ゲールマンの身体が燐光となり夢に融けてゆく。
その最後の一片が消えるまで、セリカは優しい最初の狩人のことを抱きしめていた。
……やがて、その体温も、その人が存在したという感触すらも消え失せる。
「……おやすみなさい、ゲールマンさん」
そう、囁くように今は亡きその人に向けて呼びかけた後、
セリカは祈るようにあるいは項垂れるように、その場で俯く。
「……セリカ」
その背に、先輩が声をかけた……瞬間、
カシャン
小さな金属音と共に、先輩の胴体にシンシアリティが突きつけられる。
帽子の下から覗く赤く蕩けた瞳は殺気こそ放っていないものの、
ぐちゃぐちゃの感情で不安定に揺れていた
「……!」
「言ったでしょ……?納得するつもりはないって」
何かを抑えるような、底冷えする声がセリカから発せられたかと思うと、
その身体が一息に跳ね起きる。
涙にぬれるその瞳が、先輩を睨みつけながらも、揺れ続ける。
「今すぐ、説明して!
納得できなかったら……先輩でも、許さない」
「……無論だ、だが今は「私は今すぐって言った。早く……!」」
先輩の言葉をセリカが遮る。
そんな彼女の様子に先輩は僅かにたじろいだ。
本当に時間に余裕がないのだ。
なにせ、この後すぐに……
ドクン
瞬間、何かが鳴動した。
それとほぼ同時、セリカの瞳がぼんやりとしたものへと変化し、
思考には靄がかかる。
「……う、ぅ?なに……これ」
セリカは霧がかる思考の中で辛うじてそう口にすると、辺りを見回す。
青い月光に照らされていたはずの庭園はいつの間にか血のような赤に染まり、空を見上げればそれはヤーナムと同じように青ざめたような夜が広がっている。
……明らかな異常。
自身のトラウマを象徴するものだというのに、不思議なほどその心は動かない。
セリカはもう何度かあたりを見まわした後、月がある方向を仰ぎ見た。
そこには……
「……あ、ぁっ……!」
今にも零れ落ちてしまいそうなほど、赤く、赤く輝く月。
……その中心に、
自分の大切な誰かが。
「……アリアンナさん、おばあさん、おじさん、赤ローブさん」
ゆっくりと、ゆっくりとセリカは
……さながらそれは、夢を見ているような足どりで。
「アイリーンさん、デュラさん、ガスコインさん、ヴィオラさん……ゲールマンさんも……!」
セリカの足取りも、だんだんと速くなり、その一歩手前で止まった。
「……あれ?ホシノ先輩に、ノノミ先輩とシロコ先輩……アヤネちゃんも?」
ここにいないはずのない人の名を、セリカは口にする。
……けれど、そのことに彼女は何の疑問も抱いていないようだ。
セリカはその
……そして、遂にその人を見つけた。
「……リリー、ちゃん」
今にも泣きだしそうな声でその名を口ずさんだのち、
セリカは
「……みんな、みんないたんだ。
会いたかった……ずっとずっと会いたかったんだよ?」
……自分の頭のどこかが、うるさいほど鳴り響いている。
けれど、その響きが、今は何処までも煩わしかった。
「もう、終わっていいんだよね?私も楽になっていいんだよね?」
その言葉を肯定するように、
そして……
「……え?」
泡沫の夢は、解ける。
目の前には、[何者か]がいた。
セリカを掲げるように抱いた両腕は瘦せこけ、
鬣のような触手が頭部から、尾から生え、
少女をじっと見つめるその顔は
「……あ、ぁ」
……ぽっかりと穴の開いた仮面のような、無貌。
……目が合った。
自分の脳を、何かがかき乱してゆく、触れてはならぬ禁忌が、犯してゆく。
「あ、ぁああ、あ、ああああ」
違う、違う、これじゃない、こんなものじゃない、
……嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
……[何者か]は、痙攣する少女に、接吻するように抱きしめた。
「あ、あ゛ああぁあ゛ああああぁぁあああああああああっ!!!!????」
長い、長い抱擁の後、[何者か]はセリカから身体を放した。
支えを失ったセリカの身体は、そのまま重力に従って花園の上に倒れ伏す。
「……あ、ぁ……」
ポロリ、ポロリと、セリカの身体が燐光となって消えてゆく。
けれど、薄れゆく意識の中を満たすのは、死の心地よさではない。
自分の中の何かが一つ一つ、一片たりとも残さぬように繋ぎ止められてゆく重圧。
……動こうにも、もう指先一つ、動かすことはできない。
「……」
ふと、視界の中に先輩の姿が映った。
彼もまた[何者か]に魅了され、それに向けて一歩一歩歩み寄ってゆく。
[何者か]もまた、既にセリカを夢に縛り付けたというのに、
貪欲にその身体を抱き上げる。
そして……
キィィィィン……!
