もう二度と、元に戻ることはない
「…………え?」
ヒナタには、目の前で何が起こっているのか全く理解できなかった。
苦しむ大切な友人の姿が悲鳴と共に膨れ上がり、変貌し、
姿を巨大な獣へと転じたことも。
その喉が、少女だったものとは思えぬ劈くような咆哮を発したことも、何も……
……理解、できない。否、目の前の冒涜の光景を、脳が理解することを拒む。
あり得ない。あり得ない。そんなこと、そんなこと……!
「ヴゥアアアァァ!!」
しかしその思考は、続けざまに発せられた獣の咆哮により無理矢理中断される。
正面の光景へと視線を向ければ、
大きく振り上げられた獣の腕が、携えられた凶爪が、
最も近くにいたミネとツルギ目掛けて大きく振り上げられる。
「……!!2人とも、避け
瞬間、ヒナタの声の一切を掻き消すほどの強烈な破砕音が響き渡る。
先程まで2人がいた場所に大理石の床を割り砕くような威力を伴った獣の一撃が直撃したのだ。
破片が飛び散り、粉塵が舞い立つ。
……いくらヘイローがあろうとも、その場にいた者の運命は明白だろう。
「そんな……!」
その事を理解したヒナタの瞳が見開かれる。
けれど、当の獣はというと舞い立つ粉塵の中、疑問を浮かべるように短く唸った。
……手応えがない。
肉をすり潰し、骨を割り砕いた感触が伝わってこない。
外した?
その事を獣が解したその時、
「かか、かかかかか、しゃあぁあアアァアアッッ!!」
右方向から雄叫びにも似た奇声が発せられたかと思うと、
粉塵を突き破るようにして赤黒い影が飛び出してきた。
その赤黒い影……ツルギの両手に保持されたショットガンが、獣の側頭部を照準する、瞬間
轟音
炸裂するような発砲音とともに、
12ゲージの散弾の嵐が吹き荒れる。
その細かな粒状の弾丸が、獣目掛けて横殴りに撃ち付けた。
「グアッ!?」
頭部を揺らす確かな衝撃に獣が呻く。
しかし、攻撃はそれでは終わらない。
「何が起こっているかはわかりかねますが……今は救護を優先します!」
ツルギから見て反対方向から獣目掛けてミネが吶喊する。
右手に保持されたショットガンが向けられるのは、ツルギと同じく獣の頭部。
次の瞬間、その銃口から寸分の狂いなく散弾が放たれた。
……が、
「……っ!」
効果が薄い……いや、殆どない。
ミネの射撃も強力ではあるものの、流石にツルギ程の威力と衝撃は持ち合わせては居ない。
……ならば。
左手のシールドが、大きく振りかぶられる。
「はあっ!!」
ゴシャッ!
鈍い打撃音と共に、獣の側頭部がツルギの射撃と板挟みになるようにして殴打された。
「アア゛ッ!?」
その時初めて、獣から明確な苦悶の声が発せられた。
効いている……!
ツルギとミネの脳裏をそんな言葉が駆け抜けた。
けれど、獣とて攻撃を受け続ける訳では無い。
「ォアアアアアッ!!!」
瞬間、獣は短く咆哮するや否や、痛みの原因を取り除こうと両腕を滅茶苦茶に振り回した。
振るわれる凶爪が、凄まじい膂力を持った腕が、
大聖堂の床を裂き、その度に破片と火花が飛び散る。
「けひひっ、遅いぞおおお!!!」
だが、ひとつひとつが大ぶりなその攻撃はミネとツルギが躱すには容易い。
2人は獣の腕が薙ぎ払われるわずかな隙をついて即座に背面へと回り込むと、
共に獣へと銃口を向ける。
その時、敵が己の攻撃圏内にいないことに気が付いた獣が、
勢い良く背後へと振り返った。
マズルフラッシュ
3つの銃口から、一斉に獣目がけて散弾が放たれる。
その全てが寸分の狂いなく獣の頭部を打ち据えた。
「アガッ!?」
大きな着弾の衝撃に獣が怯んだ。
無論、これだけでは効果が薄いのは彼女たちも理解している。
「ツルギ委員長、援護は任せます!」
ミネはそう声を発するや否や、獣へと急激に距離を詰め始めた。
「きははッがあああああ!!」
彼女の言葉に、ツルギは発狂をもって答えると
