける。

近づける度に、血の匂いはどんどん強くなる。

一瞬の逡巡。

次の瞬間、セリカは一息にその中身を飲み干した。

 

「……がふっ!?」

 

一瞬、その場に静止したのち、セリカは奇妙な吐息を吐いてその場にうずくまった。

一息に飲み干したというのに、喉が焼けつくような血のどろりとした感触が、

錆びた鉄を腐敗させたとでも言うべき味が、

立ち昇る脳を直接震わせるような匂いがセリカの思考も、理性すらも塗りつぶす。

本能的に入ってはいけないものが入ったと判断した脳が

何度も何度もセリカをえずかせるが、呑み込まれた血は決して体外に出ていくことはなかった。

 

……鎮静剤。セリカの世界、というよりごく一般的に使われる薬剤とは異なり、

極めて濃い血液で思考そのものを一瞬で塗りつぶすことにより、

無理矢理発狂しそうな精神を鎮静化させるそれは、血に慣れぬ少女にとって余りにも強烈なものだった。

 

しばらくの間石畳の上で悶えていたセリカだったが、やがてよろよろとその場から起き上がった。

 

「うぷっ……ひどい目にあった……おぇぇ」

 

未だ吐き気が収まらないのか顔を真っ青にしながらそう悪態をつく。

しかし、その瞳には先程まで感じられなかった生気が宿っていた。

 

「……次、あの人に会ったら文句言ってやるんだから……!」

 

セリカは小さくそう呟くと、傍に落ちていた自分の愛銃と輸血液を拾い上げた。

裏路地の出口を見つめる彼女には、確かな闘志が宿っていた。

……例え、それがボロボロになった心に鞭を打ったものであっても、

それは確かに、自身に刻まれた血の意思なのだ。

 

______________________________

 

 

再び表通りに出たセリカは、兎に角見つからないことを念頭に行動していた。

あの市民たちに出会ったらまた袋叩きにあう可能性があることもそうだが、

これ以上人殺しをしたくなかった。それがたとえエゴであっても、セリカはそうすることを選んだ。

時々、明かりのついた家を見つけては、その扉を叩く。

……と言っても、

 

「あ、あの……すいません」

「……なんだい、よそ者じゃないか」

 

これでもう、昔見たアニメの知識だけを頼りに戸を叩くのは何件目か。

明らかに歓迎している様子ではない老婆の声にセリカは一瞬躊躇したものの、意を決して話しかけた。

 

「か、匿って欲しいんです!外がこんな状況で、危ないから……」

「……はは、そうかい。獣狩りの夜にほっつき歩いて、可哀そうなことよ」

 

また、出た。獣狩りの夜という謎の単語。

今まで回ってきた家の住人達から、時折その言葉を聞くことがあった。

どうも、この状況を指す言葉らしいがその詳しい意味は分からない。

……しかし、そんなことはどうでもいい。

今の今まで対応に違いはあれど、最初から要求を突っぱねられることがほとんどだった。

前進、といっていいのかはかなり微妙だが、もしかして……

しかし、そのささやかな願いは次の瞬間には霧散するこことなる。

 

「ああ、可哀そうにねえ……ウヒヒヒヒ」

「……え?」

 

セリカが老婆にそう聞き返した瞬間、辺り一帯に気の狂った家の主の哄笑が響き始めた。

 

「ひっ」

 

完全に壊れた人間の発狂を目の当たりにしたセリカは思わず一歩、二歩と後ずさる。

しかし、老婆の哄笑は止まらない。その声は遠く、遠く響き渡る。

その時、セリカは視界の端で何か黒いものがうごめくのを見た。

 

「……!」

 

先程襲い掛かってきた黒い獣よりは小さい。

しかし、会わないことに越したことはないだろう。

セリカは急いでその場から駆け出した。

積み上げられた樽の山の上を駆け上ると、そのまま向こう側の地面に着地する。

 

「うっ、いったぁ……」

 

着地した瞬間にあの時切り付けられたり撃たれたりでできた傷が痛みを発した。

その鈍痛に思わずうずくまるも、老婆の哄笑はまだ聞こえてくる。

セリカは痛みをこらえてそのまま道の奥へと駆け出した。

早くこの場から逃れないと大変なことになる。

その前に早く、早く、早く……!

