暗い、夜のような曇天……
いや、実際にこの雲の向こうでは日が落ち始めているため、
今まさにアビドス砂漠は夜の闇へと包まれようとしている。
その中で今も降りしきる冷たく、激しい雨。
それは砂に打ち付けては染み込み、少しずつ少しずつ、砂漠の地形を変えてゆく。
……その湿った砂に、足跡をつける人影が1人。
「……、…………」
……セリカだ。
全身が雨に濡れ、狩装束は肌に張り付き、
その冷たさが身体の芯まで凍り付かせてゆく。
その足取りは重く、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
だが、それでもセリカは進み続ける。
ただ、自分の奥底で蠢く獣性のままに。
自分の奥底で研ぎ澄まされた、薄暗い殺意のままに。
「…………」
……豪雨の中に、その歩みを止めるものは居らず。
故に、その時は刻一刻と、迫っていた。
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「……クックック」
暗闇の廃ビルの一室。
その中で、黒服は笑った。
目の前にいる先生は、そんな相手のことを厳しい視線で見つめている。
「先生、あなたは先ほど自分の生徒を助けるためにここに来た、
といいましたが……その中に小鳥遊ホシノと砂狼シロコ、そして黒見セリカは含まれているのでしょうか?」
黒服の問いかけ。
それに対し、先生は一切迷う様子なくただ一言返答する。
「"……当然"」
「であれば、それはあなたの身にはあまりにも重い願いです」
先生の短い、だが確かな決意の籠った返答を、黒服はバッサリと切り捨てた。
「まず、ホシノに対してあなたは何の権限も持ち合わせていません。
届け出を確認されていないのですか?彼女はもう、アビドスの生徒ではありません」
「"じゃあ、こちらも反論させてもらう"」
けれど、先生は折れることはない。
ホシノをカイザーから助け出し、
シロコを死の淵から救い、
セリカを止め、悪夢から引き上げる。
……その為に、戦闘終了直後に届いた宛先不明のメールの示す場所に来たのだ。
相手が誰であろうと、折れるつもりはない……否、折れるわけにはいかなかった。
「"私はまだ、届け出を確認してないよ"」
「……ほう?」
訝し気な、けれどどこか面白そうな声を溢す黒服に、先生は告げる。
「"対策委員会の顧問である私が、まだサインをしていない。
……だから、まだホシノは私の生徒だから"」
「……なるほど」
先生の言葉に、黒服は短く相槌を打った。
「あなたが[先生]である以上、
担当生徒の享受にはあなたのサインが必要……そういうことですか。
なるほどなるほど……なかなかに厄介ですね」
「"あなた達はあの子たちを騙し、心を踏みにじり、その苦しみを利用した"」
……飄々と、淡々と、自分達がしたことを認める黒服に、先生はそう詰問する。
だが、やはりその言葉に黒服が揺れることはない。
「ええ、確かに仰る通りです。
他人の不幸よりも、私たちは自分たちの利益を優先しました。
それは否定しません。私たちの行動は、善か悪かと問われればきっと悪でしょう」
黒服はそこまで言ったところで、目の前で軽く自分の手を組んだ。
そして、まるで先生に言い聞かせるように言う。
「ですが、ルールの範疇です。そこは誤解しないでいただきましょうか」
「"……私の生徒に、シロコに、あれほどの傷を負わせておきながら?"」
「私たちはただ、あの兵器を提供したまでです」
……普段の少し頼りなくすらある様子からは考えられないほど、
重い重圧を発する先生。
それに対し黒服はそう告げた。
「あれはあくまで、
私たちがスポンサーとして企業へ提供した一種の自衛道具に過ぎません。
……砂狼シロコが巻き込まれたのは、不幸な事故でした」
……そう言う黒服の言葉に、最後にほんの少しだけ感情の色が乗った。
残念そうな、同情するような、そんな色だった。
黒服は一度言葉を区切ると、懐から一枚の紙を取り出す。
それは、契約書のようだった。
「ですが先生、不慮の物であったとはいえ事故は事故。
それに、あの結果は私たちの望んでいるものではありません。
ですので……どうでしょうか?」