ありったけの弾丸を獣目がけて乱射した。
「ァ、ヴァアアアアッッ!!」
それに対し、獣は絶叫を上げながら腕を勢い良く振るい、
迫る散弾の嵐が頭部に着弾することを防ぐと同時、ミネを叩きつぶさんとする。
……その試みは半分成功に終わり、半分失敗に終わった。
即ち、弾丸を防ぎきることには成功したが……
ミネはその一撃を空高く跳躍し、回避したのだ。
「今度こそは……!」
ミネはそのまま宙で体勢を整え、正面にシールドを構えると、
下方にある獣の頭部目がけて急落するように吶喊。
「救護ッ!!!」
瞬間、鈍い打突音が大聖堂に響いた
自由落下の加速を乗せた重い一撃が、獣の頭蓋を揺らす。
「ヴァァアアッッ?!!?」
その衝撃に、獣が一際大きく叫んだかと思うと首を垂れた。
それと同時、その眼前にミネが着地する。
先程までと違い確かな手ごたえはあった。
少なくとも、意識を奪うことは……
「ゴァアアアァァァアアァァァァアアアア!!!!」
その時、つんざくような咆哮が辺り一帯に響き渡る。
音源は正面。
ミネの一撃が、獣を大きく怯ませこそすれ、
意識を刈り取るには至らなかったのだ。
「っ、ならばもう一度……!」
ミネはそう声を発し、シールドを構えると地面を力強く蹴る。
それとほぼ同時、獣は大理石の床を凄まじい力で踏みしめた。
ダンッ
「なっ!?」
次の瞬間、
獣の巨体が視認が困難な程の速度で天井高くまで跳躍した。
それにより、直撃する筈のミネの渾身の一撃が空を切る。
対して獣は、直下にいる彼女目がけて大きく腕を振り上げている。
避けきれない……!
その単語が脳裏を駆け抜けた瞬間、
反射的にミネは翼を切り返して着地すると、
頭上に傾斜を作るようにしてシールドを掲げる。
それとほぼ同時に獣の巨体がミネ目掛けて急落した。
……ミネは、そもそも獣の一撃を受けきれないと判断して、
できる限り衝撃を受け流そうとしたのだ。
判断自体はこの場における最善だ。
だが、獣の一撃はそれすらも上回る。
バキッ
「ぁぐっ!?」
次の瞬間響き渡るのはシールドが粉砕された音と、ミネの苦痛の声。
……獣の凶爪は、多少叩きつけの方向を逸らされたものの、
盾自体を粉砕してミネの身体を貫きながら地面に叩きつけた。
彼女の左半身に感じたこともないような激痛が走る。
けれど、獣の動きは止まらない。
「ウァァア゛ア゛アアアッ!!!」
倒れ伏したミネ目掛けてトドメを刺さんと、
その腕を大きく振りかぶる。
そして……
「させません!」
「間に合って……!」
凶爪がミネを切り裂く寸前、
鋭い銃声とグレネードの射出音が聞こえると同時、
獣の背に爆炎が広がった。
後方に展開しているヒナタらの攻撃だ。
「アァァ?!」
背後から思わぬ衝撃を受けた故に、獣が悲鳴のような叫びを発してよろめく。
その僅かな隙に、獣の懐目掛けてツルギが身体を差し込んだ。
「あぁがあああああぁぁぁあああっ!!!!」
普段以上に鬼気迫る表情で、
ツルギはありったけの弾丸を頭上にある獣の頭部目掛けて乱射する。
下から掬い上げられるような衝撃に獣が更に怯む。
だが、それでは足りぬと言わんばかりに、
ツルギは装填された弾丸が切れると同時に跳躍。
素早く持ち替えたショットガンの銃床で、思いっきり獣を殴りつけた。
「ヴォァァァァアアッ!!!!」
瞬間、度重なる鈍い衝撃に耐えかねた獣が、
ツルギを振り払うように腕を動かしながら後退する。
彼女はそれを紙一重で回避すると、改めて獣と対峙した。
「ヴゥゥ……!」
先程から度々邪魔をしてくるツルギに、
獣は敵意の籠った視線を向ける。
……その中に、重症を負って倒れ伏しているミネの姿はない。
「……くけけっ」
ツルギの表情から、狂的な笑みが溢れる。
「そうだぁぁっ!お前の相手は私だぁぁぁああっ!!!」
「ォオオオアアアッ!!!」
ツルギの底冷えするような声に応えるように獣が咆哮する。