そう思いながら曲がり角を曲がった瞬間、

 

「足音……?きゃあっ!?」

「へ?うわあああっ!?」

 

曲がり角から突然目の前に人が現れた。

急いでいた故に留まることもできず、正面衝突。

どちらもその場でしりもちをついた。

 

「ううぅ……頭が……」

「痛たた……一体何なのよ、もう」

 

そう悪態をつきながらセリカはぶつかった相手を見た。

そこにいたのは黒い長袖の服とセーターを着た金髪の女性だった。

先程したたかぶつけたのか額を押さえている。当然のようにヘイローはない。

そう、女性……この町の市民であろう女性だ。

 

「……っ!!」

 

そのことを理解したセリカは息をのんだ。このままここにいるのは危険すぎる。

そう思っている間に、痛みで閉じられていいた女性の瞳が開かれ、こちらを射抜いた。

 

「あ、あら?あなた……」

 

女性が何か言いかける。しかし、セリカはその言葉を聞くより早く跳ね起きると、

相手とは反対の方向へ一目散に駆け出した。

まだ仲間を呼ばれてはいない。今のうちに……!

 

 

「ま、待って!!」

 

 

その時、セリカを少し慌てたような女性の声が呼び止めた。

……相手の言葉に耳を貸すな。このまま行ってしまえ。

心がそう呼びかける。

けれど、何故だろうか。いつの間にかセリカの足はその場で止まって、今来た道を振り返っていた。

女性は先ほどと変わらず、こちらを見ていた。

その視線にあの粘つくような殺意は感じない。寧ろ、何処か迷っているようだった。

幾度の逡巡。その末に、女性は意を決したようにセリカに話しかけた。

 

「あなたは……まだ、まともな人?」

「……!」

 

セリカの瞳が見開かれる。

……どれほど、どれほどその言葉を待ちわびていたことか。

この悪夢のような場所で、一体どれほど……

 

「はい……はい!わたし、は……」

 

その時、セリカの瞳から何かがこぼれた。

力が思わず抜け、その場に崩れ落ちる。

 

「わたし、は……」

 

溢れ出す感情と嗚咽のせいで、言葉が続かない。

その時、女性がいた方から足音が聞こえたかと思うと、そっと身体が抱きしめられた。

 

「辛いことがあったのね」

 

自分の服が血で汚れることも厭わず、女性が優しく、優しくセリカを抱擁する。女性の体温が伝わる。

暖かい……とても、とても……

 

「もう大丈夫。大丈夫だから」

「あ、うぁあああ、あっ」

 

張り詰めていた全てが、溢れ出す。セリカはもう、限界だった。

胸元でただ泣く少女を、女性はただ、抱きしめ続けた。

 

________________

 

「……そう。貴方はヤーナムの外から来たのね」

「はい。正確に言うと、連れ去られた……?みたいなんですけど」

 

しばらく時間が経ち、一通り泣き、落ち着いたセリカは近くの暗がりに一旦身を隠し、情報を交換していた。

セリカの言葉を聞いた女性は、沈痛な面持ちになる。

 

「よりにもよって獣狩りの夜の時に、ね……こう言う言い方しか出来ないけれど、本当にお気の毒に……」

「い、いや。別にいいんですよ!あなたがそんな顔しなくても」

 

気を使わせてしまったと思ったのか競りが慌ててそう言いながら手をパタパタと振った。

それにしても……と、セリカは先ほど聞いたことを考える。

人が徐々に理性を失い、血に飢えた化け物になる獣の病。

そして、それらの患者を狩る事によって感染を抑える獣狩りの夜……

どちらも信じがたいことで、ゾンビパニック物のホラーゲームを更にたちを悪くしたような事だった。

しかも、女性が言うには今回の夜は特に恐ろしいもので、狩りに出た人は獣となり、家に閉じ籠もっている人にまで被害が及んでいるらしい。

……これ以上の不幸が今まであっただろうか?

