極夜に囚われたセリカ   作:時空未知

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<ローレンスの頭蓋>

医療協会、初代教区長たるローレンスの頭蓋骨。
だが現実には、彼は初めての聖職者の獣であり、
人の頭蓋は悪夢の中にしか存在しない。

それは、終に守れなかった過去の誓いであり、
故にローレンスはこれを求めるだろう。
追憶が、戻るはずもないのだけれど……




side another 伊落マリー、又は聖職者の獣(5)

 

 

月明かりの降る、夜の闇の中。

 

 

本来ならば他の場所と等しく、

夜の静寂に包まれているであろうトリニティの大聖堂。

けれど、今その場所の扉は不自然に、人ひとりが通れる分だけ開けられていた。

聖堂の内部は灯りの一つもついておらず、

ただ上部のステンドグラスから差し込む月明かりだけがこの場所を照らしている。

その最奥にある祭壇、その目の前で一人の少女が蹲っていた。

 

……いや、それとも祈っているのだろうか?

 

何かを抑えつけるように体を丸めたまま、

ただひたすらに、居場所も知らぬ神に……或いは他の何かに、少女は祈りをささげる。

 

 

「聖血を得よ。祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん、拝領は与えられん」

 

 

……涙に擦れ、嗚咽に溶けた、この教会の崇拝するものと違う彼の者へと向けた祈りの言葉。

少女のオレンジ色の陽だまりのような髪は乱れ、空を思わせる瞳はぐずぐずに蕩けている。

血を吐かんばかりに紡がれるその言葉からは正気の色はなく、

恐怖と悲哀で、歪んでいた。

 

 

「密かなる聖血が、血の乾きだけが我らを満たし、また我らを鎮める、聖血を得よ」

 

 

もはや止めようもなく溢れ出す獣性を抑える術はなく、

ただ、これ以上壊れぬよう、ほんの少しだけ残った理性を振り絞って、

心地よい香りから、血肉の香りから遠ざかる。

……その無意識の末に場所にたどり着いたのがこの場所だったのは何かの因果だろうか?

 

 

「だが、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い。冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう」

 

 

……だが、それでも破綻を迎える時は来る。

それは、彼女の精神の破綻という意味でもあり……

 

 

「だから、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い。恐れを失くせば、誰一人君を嘆くことはない……」

 

 

……秘匿しておくことの、破綻。という意味でもある。

 

祈りを終えた少女に届くは扉の開け放たれる音。沢山の誰かが歩く音。

 

そして、甘い甘い、蕩けるような生きた血肉の香り……

 

 

「マリーさん!」

 

 

……そして、声が聞こえる。

もう久しく聞いていないような気のする、優しい声。

長い悪夢から目覚めた自分を、最初に抱きしめてくれた声。

けれど今は、その声がご馳走のスパイスのようで……

 

 

「……あぁ」

 

 

……少女は、伊落マリーはため息ともつかぬ感嘆を溢すと、

ゆっくりと立ち上がり、そして振り返った。

そして、いつも通り、優しい優しい、慈愛を浮かべる。

 

 

「……こんばんわ、皆さん」

 

 

……壊れかけの姿で、普段と変わらぬありきたりを紡ぐマリー。

その姿を見て、少女たちは何を思っただろうか?

 

 

__________________________________

 

 

 

「……え?」

 

 

 

その言葉を聞いたとき、

サクラコは目の前にいる同じ学び舎の生徒たちが発したそれの意味をさっぱり理解できなかった。

それは、傍らにいるヒナタとて同じことであっただろう。

 

……いや、落ち着け。

 

サクラコは自分に短くそう言い聞かせると、

あくまでいつも通りの微笑を形作り彼女たちに呼びかける。

 

「……このようなことはあまり言いたくありませんが、何かの誤りでは?