それと同時、獣が、ツルギが、互いに向けて駆けだした。
__________________________________
「ミネ団長、しっかり、しっかりしてください……!」
「すぐに戦闘圏外へ退避を!このままだと団長が!」
連続する銃声と砲火の中。
獣の攻撃が直撃し、動けなくなったミネに
駆け寄る救護騎士団の団員たちの声が聞こえてくる。
その声に、自然と意識を向けそうになるのをヒナタは堪えると、
グレネードランチャーの持ち手を握り締める。
その視線の先には、ツルギと死闘を繰り広げる獣の姿があった。
……今も、獣の身体には多方からの火線が集中している。
しかし、そのほとんどは肌に傷をつけるどころか獣の注意を引くことすら叶っていない。
この場で少なくとも気を引くことができ、行動の阻害が可能な攻撃をできるのは
ツルギ、ミネ……そして、大型の火器を得物とするヒナタしかいなかった。
その時、ヒナタの視界が懐に潜り込んだツルギを振り払うように腕を振り回そうとする獣の姿を捉えた。
「!!当たってください!」
ヒナタは獣の背に向けて榴弾を放つ。
それは低い弾道を描いて獣の背に直撃し、爆炎を広げた。
「ガアッ!?」
獣が苦痛に吠えた。
その光景に、ヒナタの心が軋みを上げる。
……あれは、違う。あれは、自分の知っている、優しい後輩ではない。
自分が頑張らなければ、また被害が出る。
何度も何度も、心にそう言い聞かせている。
けれど、先程自分の放った榴弾が獣の背を焼いたとき。
どうしようもなく、心のどこかが締め付けられて……
「ッ、ヴゥアアアァァッ!!」
その時、ヒナタの思考を一息に吹き飛ばしてしまうような咆哮が響き渡った。
それと同時、何かが自分の身体の側面を突っ切ったかとおもうと、遅れて鈍い打撃音が聞こえてくる。
「ツルギ!?」
ハスミがいる方向から悲鳴に近い声が聞こえる。
何とか攻撃を避けながら獣の注意を引いていたツルギだったが、
遂にその身体を、ディレイをかけた後に恐ろしい速度で振りぬかれた獣の横殴りの一撃が捉えたのだ。
……その一撃だけで、ツルギはすぐには動けないほどの傷を負った。
しかし、獣の動きは止まらない。
腕を大きく振り抜いた反動と共に反転と共に大きく踏み込む。
身体そのものを伸びあがらせ、大きく振り上げられた凶爪が狙うのは、
先程、己に攻撃を加えた少女3人。
「!!散開を!」
予備動作を見取るや否や、ハスミがサクラコらに鋭く呼びかける。
けれど、遅い。
「ガァアアァァアアアッ!!!」
獣が咆哮と共に、腕に力を籠める。
狙う先はただ一つ、
轟音
だが、大聖堂に響いた音は獣が大理石を破砕した為のものではなかった。
「ギャアァアアアアッ?!」
次の瞬間、遅れて響き渡ったのは獣の悲鳴。
原因は、今にも振り下ろされようとしたその腕に、
背後から飛来した銀の弾丸が突き刺さり、肉を抉るように貫通したためだった。
あまりにも突然なその事態に、ほとんど反射的に少女らの視線が背後へと向けられる。
……そこには、一人の少女が立っていた。
開け放たれた扉から覗く月明かりを背に。
右手には古びた大剣を、左手には硝煙の立ち上る細長い銃器を手に。
静かに、佇んでいた。
「……彼の地にはとある古い伝承が残っている」
少女の口から、ゆっくりとした言の葉がこぼれだす。
月光に照らされた金色が、静かに揺れる。
その淡い赤の双眸が、獣の姿を見つめる。
「曰く、初代教区長の隣には慈悲深き獣の少女がいた……とね」
……その名を知らぬものはここには居ない。
トリニティの預言者にして、
エデン条約襲撃事件において、翠緑の光をもって事態の収束の一翼を担った英雄。
「……セイア様?!」
ヒナタからともなく発された声に、セイアは小さく反応を示した。
「話には聞いているよ。
本来なら、今の私はあまり動けないのだがね。
