我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う
歪み果てた狩人よ
かねて血を恐れたまえ
「ゴアァァァァァァァァァァアアァアアアアアアアアアッッ!!!!!!!」
降りしきる冷たい雨に打たれながら、それは悍ましい叫びを上げた。
その声は一帯を舐めるように広がり、その存在を高らかに示す。
……その非現実的な光景を理事はただ茫然と見ていた。
「なん、だ……あれは」
その声色に宿るのは、恐怖。
明らかに異様で、本能的な恐怖を想起させるそれ。
……そこに、少なくとも人の形は保っていた少女の面影はどこにもない。
「一体、なんだというんだあれは……!」
「グルルル……」
しばらくの間咆哮の余韻に浸っていた獣だったが、
やがて唸り声を上げると視線を宙を仰いでいた視線を地上へと向ける。
……その爛々と輝く赤く蕩けた瞳が、カイザーPMCへと向けられた。
「……獣、獣……!」
「……!」
獣が歪な……だが確かな人の言葉を発した。
そこに込められるのは、剝き出しの、生々しい殺意。
理事の背に、感じたこともないような悪寒が走る。
その感覚に突き動かされるままに、気がつけば理事は叫んでいた。
「撃てぇ!!撃ちまくれ、あれを殺せっ!!」
「ガアアアッ!!」
理事の悲鳴にも近い声と、獣が駆け出すのはほぼ同時だった。
狙いに定められたのは残っていた5機のゴリアテの内の一機。
「ひっ!」
殆ど反射的に、
標的にされたゴリアテの搭乗者は搭載された全武装を開放していた。
頭部の大口径の主砲が、両腕部のガトリング砲が、
肩部のミサイルランチャーが炸薬の音と共に放たれる。
……が、
ダンッ
それに対し、獣は主砲を潜り抜けるように回避し、
続けざまにミサイルを引きつけてから横っ飛びに回避。
ガトリング砲のみは避けきれていないようだったが、
そもそもそれが効いている様子も一切ない。
「キエロッ!!!!」
一瞬にして懐に潜り込んだ獣がその勢いのまま右腕を大きく振りかぶって
ゴリアテに向けて恐ろしい速度で振り下ろした。
ガキャンッ!!!
腰部分の装甲が火花を散らしながら、まるで飴細工のように圧し切れる。
それだけで機体全体に凄まじい振動が走るが獣は止まらない。
続けて右腕を短く腰だめすると、上部分に一息に突き出す。
「わ、わああああ!?」
頭頂部に衝撃を受けたことでゴリアテが更に大きく揺らいだかと思うと、
バランサーの許容を超え、地響きを立てて背面に倒れ込んだ。
その衝撃のため、
搭乗しているオートマタ兵は脱出レバーを引こうにも引くことができない。
「……あ?」
……衝撃から何とか立ち直った兵士が目にしたのは、
自身に向けて迫る、その凶爪が剥き出しになった獣の手だった。
明確に迫る死を前に、
兵士は何もできず自分を押しつぶさんとする見守るばかりだった。
ゴシャッ!!
鈍い破砕音をたてて兵がいた場所を腕が通過。
獣の腕と物言わぬ残骸が背面の装甲にめり込んだ。
……その時、
「ガアッ!?」
突如として獣の背中が爆発した。
その衝撃でよろめいた獣の奥に浮かぶのは、まだ損壊していなかった攻撃ヘリ。
[クソッ!!化け物め……目にもの見せてやる!!]
「ガアアッ!?」
更なる追撃が、そんな声と共に獣に襲い掛かる。
再び獣がよろめいた。
……だが、攻撃ヘリのパイロットらの表情は芳しくない。
[嘘だろ……ちょっと毛がチりついただけでピンピンしていやがる]
そう、血酔いの獣はよろめきこそすれ、目立った傷は全く負っていなかった。
そうしている間にも獣は今度こそ起き上がると、
空からチクチクと衝撃を与えてくるそれらを忌々し気に見上げる。
[っ!!総員、後退しつつ攻撃!!]
機銃が、ロケット弾が、獣に向けて射出される。
けれど獣はヘリの直下に潜り込むようにしてステップし、それらを回避。
その勢いのまま地面を強く踏みしめる。
「ジャマ、ダァアッ!!!!」
ダンッ!!
