「そういえばホシノ先輩は、また寝坊?」
教室に入ってきた神父を思わせる黒装束の少女、セリカがそう問いかけてくる。
見たことが無い格好だが、おそらくあれが狩人としての彼女の正装なのだろう。
……ダメだ、混乱しすぎてどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。
「そ、そうなんですよ!ホシノ先輩ったら昨日、この時間に集合って決めてたのに……」
そんな中、ノノミがセリカに向けて慌ててそう言った。
……当然だろう。ホシノはここには居ない。
そして、戻ってくる保証すらもないのだから。
このことをセリカが知ればどうなるかは目に見えている。
だからノノミはそう言った。けれど、その声はどこまでも上擦っていて……
「……何か、あったの?」
その違和感を、セリカが見抜けないわけがなかった。
赤く蕩けた瞳が不安げに揺れる。
誰も、何も言わない。何も言えない。
そのことが、セリカの不安をみるみるうちに加速させてゆく。
「……もしかして、カイザーの連中にからまれたから登校が遅れてるとか、そういうこと?何だかんだホシノ先輩は強いし……そう、だよね?」
「セリカ、」
シロコは反射的にセリカに声をかけようとするも、言葉が続かない。
彼女の手から、焼き菓子の入った袋がこぼれ落ちる。
「……みんな、何か言ってよ。ホシノ先輩は無事なんでしょ?そうでしょ!?」
そんな彼女たちに向けて、もはや悲鳴のそれに近い声がセリカから零れる。
光景がフラッシュバックする。
記憶が、瞬き続ける。
視界が絶え間なく揺れ動く。
恐怖から逃げ惑うように。
今にも崩れそうな心を補強できる何かを探し求めるように揺れ動く。
そして……
「……その紙、何?」
逃げ惑う視界はそれを映した。
先生が、アヤネが、シロコが、ノノミが、
見ていたらしき開封された桃色の封筒それともう一枚……
「……!セリカちゃん、見ちゃダメ!!」
瞬間、アヤネが手に持っていた字がびっしりと書かれた手紙を投げ捨てるや否や、
セリカに駆け寄ってきたかと思うとその視界を覆い隠すように今にも力の抜けそうなその身体を抱きしめる。
けれど、すべてはもう、手遅れだった。
「……退部、届……?」
ぽつりと、呆然と、セリカの声が教室の中に響いた。
掠れてほとんど聞き取れないような声色なのに、不思議とそれは大きく聞こえた。
教室が、シンと静まり返る。
ぽすっ
セリカの膝が崩れ落ちる。
上手く立てない。
息ができなくなってゆく。
……アヤネが、セリカの身体を強く強く抱きしめるも、
彼女は物言わぬ人形のように揺れるだけだ。
けれど、悪夢はそれでは収まらない。
アヤネが投げ捨てた手紙。
それはひらりひらりと宙を舞い、
偶然に、ただ偶然に、セリカの目の届くところに滑るように落ちた。
「……あ」
セリカの目はそれを、見た。見てしまった。
アビドス対策委員会のみんなへ
その手紙は、そんな書き出しから始まっていた。
まずは、こうやって手紙でお別れの挨拶をすることになったこと、許してほしい。
おじさんにはこういう、古いやり方が性に合っててさ。
……そんなこと、知らない。聞いてない。
みんなには、ずっと話してなかったことがあって。
実は私、昔からずっとスカウトを受けてたんだ。
カイザーPMCの傭兵として働く、その代わりにアビドスが背負っている借金の大半を肩代わりする、そういう話でね。
中々良い条件だと思わない?