神秘の光が弾け、[何者か]の身体が後退った。
けれど、その光景に疑問を覚える間もなく、セリカの意識は闇へと呑まれた。
____________________________________
……
…………
……………………
カラカラカラカラ
「……ぅ」
……何かが微かに軋み、乾いた音を立てる。
その音と共に、何かの上で揺られる感触にセリカは呻いた。
うっすらと、ゆっくりと目を開けてゆく。
どうも、自分は古びた車椅子の上にいるらしかった。
流れてゆくのは変わらぬ石畳、変わらぬ草地。
「……ぁ」
車椅子が、草地の中で止まる。
それと同時、セリカはゆっくりと顔を上げる。
……その眼前に広がるのは、
「……あぁ」
セリカは、小さく息をついた。
火に包まれていたはずの古工房はその姿を取り戻し、今も月は赤く輝いている。
……戻ってきた、戻ってきてしまったのだ。
この場所に。
「セリカ様、ご加減はよろしいですか?」
……声が聞こえる。
懐かしい……物静かな声。
それは、セリカの確信をより確かなものとする。
……今ばかりは、その優しい声が少しだけ聞こえてほしくなかった。
「……ただいま、って言った方がいいのかな……人形さん。
生憎……気分は、優れない。かな」
「……そうですか」
セリカは、ゆっくりとその声に応える。
……すぐ横へと視線を動かせば、背の高い球状関節の人形が、セリカのそばにそっと佇んでいた。
その姿を見取ったセリカはふっと、少しばかりの微笑みを溢すと俯く。
……2人の間に、少しばかりの沈黙が下りる。
「……死ねなかった」
セリカはポツリと呟くと、微かに自嘲する。
「……先輩とは喧嘩別れしちゃった。何があったのかも聞けなかった」
……人形は何も言わない。ただ、セリカから紡がれる言葉を静かに聞いている。
「やっぱりこうなった。全部全部、すり抜けてくばかりで……」
渦巻くのは諦観と絶望ばかり。
最早、泣くことすら出来ず、後悔を連ねるのみで……
「……セリカ様」
……けれど、そんな彼女を押しとどめるように、人形が声を発した。
セリカが再び彼女に視線を向ければ、
人形は布ずれの音と共にセリカと目線を合わせて屈んでいた。
「まだ、狩りは終わっていません」
「……え?」
セリカが溢す疑問には答えず、人形は夢に浮かぶ赤い月を手で示す。
「ご覧ください。未だ、月は赤く……
耳を澄ませば、狩人様の狩りの音が今も聞こえてきます」
「……」
セリカは人形に言われるままに帽子を取ると、耳をそばだてる。
……時折聞こえる、判別のつかぬ悍ましい咆哮。
それに交じる、硬質な仕掛けの調。
……先輩は狩りを続けているのだ。[何者か]を下し、その先へと進むために。
「……一緒に、祈りませんか?セリカ様」
呆然と、何かに揺れるセリカに向けて、人形はそう呼びかけると、
目の前で静かに手を組み、瞳を閉じる。
「狩人様に、加護のあらんことを……」
「……」
セリカはしばらくの間、人形のことをじっと見ていたが、
やがて見様見真似で手を組み、そして祈りを捧げる。
せめて、彼の狩人に、加護のあらんことを祈って……
どれ程の時間が経っただろうか。
いつの間にか赤い月は消え、元の青白い月光が狩人の夢を照らしている。
「……終わった、のかな?」
セリカは車椅子の上でそう呟いた。
それにしては自分にこれといった変化はない。
先輩は無事に悪夢から覚めることはできたのだろうか?