次の瞬間、獣の巨体が跳んだ。
その重さすら感じられないほど、いっそ軽やかに。
高々と空を跳ぶ。
そして、その凶爪が正面に浮かぶヘリに向けて大きく振りかぶられた。
[まずっ]
けれど、その言葉は次の瞬間には途切れる。
横なぎに振るわれた獣の腕がヘリの操縦席に直撃。
凄まじい勢いをもって振るわれたそれは装甲ごとそこを轢き潰すとそのままヘリ全体を吹き飛ばしたのだ。
鉄塊の質量弾と化したそれは、他の攻撃ヘリに直撃し運命を共にした。
獣はそれを見届けることもなく地響きを立てて地面に降り立つ。
「フウウウゥ……」
だが、流石に体力を一度に損耗しすぎたのか、
獣の口から荒く、重い吐息が零れる。
……だが、獣の隙を虎視眈々と狙っていたものにとって、
それは絶好の機会だった。
「そこだぁっ!!」
瞬間、死角から放たれた赤色に輝くレーザー光が獣の身体に直撃した。
「ギャアァッ!?!?」
初めて獣が苦悶の声を上げた。
その熱から逃れようと獣は地を蹴るが、苦痛に身を焦がされているためか
先程までのような素早い動きではない。
その為、各部アクチュエーターの性能が強化された理事のゴリアテはその動きに追従して的確に旋回、その体表を焼き続ける。
「ァ、アアアア!!?」
「ふ、ふふふ、始めは何事かと思ったが所詮は図体がでかくなっただけだ……!!!」
理事は引き攣ったように……
未知の恐怖に震える自らを鼓舞するかのように叫びながらも、
そのままゴリアテのコマンドモジュールを操作、主砲のリミッターを解除した。
ゴッ!!
主砲から放たれるレーザーが更なる熱を、閃光を帯び獣を焼く。
獣の口からこの世のものとは思えぬ、悍ましい苦痛の叫びが発せられる。
「対策委員会……ずっとお前たちが目障りだった。
どいつもこいつも死にかけの学校に残り、
しつこく粘って、どうにか借金を返済しようとして……!!
特に黒見セリカ、お前は、お前はどこまでも想定外をついて、私の計画の邪魔をしてッよくもよくも私の計画をッ!!!!
私が獣だと?貴様のほうがまごう事なき害獣だっ!!
今、ここで、私の目の前から消し飛べええええ!!!」
理事の怒号に呼応するかのように、レーザーが更に瞬き、瞬き、
もはや一筋の光となって夜の闇の中を照らし出し、その余波だけで雨粒を蒸気へと変えてゆく。
そして……
ガクン
突然、カイザー理事のゴリアテが振動すると同時、
辺り一帯を極光の如く照らしていた眩いレーザー光が突如として途切れた。
「……は?」
訳が分からない、といった声がカイザー理事から発せられる。
その手元から一拍遅れて甲高い警告音が聞こえてきた。
一瞬、呆然としていた理事だったが慌ててその警告音……
表示された警告を穴が開くほど見つめる。
そこに記されていたのは……
「……砲身、及び主砲ジェネレータのオーバーヒートだとっ!?」
理事から悲鳴にも近い声が発せられた。
……リミッターを解除しての、砲身限界を遥かに超えた照射。
本来ならば機体事態が自壊してもおかしくないような運用……
理事が無事なのは本来奇跡ともいえる状況だ。
……けれど、今、この時にレーザー光が途切れてしまったことは、やはり不幸であった。
そして、その不幸を指し示すかのような報告が飛び込んでくる。
[り、理事!!目標、目標は……!]