シスターマリーが……あのマリーが、ですよ?」

「……信じがたいことだとは思います。

ですが、心を落ち着けてもう一度聞いてください」

 

……サクラコとヒナタが混乱することも無理もないことだろう。

急に夜中に緊急招集がかかったかと思えば、

現場には正義実現委員会の2トップと幾名かの委員、そして救護騎士団の団長がこの場に集っており、雰囲気もエデン条約襲撃事件が起こったあの時ほどではないにしろ、かなり物々しい。

……それに、伝えられた事の内容が内容だ。

 

シスターフッドの、自分達より彼女をよく知っているであろう少女らの様子にハスミは言い淀むも一瞬、改めて言葉を紡ぐ。

 

「現在トリニティで起こっている、人狼事件と称される一連の動物惨殺事件……その犯人は、ほぼ間違いなくマリーさんです」

 

いや、[ほぼ]ではなく[確実に]だ。

 

心の片隅から、そんな声が聞こえる。

……それをわかっていて尚、そう言い換えてしまったのは、やはり自分も何処かでその事実を信じる事を拒絶している為だろう。

 

「……!」

「そんな、マリーさんは確かに食べるものがお肉ばかりになってましたし、つい最近は特に様子が変でしたけど、でも、そんな……そのような事が……!」

 

サクラコが声を発することすらできず息を飲む中、

マリーと特に親しい関係にあったヒナタは未だ伝えられた事柄が信じられないのか、必死に、自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

……けれど、その発せられる言の葉こそが、何よりも真実を確かなものへとしてゆく。

 

「しかし、ハスミ副委員長と他幾人かの正義実現委員によると、マリーさんは正常な状態ではなく、酷く錯乱した様子だったと聞いています」

 

その時、そんな彼女らの横から凛とした声が響いた。

……救護騎士団団長、ミネだ。

 

「錯、乱……」

「はい。私もマリーさんが偏食に悩んでいることは知っていましたが、それを差し引いても彼女がこのような凶行に至るとは考えにくい。

何か、こうなるに至った外的な要因があったと考えるべきです」

 

そこで一度言葉を区切ると、ミネはサクラコのことを見た。

……その視線は、心なしか厳しい。

 

「……異食症に近い症状。

普段のマリーさんからは考えられない行動としては解離性障害等の精神疾患が想定されますが……いずれにせよ、これらは過度のストレスによって発生することがあります」

 

そう言うが早いか、ミネはサクラコの目の前に一気に接近した。

 

「サクラコさん。シスターフッドの長でありながら、私より遥かに彼女に近しい立場でありながら、本当に彼女がここまで追い詰められるまで気が付かなかったのですか?だとすれば何故……!」

「ま、待ってください、ミネ団長!サクラコ様は最近公務に掛かりきりで、それに、マリーさんの様子が変わってしまったのもつい、最近のことで……」

「ヒナタさん、すいませんが一度静かにしていてください」

 

今にも手が出かねない勢いで詰め寄るミネをヒナタが慌てて押し留めようとするが、彼女は一言でそれを打ち払うと改めてサクラコの事を見る。

……彼女の癖のようなものになってしまっている微笑みは既になく、ただ、その瞳は不安と悔恨で揺れている。

そんな彼女に向けて、ミネは声を発する。

 

「……サクラコさん、答えてください。もし、もしあなたが今回の件の、マリーさんが変わってしまった原因の一端をになっているのだとしたら、私は……」

 

 

「落ち着け」

 

 

その時、全くの別方向から声が響いた。

ミネとサクラコが反射的に視線を向けると、そこには恐ろしげな風貌の正義実現委員会の委員長であるツルギが、彼女らの事をじっと見ていた。

………けれど、彼女自身はまだ何か言いたそうだが、関わりの薄い人から、一気に自身に注目が集中した緊張からか声がうまく出ないようである。

 

「………今は、それは関係ない」

「ツルギの言う通りです。その件についてここで話し合っても仕方ありません。今すべき話すべきは、マリーさんの事です」

 

ツルギがかろうじて発したその言葉を、ハスミがうまい具合に引継ぎ伝える。

……その言葉で、漸くミネは落ち着いたようだ。

 

