極夜に囚われたセリカ   作:時空未知

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聖職者こそが、最も恐ろしい獣となる。










side another 伊落マリー、又は聖職者の獣(4)

 

夕刻、マリーはただ1人、トリニティ校内から寮の自室に向けて歩いていた。

俯いたまま、できるだけ誰も視線に入れないように。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

目元に白布を巻いているはずなのに、

研ぎ澄まされた感覚は道行く人の存在を確かに伝えてくる。

鼻腔を擽る柔らかな香りが、自分の奥底の渇望を刺激する。

マリーはそれを必死に抑えながら漸く自室にたどり着いた。

 

 

「はぁ……あ、う、うぅ……」

 

 

ゆっくりと扉を閉めたマリーは、電灯をつけることすらせず

そのままよたよたと居間を目指す。

ベッドと勉強机が置かれただけの寮らしいシンプルな部屋は、

未だお見舞いの品々が置かれていて少し狭い。

マリーは勉強机に近づくとその中心に置かれた物を手に取る。

 

……それは、べっとりと血に濡れたカッターナイフ。 

 

もう一週間も経つにも関わらず、それに付着した血は固まることも腐り始めることもなく、ただドロリとした死血として、今も確かに存在している。

マリーはそれを手に取った後、洗面台に向かう。

……元々は白一色だっただろうその場所も今は死血が滞留するばかりで、そのドロリと淀んだ赤黒い色は薄暗い洗面所でも容易に分かるほど色濃い。

そのすぐ上辺りで、マリーは修道服の左袖を捲り上げる。

 

 

「……っ」

 

 

露出した左手首には、手首を掻き斬り、突き刺した生々しい傷跡が幾重にも刻まれている。

それに躊躇するのも一瞬、マリーはカッターナイフに手をかける。

 

キチキチキチキチ

 

軋みをあげて血に塗れた鈍色の刃が露出する。

マリーはそれをゆっくりと自分の手首に触れさせる。

 

……もう7回近く。けれど、この痛みだけはどうしても慣れない。

 

マリーは奥歯をぎゅと噛み締めると、カッターナイフを持った右手に力を込めた。

 

「……っ、ぁぁっ」

 

手の中に鈍色が沈んでゆく。傷口から鮮やかな血が溢れ、白い手首を伝ってポタポタと死血の中に流れ落ちてゆく。

激痛が彼女を苛む。

けれど、それでも手を止めることはなく、ただ無心で赤を作ってゆく。

 

 

……瀉血という言葉がある。

昔はごく一般的であり、その危険性から廃れた医療の術の名。

病の要因は全て悪い血にあり、

それを抜くことで病を治すという、現代医療からすれば最早狂気とすら言えるそれ。

けれど、マリーは一縷の望みを抱きながら、それをもう何度も行っていた。

 

カシャン

 

痛みと肉を切り裂く感触で、右手からカッターナイフがこぼれ落ちる。けれど、その頃にはマリーの手首に真一文字の赤い筋が刻まれていた。

 

 

「ぅ……ぁう……」

 

 

マリーはしばらく白布越しに、

そして腕の激痛と液体が垂れ落ちる感触を通して血が抜け出てゆく感触に浸っていたが、

やがてふと、瀉血をしていないほうの手で恐る恐るその白布を取った。

……正面にある鏡の中の自分と、視線が交差する。

 

「……まだ、ダメなんですか……?」

 

……彼女の口からこぼれるのは絶望の声。

鏡に映る泣き出しそうな自分の瞳は未だ蕩けたままで。

瀉血には何の意味もないことをマリーに告げていた。

 

「……ぅう、血が……血が、欲しい。です」

 

……それどころか、瀉血が終われば消耗した体力分渇望がひどくなる。

新鮮な血肉への渇望が、どんどんひどくなってくる。

 

「……ううぅ」

 

 

ハナコさんはきっと蕩けるほど柔らかくて、

 

サクラコ様はきっと程よい肉付きでさっぱりとしていて、

 

ヒナタさんはきっと噛み応えがあって……

 

それで、それで、それで……!

 

 

「うう、うぅう」

 

悍ましい妄想が自分の意志を無視して理性に滑り込んでくる。

いつまで、一体いつまで自分の理性が耐えられるだろうか?