部下から聞こえてくるのは切迫し、恐怖に震えた声。
……オートマタである故、詰まらせる息などあるはずもないのに。
それでも息を詰まらせたように言葉を途切れ途切れにしながら、必死にそれを伝える。
[目標は、依然、健在です!!」
「なぁっ!?」
反射的に理事は警告の表示されっぱなしのモジュールから正面へと視線を変える。
そこには……
「……ガ、ァァアア」
赤熱し、一部がガラス状へと変化した地面の先。
……そこに、黒い毛並みの獣はいた。
長時間の照射を受け、半身が焼けただれながら。
それでも尚、獣は動いていた。
熱に揺らめく景色の中、赤い瞳が輝く。
それは真っ直ぐ、ひたすらに。カイザー理事のことを射抜いていた。
「ア、アアア、アアアアアア……!!!」
ミツケタ
……言葉ですらない、獣の呻き声。
けれど、理事には目の前のそれが、
あの少女の時と同じ狂った笑みを浮かべて、
こちらの首筋に刃を突きつけているように思えてならなかった。
即ち、今にも自分に刃を突き立て、殺そうとしているように……
「……ふざ、けるなああああっ!?」
気がつけば、理事は残る全武装をその獣に向けて撃ち散らしていた。
迫りくる死の恐怖……いや、死そのものから逃れようとするように。
拡声器で拡大された理事の絶叫で我に返ったのか、
他の方向からも砲撃が、爆撃が再開される。
そして、それらが着弾する寸前……獣が、動きだした。
「グアアッ!!」
短い咆哮を上げると同時、前傾姿勢を取って前方にステップ。
砲撃など、体勢を崩しかねない攻撃だけをすり抜けるように回避すると、
その腕を振りかざしながら突撃、瞬く間にカイザー理事との距離を詰めてゆく。
だが、そう簡単に単純な砲撃が通るわけではない。
ヒュー……
甲高い音を立てて、上空から雨粒以外の何かが降ってくる。
獣はその本能に任せて横っ飛びに回避を試みた……瞬間、
ガアアアン!!!
降り注いできた榴弾の雨が先程まで獣がいた場所を打ち砕き、
爆発の華を咲かせる。
更に、それをかろうじて回避した獣に向けて、更なる追撃。
……だが、先程までと比べその弾幕の圧は明らかに弱い。
[こちら残存攻撃ヘリ部隊、もう機銃ぐらいしかまともな武装が残ってない!!]
[いいから撃ちまくれ!!悠長に補給に戻ってる暇なんかないんだぞ!?]
[こちら戦車部隊!!射角が取れない、移動を開始……って、砲手がいない!?]
キヴォトスではまずない、死と隣り合わせの戦場。
自分達の常識を疑いたくなるような、圧倒的とすらいえる敵の力。
更にそれが、悍ましい獣となって復活を遂げたことにより、
カイザーの指揮系統は少しずつ、少しずつ瓦解しつつあった。
……そんな中、自身に襲い来る衝撃に獣は不愉快そうに短く唸るものの。
次見た時にはその視界は変わらず、カイザー理事のことを捉え直す。
「ウ゛アアアアァァァッ!!!」
次の瞬間、獣の身体が再び弾かれたように動き出した。
「っ!くそっ、くそくそくそっ!来るなっ、こっちに来るんじゃない!?」
恐ろしい速度で迫ってくるそれに対し、
カイザー理事は必死に後退しながら残る武装を乱射するが、
ステップじみた行動を織り交ぜた高速移動を繰り返す獣に一向にあたる気配はない。
更に、そんな理事の行動をあざ笑うかのように更なる警告音。
それと同時に正面に展開されていた弾幕の一切が途切れる。
「弾切れだと!?こんな時にかっ!?」
理事が怒声とも悲鳴ともとれぬ声を発するその間にも、
獣にはひたすらに距離を詰め続ける。
……理事が脱出レバーに手をかけたのも当然といえるだろう。
だが、
「……!緊急脱出機能に異常!?ふざけっ……!動けこのポンコツがっ……おわ!?」
最後の希望が断たれたことに怒声を上げる理事。
……そんな彼が、ついに目の前まで迫った獣の攻撃に反応できたのは
ほとんど奇跡という他ないだろう。
ステップと同時に素早く振るわれる凶爪。
それを辛うじてゴリアテの腕部装甲で受け止める。
ガキイイン!!
耳障りな金属の破砕音と共に飛び散る火花。
今の一瞬だけで各部のアクチュエータが悲鳴を上げ始める。
だが、だからといって獣が待ってくれるわけがない。
受け止められたことを意にも介さず、先程までよりいっそう大きく右腕を振りかぶる。
「っ!ぬおおおおおっ!!?」
対するカイザー理事は雄たけびを上げながら無事である左腕部を操作。
もう弾は排出されぬものの、先端の巨大なガトリング砲身を回転させながら、
獣を殴りつける。
その一撃は、偶然にも、レーザーの照射で焼けただれた部分の内
最もひどい箇所に直撃した。
「ギャッ!?」
激痛に獣が怯む。
その隙を逃さまいと……いや、単純に気が動転して必死になっているだけだろうか?