けれど、事態が事態だ。だからこうしてここにいる」
ただそれだけ言うと、セイアは獣の方へと視線を戻す。
「ウゥゥ……」
獣は貫かれた腕を押さえ、
呻き声を上げながらもセイアの方へと瞳を向けている。
……けれど、そこに先ほどのような覇気は感じられない。
寧ろ、その瞳の中には怯えの色が混じっているようにも見える。
そんな獣に向けて、セイアはコツコツと歩みを進め始めると同時、
背後に向けて呼びかける。
「この場は私が譲り受ける。君たちはミネとツルギを連れて撤退を」
「……!?わ、私も話には聞いていますが、いくらセイアさんでもそれは!」
「安心してほしい」
サクラコの呼びかけに対するセイアの返答は、酷く簡潔なものだった。
「私はあれと似た存在を、よく知っている」
ただそれだけ言うと、セイアは今度こそ獣のみを視界にとらえた。
……獣は目の前の狩人のことを警戒してか、
体勢を低くし、いつでも飛び掛かれるような状態で唸っている。
蕩けた空色の瞳が、セイアのことを睨み付ける。
セイアは、淡い赤色をもってそれを見つめ返す。
「……どのような物語にも、終わりはある」
……誰にも聞こえないほど小さな声で、セイアはそう口ずさんだ。
「それが喜劇であれ、悲劇であれ、必ず終わりは訪れる」
それと同時、セイアの右手に握られていた大剣が虚空へと消え、
代わりに薄い刃を持つ両刃剣が姿を現す。
……それを見た瞬間、獣の瞳の奥で何かが跳ねた。
「……ァ、アア、ア」
「マリー。君の身に何があったのか、
私は情報の断片から推測することしか出来ない。
……だがね」
獣性の奥底で、記憶が瞬く。
苦痛となって押し寄せるその記憶に獣が得も言えぬ呻き声を上げる中、
尚もセイアは言葉を続ける。
その瞳に宿るは、暗く淀んだ決意。
「これ以上の悲劇はもう不要だろう。
最悪ではなく、最良でもない。
ただ、彼の地でありふれた悲劇に堕ちぬよう、私が君を救おう」
カチン
小さな金属音を立てて両刃剣が持ち手で2つに分かたれ、双剣へとその姿を転じる。
「……せめて、君に血の加護があらんことを」
「ッ、ヴゥアアアァァッ!!」
次の瞬間、咆哮と共に獣の巨体が弾かれたように動いた。
大きく振り上げられた腕は、セイアただ1人を狙う。
月光に鈍く煌めく血に塗れた凶爪。
セイアは、たった一度だけそれに視線を向けた。
そして……
タンッ
短く地を蹴る音が響いたかと思うと、セイアの姿が消えた。
遅れて獣の一撃が先程まで彼女がいた場所に突き刺さる。
しかし、それに獣が疑問を抱くよりも早く、それの右脚に焼け付くような痛みが走った。
「ア゛ァッ!?」
加速により獣の側面に回り込んだセイアが、
無防備なそこ目掛けて流れるような連撃を加える。
獣は堪らず側面へ右腕を薙ぎ払いながら後退する。
けれど、セイアは再び加速するとその一撃を潜り抜け、更にステップの勢いを乗せた一撃を加える。
血が迸り、獣は更に悲鳴を上げる。
「……ふむ。大型の獣と相対した経験は一度だけだが、案外どうにかなるものだね」
セイアはぽつりと呟くと、
斬り刻まれ、赤い血を流す獣の傷口に、両方の剣を突き入れた。
「ギャアァァアアアアッ!?!?」
瞬間、傷口から夥しい量の鮮血が吹き出したかと思うと、
片脚に致命的な傷を負った獣が大きく体勢を崩した。
それを確認するや否や、セイアは即座に獣の頭部へと視線を向ける。
……痛みによるものか、それは蹲るように垂れている。
だが、地につくほどではない。
「足りない、か」
セイアはそう呟くと、右脚から刀を引き抜き、
同時にそれらを再び連結。
その勢いのまま左脚に斬り掛かった。
横一文字の斬撃、それにできた切り傷に刀身を突き入れる。
その切り傷を切り広げるように袈裟斬りをし、更に深くなった傷口にもう一度突きを加える。
そこから更に横薙ぎの斬撃をセイアが加えようとしたその時、