他の人から漂ってくる[生きている]という香りさえ自分の心を堪らなく搔き乱す。

小さな動物や小鳥を生きたまま貪っても、

この渇望は貪欲で、もっともっとと血肉を欲する。

 

……でも、少なくとも今日はダメだ。

 

何度も狩りを行ったせいで、しかも昨日失敗したせいで警戒度が跳ね上がってる。

……昨夜は中途半端に食事を終えたせいでいつもより渇望が酷い。万一のことがないように明日はまた休もうか。

そんなことをぼんやりと考えている間に、

いつの間にか瀉血の切断痕は血が止まり、赤黒い傷跡に変わる。

マリーはそこに清潔な包帯を巻くと、

服を脱ぐ時間すら惜しいとベッドに向かい、そのまま倒れ込むように布団に包まった。

ふかふかとした布団の感触がマリーを包み込む。

 

……そういえば、漁村の記憶を思い出してからというもの、一睡もできていない。毎夜毎夜、狩りに出かけていて眠る暇がなかったのだ。

それに、先の件があり、

マリーは眠ることそのものに恐怖すら覚えていた。

 

だから、これはある種の精神を安定させるための行動だった。

この清浄な柔らかさと温かさが、血肉に暗い喜びを見出す自分を辛うじて繋ぎ止めてくれている気がしたから。

 

「……聖血を得よ。祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん、拝領は与えられん……密かなる聖血が、血の乾きだけが我らを満たし、また我らを鎮める、聖血を得よ……

だが、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い……

冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう……

だから、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い……

恐れを失くせば、誰一人君を嘆くことはない……」

 

……いつからか記憶にあった祈りの言葉を、マリーは掠れ声で紡ぐ。

 

 

いつの日か、この悪夢が終わることを祈って……

 

 

 

_______________________

 

 

「……あれ?」

 

 

どれほど立っただろうか?

布団の中でうずくまっていたはずのマリーは、ふとそんな声を溢した。

……ベッドの上にいたはずだというのに、横になっている場所の感触が硬い。

不思議に思いながらも起き上がろうとすると……

 

 

「……え?」

 

 

そこは、冷たい木の床だった。

フローリングでもない、純粋な木の床……

明らかに自分の部屋ではない。

その事実に気が付いたマリーは慌てて跳ね起きた。

 

「こ、ここは……」

 

マリーはキョロキョロと辺りを見回す。

……そこは、古い診療所であるらしかった。

清潔な白い壁に古びたベッド。

そばの金属製の支柱には瓶詰めにされた輸血液が掛けてある。

 

 

……知らない場所、いや、本当に自分は知らないのだろうか?

 

 

その時、マリーの視界の中に何かが映った。

 

 

…………

 

 

「……?」

 

 

それは姿形もおぼろげな少女だった。

少女は、ベッドに横たわるおぼろげな何かの手をただ抱きしめている。

 

……やがて、おぼろげな何かは少女に何か言い残すと、動かなくなった。

 

おぼろげな少女はしばらくその手を抱いていたものの、

やがてそっとそれを何かの上にのせると、静かに祈りをささげる……

 

 

……待て、何故自分はおぼろげな何かの片方が少女だということがわかった?

 

 

マリーの脳裏をそんな疑問が駆け抜けた瞬間、

 

 

バンッ!!

 

 

「ひゃうっ!?」

 

 

大きな音を立てて病室の扉が開かれた。

マリーはびくりと肩を震わせると慌てて音がした方を見た。

おぼろげな少女も同じようにそちらを見た。

そこには……

 

 

……1人の、何かがいた。

 

 

辛うじて人の服を着て、人の形を保っているだけの何か。

その肌は分厚く、燃え尽きた灰のような獣の毛におおわれていて、

腕や足の形も歪も歪。

そして、その燃える炎のような瞳はぐずぐずに蕩けていて……

……けれど、何故かその人物の名前が、マリーの脳裏に浮かび上がってくる。

 

 

「ローレンス、様……?」

 

 

あぁ、見つけたよマリー。

 

 

マリーがそう言うと同時、ローレンスもそう、嬉しそうに声をかけた。

……とは言え、その視線の先はおぼろげな少女の方へと向けられていたのだが。

身を震わせ、後退る少女にローレンスは嬉しそうに近づいてゆく。

 

 

丁度よかった、是非君に伝えたいことがあるんだ……!

漸く、漸くだ……私達の悲願が叶ったんだ!!

 

 

「……違う」

 

 

思わず、マリーからそんな声が零れた。

 

 

……あの人は……狂ってはいたがこんな、

こんな人かどうかもわからない何かではなかった。

こんな、成れ果ての何かではなかった。

 

 

そんな中、おぼろげな少女に向けてローレンスは嬉しそうに手の中の小瓶を見せる。

 

 

はは、ははっ!これを見てくれ!!今まで聖体から得た血で作って来た輸血液に、更に漁村で得た彼の者の死血を配合して作った特製の聖血だ……!!