おじさんこう見えて、実は結構能力を買われててさ。
そんなこと、認められない。認めるはずがない。
借金のことも、セリカちゃんのことも私がどうにかする。
すぐに全部を解決はできないけど、まずはこれでそれなりに負担が減ると思う。
それに、今の対策委員会なら、きっとこれで大丈夫。
また、離れてく。零れてく。
大切が、どこかに消えてゆく。
アビドス高校からも、キヴォトスからも離れることになったけど、私のことは気にしないで。
嫌だ
勝手なことをしてごめんね。
でもこれは全部、私が責任を取るべきこと。
行かないで
私は、アビドスの最後の生徒会だから。だから、ここでお別れ。
やだ
シロコちゃん、ノノミちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん。
お願い、私たちの学校を守ってほしい。
砂だらけのこんな場所だけど……私に残された、唯一意味のある場所だから。
何の意味がある、大切が零れて行った場所に、何の意味がある。
それから、もしこの先どこかで万が一、敵として相対することになったら。
……あ
その時は、
[お姉さん]
……光景が、重なる。赤に濡れた愛しい誰かの、姿が重なる。
よろしく。じゃあね。
手紙は、そんな言葉で終わっていた。
「……あ」
たったその一言でつぎはぎつぎはぎ、辛うじて保っていたセリカの心は、
「……ぁ」
パキリと、音を立てて、
「……」
脆く砕け散った。
________________________________________
「……セリカちゃん?」
アヤネは抱きしめた大切な少女に、声をかける。
けれど、その声に返答はない。
「セリカちゃん?セリカちゃん??」
アヤネは再び声をかける。
……無理のある隠し方だということは、そんなこと自分でもよくわかっている。
それでも、少しでもセリカを苦しめたくなかったから、
それからその目を覆い隠そうとした。
だというのに、重苦しい不安が消えてくれない。
アヤネは身体を少しだけ離すとセリカと正面から向き合った……向き合おうとした。
……が、
「……」
「……え?」
様子がおかしい。
……身体が重いのだ。
まるで骸になってしまったかのようにそこには力がない。
かくかくと揺れる頭に入った赤く蕩けた瞳は、
どこまでもどこまでも空っぽで、生気と呼べるものは一切感じなかった。
「……!!!」
「"セリカ、セリカ!?"」
「……待って、そんな、セリカちゃん!?」
先生らも事態の異常に気が付いたのか、一斉にアヤネとセリカの元へと駆け寄ってくる。
「セリカちゃん、しっかり、しっかりして……!」
「ぅ、う……?」
小さな呻き声をこぼして、セリカの瞳がくるくると動く。
けれど、漸く動きの止まった瞳は焦点があっているようであっていない。
ただ、揺れる。揺れる。
「まただめ?まただめ?まただめなの?」
「大丈夫、大丈夫だよ……!ホシノ先輩はきっと無事だから、だから……!!」
何の証明にもならない、意味のない声がセリカに響く。
けれど、それが届くことすら彼女にはもう叶わない。
その呂律の回っていない、口から、決定的な言葉が零れる。
「また、わたしが、からないといけないの?
リリーちゃん、みたいに?せんぱいを?また?また……?」
「え、セリカ、ちゃん……?」
「っ……!!アヤネ、そこ退いて!!」
赤い月の狂気の一端を垣間見たアヤネとノノミが絶句する中、
シロコはそう言うが早いか素早くアヤネをセリカから引き離すと、
支えを失い倒れ込む彼女の身体を抱き留めながら自分の懐を探る。
そこから取り出したのは、セリカから受け取った一瓶の輸血液。
[コルクの所を軽くなでれば中身を入れるための針が出てくるから]
あの時、先生と自分に秘密を打ち明けた時の、セリカの言葉が脳裏をよぎる。
その記憶の中の言葉だけを頼りにシロコはコルクの表面をスッとなぞる。
カチンッ!