そう言って黒服は契約書を先生に向けて丁寧に差し出した。
「アビドスから手を引いていただけないでしょうか、先生。
小鳥遊ホシノを諦める……それがだめだというのなら、
黒見セリカを説得して、私達の実験に定期的に参加するようにしていただくだけで構いません」
「"…………"」
先生は何も言わないただじっと、契約書の内容に目を通している。
「この条件さえ認めていただければ、あの学校については守って差し上げましょう。
カイザーPMCのことについても、私達の方で解決いたします。
そして、砂狼シロコについてもできる限りの手はつくしましょう。
……少なくとも、再び学校に通うことができるようになることは保証します」
「"……っ"」
その言葉に、僅かに先生の身体が震えた。
……それに気が付かぬ黒服ではない。
その心の隙間に滑り込むようにして、声をかける。
「……皆が一緒にアビドス高等学校に通い続けることができる。
これは、ホシノさんもセリカさんも望んでいることのはずです。
……先生、いかがですか?」
黒服の言葉に、先生は僅かに俯いた。
……影となったその表情は、苦し気に歪んでいる。
「"…………"」
……先生は、何も言わない、言えない。
必死に、必死に考え続ける。
……最善が、見えない。いや、最善などもはやないのかもしれない。
迷い、迷い。惑う、惑う。
けれど、それでも……それでも……
先生は顔を上げる。
……その表情は取り繕ってこそいるものの、やはり苦し気だ。
だが、それでも……
「"……断る"」
先生はたった一言、黒服にそう言い放った。
……その言葉に初めて、ほんの僅かに黒服の身体が揺らいだ。
「……どうして?」
黒服が、ぽつりと言葉を溢した。
「……もし、ここに来る前に砂狼シロコの状態について
知らされていなかったのであれば今この場で……」
「"知ってる"」
黒服の言葉を、先生は再度否定した。
……また、黒服の身体が揺らいだ。
「……何故ですか?
あなたは今、あなたの大切な生徒の身を危険にさらしていることを自覚した方がいい。
今のあなたは……矛盾している」
「"……そうかもしれない"」
黒服の言葉を、先生は肯定する。
……ああそうだ、今の自分は到底先生とは、大人として間違っているかもしれない。
もしかすれば、シロコのことを伝えれば、
セリカは全て諦めて要求に従ってくれるかもしれない。
そうすれば、目の前の黒服の言う通り、
みんなが学校に通えるという日常が戻ってくるかもしれない。
……だが、それではセリカが救われない。
それだけではない。みんな救われなければ、誰一人として救われない。
……自己犠牲など、間違っているから。
だから、先生は黒服に向けて告げる。
「"……でも、何度でも言う。あなたたちの提案は飲まない"」
「それは、黒見セリカの存在故ですか?」
そんな彼女に黒服は問いかける。
彼女の心情の一端を的確に読んで、そこを突く。
「彼女こそ、あなたの生徒から最も遠い位置にいる存在でしょう。
キヴォトスの禁忌に容易く抵触……いや、超過する倫理観。
歳不相応の物事の捉え方。
……あれは、私達大人ですらない、別の何かです。
元はといえば彼女の存在故に、様々な問題が起こっている……そうは思いませんか?」
「"思わない。たとえそうだったとしても、あの子は私の生徒だ"」
詰め寄るような黒服の言葉。
けれど先生は、今度こそ何の空白もなく、その言葉を打ち払う。
「"……セリカは……いや、セリカだけじゃない。
みんな、みんな、多くを抱え込みすぎた。
ホシノも、シロコも、ノノミも、アヤネも、セリカも、大切な人の為に自分を犠牲にしてきた。十分すぎるぐらい、苦しんだ。
……その苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった"」
「……何が言いたいのですか?」
先生の言葉に、黒服は理解に苦しむ、と言いたげに首を小さく傾げる。
そして、ゆっくりと椅子から立ち上がると、
目の前に立つ先生にゆっくりゆっくりと顔を近づける。
「あなたは偶然アビドスに呼ばれ、偶然あの子たちと会っただけの他人です。
一体どうして、そんなことをするのですか?