 

 

小瓶の中の[聖血]が揺れる。

暗く蕩け、青ざめたような色合いのそれは、

マリーから見て到底[聖血]のようなものだとは思えなかった。

 

 

素晴らしいだろう?そして見てくれ、私を……!

この聖血を拝領し、遂に獣の病を克服した私を……!!

 

 

「違います!ローレンス様、それは聖血などではありません……!」

 

 

マリーは思わずそう呼びかけるが早いか、

変わり果ててしまった恩人であり、

大嫌いな人間でもある彼の手からそれを取り去ろうと飛びつこうとした……が、

 

 

「……れ?」

 

 

……足が動かない。

まるでこれから起こることは変えようのない現実だとでも言うかのように。

……否、既に起きてしまった取り返しのつかぬ過去だとでも言うように。

おぼろげな少女が何か言葉を紡ぐ。

それに対し、ローレンスは酷く悲しそうな顔をした。

 

 

……どうしてだい?

マリー、何故君までそんなことを言うんだい?

 

 

……けれど、声は届かない。

ただ、叶わぬ願いに飲み込まれたあの人は、もう何もわからない。

 

 

……マリー、わからないかい?

この姿こそが、我々の研究の集大成、

今まで獣の病克服の為の糧となってきた人々の為の鎮魂なんだよ?

あぁ、今も聞こえてくるんだ……呼びかけが、優しげな抱擁の福音が……!

 

 

「違うっ!!!」

 

 

彼女らしからぬ、最早悲鳴のような言葉が発せられる。

 

……わからない……わかりたくない。

数多の犠牲の上に成り立っていたはずの救いの光が、

そんな結末に終わるなど、

歪み果て、狂っていたとしても確かに救済を志していた1人の人の結末が、

このようなものであっていいはずがない、いいはずがないのだ。

 

……けれど、もはや過去となったその出来事は、もはや止めようもなく流れてゆく。

 

ローレンスは怯えるおぼろげな少女に一歩、また一歩と近づいてゆく。

 

 

マリー……幸いなことに聖血はもう一瓶ある。

さあ、拝領を……そうすれば君もこの意味がきっとわかる。

君なら、賢く、優しい君なら、私の理想もきっと……

 

 

その時、おぼろげな少女がローレンスのすぐ脇をすり抜けると、

病室の出口へ向けてわき目も降らず駆け出した。

それと共に、マリーの見る景色も移ろう。

 

 

待て、待ってくれ!怖がらなくていい……全てすぐに終わる。

誰も理解してくれなかったこの姿を、君なら、きっとわかってくれる……!

 

 

医療棟……いや、実験棟の中をおぼろげな少女は必死で走る。

決して遅くない……寧ろ、少女と呼ぶには早すぎるとすら言える速度だ。

けれど、

 

 

「ダメ……!!」

 

 

その腕は、急激に距離を詰めてきたローレンスによりあっけなく掴み取られた。

 

 

はぁ……は、ははは……!ほら、素晴らしい力だろう?

生まれながらに狩人のような身体能力を持っていた君にも

こうも易々と追いつくことができる!

 

 

ローレンスに捕まって尚、おぼろげな少女は必死でもがき続ける。

けれど、その腕はまるで万力で固定されているかのようにピクリとも動かない。

 

 

さあ、暴れないでくれ、マリー……大人しく聖血を拝領しなさい……

君は善い人なのだから……獣の病に汚されぬように、より高位な力を……

 

 

「……嫌、やめて、やめて、やめてください……!」

 

 

届かぬことを知りながらも、マリーはローレンスに必死で呼びかける。

……けれど、聖血の入った薬瓶は、無情にもおぼろげな少女の腕に振り下ろされた。

 

 

…………あ

 

 

腕の中に[聖血]が吸い込まれてゆく。

それと同時、初めておぼろげな少女の声が……いや、自分の声が聞こえた。

 

 

…………あ、ぁ

 

 

それに宿るのは、絶望。

 

 

深い深い、絶望。

 

 

……はい、もう終わったよ、マリー。

気分は……どこに行くんだい、マリー?

 

 

ローレンスの呼びかけには答えず、

自分はふらりふらりと歩むそして……

 

 

…………あぁ、ああああああああああああ!

 

 

慟哭とも、発狂ともとれる叫びをあげて、ただ闇雲にどこかへ向けて駆け出した。

 

 

ダメだ!その庭園では彼方への呼びかけの実験が……!

 

 

背後からローレンスが何か静止するような声が聞こえる。

けれど、狂乱したマリーにはもはや何も聞こえてはいなかった。

ひまわりの咲き誇る屋上庭園。

その中へマリーが飛び出す。

 

 

あああぁあああああぁぁぁあああっ!!!!