いとも容易く、セリカの言葉通り鈍色に光る針が飛び出してきた。
実際に自分の手の中にあるそれを見ると、
思わず目をそむけたくなるほどその針は太く、鋭い。
だが、シロコはその感情を押さえつけて、ズボンに包まれたセリカの太もも目掛けてそれを振り下ろした。
「っ……!」
「あ゛っ……!」
初めて、人の肉に刃物を突き立てた。
ほんの少しの抵抗感ののち、ぷつりと途切れたような感触と共に皮膚を食い破った針先は、するりと少女の肉に沈みこんだ。
その悪寒に、シロコの身体が震える。
廃人同然となった少女の口から、苦悶が零れる。
アヤネたちがいる方向から、悲鳴のそれに近い声が聞こえてくる。
……けれど、
「……足りない!」
輸血液の中身が残らず体の中に滑り込んでも、
セリカの身体は未だ力なく揺れるだけで全く動かない。
シロコは空になった小瓶を素早く引き抜き、
血の伝うそれを投げ捨てるとセリカの懐を素早く探る。
すると、ほんの少し懐に手をいれただけだというのに、
それが必要だとでも言うかのように明らかに入りきらないであろう数のそれがそこから溢れるように地面に転がる。
シロコはそのうちの1つを手に取ると先程と同じ様に針を露出させようとした。
その時、
「シロコちゃん!もしかしたらこっちかもしれません!!」
背後から声。
シロコが振り返ると、ノノミが昨日セリカが置いていったバッグから水筒を探し当て、それを懐に抱えて急いで持ってきていた。
「……ありがとうノノミ」
シロコは少しの逡巡の後、輸血液を懐にしまってそれを素早く受け取るとふたを開ける。
その間にショックから立ち直ったらしい先生がセリカの背後に回り込むと、
自分の膝にそっとその身体を横たえた。
半開きになったその小さな口に、シロコは水筒を近づける。
「……ごめん、セリカ。我慢して」
そう言うと、シロコは水筒をゆっくりと傾けた。
どろりとした粘性のある赤黒い液体が、セリカの口の中に注がれてゆく。
……それと同時、
「うっ……!」
「"この臭い……"」
脳を焼き焦がすようなおぞましい臭いが、濃血の臭気が漂ってくる。
本当に、本当に飲ませていいものなのか、
……そして、これを何気なく飲んでいたセリカは……
そんな思考が浮かんでは消え、浮かんでは消える。
その間にも、セリカの口内に鎮静剤は注がれてゆく。
……やがて、水筒からは何も出なくなった。
「……」
……けれど、ようやく薬が効いてきたのだろう。
先程まで錯乱していたセリカの瞳はぼんやりとしていて、
もう物の判別すらついていないのか、
ただ、とろとろと半分眠ってしまったように横たわっている。
「……っ」
横たわる彼女の手を、アヤネはそっと手に取ると、胸元に抱き寄せた。
……黒い革手袋越しに、確かな体温が伝わってくる。
けれど、それだけだ。
「……う、ぅ」
俯いた彼女から、微かな嗚咽が零れてくる。
泣きじゃくる後輩を見てシロコは一瞬顔を伏せた。
……けれど、すぐにその場に立ち上がった。
「"……シロコ、いったい……"」
「ホシノ先輩を連れ戻してくる」
「"!?"」
「待ってください!!」
そう言うが早いか、教室からとびだそうとするシロコをノノミが呼び止める。
けれど、シロコは立ち止まりこそしたものの、振り返ることなくただ視線を送るのみ。それをやめるつもりは一切ないらしい。
「今なら、今ならまだ間に合う。
セリカが目を覚ます前に先輩を連れ戻せば、セリカに夢だって、夢だから忘れられるって言える。怖くないって言える。
だから……」
「誰も止めるなんて言ってませんよ」
けれど、その返答はシロコの予想を裏切るものだった。
彼女が反射的に振り返る中、ノノミは側に立てかけてあったミニガンを手に取る。
「ただ、行くなら私も一緒に、です。
1人で行くつもりなら全力で止めます」
「……ノノミ」
「ま、待ってください……!ホシノ先輩の居場所すらわかってないんですよ?それなのにセリカちゃんもいないのに、私達だけで……」
たった2人。それだけでカイザーに攻撃を仕掛けようとしている先輩らに、アヤネが涙ながらにそう訴える。
けれど、2人の決意は変わらない。
「でも、このままだと……セリカが、本当に壊れる。