セリカは自分の運の無さを呪う。

 

「ううっ……本当に何なのよ。何で私がさらわれた時に限って」

 

いつもの癖で知らず知らずのうちにそう悪態をつくセリカ、女性はその様子を心配そうに見ていたが、ふと思いついたようにセリカに話しかけた。

 

「そう言えば、その……今更言いにくいのだけど、頭の耳と光輪?は一体……」

「ん、あ……これですか?」

 

セリカは女性が言いづらそうにしている理由を察して何とも言えない表情になる。

どうもここの人たちにはケモミミやらヘイローやらのなじみが全くないらしい。

そうなってくると獣の耳が生えた自分を獣と判断してしまうのもまあ、納得できる。

むしろ、この女性が助けてくれたこと自体が奇跡といえるだろう。

 

「生まれつき、ですね。私の住んでるところはみんなこうだったので……

あ、耳はあったりなかったり代わりに角が生えてたりしますけど」

「へぇ……世の中は広いのね」

 

そう言うと女性は、どこか空想するような、少し寂しそうな表情だった。

 

「……私、この町から一度も出たことがなかったから」

「えっ、そうなんですか?」

「えぇ。というより、地域柄みたいなものね。排他的で閉鎖的。風土病の獣の病を広げないためって意味合いもあるのだけれどね」

「そう、ですか……」

 

女性の言葉に何とも言えない表情になるセリカ。その時、

 

「っ!!」

 

緊張が緩んだからか、はたまた化膿しているのか。今になって再び傷が痛み始めた。鈍い痛みに顔をしかめるセリカに、女性が慌てた様子で声をかけた。

 

「どうしたの?何処か痛むの?」

「っ……へ、平気です。ちょっと擦りむいちゃって……」

 

セリカは辛うじてそういったものの、明らかに顔色が悪く、脂汗も出ている。それに、女性はセリカが言葉を言った時に、気取られぬ為か反射的に腹部を抑えたことを見逃さなかった。

 

「放っておくと更に悪化するわよ。気にせずに見せて」

「う、うぅ……わかった」

 

セリカは少し迷っていたようだが、渋々といった様子で腕を放した。女性はそれを確認すると、セリカの正面に回り込んだ。

 

「……服のせいでよく見えないわね」

「んえ?あ、ああ!?ちょっ……!!」

 

突然、制服のボタンを外され始めたためセリカが思わず声を上げるも、

傷が痛んだのか悶絶する。

その姿に女性は一瞬目を伏せたものの、すぐに作業に戻った。

さほど時間は経たず、血に濡れたブレザーとカッターシャツがはだけられた。

 

「……うっ」

「これは……かなりひどいわね」

 

……あの時からずっと見ないようにしていた身体の傷が露わになった。

健康的な白い肌とは対象的な、そこら中に走った赤黒い血が垂れる切り傷。

内臓に達しているものはなさそうなことが幸いか。

バイトに行ってばかりで働きずくめであったものの、

自分とて年頃らしく肌のことには気を使っていたのだ。

それが、こんな、こんな……

 

「……この下着、気に入ってたのにな」

 

どうにも感触がおかしいとは思っていたが、胸元を切り付けられた際に両断されてしまっていたらしい。血もべったりとこびりついており、もう使い物にならないだろう。生きているだけまだましだというのに、一度そう言うことを考えてしまうとどうしようもなくなってしまう。

それに……

 

「流石にこの傷は、どうしようもないわよね」

 