ともあれ理事は、そのまま獣がこれ以上身動きがとれぬように組み付いた。
「グウウウッ!!」
「うっ!」
獣の凶悪な容貌が視界一杯に押し出される、
その爛々と光る双眸と底冷えするような唸り声に恐怖する理事。
「だ、だがこうしてしまえば何もできないだろう……?は、ははぬおおお!?」
そんな中でもなんとか虚勢を張ろうとした理事がそう言葉を紡いだ次の瞬間、
獣が理事をかみ砕こうと無理矢理口元を突っ込み闇雲に嚙みついた。
目の前でガチリと音を立てて閉まる乱杭歯を前に、
理事のちっぽけな虚勢はあっけなく霧散する。
更には、無理矢理拘束を解こうとする獣の膂力により、各部アクチュエーターが先程にも増して甲高い警告音と共に悲鳴を上げ始めた。
……カイザー理事はオートマタの中でも表情が作れないタイプに分類される。
けれど、もし表情を作る機能があったのならば、
それはきっと恐怖で蒼白になっていただろう。
「う、撃て!!早く撃て!!今ならやつの背ががら空きだろうがっ!?」
[りょ、了解です!!]
理事からの命からがらの指示に、慌てて通信先の部下が返答する。
それから一拍おいて、残っている3機の量産型のゴリアテが一斉に動きだした。
幸いなことに弾薬はまだあるのか、大口径の実弾の主砲を、
そしてガトリング砲とミサイルランチャーを発射しながら徐々に接近してくる。
「ガアッ!!?」
主砲の弾丸が獣の背に直撃。
その衝撃で、獣の体勢が僅かばかり崩れる。
獣の視線がちらりと、どこか忌々しげに後方へと向けられる。
……彼らは与り知らぬことだが、獣はこの時既にカイザー理事の機体を脅威としてみておらず、いつでも殺せる物としか思っていなかった。
即ち……
「ウル、サイッ!!!」
咆哮のそれに近い言葉を発した否や、獣が大きく動いた。
まず、カイザー理事のゴリアテの赤熱した砲身を無理矢理掴み取ると、
自身の肉が焼ける苦痛をねじ伏せて
組み付いたゴリアテ全体を引きはがすようにして砲身を地面へと叩きつけた。
先程の防御動作で既にガタガタになっていた右腕部が根元から千切れ飛び、瓦礫に叩きつけられた砲身がへしゃげる。
カイザー理事の悲鳴が上がるが、獣はそれを意にも介さず次なる脅威に急激に接近した。
砲撃は回避し、弾幕は強行突破する。
……最早、それの接近を阻むものはいなかった。
「……っ!避けろおおおお!!!」
「ゴアアァッ!!!!」
獣は短く咆哮を上げるとまず、最も近くにいた一機に向けて接近時の勢いのままに右腕を素早く、脚部関節に向けて振るう。
その一撃で体勢が崩れたゴリアテの搭乗部に向けて、
もう片方の手を爪を見せつけるように大きく開き、勢いよく伸ばした。
「あ
……それが、搭乗していたオートマタ兵の最後と言葉となった。
獣の膂力を最大限に使用し持って放たれたそれは、
周辺の装甲ごとコクピットを握り潰す。
手の中でスパークが迸るが、獣はまだ足りないといわんばかりに
制御を失ったゴリアテの胴体を地面に引き潰すようにして押し付けた。
本来想定されていない……いや、想定するはずもない方向に無茶苦茶な負荷がかけられ、
機体の上半身と下半身を繋ぐ軸が金属が千切れ飛ぶ破裂音を立てて、
だが一瞬でせん断される。
「う、あ、あああああっ!?」
「この、化け物があああああ!!」
……その光景を間近で見ることとなったからだろうか?