それだけは絶対に嫌だ」
「"……私もできる限り協力する。ホシノの居場所の探知と作戦を立てることぐらいしかできないかもだけど……"」
シロコの言葉に、先生までも賛同した。
……無論、このままでは無謀であることなどとうにわかりきっている。けれど、この状況を知れば協力してくれるであろう人物、それもこの状況を打開し得るだけと可能性を持った人物を先生は1人だけ思いついていた。
その脳裏に、不気味な雰囲気を纏った金色の三角頭が思い浮かぶ……
その時、
「きゃあっ!?」
「"うわっ!?"」
校舎全体を揺るがすような爆発音が響き渡った。
打ち付ける衝撃波が、ガラス窓を割らんばかりに軋ませる。
「爆発音……!?」
「"音源が近い、今調べる!"」
アヤネに変わり、先生が即座にシッテムの箱を操作する。
そして、その目が見開かれた。
「"……カイザー!?それも、戦力の半数以上を動員して……!!"」
「……ホシノ先輩の次はセリカってことね。なんにせよ手間は省けた」
シロコはカイザーが展開しているであろうアビドス市街の方を睨みつけると、そのまま教室の外へと駆け出した。
「あ、待って、シロコちゃん!!」
その後ろ姿に、ノノミも追従する。
反射的に2人を呼び止めようとした先生だったがけれど腕を下ろし、首を振ると呆然とするアヤネに、セリカの身体をそっと預ける。
「え……せん、せい?」
「"アヤネはセリカを連れて隠れてて。私はシロコとノノミを助けに行かなきゃ"」
「で、でも!」
……戦力差は絶望的。
ヘイローがない先生は、銃弾一発ですら致命傷になるかもしれない。
だが、それでも尚、先生はそれに向かおうとしている。
声を上げるアヤネ。けれど、先生は柔らかく微笑んだ。
「"大丈夫、私は先生だからね"」
……たった一言、それだけ言うと、先生は立ち上がった。
「ま、まって、待ってください先生!待って……みんな……!!」
アヤネの声が、校舎の中に響く。
……けれど、その声に応える者は誰一人としていなかった。
________________________________________
とある、地下奥深くの実験施設。その一室にあるモニターに映し出された光景に、ホシノは絶句した。
そこら中で爆炎の上がるアビドスの町並み、学校に向けてアリのように群がっていくカイザーの軍勢。
そんな彼女に、後ろに立っていた黒服が話しかけた。
「どうかされましたか?ホシノさん」
ホシノは、何かをこらえるようにゆっくりと振り返ると、目の前の相手をもはや殺気のそれに近い怒気の籠もった目で睨みつけた。
「どうして、どうしてアビドスの町を攻撃するんだ!!」
「どうしてと言われましても……何もおかしいことはありませんよ、ホシノさん」
黒服はそう、何でもないことのように告げて肩をすくめると、
ホシノに対して言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「あの借金はきちんと完済させていただきますとも。それが私たちの間に交わされた約束ですから」
「だったら、どうして……!!」
「それはそうとして……あなたが退学してしまい、残念ながらアビドス高等学校にはこれ以上、公的な生徒会メンバーが残っていないようですね。これでは学校は成り立たないでしょう」
黒服は淡々とその旨を告げた。ホシノの、青と金の瞳が大きく見開かれる。
「嘘、そんな、嘘、噓だ……!」
ただ、ただその言葉を信じまいと首を振るホシノ。
けれど、黒服という大人はどこまでも無慈悲だ。
「……ホシノさん、私たちの目的は最初からあなたでした。あなたに契約書へサインしてもらうこと、あなたに関するすべての権利を頂くこと。その目的のために利害関係が一致したのでカイザーコーポレーションに協力していた。ただそれだけのことです。私たちとカイザーとの間に、おおよそ親しいと呼べるような関係はどこにもなかったのです
……ですが」
そこまで言葉を紡いだところで、黒服がそれを区切った。
……黒い、割れた身体から溢れる白い燐光が、歓喜に揺れる。
「ホシノさん。あなたにはもう一つ、とても重要な意味が生まれました」
「……は?」
硬直するホシノに向けて、黒服は言葉を続ける。