「ウガアアァァアアッ!!!」
怯みから立ち直った獣が後退と同時、
足元目掛けて素早く両腕を叩きつけたのだ。
「む、」
しかし、予兆を感じ取ると同時に素早く回避行動に移ったセイアにその一撃は当たらない。
とは言え、獣はセイアとある程度距離を離すことには成功した。
「ヴォァァァァアアッ!!!!」
獣の右腕が再び大きく振り上げられる。
それに対し、セイアは特に慌てる様子はなく、それが振り下ろされるタイミングを静かに伺う。
……しかし、次に獣がとった行動は、彼女の予想と大きく異なるものだった。
風切り音を伴って振り下ろされる獣の右腕。
それは、
「グ、ァア、アアアアアアアアアアッ!!!」」
「何……!?」
自身も苦痛を伴っているのか、獣は苦悶の声を上げる。
けれど、その声とは対照的に、突き立てられた凶爪はその手首を深々と切り裂いてゆく。
「アアアァァァアァアアッ!!!」
ついに、その腕が振り抜かれた。
内部の骨が露出するほどに引き裂かれたそこからは、鮮血がぼたぼたと零れ落ち、大聖堂の床に血溜まりを作り出した。
だが、変化はそれだけには留まらない。
「ウ、ウゥ……ウウウ……!」
獣が唸り声を上げると同時、溢れたはずの血溜まりが泡立つ。
それは獣の凶爪に纏わりつき、紅に染めてゆく。
……それとよく似た光景にセイアは覚えがあった。
セイアが持つ刀、落葉の本来の持ち主。
彼女が時計塔で見せた、穢れた血の刃。
「……まさか」
「ガァアアァァアアアッ!!!」
瞬間、悪寒を覚えたセイアが加速により地を蹴ったと同時、
獣は血に染まった左腕を勢い良く振り抜いた。
……本来なら、セイアに届く筈のない間合い。
しかし、
斬ッ!!
セイアが先程までいた場所を、
飛び散った鮮血が軌跡の刃となって切り裂く。
先ず間違いなく相応の威力を伴っているであろうそれに、セイアは背筋に薄ら寒いものを覚えた。
「これは、予想外だね……しかし」
そう言うや否や、セイアは再び加速を駆使し、
獣へと距離を詰める。
獣はセイアを切り裂こうと飛び退りながら腕を振り回す……だが
発生する血の軌跡はあくまで腕の動きに追従しているもの。
これまでの攻撃を全て避けてきたセイアには当たらない。
然程せぬ内に、セイアは再び獣の懐に潜り込んだ。
「これまでだ」
セイアはそう言い放つと、
未だ損傷している左脚に、落葉の刃を向けた。
……だが、
「ウァァ、ア゛、ア゛アアアッ……!」
獣の苦悶が響く。
それと同時、獣は左腕に大きく力を込めた。
……溢れだす鮮血が沸騰するように泡立つ。
「っ!?」
悪寒を覚えたセイアは、咄嗟に加速で飛び退ろうとした。
けれど、それは遅きに失した。
「ゴァアアアァァァアアァァァァアアアア!!!!」
咆哮
それと同時、傷口から迸った鮮血の一滴一滴が、細かな刃となって獣の周囲に放たれた。
「くっ……!」
回避しきれないことを悟ったセイアは咄嗟に顔を両腕で覆ったものの、その身体に血の刃が突き刺さり、劇毒となって蓄積してゆく。
「ぐうっ!?」
次の瞬間、何とか攻撃圏内から逃れたものの、
体内に劇毒が蓄積しきった影響によるものか、
凄まじい激痛がセイアに走る。
……それにより、ほんの一瞬だけセイアの動きが鈍った。
「ヴゥアアアァァッ!!」
瞬間、獣の咆哮が轟く。
セイアに生まれたわずかな隙を狙って、
今度こそ敵を仕留めるべく腕を振り上げる。
……だが、それは叶わない。
「ガァッ?!」
「……何!?」
背部に広がる爆炎。
飛来した円筒形の榴弾が、またしても獣の行動を阻害したのだ。
表情を驚愕に染めたセイアが、反射的に榴弾が飛来した方向を見やる。
……そこには、やはりというべきか。
先ほど撤退を指示したはずの少女たちが未だそこにいた。
「……っ、やはりそう簡単には諦めはつかないか……!」
ああ、気持ちとしては痛いほど理解できるとも。
しかし……!