……自分は、置いていかれてしまったのだろうか?
ぼんやりとセリカがそう呟く中、
少し辺りに視線を巡らせていた人形が何かに気が付いた。
「……あぁ」
「……人形さん?」
人形は小さく声を溢すとそっと立ち上がり、見つけたそれに向けて歩み寄る。
セリカも彼女に声をかけつつも、向かう方向へと視線を向けた。
そこには……
「……何、あれ」
紺色の、大きなイカのような軟体がうねうねと短い触手をうごめかせていた。
悍ましい、身の毛もよだつような何か。
けれど、セリカは何故かそれに対し懐かしさを覚えた。
「お寒いでしょう。すぐに暖かくしますからね」
人形はその軟体を、愛しそうに抱え上げる。
まるで女性が我が子を抱くかのように。
そして、人形は決定的な言葉を紡いだ。
「……狩人様」
「……え?」
セリカは呆然と言葉を溢すと、もう一度人形の腕の中で蠢くそれを見た。
……ふと、それの動きが止まる。
その胴体が、僅かにセリカの方に傾けられた。
「……
「うっ……」
不可知で、精神に直接響くような耳障りな声。
その違和感にセリカは顔をしかめこそしたものの、
脳に直接流れ込むようなその言葉を明瞭に理解する。
「ホントに、先輩なの……?」
「
……
その言葉を聞いたとき、セリカの脳内にひらめくものがあった。
……上位者は赤子を失い、それを求めていると言ったか。
何処か、悪夢の中で見た文言だ。
……その言葉が真実とするなら、先輩はあの月の魔物の手によって生まれ直してしまったのだろう。宇宙悪夢的な、上位者として。
「……そう、じゃあ今の先輩は生まれたてなんだ」
「
「……ふふ、そっか」
セリカがそう言って小さく笑みをこぼすのも一瞬。
少し考え込んだのち、その視線を伏せる。
「……先輩。きっと私の知らないことをたくさん知ってるんだよね?
それで、それを今もまだいくつか隠してる」
「……
セリカの言葉を、先輩は少しうねりながら肯定する。
……それっきり、少しの間神秘の霧に包まれた庭園の中に、沈黙が下りる。
「……あの時は、ごめん。混乱してた」
セリカがポツリと、先輩に謝罪した。
先輩の触手が、短く震える。
「
「……別にいいよ」
先輩の言葉に、セリカはそう言って暗い笑みをこぼすと、
黒い革手袋に包まれた自分の手を見る。
「ここに来た時点で、遅かれ早かれこうなってたと思う。
それに、狩人になるって決めたのは……他ならぬ私だから」
「……
セリカの言葉に、先輩はただ短く相槌を打った。
その後、しばらくの間その手を見つめていたセリカだったが、
やがてもう一度、先輩へと視線を動かす。
「ねぇ、今度こそ知ってること、話してくれる?」
「
セリカの言葉を先輩は短く肯定した。
その時、2人の会話に人形が口をはさんだ。
「そろそろ工房の方に移動しませんか?狩人様の身体が冷えてしまいます」
「……そうしよっか」
「
……まあ、こうして庭園の外で長時間会話するというのもなんだ。
会話をするならより話しやすい場所で、だ。
「……それじゃあ、2人は先に行ってて。私は車椅子を持ってくから」
セリカはそう言うと、車椅子からゆっくりと立ち上がった。
________________________________
そうして少し時間は経ち、場所は古工房の中へと移る。
暖炉の前に乳母車を置かれ、おくるみに包まれたうえで
そこに寝かされた先輩は何とも言えなさそうにしばらくうねっていたが、
やがて、車椅子を押してきたセリカがそこに腰かけてから、