「……想定していなかった変数。
黒見セリカさんの変質。彼女の裏側にあるもの……
それは、キヴォトス最高の神秘たるあなたでも替えが効かないような……」
「おまええええぇえぇぇぇぇぇえええっっ!!!!」
瞬間、ホシノの身体が黒服に向けて飛んだ。
……武器など持っていない。
けれど、それでも尚人を容易く殺せるほどの力が込められた手が、黒服へと迫る……が、
「があっ!?」
瞬間、ホシノの身体は一瞬でその場に縫い付けられていた。
みれば、壁中から放たれた桃色の光線のようなものが、
彼女の身体を固定していた。
けれど、それでも尚、ホシノは黒服に襲い掛かろうと身をよじり続ける。
「ふざ、けるなッ!!!アビドスの借金を肩代わりするって言うから、セリカちゃんには手を出さないって言うから、だからお前の提案に乗ったんだ!!!全部、全部嘘だったのかあっ!?!!!」
「それに対しても、先程と同じ返答をさせていただきましょう。
私どもとカイザーはあくまでも別の組織。
確かに、我々はもうセリカさんに直接の手出しはしません。
精々、カイザーの研究に参加するのが関の山でしょう」
心の底から残念そうに黒服がそう言って首を振ると、
ホシノに向けて言葉を続ける。
「それに、カイザーも何も強硬手段でセリカさんを確保するわけではありません。
クククッ、自分で言うのもなんですが、得体の知れない実験の実験対象となったあなた……大切な人を救うため、そしてアビドスを救うため。
彼女は私どもとカイザーの元へ来てくれるかもしれません」
「……あ、あ、あ」
……つい先ほどまで怒りで我を忘れていたホシノだったが、
漸く、漸く自分の犯した失敗を自覚したらしい。
セリカは、過去に沢山の人を失っている。
だから、大切な人が傷つけられ、いなくなることを極端に恐れている。
それなのに、それなのに……!
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
「……とはいえ、セリカさんは来ないかもしれません。
だから本来の予定通り実験を行いましょう。
せめて、彼女が来るまでにあなたという器が壊れなければいいのですが……」
そう言ってモニターを閉じ、実験施設の外へと立ち去ってゆく黒服。
その背中にホシノは追いすがるように声をかける。
「……もし、もしセリカちゃんたちが、カイザーを壊滅させて、
ここを見つけ出して私を救い出そうとしてたらどうするの?」
できっこない。
心の中で、自分が嘯く。
それでも、ホシノはそう言葉を紡いだ。
彼女にできる精いっぱいの虚勢。
せめて交渉の端に縋ろうとするための、精いっぱいの嘘。
……だが、
「……ふむ」
黒服の足は、止まった。
ホシノの心の奥底で、何かが跳ねる。
「……セリカちゃんは強いよ。私だって、もしかしたら負けるかもしれない。
それに、お前たちは見たんでしょ?
セリカちゃんに手を出したゲヘナ風紀委員会がどうなったか」
黒服は何も言わない。そんな相手に、ホシノは畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「死人が出るほどの騒ぎは、お前らだって困るでしょ?だから……」
「安心してください、ホシノさん」
ホシノの言葉を、黒服は静かに遮った。
……その視線が、ほんの僅かにだけホシノに向けて傾けられる。
「既に手は打ってあります。我ら、ゲマトリアからの兵器の提供という形で。
……少し、威力は調整してありますがね」
「……!」
不吉な、不吉な言葉。
息を吞むホシノを残し、今度こそ黒服は去ってゆく。
「ま、待って……!待って、待ってよ……!!」
その背に、ホシノはもはや意味のない言葉を必死で投げかける。
けれど、その背は、光のある方へ、実験室の出口へと消えてゆく。
「なんでもする、なんでもするから、だから、だからお願い、待って……!」
……扉が、閉まった。
________________________________________
…………
ふむ。学校まで出向こうと思ったのだが、お出迎えとは感心、といいたいところだが、
黒見セリカともう一人生徒の姿が見えないようだな。アビドス諸君?