「ッ、ァ゛ァアアアッッ!!」
その時、行動を阻害された獣が体勢を立て直すや否や、彼女らに向けて血に濡れた腕を振りかぶった。
「今すぐそこから離れるんだ!」
セイアは少女らにそう呼びかけると、
即座に貫通銃を取り出して獣の腕に向けて照準、トリガーを引く。
轟音
肉を抉り、貫通する特殊弾頭が獣に迫る。
……しかし、それの弾速は通常の水銀弾の弾速より遅い。
「ガァアアァァアアアッ!!!」
貫通弾の着弾より一瞬早く、獣の腕が横薙ぎに振るわれた。
それと同時に血飛沫の軌跡が刃へと代わり、正面目掛けて飛跳する。
狙われた少女らは今度こそ逃げようとしたものの、横一文字に振るわれたそれは、攻撃範囲が余りにも広かった。
そして……
「はあっ!!」
彼女らの正面に割り込む大型のシールドを構えた人影。
それが、血の刃を受け止めたのだ。
獣から繰り出される膂力を乗せた一撃と異なり、
鋭いばかりでそれ自体に質量が殆どない血の刃は、シールドに着弾すると同時あっけなく砕け散った。
「……っ、はぁ……間一髪、でした」
その人影……蒼森ミネは荒い息を付きながらもそう呟く。
身体の各所には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
シールドも普段の愛用品は先程壊れてしまった故に、他の団員の借り物。
万全とは到底言い難い。
「ミ、ミネ団長!早く安静に……」
「あれを受け止める程度なら、身体に差し障りはありません。
少しでもマリーさんの気を引いて、セイア様が、動けるように……!」
……差し障りのない、というには余りにも重い傷だ。
しかし、それでも尚、ミネはシールドを構える手を離そうとはしない。
「ヴゥゥアアァァアアッッ!!!」
それを視認した獣が咆哮すると同時、一気に距離を詰め始める。
血の刃が防がれるなら、直接叩くのみ。
そう言わんばかりに、徐々に加速しながら腕を振りかぶる。
……その時、
「かぁははははははっ!!!」
響き渡る獣とは違う狂的な咆哮。
それと同時、大きく裂けた獣の左手首目掛けて、散弾が乱れ飛んだ。
ツルギだ。
つい先程まで行動不能に陥っていたはずであり、
現に今も制服の一部は血で濡れている。
だと言うのに、その動きに一切の乱れはない。
「ギャアァァアッッ?!?!」
傷口に直接潜り込んだ弾丸が発する激痛に獣は絶叫し、怯んだ。
しかしそれもつかの間。
すぐに体勢を立て直した獣は、足元にいるツルギに敵意を向ける。
だが、獣の注意が向けられて尚、ツルギは獰猛に笑っていた。
「けひひっ、そうだ……私はここだあああ!!!」
ツルギがそう吠えるとほぼ同時、獣の腕が彼女目がけて連続で振り下ろされる。
しかし、今度こそ彼女はそれを的確に躱し、
更に回避の合間に銃撃をはさみ、確実に獣の気を引いてゆく。
……そう、彼女に決定打さえなくとも、この場では気が引ければいい。
そして獣は、ツルギに注意を向けるべきではなかったのだ。
タンッ
咆哮と破砕音の中、短く響く地を蹴る音。
それは、獣のすぐ足元で聞こえた。
今更反応しようとも、既に遅い。
「君達の援護に感謝を」
獣の注意が向けられぬ間に懐に潜り込んだセイアは、
短くそう言うと同時に、
今度こそ左脚の傷目掛けて両刀を突き立てた。
「ギャアァァアアアアッ!?!?」
大輪の鮮血の花が咲く。
それと同時、両足に致命的な傷を負った獣の頭部が、
地につきそうな位置まで力なく垂れ下がった。
それを確認したセイアは、即座に獣の懐から加速を駆使して飛び出し、その正面へと移動すると、右手を短く引き絞る。
……手の中に、落葉が溶け込んだ。
「終わりだ」
ゴシャッ
生々しい音と共に、
獣の左の眼窩へとセイアの細い腕が打ち込まれた。
鮮血が吹き出し、彼女の服を、髪を、肌を、赤く赤く彩ってゆく。
何処からか悲鳴のような声が聞こえるが、セイアは一切気に留めることなく、獣の頭部を地面に叩きつけるようにして腕を引き抜いた。
「ア゛アアァ、ァ、ぁあぁ……」