なぜ、取る必要のない責任を取ろうとするのですか?
あなたには、戦う力など何もないというのに!」
……どこか不気味な圧すら伴ってそう詰め寄る黒服。
それに対し、先生が取った行動はごく単純だった。
「"……戦う力なら、あるよ"」
そう言って懐から、一枚のカードを取り出した。
……何の変哲もない、クレジットカード。
けれど、どこかそれにはただのそれとは違う、透き通るような青を帯びていた。
「……先生」
そのカードを目に留めた黒服は、そう一言だけ言うと、
椅子に座り直す。そして、諭すように言う。
「確かに、それはあなただけの武器です。
しかし、私はそのリスクも薄らとですが知っています。
使えば使うほど削られていくはずです、あなたの生が、時間が」
「"そうだよ"」
黒服の言葉を、先生は肯定した。
だが、その身体が揺らぐことはない。
「……ではなおのこと、放っておいてよいではありませんか。
元々、あなたの与り知るところではないのですから」
「"断る。責任を取ることが、大人のするべきことだ"」
「……」
その言葉に、黒服は沈黙した。
「……そうですか、大人とは[責任を負う者]、と……
それは間違っています、先生」
けれど、それでも尚、黒服はそれを否定する。
「大人とは、望む通りに社会を改造し、法則を決めて、規則を決め、常識と非常識を決め、平凡と非凡とを決めるものです」
「"それについては、全部が全部は否定するつもりはないよ。
でも、あなた達のように子供たちを搾取するために、
自由を奪って言うことを聞かせるために使われるべきものではない。
その力は、生徒たちを助けるため、生徒たち自身のためにあるべきだ"」
黒服の言葉を、一部は肯定しつつも、
先生の紡ぐ言葉は本質という面で黒服と真っ向から対立する。
黒服の身体が、大きく揺らいだ。
「……理解できません」
黒服は言う。
「あなたは一時期、キヴォトス全体を手中に収めることができた。
けれどそれを迷わず手放した。
真理と秘儀、権力、お金、力……その全てを捨てた。
であればこのキヴォトスに、探究すべき未知に何を求めているのです!」
先生に向けて、詰問する、詰め寄る。
……言の葉の片鱗には、おそらく黒服自身の目的も幾分か混じっているのだろう。
だが、それがどうした。
「"……言ってもきっと、理解できないと思うよ"」
先生は黒服に、ただ一言だけそう言った。
「…………」
黒服は沈黙する。長く長く、沈黙する。
そして……
「良いでしょう。交渉は決裂です、先生」
ほんの短く、対話の終わりを告げた。
「先生、彼女たちを助けたいですか?」
そして、先生にそう問いかけた後、返答を待たずに言葉を紡ぐ。
これは、自分との対話の報酬だとでも言うかのように。
「ホシノは、アビドス砂漠のPMC基地の中央にある実験室にいます。
シロコについては、延命治療程度であれば喜んで手をお貸ししましょう」
「"……言っておくけど、シロコに妙な真似をしたら"」
「そのことについては心配は無用です。
私は人を騙しますが、噓はつかない主義でして」
そういうと、黒服は短く笑いを溢した。
……不気味だ。
けれど、どこかその言葉には説得力があった。
「最後に、セリカについてですが、残念ながら我々にはできることはありません。
もしよければ兵器を提供しますが……」
「"必要ない"」
「……そう言っていただけると思っていました」
黒服はどこか楽しそうにそう言うと、立ち上がり、
近くにあった謎の機材を操作する。
「……さて、先生としては不本意かもしれませんが、
シロコの治療について少し話しましょう。
齟齬があってもいけませ……ん」
……その時、黒服の言葉が止まった。
先生はその様子に、どこか不吉な予感を覚える。
「"……何、どうしたの?"」
「……ふむ。先生、どうやらこの話は前提から崩れてしまったようです」
黒服はそう言うと、液晶画面を先生に示した。
……そこには、シロコの電子カルテが表示されていた。
[容体急変、その後行方不明]