背後から悲鳴が、怒号が聞こえてきたかと思うと
残っていたゴリアテの一機はやたらめったらに攻撃しながら後退。
一機は獣に向けて主砲を一発放ったのち、
他の射撃兵装を忘れてしまったかのように猛然と吶喊する。
それに対し、獣がとった行動は単純だった。
先程の残骸
身体を小さく、蹲るようにして大きく、大きく息を吸い込む。
「おあああぁぁぁあああ!!!」
そして、それが獣に向けて金属で覆われた腕部を大きく振りかぶった瞬間、
「グアァアアアアアアァァァァァアアアアアアアアアアッッ!!!!」
戦場一帯に響き渡るような、凄まじい音圧を伴った咆哮が辺りに響き渡った。
まるで空気自体が揺らいでいるとすら錯覚するそれは、
迫ってきていたゴリアテの体勢を大きく崩した。
そこからの獣の行動は早かった。
手馴れた動作で右腕を腰溜めし引き絞ると、力任せにそれを突き出した。
貫通
ゴリアテの胸部装甲が、内部にあった動力ごとその腕に貫かれる。
迸る炎が、飛び散るスパークが、まるで鮮血の如く貫通部から溢れ出し、
夜の闇の中に獣の姿を凶暴に、鮮烈に照らし出す。
獣はその余韻に浸るように一呼吸置いたのち、
今にも機体全体が爆発の炎に包まれてしまいそうなそれを、
腕を大きく振るって吹き飛ばした。
投げ出されたそれは、
一瞬空中でバラバラに分解したかと思うと、
破片をまき散らしながらその姿を爆炎へと変える。
その余波に巻き込まれた何基かの攻撃ヘリがそれと運命を共にした。
だが、獣の動きはまだ止まらない。
先程からずっと左腕に持っていたままだった上下が泣き別れになったゴリアテの残骸。
今も火花を散らすそれを、大きく振りかぶる。
「ア゛アアアアァァァァアアアアッ!!!!」
瞬間、獣の膂力と長く肥大化した腕を全力で用いて、
その残骸がほとんど水平方向へと投擲された。
その射線上にいるのは逃げようとしていたゴリアテの最後の一機。
ガキャンッ!!!
金属同士が凄まじい相対速度をもって擦れ、衝突する。
あまりの衝撃にそれらが一瞬、一体になった。
……けれど、それはやはりほんの一瞬のこと。
瞬く間に2機分のジェネレーターが起爆し、辺り一帯を煌々と照らし出した。
「……ゼェ……アァ、ァ……ハア……」
その光景を見届けながら、獣は荒い息をつく。
先程まではもう少し多くの邪魔なものがいた気がするが、
どういうわけかこちらの動きが止まっているというのに何の攻撃行動にも出てこない。
……まあ、どうでもよいことだ。
獣は雨に打たれながら一度、大きく息をついたのち、
先程地面にたたき伏せたカイザー理事のゴリアテがある方向へと緩慢な足どりで向かう。
「だ、誰か、いないのか、いないのか!?応答しろ!!
迫撃砲部隊も戦車部隊もまだ残っているだろう!!?」
獣の目的の物は案外すぐ見つかった。
ゴリアテの残骸のすぐ近くの瓦礫、その裏。
……隠れているつもりなのだろうが、
あれだけ大きな声を出していれば位置など容易にわかる。
「応答しろ、応答し……!!そうだ、私だ、このPMCの……はあ!?」
相変わらず耳障りな声だ。けれど、もう少しでその声を聴かなくて済む。
「い、今まで雇ってやった恩を忘れたかこの……ま、待て、おい待ってくれ!!」
……声が途切れた。
それと同時、獣は目的の物を漸く視界にとらえた。
「くそっ……くそがっ、どいつもこいつも!!
何故、何故私が、な……ぜ?」
誰一人として応答する者がいなくなった通信機。
それに対し、ひたすら悪態をついていたカイザー理事だったが、
漸く自分の頭上にある大きな存在に気が付いたらしい。
「あ、たすけもがっ!?」
カイザー理事が何か悲鳴を上げるより早く獣はそれを掴み上げると、
それを眼前に持ってくる。
「ひっ、や、やめろ私は、私は機械だ、機械だぞ!?