……これは何の真似ですか? 企業が街を攻撃するなんて……いくらあなたたちが土地の所有者だったとしても、そんな権利は無いはずです!
"それに、学校はまだ私の生徒たちものだ!
理事、お前のやっている進攻は明白な不法行為だ!"
ホシノ先輩を攫った次はセリカもってこと……?
…………声が、聞こえる。
……くくくっ、何を言ってるのやら。
小鳥遊ホシノは我々のスポンサーとの契約に基づいてその身柄をこちら側に預けた。
それに不法行為だと?
先生、君はあずかり知らぬだろうが、試しに連邦生徒会に通報でもやってみたらどうだ?
…………暗い、暗い何処かで、かき乱す声が聞こえる。
"一体どういう……"
ふむ……では、アビドス諸君。
君たちはこの状況について、今まで何度も連邦生徒会に嘆願してきたのだろう? それで、一度でも動いてくれたことがあったか?
…………
無かったはずだ。何せ連邦生徒会は今、動けないからな。いや、連邦生徒会でなくても良い。今までどこか他の学園が、君たちのことを助けてくれたことはあったか?
…………奥底から、情念が沸き上がってくる。
何もわからなくなっていた思考を、砕けていた心を、たった一つの物へと繋ぎ止め、集結させてゆく。
……そろそろ分かっただろう? 誰一人、君たちに手を差し伸べる者はいない。そして、アビドスの最後の生徒会メンバー、小鳥遊ホシノが退学した。アビドスの生徒会は、もう存在しないも同然。君たちはもう、何者でもない。
………!
公的な部活も、委員会も、生徒会も、自治区すらも無いアビドスは、学園都市の学校として自立・存続が不可能だと判断するしかあるまい──やれやれ、仕方ないな、この自治区の主人である我がカイザーコーポレーションが、あの学校を引き受けるとしよう。そうだな、新しい学校の名前は『カイザー職業訓練学校』にでもしようか。
…………それは、憎悪。
もはや純粋なまでに集結されたそれが、動かなくなっていた自分の身に力を巡らせてゆく。
"……!アロナ、今すぐに連邦生徒会に登録されたアビドスの組織のリストを調べて!!"
先生!?
…………あぁ、そうだ。考えてみれば簡単なことだった。
"……そん、な……まさか……"
そうだ。所詮非公認の委員会、正式な書類の承認も下りていない。つまり、君たちの存在を示すものは何も無い。
……!
嘘……!
未だ私は夢に囚われたままで、それが覚めることはもうない。
だが、喜べ。私は君たちに向けて素晴らしい提案をしよう。
私は狩人。血に酔った狩人。
黒見セリカ。彼女の身柄を差し出せば、アビドス高校からは手を引き、小鳥遊ホシノを解放し、残された君たちが安全で、何の気兼ねもない学園生活を送れるように我々が支援しよう。
ふざ、けるな……!
"そんなこと、認めない、認めるわけがない!"
帰ってください……今、すぐに!!
願いは1つ、ただ、1つ
「……セリカ、ちゃん?」
暗い何処かから、タブレットから溢れる光だけが照らすそこで、私はもぞりと動き出す。
「……獣」
「セリカちゃん……!待って、静かに……!」
バンッ
弾かれたようにセリカの身体がロッカーの外へと飛び出した。
目の前にいるのは、[獣]が2匹。
「……あはっ」
セリカは嗤う。凶暴に、狂的に、
真っ赤な血晶石のはまったレイテルパラッシュの切先が、向けられる。
「……汚れた獣ばかり……匂い立つ」
……獣狩りの夜が、降りる。