獣の断末魔。
それもすぐに掠れ、消えてゆく。
最後、獣は……聖職者の獣は、決して届かぬ月明かりへと手を伸ばした。
しかし、その腕も間もなくして力なく地面に打ち付けられる。
……最後、人のような響きの声を溢して、獣の姿は霧と消えた。
YOU HUNTED
_____________________
月明かり差す大聖堂。
鮮血の雨が降り注ぐその中心に、1人の少女が倒れ伏していた。
辛うじて修道服とわかる身につけた衣服はボロボロで、
裂けた布地から覗く肌からは緋色の血が流れている。
……けれど、その胸は微かに、しかし確かに動いている。
「……彼女から事前に聞いていた通り、かな?」
セイアは小さくそう呟く。
エデン条約での襲撃事件において、少ない時間ではあるが共に行動した、同じ狩人の少女。
件の事案が終わった後も時々連絡を取っていたが、それが今回功を奏した。
……キヴォトスの人間が獣化した場合、それは可逆であることを知らなければ、自分は今頃彼女を手にかけていただろう。
「マリーさん!!」
「……!!あぁ、我が主よ、どうか……!」
「っ!ヒナタさん、サクラコさん!お気持ちはわかりますがここは私達救護騎士団にっ……うぐ」
「ミネ団長、あなたはあなたでいい加減安静にしてください!」
背後からヒナタとサクラコが駆け寄ってくる足音、
2人を制止するミネの声、
そんな彼女を更に制止するハスミの声、
自身のすぐ横を通り過ぎる少女達の後ろ姿……
待機していた他の救護騎士団の団員たちの足音も聞こえてくる。
……もう、この場所に自分は不要だろう。
最後に一度、セイアはホッとしたように小さく息をつくと、その場から踵を返す。
……と、
「セイア様」
そんな彼女に、横合いから短い声がかかった。
一瞬、誰に声をかけられたのかわからなかったセイアだが、すぐにその人物の名前を思い出す。
「……ツルギ委員長、先程は助かったよ」
ゆっくりとそちらの方に向き直ると、
セイアはツルギに向けてそう返答した。
「あぁ、私の傷のことなら大丈夫だ。既に治癒しているよ」
「……わかりました」
そう言って、輸血液で既に治癒した傷があった場所を示すセイアに、ツルギはそう返答する。
……しかし、その表情から見るにまだ何か言いたげなようだ。
…………
「マリーのことなら、安心したまえ。
このことはシャーレにも連絡は入れたのだろう?
今に先生と、彼女の
「……病気。あれは病気、ですか」
セイアのその言葉に、少し考えた後にそう呟くツルギ。
……まあ、一度聞いて信じられないのは当然とも言えるだろう。
しかし、セイアはツルギの言葉に頷いた。
「そう、あれは病気だよ。
呪いとも言い換える事ができるかもしれない。
しかし、適切な治療をすれば病状を抑えることもまた、可能だ」
そこでセイアは一度言葉を区切る。
「……一度壊れた物を完全に戻すことは限りなく不可能に近い。
けれど、限りなく近い形に整えることは可能だ。
修復する者が壊れてしまったそれを愛しているほど、それはより近い形に近づく。
……そうは思わないかい?」
セイアはそう言って、静かに微笑んだ。
どもー、お久しぶりな時空未知です。
ということで今回の作品はいかがだったでしょうか?
……すっごく戦闘の展開沼ってました。
結果として執筆に時間はかかるし、
皆さんの期待に沿える展開になったかどうか……
……どうでしたかね?
え、本当はエルデンリングのやり過ぎで投稿期間空いたんだろって?
……君のような生きのいい牡蠣はフライだよ(2週目武器フルコンプの旅道中です)
まあそれはさておき今回について話を戻しますと、
重軽傷が数人いますが死者ゼロです!
マリーさんも戻ってきたのでヨシ!
……本当にヨシか?これが。
一応、マリーさん編は本編よか救いのある展開になる予定ですが、土壇場で私の心に巣食う曇らせ神が荒ぶったら知りません。
地獄への道は善意で舗装されてますしお寿司。
次回はいよいよ最終回……の予定です。長引く可能性もアリ。