自身の秘密について語り始めた。
……それは、終わらない悪夢の記録。
獣狩りの夜を終わらせたにもかかわらず、
ふと気が付いたときには全てが元に戻り、あの診療所のベッドの上で眠っているのだと。
「……
そう言って先輩は自嘲した。
……ともあれ、今は名実ともに先輩がこの狩人の夢の主になったわけだ。
ならば、とセリカは先輩に問いかける。即ち……
「先輩……私を、殺せる?」
「……」
セリカの問いかけに、先輩は黙りこくった。
……その触手が、迷うようにうぞうぞと動く。
そして……
「……
発せられたのは、贖罪の言葉だった。
呆然とするセリカに、先輩が説明することには、
まず、今の自分自身にセリカを夢から解放するだけの権能がない。
……そしてそもそも、あの月の魔物は
自らの手によって囚われとなった狩人を殺害する気が一切なかったのか、主といえどそのような権能を持ち合わせていなかったのだと。
……その言葉を聞いたセリカはしばらく身動き一つできず固まっていたが、
やがてゆっくりと諦観を溢した。
「……そっか」
「
「いや、いいの」
先輩の言葉に、セリカは小さく微笑むとそう返答した。
「……やっぱり、私みたいな獣は安らかに死ぬことなんて許されないんだなって」
……そう、これが血に酔った自分には丁度いい。
所詮自分は、みんながいるであろう明るい場所に、もう戻れない。
永遠に、永遠に終わることのない夜……極夜。
所詮、自分はそこに囚われたままなのだ。
「こうしてずっと囚われたまま閉じこもって……
静かに静かに、朽ち果ててゆく。
それが、私に相応しい結末なの……多分、ね」
「……
先輩からの呼びかけにも、彼女は答えることはない。
ただ、車椅子に揺られ、静かに静かに、眠るように揺蕩う。
……揺蕩い続けるのだ。
________________________________
……日常、といっていいのだろうか?
獣狩りの夜が終わり、セリカたちに平穏が訪れた。
ヤーナムにて、獣狩りの夜が来る原因となった医療協会は、メンシス学派は、聖歌隊は壊滅し、狩人の悪夢……そして、この狩人の夢の根源も狩られ、終幕を迎えた。
恐らく、そこかしこにいるアメンドーズを除けば唯一の上位者となったであろう先輩には現世に干渉する気は全くなく、使者たちにも狩人を探してくる仕事はこれで終わりだと告げられた。
……セリカは、工房で先輩が人形に甲斐甲斐しく世話を焼かれる様を眺めるか、
この夜を生き延びだデュラ達のもとへ、最近見つけた匂い立つ血の酒という好物を片手に遊びに行くのが日課になっていた。
……直近では、人形が出してくれる茶菓子の味を、
全く感じられなくなっていたのがどうしようもなく悲しかったこと。
それが一番記憶に残っている。
先輩からは、気晴らしに聖杯を勧められたもののそれはやんわりと断った。
奇行に走る人間だったころの先輩を見ていればそう言う判断にもなる。
そうして、夜は静かに過ぎてゆく。
どこまでもどこまでも、覚めることはなく……
「……?」
……そんなある日のことだ。
何時ものように血の酒と、いつも飲んだくれるままでは悪いのでデュラ達に向けて人形の茶菓子を持って行こうとしていたセリカ。
そんな彼女の目に、ふと庭園の端にある真新しい、小さな墓石がとまった。
この墓石自体は前からあったものだ。
曰く、介錯を受けた時の先輩の墓だとか。
けれど、その墓に……他の転送機能がある墓石と同じように使者たちが祈りをささげていたのだ。
……どうして?