食っても金属の味しかしない、だ、だから……」
「……耳ザワリダ……!」
「あ、ああっ!?あああああああっ!!!?」
命乞いをするカイザー理事。
その声に、獣は不快そうに呻くとミシミシと、徐々に徐々に力を籠め始めた。
痛覚でもあるのか、それとも単純に
自分が今から握りつぶされ死ぬことを悟った恐怖によるものか……
どちらにせよ、理事から言葉にならない悲鳴が発せられる。
「嫌だ、死にたくなあああっ、ああ、あああああっああ!?!」
「…………」
最早反応することすら億劫になってきたのか、
獣はただ、純粋に害意の籠った蕩けた瞳でそれを見るのみ。
そして、その握力がカイザー理事の装甲の限界を超え……
「た、小鳥遊ホシノだ!小鳥遊ホシノはどうするつもりだっ!!?」
「……ア?」
……その、ほんの一歩手前。
カイザー理事から発せられた言葉に獣は硬直した。
その言葉に、激情ばかりが満たす心のどこかある何かが、引っかかる。
たかなしほしの……
タカナシ、ホシノ……
小鳥遊、ホシノ……
……小鳥遊ホシノ。
小鳥遊ホシノは、誰だ……?
私の……私、の……大切な、人
「……ホシノ、センパイ?」
獣の口から、声が零れた。
先程までのような、憎悪と獣性に蕩けた声でも、ましてや悍ましい咆哮のそれでもない。
くぐもってこそいるものの、明確な……その奥にいるであろう、少女の声。
その手から今まさに握りつぶされようとしていたカイザー理事がポロリと零れる。
足元でカエルが潰れたような悲鳴が上がるが、既に獣には聞こえていなかった。
蕩けた赤の瞳の中に、今まではなかった光のようなものが宿る。
獣はゆっくりと眼前に、両手を掲げた。
黒い毛におおわれ、歪に変質したそれ。
獣の瞳が、見る見るうちに見開かれる。
「ワタシ、私……マタ、まタ……!?」
獣の口からか細い、悲鳴のような声が零れる。
顔に手を当てる……明らかに人のそれとは思えぬ形状が伝わる。
足元を見る……そこには、本来あるべき狩道具も、少女らしい肢体もない。
「ア、ああ、ァァアア、ああああっ……!」
獣は、理解した……理解してしまった。
過去のトラウマがよみがえってくる。
獣から零れるのは、苦悶か、悲痛か。
先程までのことが嘘のように、まるで人であるかのようにその場に膝から崩れ落ちた。
……だが、獣性というものはどこまでも無慈悲だ。
「……うッ」
獣が再び呻く。
けれど、それはトラウマのフラッシュバックによる悲哀から来るものではない。
……血が、欲しい。
奥底で獣性が囁く。
……もう、長いこと付き合ってきた感覚だ。
だが、今回のそれは再び理性を失いかねないほど危ういものであるということだけで。
「……ホシノ、先輩」
獣は、その名を呟く。
……早く、助けなければ。
この意識が完全に獣性の中に蕩けてしまう前に。
完全に、取り返しのつかなくなる前に。
獣はサッと辺りを見回す。
幸いというべきか、獣は夜目が非常に効く。
それは降りしきる雨の中でも同じこと。
「……!」
それは……カイザー理事は獣から然程離れていない場所にいた。
必死で獣から逃げているようだが、残念ながらそれが叶う程の速度ではない。
ダンッ
獣が短く地を蹴ることを数回繰り返せば、
あっという間に逃げる理事の背に追いついた。
獣はそのまま、その身体をサッと攫いとる
「があっ!?くそっ離せ、離せっ!!!」
「うルサいッ!!」
バキッ
……何かがへし折れる音が聞こえた。
焦りのあまり、獣が力加減を誤り理事の片腕をへし折ったのだ。
「ああ、ああああ腕がっ腕がああっ?!!?」
「……ッ!」
全く静まる様子のない理事の声に獣は苛立ちを募らせると、
その掴み上げた身体を一気に目の前まで近づけた。
「黙レ」
「ひっ」
底冷えするような、気の弱いものならそれだけで殺してしまいそうな声。
漸く目の前のそれが静かになったことに獣は少しだけ満足すると、
そのままミシミシと握力を加えながら言葉を続ける。
「ホシノ先輩ヲ解放シろ、今、すぐ二……!」
「わ、わかった!わかった小鳥遊ホシノを解放すればいいんだろう?!
それで満足なんだろうっ!?」
カイザー理事がそう声を張り上げる。
……だが、返答が気に入らなかった獣は短く唸ると更に手に力を込めた。
「あ、ああああっ!?し、信じられない、信じられないのかっ!?