見たところ女性も医療道具を持っているようには見えない。

絆創膏数枚程度でどうにかなるものではないのだ。確認するだけ無駄……

セリカの言葉に、女性も難しそうに顔に手を当てる。

 

「そうね……流石にこの傷は輸血液でもないと」

「……え?」

 

しかし、女性から発せられた言葉はセリカの予想を大きく裏切るものだった。

 

「え、ちょ……輸血液?輸血液ってあの大怪我した時に使う……」

「……あー」

 

大いに混乱するセリカ。

その様子をしばらく見て、納得がいったという表情になる女性。

 

「あなたが言ってるのは多分、外で使われてる輸血液ね。失血死を防ぐためだけの」

「ふ、普通そう言うものじゃないかしら?」

 

女性の言っている意味が解らず思わずそう聞き返すセリカ。

しかし、女性はゆっくりと首を振った。

 

「えぇ、普通はそうなのでしょうね。

でも、ヤーナムの輸血液……血の医療は違うの。

……私はあまり好きではないのだけれどね」

「そ、そう……あ、輸血液なら……」

 

どこか陰のある表情になった女性に、セリカはそう答えることしかできなかった。

その時、ふと彼女は謎の男にもらった小瓶の存在を思い出した。

スカートのポケットに手を入れると、確かにその小瓶は入っている。

それを取り出すと、女性は目を瞬かせた。

 

「あら、持ってるの?」

「え、えぇ。前に会った変な人がくれたの」

 

……殺されかけたけど。その言葉を辛うじてセリカは飲み込んだ。

どうせその後少しだけとはいえ助けてもらったのだし、

この状況で言うものではないだろう。

対する女性は、セリカの言葉に何か考え込んでいる様子だったが、

やがて首を振った。

 

「今はそのことについて聞いている場合ではないわね。さて……」

 

そう呟くと、女性はセリカから輸血液の小瓶を受け取ると、

そのコルクの先端を軽くなでた。瞬間、

 

カチン

 

硬質な音と共に、鈍色の針が先端から飛び出した。

針の大きさは注射器などという生易しいものではなく、

確実にストロー並みである。

その事実をセリカの脳は処理できなかった。

 

「えっ?」

「大丈夫。痛いのは一瞬だけだから……って主人が言ってたわ」

「え、えっ??」

 

え、今主人が言ってたって言わなかった?自分でやったことはないの?

そう言えば結婚してたんだ。

……って、そんなことよりあの針、明らかに太いわよね?

脳が少しでもショックを和らげようとしているのか

どうでもいい思考も時折流れ込んでくるが、そんなことで拭い去れるものではない。

しかし、石のように固まったセリカを余所に事態はどんどん進行してゆく。

女性はセリカのスカートを捲り上げ、太ももを露わにすると、

おぼつかない手つきで小瓶を振り上げる。

振り上げられた小瓶の針が、落ちゆく太陽の光に反射してきらりと光った。

 

「……多分、ここで大丈夫なはず?」

「え、ちょま」

 

残される不穏な言葉。それにセリカが何か言うよりも早く、

無情にも女性の手は振り下ろされた。

 

 

ドスッ

 

 

一瞬の静寂。次の瞬間、声にならない悲鳴が裏路地中に響き渡った。

獣にも市民にも聞き届けられなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。

 

______________________________

 

 

「……ひ、酷い目にあった」

 

少し時間は経ち、はだけた制服を着なおしながら

疲れ果てた様子でセリカはそう呟く。

その様子を、女性はどこかほっとした様子で見ていた。

 

「よかったわ。主人が使っているのを

見よう見まねでしただけだから正直不安で……」

「……助けてくれたことは感謝するけど、

それはそれとしてなんてことしてくれてるのよ」

 

女性の言葉にセリカは少し怒ったような表情でそう悪態をついた。

いつの間にか敬語も消えている。

それに対して、女性はゆるゆると手を振った。

 

「まあ、でも効果は抜群だったでしょう?」

「そ、それはそうだけど……」

 

女性の言う通り輸血液の効果は劇的だった。

腕や足の軽い切り傷は一瞬でふさがり少女特有のみずみずしさを取り戻し、

胴体の傷も、痕は少し残ってしまったものの、

切り傷自体は完全にふさがってしまった。

それに……

 

「……そう言えば、少しだけぽわぽわするのよね。これも輸血液の効果かしら?」

 

若干身体が高揚感を覚えている気がする。

先程まであれ程恐ろしかった輸血液がもう一度使いたいと思ってしまうような……

……何を考えてるの私!