疑問が脳裏をめぐる。
気がつけば、セリカはその墓石に向けて歩み寄っていた。
そしていつものようにしゃがみ込むと、その墓石へと触れる……瞬間、
「あっ」
何も光景を想像していないはずだというのに、
浮かび上がるような感触と共に視界が暗転する。
それと同時、普段とは違いその意識までも闇に呑まれてゆく。
セリカが慌てて手を放そうとしたときには、もうすべてが遅かった。
……
…………
……………………
「……うっ」
……息苦しい。
何か柔らかなものに包まれている感触と、
腕に何かが突き刺さっているような違和感にセリカは目覚めた。
……何だ?
セリカはぼんやりと目をこする……その時、妙に服の感触が軽いことに気が付いた。
「っ?」
セリカの意識があっという間に覚醒する。
視界も一気に澄み渡る。
そして、その視線の先には……薄緑色の、患者服。
「……え?」
セリカの口から、思わずそんな声が零れた。
彼女は慌てて辺りを見回す。
……清潔な白い室内。自分が寝かされているのは同じように清潔なベッド。
自分の腕につながれたチューブと謎の機械……
いや、奥底に眠っていた記憶が逸れの答えを手繰り寄せる。
確か、脈拍や呼吸が正常かどうか調べる機械だ。
「……え、ぇ?」
……ヤーナムに、そんなものがあるわけがない。
セリカがこれがあると知っている場所はただ一つ。
彼女はベッドから凄まじい速度で下りる。
その勢いで刺さっていた点滴の針が引きちぎれ、血が零れ始めたもののそのようなことは最初からセリカの意識の中になかった。
目指す先はすぐ近くの窓。
彼女の赤く蕩けた瞳に、外の景色が映り込む。
「……嘘」
……そこは、所々に砂山ができた寂れた街だった。
ヤーナムのような、レンガ造りの街並みではない。
コンクリートとアスファルトで覆われた街並み。
空を見上げれば、太陽は昇り、透き通るような青と空色の光輪が見える。
……砂漠の向こうには、白い塔が……サンクトゥムタワーが見える。
……その記憶に当てはまる場所は、セリカには一つしかなかった。
「……嘘、嘘、嘘だ……!」
セリカの口から、悲鳴のような言葉が零れる。
……何故、何故今なのだ?
「どうして、今更……帰ってくるの?」
……もう、諦めたはずだったのに。
もう、[黒見セリカ]という少女は当の昔に死んだのに。
どうして……!
……その時、
「アヤネちゃん。大丈夫?」
「……大丈夫ですよ、ホシノ先輩。
セリカちゃん、今は容体が安定してるみたいですし」
「……!!」
扉の向こう。廊下の奥。
声が、聞こえる……
「……大丈夫ですよ。
今日こそきっと、セリカちゃんは目を覚ましてくれるはずですから」
「ノノミ先輩……それ、毎回聞いてますよ……でも、ありがとうございます」
「ん……セリカがいないと寂しいのはみんな同じ」
……懐かしい声。忘れられない声。会いたかったはずの声。
それが、段々と、段々と近づいてくる。
セリカは反射的に自分の顔に手を当てた。
……ざらりとした感触、古傷は、未だ残っている。
「まずい、どうしよう、どうしよう……!」
セリカは慌てて周囲を見回す……その時、
「……!!」
ベッドのすぐ下に、見慣れた光が見えた気がした。
慌てて覗き込めば、そこにはベッドの奥の方に辛うじて、歪んだ灯りが灯っている。
灯りの使者がセリカの姿を見る否や、事態に気が付いたのか目一杯手を伸ばした。
「っ!!」
セリカもそれに応えるように手を伸ばす。
そして……
「セリカちゃん。お邪魔しま……す?」
……アヤネたちが病室に入ってきたときには、セリカの姿はどこにもなかった。
________________________________________
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!?」
狩人の夢、石畳の上でセリカは荒く息をつく。
……辺りを見回せば、そこは確かにアビドスではなく、狩人の夢の中だ。
「セリカ様!?」
「
ふと視界を向ければ、
おくるみを抱えた人形がこちらに駆け寄ってきているところだった。
「
「……違う」
セリカは先輩の言葉をゆるゆると否定した。
いつの間にか、彼女の息は落ち着いていた。
……けれど、
「……違う、の」
……セリカから、感情の色が零れる。
それは石畳にぽたりぽたりと落ち、染みを作ってゆく。
「……帰れた……帰れたの」
「……
先輩の問いかけ。けれど、今のセリカにそれに返答できるだけの余裕はない。
「……何で、今更……何でっ、何でなの……っ!?