「……そうですね。すいませんサクラコさん、ヒナタさん。少し熱くなりすぎました」

「いえ、謝罪まではしていただかなくても大丈夫ですよ。

……それに、私が気がつくことができなかったということも、また事実です」

「……一先ずは大丈夫そうですね。改めて状況を説明します」

 

そうして、一度場が落ち着いたところで、ハスミが再び現在の状況の説明を始めた。

その場にいる誰もがその言葉に耳を傾ける。

 

「先ず、昨日23時頃、巡回任務に当たっていた2名の正義実現委員が、人狼事件の犯人と思われるシスターフッドの制服を着た生徒に、死角から襲撃を受けました。

そこを偶々別ルートの巡回に当たっていた私が発見、攻撃を受ける前に阻止した形となります」

 

紡がれるはつい先程起こった一連の出来事の記憶。

……元々こういった状況説明は幾度となく行ってきたが、今回のことは忘れようにも忘れられない。

 

「そこで、その襲撃者が伊落マリーさんだと発覚しました。けれど彼女は錯乱……」

 

そういいかけたところで、ハスミは一度言葉を途切れさせる。

……そして、何かを間違えたかのように短く頭を振った。

 

「いや、何かに酷く魘されているような状態でした。

私の姿は辛うじて認識していましたが、それすらも危うい様子で……」

「……ともあれ、その後の拘束は失敗した、と」

「はい、お恥ずかしながら。一応、マリーさんが大聖堂に逃げ込んだこと、現在に至るまで」

 

サクラコからの確認に、ハスミは頷くと、その上でそう説明し、ひとまずの説明を終え……ようとしたところで、もう一つ伝えるべきことを思い出したようだ。

 

「そう言えば、何故だかはわかりませんが、マリーさんは精神状態の他に身体的な異変も起きていました。

歯が非常に鋭くなり、瞳が崩れたような形状へ変化。

そして、私を一時的に押さえ込み、額への狙撃をものともしない程に身体能力と強度が上昇していました」

「抑え込むって……ハスミ副委員長をですか!?」

 

ヒナタが驚愕の声を発するも、

ハスミはその言葉に小さく頷いた。

……と、

 

 

「……身体的な変化?」

 

 

その時、ハスミの言葉にミネが反応を示した。

 

「ミネ団長、何か心当たりが?」

「……身体能力の向上の所に、少しだけ」

 

何処か上の空気味にミネは返答すると、何かとっかかりがあったのかその場で考え込み始めた。

……記憶に蘇るは、昏睡状態にあったセイアが目覚めた直後、アリウスからの襲撃を受けた時の事。

 

「条件と期間は異なれど長期間の昏睡……見かけ上の異常無し……しかし、何れの事例も血液に僅かな異常……そして、身体能力の向上………………副委員長」

 

そこまで呟いた所で、ミネはハスミに向けて声をかける。

 

「今回の件、ティーパーティーには既に?」

「連絡自体はその最中、と言ったところです。

念の為シャーレにも入れておくように指示を出しています」

「……わかりました」

 

ミネはその言葉に短く返答すると、ほっとしたように息をついた。そんな彼女の様子が気になったのか、サクラコが話しかける。

 

「ミネ団長。何か、今回の事の原因に推測が……?」

「完全にそうではないと言えば、嘘になるのですが……」

 

けれど、ミネの言葉の歯切れは悪い。

どこまで言うべきか、どこまで言ったものか。

ミネはそれについて、またしばらく考え込んでいたが、やがて口をゆっくりと開いた。

 

「けれど、あくまで推測。

それに今回の件に関しては、マリーさんを[救護]しないことには役に立ちませんね」

「きゅ、救護、ですか……あの、できれば可能な限り穏便に」

「……そうも言ってられないかもしれません」

 

……ミネの言う迅速な救護(鎮圧)は悪い意味で有名である。

無論、それをサクラコが知らぬはずもなく、そう言うのも当然と言えるだろう。

けれど、その言葉にハスミがそう呟く。

 