……たったそれだけ、そこには記入されていた。
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時は少し前へと遡り、場所はアビドスの病院へと移る……
「……荷物は、すぐそこの戸棚にあります……けど」
……自分の荷物はどこにあるのか。
そんなシロコの問いかけに、何処か嫌な予感を覚えながらもノノミはそう返答する。
表情も、声も不安そうなノノミ。
けれど、シロコはその行動が何を指示しているかについては触れぬまま、彼女に請う。
「……探して、欲しいものがある……確か、制服のポケットに……入れた気がするけど……
もう、いろいろわかんない……から」
「わかりました……けど、シロコちゃん、探し物って一体……?」
「…………」
……やはり、シロコはその言葉には答えない。
ノノミは、その様子に一言何か言おうと口を動かしたはいいものの、
結局何の声も出てこない。
彼女はゆっくりと席を立つと戸棚に向かい、シロコの指示通り
そこに掛けてある制服を取り出す。
……洗濯をする暇がなかったため、
それはあの時と同じように汚れ、破け、煤けている。
「……えっと」
……どのポケットか、
そこまで聞いていなかったため制服を探ろうとしていた手が一瞬止まる。
けれど、ノノミはすぐに恐る恐る手を伸ばした。
スカートのポケット……ない。
シャツの胸ポケット……ない。
ブレザーの内ポケット……
「……あっ」
ひんやりとした感触が手に触れた。
ノノミは、恐る恐る、といった様子でそれを手に取ると取り出す。
……その後、自分の手の中に納まっていたものにノノミは酷く見覚えがあった。
「これっ、て……セリカちゃんの使ってた」
輸血液
……たった1文だけ短く書かれた薄汚れたラベル。
瓶の中を満たすのはオレンジ色にも見える鮮やかな赤の液体。
……そして何より、セリカを変えてしまった別世界、ヤーナムに伝わる悍ましい血の医療の一端だというもの。
「……みつかった?」
「……!!」
短く、シロコから声がかかる。
ノノミはほとんど反射的に彼女の方を向いた。
……その唇は、震えていた。
「シロコちゃんこの瓶、いつの間に……!」
「……わざとじゃ、ない……それは、ホント」
ノノミの言葉に、シロコはただ一言そう返答する。
……ただならぬ雰囲気を感じたのだろう。
ベッドにうつ伏せになっていたアヤネがガバリと起き上がった。
その視界に飛び込んできたのは、
輸血液を手に持ち震えるノノミと、
今にも消えてしまいそうな表情の中、悲壮な決意を固めたシロコの姿。
……ノノミは、何度も何度も、輸血液を、そしてシロコのことを見た。
「……っ」
そしてその末に俯くと、絞り出すように声を発する。
「……本当に、本当にこれしか、方法はないんですか?」
「シロコ先輩、まさか……」
「……」
シロコは何も答えない。そんな彼女に、ノノミは言葉を続ける。
「……あの時、セリカちゃんは
一度シロコちゃんに輸血液を使おうとしたとき、それを拒絶しました。
シロコちゃんの状態が、わかってないわけがないんです。
それでも、ダメだって、言ってたんです」
「……でも、他に……方法は、ない」
けれど、シロコの決意が折れる様子もない。
息も絶え絶えに言葉を紡ぎながら2人のことを見返す。
……そんなこと、わかっている。
ノノミは心の中でそう叫ぶ。
このままでは、いずれシロコの命の灯火は消える。
けれど輸血液を使えば、その運命を覆せる可能性が十二分にある。
……それに、セリカを連れ戻し、ホシノを助けるには頭数が欲しいのは確か。
だが、ここで輸血液を使ったとして、何が起こるか分かったものではない。
この薬のことをよく知っているセリカがあれほど拒絶したのだ。
もしかしたら、自分達も想像しえないような最悪を呼び寄せるのかもしれない。
……そして何より、
いずれの選択にせよ、セリカの心に更なる傷を残すことになるのはまず間違いない。
始めから最適解など、正解すら存在しない。