もう、あの頃の私なんて……何処にも、どこにもいないのに……!」
……狩人の夢の中。少女の泣きじゃくる声だけが響いた。
________________________________________
……セリカが、いなくなった。
1カ月前、裏路地で倒れているところを発見され、それっきり昏睡していた彼女が。
点滴の針が無理矢理外され、点々と続く血の痕だけを残して。
……何者かに攫われたと皆が判断するには、余りにも十分すぎた。
監視カメラにも映らず、部屋もほとんど荒らさず、少女一人を攫う何者かに。
病院は大騒ぎだった。
アヤネは呆然と泣き崩れ、
ノノミは自分のそれを必死でこらえながらも、アヤネを抱きしめる。
シロコは広大なアビドスへと今にも飛び出していきそうだったが、
ホシノがそれを静止した。
……自分自身、そうしたかったのだろう。
その声が、その腕が、震えていた。
……辺境であることが災いし、
失踪届を受け取ったヴァルキューレが到着するのは早くても次の日の朝。
「うっ、ううっ」
……その日の夜を、
アビドス対策委員会の少女たちはセリカのいた病室で過ごしていた。
誰も何も言わない。言えない。
響くのは、アヤネの泣きじゃくる声のみ。
「セリカちゃん……セリカ、ちゃん……!」
いつか、目覚めてくれる。
いつか、あの時と同じように笑い合える日が来る。
それだけを信じて、過ごしてきた。
けれど今、そのささやかな願いすら、断たれようとしている。
「……お願い……かみ、さま。
お願いします……セリカちゃんを、どうか、どうか……」
……アヤネはどこにいるかも知れない、神に祈る。
せめて、大切な少女の無事を祈って。
……そのすがるような願いは、しかし。叶えられることはない。
何故なら……
「……ぅ?」
アヤネの鼻を不思議な香りがくすぐった。
他の少女たちも、それに気が付く。
……月の香り。
知らないはずだというのに、不思議とそんな単語が脳裏に浮かぶ。
アヤネは、ノノミは、シロコは、ホシノは……
病室にぽつんと置かれたベッドへと視線を向ける。
そこには……
「……え?」
「……!」
……暗い、月明かりの照らす砂漠を、その人影は見つめる。
空色のリボンが、白色のリボンが、止められた黒い髪と共に揺れる。
「……セリカ、ちゃん?」
誰からともなく発せられた名前。
それに反応して、人影がゆっくりと振り向く。
……薄く開かれた、くすんだ赤い瞳。
いつも明るかったその表情に浮かぶのは、歳不相応の大人びた……物悲し気な何か。
「……おはよう」
……セリカはそう、口にした。
どもー、時空未知です。
ということで今回の作品はいかがだったでしょうか?
これにて、セリカちゃんの過去編は終幕となります。
この出来事をもって、現代編へと時系列が続いていくことになります。
とは言え、ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
……いや、まだ終わりませんけどね!?
……さて、次回はいよいよヘイロー破壊爆弾が使用された後からのスタートとなります。
何が起こるかは……お楽しみです。