「先ほども言った通り、

私を容易く押さえ込むような力をマリーさんは持っており、

恐らくは本人の意思とも関係なく目の前のいる人を襲ってしまっている状態です。

……鎮圧は、避けては通れないかと」

「……そう、ですか」

 

ハスミの言葉に、サクラコは辛うじてそう返答した。

……そして、少しの間、そのことについて考え込んでいるのか目を閉じる。

 

「……サクラコ様?」

「ヒナタさん」

 

……その末、背後に控えるヒナタに話しかけられたと同時、

丁度、彼女の決意も固まったようだ。

 

「……まだ状況はわからないことも多いですが、

少なくともこの状況になって一番苦しんでいるのはマリーの筈。

少々手荒な手段になるかもしれませんが、

その苦しみから解放することもまた、私たちの役目です」

「……!……はい」

 

サクラコの意志が固まったことで、ヒナタの瞳にも決意が宿る。

そんな彼女らの様子を確認して、ミネはこくりと頷いた。

 

「そうと決まれば、です。できる限り迅速に、マリーさんに救護の手を」

 

そう言うが早いか、

いつの間に取り出したのか、ミネは愛用のライオットシールドを構える。

……非常に頼もしくはあるのだが、

今にも急発進しかねない暴走機関車の様相も感じられる。

 

「……ミネ団長が先走るのはいつものことで、今回ばかりは気持ちも分かりますが、少なくとも最初は私達は後方に待機し、サクラコさんとヒナタさんは先行して呼びかけを。

万が一のことがあればツルギもいます」

「……くけけっ」

 

そんなミネを諫めつつ、ハスミが冷静に、少女たちに向けて役割を言い渡す。

その言葉に、異存はない。とでも言うかのように、ツルギが狂的な笑いを溢した。

……方針は決まった。ならば、向かうべき場所はただ一つ。

 

 

 

「向かいましょう……大聖堂に」

 

 

 

サクラコの言葉に、その場にいる全員が、思い思いの動作で。

……しかし、確かな肯定を示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

……彼女たちは知らぬだろう。

奇しくも、大聖堂という名の場所は、

ヤーナムにおいて教区長が終に白き獣と化した場所であり、

 

……悪夢において、燃え盛る獣が決して届かぬ追憶を求めた場所である。

 

 

 

 

__________________________________

 

 

 

 

 

……夜闇の中の大聖堂。

人ひとり分だけ薄く開かれた大扉はどこか不気味で、

まるでこちらを招き入れているように感じられた。

少なくともマリーが大聖堂の外へ出ていないことはわかっているものの、内部の状況まではわからない。

 

この大聖堂へと入ったのは

シスターフッドよりサクラコとヒナタ。

正義実現委員会よりツルギとハスミ、小隊規模の正義実現委員。

そして救護騎士団よりミネと、夜勤の担当だった数名の救護騎士団員だ。

ゆっくりと、警戒しながら扉を少しずつ開き、物陰にライトと銃口を向ける。

 

 

「入口付近には……いないようですね」

 

 

……先の事例からするに何処かで不意打ちをかけてくることは想定していたが、入口付近にはいなかったらしい。

しかし、そうなれば決して少なくない死角のある暗い大聖堂の中でマリーを探さねばならないことになる。

無論、そうなれば危険は増える。

 

「皆さん、周囲の警戒は……」

 

ハスミは総員にそう呼びかけようとした。

……けれど、それは次の瞬間途切れることとなる。

 

 

「……あっ!!!」

 

 

……発せられたのはヒナタの声。

その瞳の向く先……最奥の祭壇の前に、自然と少女らの視線も集中する。

そこには……

 

「……!!」

 