寧ろ、どちらの選択肢も最悪のそれに近い。
「……わかって、ますよ」
……その板挟みとなり、ノノミは身動きが取れなくなっていた。
「ノノミ先輩。シロコ先輩の提案、私は賛成です」
その時、横合いから声が聞こえた。
……アヤネだ。
ノノミが思わず視線を向ければ、
その表情に浮かぶのは、シロコと同じ決意の色。
「……私のわがままに過ぎないのかもしれません。
でも、アビドスの誰も欠けて欲しくないんです。
……誰一人として、失いたくないんです」
……アヤネは尚も言葉を続ける。
「それに、セリカちゃんも言ってました。
生きていれば、生きてさえいれば、それでいいんだって」
いつか、セリカが口にしていた言葉。
それに縋るように、免罪符にするように、セリカと幼馴染の少女は言った。
……その後、その口元は自嘲気味に歪められる
「私の言ってることは、ズルい……でしょうか?」
「……アヤネちゃん」
……少女の名を、ノノミは呟く。
そしてもう一度、手の中にある輸血液の小瓶を見た。
…………
その小瓶を、ぎゅっと握り締める。
「……どうやって使うか。
シロコちゃんは……知ってますよね?」
再び顔を上げた彼女には、2人と同じ決意が宿っていた。
______________________
輸血液の使い方は至って簡単だ。
「まず……コルクを、軽く、擦って」
「……はい」
太ももの位置がわかりやすいよう、布団がはだけられたシロコがゆっくりと指示を出す。
その言葉通りノノミが瓶を止めてあるコルクの上部分を撫でた。
カチンッ
小さな金属音を立てて鈍色の針が飛び出す。
……あの時、錯乱したセリカに使った光景をみたものの、この針の太さには慣れない。
「……それで、ふとももに突きさして……中身がなくなったら、抜く」
「……」
……狩りのために調整されているため、このような異常なまでの即効性があるのか、或いはこの即効性ゆえに狩りに採用されたのか……何にせよ、今聞いても冗談のような効力だ。
未だに落ち着いているとは言い難い為か、脳裏にどうでもいいことばかり浮かんでくる。
「はぁ……ふぅ……」
ノノミは大きく息をつくと、普段の健康的な白さとは違い、病的な白さを伴ったシロコの太腿に向けてそれを振り上げる。
「……行きますよ?」
「……いつ、でも」
そうは言ったものの、シロコの口調は体調とはまた別の要因で震えているようにも聞こえる。
……怖いのだろう。
今から輸血を施そうとしている自分とてそうだ。
何が起こるかしれない恐怖、自分の肌を注射器など比較にならないほど大きな針で貫かれる恐怖。
……できることなら、想像したくもない。
「……シロコ先輩、きっと、きっと大丈夫ですから」
そんな彼女の手を、アヤネがそっと手に取った。
シロコは、しばらくその行動にキョトンとしていたものの、やがて自分のできる限りで、微笑んだ。
「……ありがとう」
「大丈夫ですよ、お礼なんて」
アヤネは、シロコの言葉にそう返答した。
その言葉の余韻にしばらくの間目を閉じて、静かに浸っていたシロコ。
……やがて、目を開くと、こくりとノノミに向けて頷いた。
ノノミも、それに応える。
「……では」
そう言い残すとノノミは、振り上げた腕を一息に振り下ろした。
「ぐっ……!」
皮膚をプツリと突き破る感触とともに、針が肌に沈んでゆく。
痛みによるものか、シロコの身体が一瞬跳ねた。
「う、うう、うううう」
「先輩……!」
「シロコちゃん、大丈夫ですか!?」
シロコが呻き声を上げる最中にも、瞬く間に輸血液はその肌の中へと吸い込まれてゆく。
……その時、
ピーッピーッピーッピーッ
側に取り付けられていた装置が狂ったように甲高い警告音を発し始めたのだ。
心拍が、呼吸が、明らかな異常値を吐き出す。
シロコの身体が悶える。その太腿から輸血液の小瓶が抜け落ちた。
「ぐ、あ、あうう、うああっ!?」
「シロコちゃんっ!!」
「シロコ先輩、しっかり、しっかりしてください!!」
処置の方法が悪かったのだろうか?