 

 

マリーッ!!!!!

 

 

 

 

瞬間、すべてが白く輝いた。

 

 

 

星々が砕ける。

 

 

光が瞬く。

 

 

視界が白に飲まれる……

 

 

何も、何もわからない。

 

 

意識が、白の中に溶けてゆく……

 

 

……これは悪夢。

 

 

悪い、悪い、悪い夢……

 

 

だから、この記憶は閉じてしまおう。もう二度と、辛い悪夢に目覚めぬように……

 

 

 

 

 

 

……そう、だったのに。

 

 

 

 

 

その筈、だったのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、ぇ?」

 

 

気がつけばマリーは外にいた。

月は今にも零れてしまいそうなほどの白い満月で、トリニティを青白く照らしている。

どうして自分は外にいるのだろうか?

夜の静けさに浸りながら、ぼんやりとマリーがそう考えた矢先……

 

 

ドクン

 

 

心の奥底で、何かが鳴動する。

 

 

ドクン

 

 

それと共に、自身の意識がどんどん明瞭に、はっきりとしてゆく。

……ああ、そうだ。そうだった。

 

 

「……血が、欲しい」

 

 

ポツリ、と。ただ一人。

マリーは夜の闇の中でそう呟く。

そして、最早抗うことのできぬほど大きくなった渇望に誘われて、

ふらふらと歩き出した。

 

 

……あぁ、どうしてこうなってしまったのだろうか?

 

 

考えれど考えれど、答えは出ない。

閉じられた記憶はもはや開かれ、決して忘れることのできぬ傷跡として脳裏に刻まれる。

いくつもの鮮明なトラウマが脳裏にフラシュバックし、

それが精神を犯し続ける。

 

……これは、罰なのだろうか?

 

漁村の虐殺を見ていることしか出来なかった、

実験棟で苦しむ患者たちにその末路を知りながら、

見せかけの慰めしか行えなかった自分への……

 

 

「ローレンス、様……」

 

 

マリーは、夢の中……

いや、こことは別の場所、ヤーナムで出会ったその人の名を呟く。

 

涙がこぼれる。

頬が歪な笑みの形に歪んでゆく……

 

 

「……あなたの拝領した聖血は、結局、結局、

なんの意味のないものみたいですね」

 

 

……その言葉は嘲りでもあり、深い悲嘆でもあった。

どれほど歩き続けただろうか?

最早止むことのない渇望は、それを見つけるまでマリーの身体を動かし続ける。

 

 

そして、その視界の中に誰かが映った。

 

 

黒い制服……見回りをしている正義実現委員会の少女(新鮮な血肉)が2人。

 

 

……肉、渇望を満たしてくれるもの。

 

 

「……♪」

 

 

マリーの表情が喜悦に歪む。

ぐずぐずに蕩けた瞳からは絶えず涙が溢れ出す。

マリーは足音を殺し、物陰に身を隠しながらそっとその背後に近づいてゆく。

 

長い黒髪で目元を隠した小柄な少女。

きっと、きっととても柔らかくて、甘く蕩けて、おいしいのだろう。

 

 

……ごめんなさい

 

 

少女たちに近づくにつれ、甘い香りは色濃く、強くなってゆく。

 

 

……ごめん、なさい

 

 

そして、遂にマリーはその背を一息に間を詰められるほどの距離にまで捉えた。

 

 

「……ごめん、なさい……」

 

 

「え?今誰か……」

 

 

少女がきょとんとしながら振り向く。

その背後に獣性に呑まれた少女が、鋭く変質した牙を剝き出しに飛びかかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこっ!!」

 

 

 

 

銃声

 

 

 

 

……本当に、本当に幸運だった。

 

 

心の中で、ハスミはそう独り言を呟く。

人狼事件の件より、先日から実施されていた正義実現委員会の夜間のパトロール。

あのツルギすら参加し、

トリニティ自警団と合同で行うこととなったこの作戦。

その最中、ハスミが部下に声をかけようとした矢先に物陰から何者かが……十中八九、人狼事件の犯人が飛び出してきたことは正に幸運と言えるだろう。

 

……つい最近、人狼事件の犯人は襲った獲物を生きたまま捕食していたことがわかったばかり。

もう少し反応が遅れていれば、どうなったかなど考えたくもないが。

 

「あなた達、大丈夫ですか!?」

「ハ、ハスミ副委員長!」

「ありがとうございます!私達、全く気がつけなくて……」

「お礼は後で、今は容疑者の確保を!!」

 