建物の構造上、上部から差し込む光は祭壇とその付近へと集中するように設計されている。

その照らされた月明かりの中心に、1人の少女が……マリーが、祈りを捧げるように蹲っていたのだ。

何処かに隠れ潜んでいるわけでもなく、ただ静かに祭壇の前にいる。

けれど、何故かその後ろ姿には、得も言えぬ不吉な何かが宿っているようで……

 

 

「マリーさん!」

「っ!?ヒナタさん、待ってください!」

 

 

その時、ヒナタが彼女の名を呼ぶや否や、その元へ向けて駆け出した。

慌てて他の少女が呼び止めるも、その声が届く様子もない。

 

「……」

 

対して、ヒナタの声が聞こえたのか、マリーがゆらりと上体を起こすと、そのままゆっくりと立ち上がる。

そして、殆ど間を置かずこちらに向けて振り返った。

 

届いた……!

 

その事実に、ヒナタの表情に一時の喜びと安堵が浮かぶ。

 

「よかった……!だいじょ……う、ぶ?」

 

……けれど、それはやはり、ほんの一瞬のものでしかなかった。

ヒナタの声が、そして駆け寄っていた足が止まる。

こちらに振り返ったマリー。

そこに浮かぶ表情は、普段と変わらぬ、温かな微笑み。

 

 

「……こんばんわ、皆さん」

 

 

いつも通り、変わらぬ、変わらない。

そんな言葉を彼女は紡いだ。

……けれど、その正常な仕草が、表情が、言葉が。

何より彼女の異常を際立たせる。

グズグズに蕩けた瞳から溢れ、頬を止め処なく伝う涙が、乱れた髪が、口元からちらりと覗く、牙と呼ぶべきギザ歯が。

その姿を狂気に彩る。

 

「でも、どうして皆さんこちらに?今の時間は礼拝の時間でもありませんし……だから、早く、お帰りに……」

「そ、そんなこと……それだったら、マリーさんも「帰ってくださいっ!!!」!?」

 

あくまでもいつも通り、変わらぬように振る舞おうとするマリー。

そのボロボロで痛々しい姿に思わず目を背けたくなる。

けれどそれを堪え、ヒナタがそう呼びかけようとするも、その声は次の瞬間にはマリーから発せられた悲鳴に近い声に掻き消された。

浮かんでいた微笑みが、感情が急落したように一気に苦痛のそれへと変わる。

マリーはよたよたとヒナタ達のいる場所から後退ると、自分を抑え込むように己の身体を抱き締める。

 

「お願いします近寄らないでください放っておいてください、獣性に、私の意識が、消える前に、私の前から居なくなってくださいどうか、どうか、どうか、お願いします……!」

 

獣性という聞き慣れない単語とともに、マリーから悲鳴のような懇願が溢れる。

その姿に、手を伸ばそうとしていたヒナタの動きが、止まる……瞬間、

 

 

「ヒナタさん、横を失礼します!!」

 

 

そう言うが早いか、ヒナタのすぐ側を一陣の風が駆け抜ける。

彼女の視界に一瞬映ったのは、翻る白衣と青い翼……ミネだ。

 

判断は一瞬。

マリーの状態は思った以上に酷い。

それに何か、常に最前線で戦ってきた経験からくる、背筋を這い上がるような悪寒が、彼女の身体を突き動かす。

そのシールドを構えた左腕が、突然の急接近に反応しきれていないマリーの姿を捉える。

 

 

「マリーさん、今はあなたに休息をっ!!!」

 

 

そう言うが早いか、ミネはマリーが対応する一瞬の隙すら与えずその身体を思いっきりシールドで強打した。

 

 

ドゴッ!!!