拒絶反応のようなものが出てしまったのだろうか?
最早どうしようもない不安ばかりが脳裏を駆け巡る。
けれど、選択をしてしまった以上最早彼女らには祈ることしかできない。
そして……
シロコの空色のヘイローが、濁ったように変質した。
それと同時、彼女の痙攣のそれに近い動作が収まる。
「……はぁ、はぁ、はぁ……はぁっ」
「先輩?シロコ先輩!?」
「何でもいいので返事をしてください!」
荒く息をつくシロコが丁度枕にうつ伏せになるように倒れていたために、2人は気が付かなかった。気がつきようがなかった。
……見開かれたその瞳の意味に。
ヘイロー破壊爆弾。
それは、生徒の存在……神秘そのものと言っていいヘイローに直接の衝撃を加える爆弾。
今回使用されたものは威力が抑えられていたとて、直撃したシロコの存在は、致命的なほど削り取られていた。
……そして、使用された輸血液。
ヤーナムの血の医療の産物たるそれは、
使用者の体内に上位者の血を入りこませ、身体そのものを変質させる。
……大いなる者の血は生きている。
その為それは本質的には、寄生虫が宿主を生かすべく、それを変容させていることに等しい。
その際、宿主の存在そのものが欠けているとすれば……だ。
「う、ウ、ウウウ」
「……シロコ先輩?」
無理矢理、宿主の存在をその血で補完した。
アヤネの声に、シロコがぎちぎちと、何処か人間とは思えないような動作で振り返る。
……シロコの、空色の角膜に白と黒の左右異なる色の虹彩を持つ特徴的な瞳。それはグズグズに蕩けていた。
……彼女たちの不幸は、血の医療の本質的までは知らなかったこと。
そして、他唯一の血の常飲者であるセリカが
獣とかなり近しい存在であった故に、瞳が蕩けていることの意味を知らなかったことだ。
だからこそ……その危機に気がつくことが、余りにも遅すぎた。
「ガアァッ!!!」
「きゃあっ!?」
少女の声帯から人ならざる声が発されたかと思うと、
シロコは腕を大きく振るいアヤネのことを跳ね飛ばした。
吹き飛ばされたアヤネはノノミに受け止められたためにこれといった傷はなかったものの、
それによって2人ともに大きな隙ができた。
「ゴアァァアアアアッッ!!!」
その隙をつくようにして、
接続されたチューブを無理矢理引きちぎったシロコが、獣の膂力を持って飛びかかる。
……アヤネたちが反応する間もなく、
めいいっぱい伸ばされたその手は彼女の首を手折るべくそれを掴み取らんとする。
瞬間、
ドプン
シロコを中心として、黒々とした虚空の穴のようなものが広がる。
……いつの日か見た光景、それは瞬く間にアヤネたちの方へと広がる。
「えっ……?」
その虚空にからめとられ、呑み込まれる寸前。
アヤネが発せた声はたったそれだけだった。
そしてそれっきり、意識までもぷっつりと途切れた。
どもー、時空未知です。
ということで今回の作品はいかがだったでしょうか?
……黒服の、エミュがムズイ!!
四苦八苦しながらかいたんですけど……違和感、ないことを願っています。
ということで、先生はしっかりと黒服との交渉に成功しました。
取り敢えずシロコのことはOK、ホシノのこともOK、
あとはセリカをどうにかして連れ戻してカイザー潰してシロコを完全に助け出すだけ!
……といいたいところですが前提からぶっ壊れましたね。
先生の言う通り、
みんながみんな自分ではない誰かを助けるため、少しずつ少しずつ崩れていってます。
……なんかホシノとセリカの知らないところで
ものすごい異なってるけど……大丈夫かなこれ。
後、先生。自己犠牲云々の話してるところ悪いけどあんたも大概だよ。