ハスミは2人に鋭くそう呼びかけると、

飛びかかろうとした瞬間にスナイパーライフルの弾丸が着弾したせいで地面に倒れ伏した犯人の少女へと視線を向ける。

監視カメラに映っていた黒いパーカーではなく、シスターフッドの制服。

……全く、予想外のところからこのような前代未聞の事件を起こした容疑者が出てきたものだ。

 

「うー、う、うー、うー」

「そこのシスターフッドの生徒。あなたには一連の動物惨殺事件の犯人であるという嫌疑がかかっています。

速やかに立ち上がり、本部まで同行を」

 

ハスミは奇妙なうめき声を上げる容疑者に向けて、銃口を突きつけながらそう声をかける。

その時、その声を聞いた少女のうめき声が止まった。

 

 

「……ハスミ、さん?」

「……え?」

 

 

少女がようやく発した言葉らしい言葉。

その声色に、ハスミは固まった。

……そんな中、少女はゆるゆると覚束ない動作で立ち上がる。

伏せられていた双眸が、ハスミのことを射抜く。

 

 

「……!」

 

 

それは間違いなく、

ハスミも見知っている心優しい少女、マリーだった。

けれど、涙が絶えず零れ落ちる水色の瞳はぐずぐずに蕩けたように崩れ、

半開きになった口からはあるはずのない

彼女にはなかったはずのギザ歯が覗き、荒い息を零している。

……明らかに、正常とは言い難いその姿にハスミは絶句した。

 

「……あ、あぁ、足りない、足り、ないです」

「マリーさん……?マリーさん、一体どうしたんですか!?

しっかりしてください!!」

 

うわ言のように言葉を繰り返すマリーに対し、

ハスミはその肩を掴んで揺さぶる。

されるがままにゆらゆらと揺れるマリーだったが、

突然、その動作が固まったかと思うとその瞳がハスミへと向けられる。

 

 

「足り、ない……!!」

「っ!!」

 

 

その急激な動作に対応できたのは正義実現委員会の副委員長たるに相応しい

身体能力を持っているからだろう。

口を大きく開けて掴みかかってきたマリーに対し、

素早くライフルの側面を押し付けるようにして抑え込む。

……本来なら、これでマリーが拘束されて終わりだっただろう。

 

 

本来なら、

 

 

「ハスミ、さんハスミさん、ハスミさん……!」

「っ!?力が……!!

 

 

一瞬だけマリーは怯みこそしたものの、

そのまま無理矢理ハスミの方を逆に抑え込もうと力をかけてきたのだ。

本来、戦闘職についており体格に恵まれているハスミと

聖職者であり荒事自体が不得手なマリーとでは身体能力に決定的な差がある。

それだというのに、ハスミが徐々に押し負けるほどの力で

マリーは彼女を押し続ける。

 

 

「副委員長!!」

「あぐっ……!」

 

 

その時、側面から飛んできた射撃によりマリーがよろめいた。

その隙にハスミは距離をとると未だ着弾の衝撃に揺れているマリーに照準、

薬室に装填されるは、AP弾。

 

 

「今は眠っていてください!!」

 

 

轟音

 

 

衝撃波を伴った徹甲弾がマリーの頭部に吸い込まれるように着弾する。

その華奢な身体が大きくのけぞった。

……が、

 

 

「う、うぅ……」

 

 

マリーはただ、うめき声をこぼすのみで起き上がったのだ。

普通の生徒なら、当に気絶している程のダメージを受けているはずなのに、

それでも尚マリーは動いた。

 

「マリー、さん……あなたは……」

「うう、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

ハスミ達が呆然と彼女のことを見つめる中、

マリーは彼女たちへ興味を失ってしまったのか、

それとも何か思い出したかのようにおぼつかない足取りで歩き出す。

誰かに、許しを求めながら、彷徨うように夜の闇に溶けてゆく。

 

 

「……私はツルギへ連絡を入れます。

あなたたちはシスターフッドと……救護騎士団へ連絡を」

「は、はい!」

「了解しました!」

 

 

ハスミの声に、委員の少女2人が慌ただしく動き出す。

 

 

 

 

……ふとハスミが空を見上げれば、未だ、月は青白く輝いていた。

 

 

 

 









<黒いベール>

実験棟に落ちていた黒いベール。
そこに施された簡素な装飾は、
少なくとも持ち主が医療協会所属ではないことを示している。

過去、医療協会が発足する前の前身の時代。
ローレンスの傍には一人の異国の少女の姿があったのだという。
心優しき彼女は人々に慕われ、
しかしそれ故に、暗い真実を受け止めることは叶わなかった。


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