 

 

到底シールドから出るとは思えない強烈な打突音が聖堂に響き渡った。

衝撃をもろに受けたマリーの身体は吹っ飛び、近くの柱に叩きつけられる。

 

「ミネ団長、どうして!?」

「いくら何でもこれは……!」

 

突然のその行動にヒナタが、サクラコがそう声を上げる。

それに対し、ミネはあくまでも冷静に反論した。

 

「救護には迅速な対応が求められます。

仮にあのままだったとして状況が良い方向に変わったとは言えません、ですから……」

 

 

「……待て」

 

 

その時、少し遅れてやってきたツルギが、

今にも言い争いをはじめんばかりの彼女らを低く、しかしよく通る声で制した。

ツルギが視線を向ける先、そこには……

 

 

「……う、うぅ」

 

 

ミネの容赦のない全力の一撃を受けていながら、立ち上がるマリーの姿があった。

大抵の人物は一撃で昏倒し身動きが取れなくなるというのに、マリーは立ち上がるときに多少ふらついたのみで、

それ以外に目立った影響は見られず、動きが鈍った様子もない。

……無論、それだけの耐久力が元々のマリーにあるはずもない。

 

「……嘘」

「……なるほど、これはかなり強度の高い救護が必要なようですね」

「う、ぅぅ、あ」

 

その様子にヒナタらが言葉を失う中、

ミネ、そしてツルギとハスミも警戒の色に目を細める。

そんな彼女たちの声が聞こえていないかのようにマリーは暫くうめき声をあげていたが、

不意に頭上を、月の浮かぶ場所を見上げた。

 

 

「………あ」

 

 

……その月光の中に、何を見たのだろうか?

露出した口元が、先ほどまでの苦痛を塗りつぶすような、狂喜に歪む。

 

 

「あ、ぁあ、あは、あははっ、あはははははっ……!!!」

 

 

マリーは笑う、自身を未だ嬲り続ける獣性の中で、笑い続ける。

 

「ローレンス様、ローレンス様!私にも、私にも聞こえます。

優しげな獣の抱擁が、彼方から響く福音が……!

……こんな、こんなもの、こんなものがあなたの請い求めたものなのですか?!」

「っ、救護!!!!」

 

目まぐるしく上下を繰り返す感情、支離滅裂な言動。

その狂気がみるみるうちに顕著になりつつあるマリーに向けて、再びミネがシールドを振りかざして吶喊する。

そして、風圧を伴ったそれがマリーの身体を打ち据え……

 

 

「なっ?!」

 

 

……しかし、それは叶わない。

両腕を使ってのものではあるが、ミネの一撃をマリーは完全に受け切ったのだ。瞬間的な衝撃は殺しきれなかったのか足元が一歩、二歩と動くが、それもすぐに収まる。

 

「ぐぅ、これは……!」

 

ミネは無理矢理マリーを押し込もうとするが、こちらが逆に工業用のプレス機で押さえつけられているかのように、動けないどころか徐々に、徐々に押し負けつつある。

 

「……あぁ、ミネ団長。ミネ団長は、きっと……」

 

今にも破断しそうなほど軋みを上げるシールド。

透明なその装甲の奥ではマリーが今にも蕩けてしまいそうな恍惚とした表情を浮かべている。

その薄く開かれた口元からは鋭い牙が覗き、唾液がポタポタと零れ落ちる。

 

「筋肉質で、でも弾力があって、おいしくて、おいしくて……!」

「っ!?マリーさん!?」

 

悍ましい、普段の彼女が言うはずもない言葉に、ミネの身体が一瞬揺らぐ。その一瞬。

ほんの一瞬に、マリーが人とは思えないような膂力で一層大きく踏み込む。ミネの体幹が、大きく揺らいだ。

 

 

押し負ける……!

 

 

ミネの脳裏を、そんな言葉が駆け抜ける。

マリーは渇望の赴くままに彼女を押し倒そうと、そのまま……

 

 

「うぉあ゛あああああ!!!!」

 

 

マズルフラッシュ

 

 

瞬間、その横から絶叫が聞こえたかと思うと、

2回分の轟音が辺りに響く。

放たれるは散弾。

銃口を向けるは両手にショットガンを握り締め、瞬時にマリーの側面に回り込んだツルギ。

 

「あうっ!?」

 