そこまで考えたところで自分の考えが異常なことに気が付いたのか

ぶんぶんと首を振るセリカ。

その様子を女性は心配そうに見ていた。

セリカは軽く咳ばらいして姿勢を正すと、改めて女性の方を見た。

 

「えぇと……改めてありがとう。

それはさておきどうして外を出歩いてるの?

私が言うのもなんだけどこんな状態だし……」

 

セリカの疑問はもっともだろう。相手は地元住民。

獣狩りの夜の危険性は自分より遥かに知っているはずだ。

それに対して、女性はそうだった、といった様子の表情になった。

 

「主人を探してるの。主人は腕のいい狩人だけれど、

今夜はなかなか帰ってこないから何かあったかと思うと不安で……」

「……狩人?」

 

また出てきた聞きなれない単語にセリカが思わず聞き返す。

それに対して、女性は少し考え込むと、説明する。

 

「狩人は獣狩りの専門家……といったほうがいいのかしら?

普通の市民は自衛のために巡回するぐらいだけど、

狩人は専用の武器を駆使して積極的に獣を狩って、獣狩りの夜を終わらせるの」

「そ、そうなの。……こういうと安っぽく聞こえるけど、すごい職業ね」

 

……夜を終わらせる為に獣を狩るということは

正常な人のために病に侵されてしまった人々を狩ることと同義だ。

自分に、そんな覚悟は到底できない。

その思いを上手く言語化できずセリカはそんな表現をした。

しかし、それに対して、女性はどこか陰りを帯びた表情になった。

 

「そうでもないわ。狩人はある意味獣と一番近い場所にいるの。

血に呑まれる寸前の狂気の中で、獣を狩り続ける。

だから、正気を失って獣に堕ちてしまう人も少なくない」

「……そんな」

 

思いがけない言葉にセリカの表情が青ざめる。

女性はしばらく何か思っていた様子だったが、

やがて自分を励ますように笑顔を作った。

 

「でも大丈夫。主人は強い人だから。

それに、万が一のことがあってもこのオルゴールの音色を聞けば……」

 

そう言いながら女性は懐に手を入れた。

……瞬間、その表情がピシリと固まった。

その表情に、セリカは猛烈な不安を覚える。

 

「……聞けば」

 

もう一度女性は懐を探る。

しかし、その額に冷や汗が伝うのをセリカは見逃さなかった。

……やがて、女性はふっと息を漏らすと、懐から手を戻した。

 

「……どうも、家に忘れてしまったようね」

「ダメじゃないのっ!!」

 

セリカは思わずツッコミを入れた。

先程の輸血液の件といい、どうも女性から若干ポンコツ臭が漂ってきた。

そんなセリカの言葉に対し女性はやけくそ気味に胸を張った。

 

「大丈夫。主人は想い出のオルゴールなんてなくても

私たち家族を思い出してくれるわ」

「ごまかせると思ったの!冷や汗伝ってるわよ。ひ、や、あ、せ!!」

 

あまりにも、あまりにも危なっかしい。

もしかして誰かついていないとだめなのでは?セリカは思わずそう考える。

その時、女性が思いついたようにセリカに尋ねる。

 

「そう!それで思い出したわ。

どこかで主人を見かけてないかしら?