流石に至近距離での散弾の直撃には耐えきることのできなかった為か、マリーがよろめく。

その僅かな隙に体幹を取り戻したミネは素早くシールドを引くと、今度こそそれをマリーに叩きつけた。

 

 

「がっ!?」

 

 

マリーの身体が今度こそ吹っ飛び、少し離れた場所に転がった。

それを見届けた後、ミネは漸く息をつくと側にいるツルギに話しかける。

 

「支援、感謝します委員長。あのままだとどうなっていたことか」

「くかかかっ……礼はまだだ」

 

その言葉に、先程迄の余韻によるものか狂的な表情になっていたツルギだったが、すぐにそれを押し殺すと正面を示す。

 

「……血、温かな血が……う、うぅ」

 

ミネのシールドバッシュ2回。

ツルギの掃射1回。

報告が正しければ頭部にハスミのAP弾1発……

……それだけを受けていながら尚、マリーは動く。

 

「マリー、正気に戻ってください!私達がわからないのですか!?」

「お願いします、どうか、どうか元のマリーさんに、戻って……!」

「う、うぅ……」

 

追いついてきたサクラコとヒナタの呼びかけにも、既にマリーは頭を押さえて呻き声を溢すのみ。

その顔は、先程の恍惚は消え、悲哀ばかりが埋め尽くしている。

 

「嫌……嫌……血肉なんて欲しくない……食べたくなんて、ありません……誰か……誰か……」

 

彼女の中で、ずっと相反する何かがせめぎ合っているのか、

先程からずっと、支離滅裂が繰り返される。

 

「……マリーさんっ!!」

「おあああぁぁぁあああつ!!!」

 

ミネが駆け出すのはこれで3度目、しかし今度はそれにツルギが追従する。今度こそ少女の意識を刈り取るべく、ショットガンの銃口を向ける。

 

 

轟音

 

 

3発分の散弾がマリーの身体を打ち据える。

その身体が僅かに揺らぐ。

 

……しかし、既に全てが手遅れだった。

 

マリーはゆるゆると手を伸ばす。

もう禄に聞き取ることもできない少女達の声に。

……もう手の届くことはない、光のある場所に。

 

 

 

「逃げテ……クだサ……イ」

 

 

 

……それが、獣性に完全に意識が融ける寸前、

マリーが辛うじて紡いだ最後の人の声となった。

 

 

パキッ

 

 

ヘイローが黒く砕ける。

全てが獣性に染まってゆく。

 

 

「あ、う、ウ、ウウウウゥゥゥヴヴゥアアアアッ!!!」

 

 

少女の口から発せられるとは思えぬ悲鳴を伴い、その身体は変貌する。

骨が無理矢理延長され、皮膚は引き伸ばされ、

裂けて血が飛び散れば、そこは陽だまりのような橙色の毛皮へ覆われ、少女の白い肌を獣へと変えてゆく。

口元は獣の如き乱杭歯の並ぶそれへ、頭頂部からは鹿のそれよりずっと大きく鋭い角がメキメキと伸びてゆく。

 

その、理解を拒むような非現実に。

今にも吶喊しようとしていたミネとツルギの足が、

スナイパーライフルを構えていたハスミの腕が、

意を決して銃を取り出そうとしていたサクラコとヒナタの動きが……固まる。

 

……そして、その変貌が終わった後。

真っ赤な鮮血が彩るその中心に、それはいた。

 

 

「ア、ウゥ、ウゥゥ……」

 

 

流れるような長い髪は身体全体を覆う毛皮へと転じ、

細かったその腕は見る影もなく、凶爪の生えた狂暴なものとなっている。

その体躯は大聖堂の祭壇の頂点に届くほど強大……

 

 

「ウゥ、ヴウウウゥゥゥヴヴゥアアアアアアッッッ!!!!」

 

 

獣は咆哮を上げる。その声は聖堂を揺らし、夜のトリニティを切り裂かんばかりに響き渡る。

 

 

……しかしその声は、苦痛の悲鳴のようでもあった。

 

 

 

 

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