背が高くて神父のような恰好をして、斧と散弾銃を持っているのだけれど……」

「……え」

 

そんな奇妙な恰好。普通なら思い当たるわけがないが

奇跡的にセリカには思い当たる人物が一人いた。

……自分を一度は殺そうとした謎の男、その人である。

なんとなくそのことを言わなかった過去の自分をほめたい。

 

「……知ってる。その人が私に輸血液をくれたの」

「え、本当!!」

 

目を輝かせる女性だったが、セリカはゆっくりと首を振った。

 

「でも、だいぶ前ですぐどこかに行ってしまったから。今どこにいるかまでは」

「う、まあ、そうよね……」

 

女性は明らかに気落ちした様子だったが、

すぐに頭をゆっくりと振るとセリカに向き直った。

 

「でもありがとう。あの人の無事を知れただけで……今はそれで充分」

「……ふん。これぐらい、どおってことないわよ」

 

恐らく初めて見た女性の笑顔。

それを間近に見て気恥ずかしくなったのか、セリカは顔を赤くして視線を逸らした。

それに対し、女性はくすりと笑うと、表情を戻した。

 

「それで。あなたは多分、安全な場所を探しているのよね?」

「え、ええ。できるだけ早く、落ち着きたいし……」

 

女性の言葉をセリカは肯定した。

それに、相手は安堵の表情を見せる。

 

「それならよかったわ。丁度、主人を探して、

オドン教会という場所を訪ねようとしてたところなの。

あそこの管理者はちょっと見た目は変な人だけどいい方よ。

きっと匿ってくれるはず」

「ほ、本当……!」

 

女性の言葉にセリカの表情がパッと明るくなる。

ようやく、ようやくこの悪夢から一時的とはいえ逃げ延びる算段が付いた。

そのことを理解し、セリカの心に希望が宿る。

そんなセリカを見て、女性の方も嬉しそうだった。

 

「どの道、娘を迎えに行かないといけないから、

ついても少しの間離れ離れになってしまうけれど……

それまでの間、よろしくね」

「えぇ、もちろんよ。私も精いっぱい頑張るから……頼りにしてなさい!」

 

そこまで言ったところで、セリカはあることに気が付いた。

そう言えば今の今まで自己紹介をしていない。

折角一緒に行動するのだ。しておくに越したことはないだろう。

 

「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私はセリカ、よろしく」

 

それに対し、女性もハッとした表情になると、はにかんだ様子で言った。

 

「私はヴィオラよ。改めてよろしくね」

 

 




どもー、時空未知です。
ということで今回の作品はいかがだったでしょうか?
……更新激遅とは。
まあ、鉄は熱いうちに打てといいますし今夏休みですし、
行けるところまで行きますよ~。
今回は前回に比べて多少マイルドでしたが、
その分じわじわと日常が壊れていく回でした。

ヴィオラさんのイメージは勝手に作らせていただきました。
作者の脳内では若干ポンコツ気味で堅物の神父と
しっかり者の娘を振り回してるイメージです。解釈違いはあると思います。
……さあ、あなたのフロム脳マシマシのヴィオラさんを語ってみよ!!

それはさておき。精神状態が戻っているようで辛うじて繋ぎ止めているだけの
かわいいかわいいセリカちゃん。
後何回つついたらまた精神崩壊しちゃうかな?



……さて、今回でガスコイン神父が死ぬといったな、あれは嘘だ。

大丈夫です。次回、今度こそ夫婦ともども確殺取ります。
あ、ダメじゃないかセリカちゃん守ったりしちゃぁ。
君には手が届きそうで手が届かない場所から、地獄を見てもらわないと。
でも、いざという時は助けに行かせてあげるよ。
……ま、その時には何もかも手遅れなんだけどね。

セイアちゃんの仕掛け武器はどれがいい?(上位2種)

  • 獣肉断ち
  • 教会の杭
  • ゴースの寄生虫
  • 瀉血の槌
  • 月光の聖剣
  • 爆発金槌
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