なら、おし、教えてやろう!?
わた、私の身体には各所の機能に無制限にアクセスできるチップが付いているんだ!!
だ、だから建物の扉をすべて開放して、その後電源を落としてしまえば実験施設も止ま……あ、ぎゃあああああ、あああ!?!?」
更に、更に強い力が込められるいよいよフレームが軋みを上げ、
脆い部分に亀裂が生じ始める。
……当然、その音はカイザー理事にもしっかりと届いていた。
カイザー理事の苦悶の声が、それ以上の何か、恐ろしいもので上書きされ、途切れる。
そして……
「い、嫌だ……死にたく、死にたくない……」
……どこまでも傲慢だったカイザー理事から、弱々しい、そんな音声が聞こえてきた。
「見逃してくれ、許してくれ……ホシノを、解放する。
この名に懸けて、約束する……だから、頼む……命、命だけは……」
「……及第点」
獣はカイザー理事の言葉にたった一言告げると、
腕の握力を砕けない程度に緩めると、ホシノがいるという建物の方へと視線を向ける。
……雨の降りしきる闇夜に浮かぶその場所は、
点々とした照明だけがその存在を照らしている。
「そ、そうだ……そこに向かうんだ。
ある程度まで近づいたら、私は秘匿回線で内部のシステムにアクセスできる」
「……イい?妙ナ真似をしたラ……」
「わ、わかってる!わかっているともさ!!」
恐怖に上擦ったカイザー理事の声を聴いたのち、
獣は短く息をつくと、段々と強くなってくる渇望を押し殺しながら移動し始めた。
__________________________________
実験施設へは何事もなくたどり着いた。
道中は、精々乗り捨てられた兵器や、戦闘の残骸が転がるのみ。
一応、人の気配らしきものもいくらか確認したが誰もが縮こまり、
過ぎ去るを待つのみで、攻撃してくるものは誰もいなかった。
……そして今、カイザー理事は獣に握られたまま、
必死で実験施設のシステムにアクセスしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「……」
電子的なことなので何をしているかは一切伺い知れない。
だからこそ、獣は目の前のそれから恐怖以外の感情が発された場合、
即座に握りつぶす気でいた。
……けれど、それは結局杞憂だったようだ。
さほどしないうちに施設の入り口の巨大な隔壁が開き、
獣の体躯で侵入できるところまで入る限りでは内部のドアも開いた。
そして今、カイザー理事はどうも電源のことで四苦八苦しているようだった。
「……っ、くそ……なら、この基地全体の電源を……」
バツン
そんな声が聞こえたかと思うと、
次の瞬間、蛍光灯に照らされていた施設内の通路から一瞬光が消えたかと思うと、
ぼんやりとした頼りない非常灯に切り替わる。
「よ、よし。これで……少なくとも、
実験器具を維持するには電力が足りずに停止したはずだ」
「……そウ」
理事の言葉に獣は短く返答した。
……これで、漸く目標は達成した。
辛うじて一時的に取り戻した理性の中で、獣は一先ず安堵する。
さて、残るは……
後始末だけだ。
ミシッ
「……ぇ、は?」
理事の装甲が軋みを上げ、それを握る手が掲げられる。
「な、何をして……?何かの冗談……冗談なのか!?」
「何ヲ勘違いしテイるの?」
獣は告げる。手の中の哀れな獲物に、無慈悲に宣告する。
「私ハ一言も、言うことを聞けば見逃すとは言ってナイ」
「……ひ、や、やめがあっ!?」
瞬間、理事の声は苦痛へと変わった。
恐ろしい速度で振るわれた獣の腕が、
施設の硬質な壁へと力任せにその身体を押し付けたのだ。
「おああ、ああやめっ、ぎあ、ぁあああぁぁぁぁあああっ!!!??」
めきめきと音を立てて、そこら中がへしゃげて壁にめり込みながら、
尚も悲鳴を上げ続けるカイザー理事。
それに向けて、獣はたった一言告げた。
「死ネ」
ギャンッ!!!
瞬間、施設全体に何かが凄まじい速度で擦れるような音が響いた。
けれど、それもすぐに聞こえなくなる。
現場に残るのは、十数メートルにわたって一直線にひび割れ、砕けた壁と
その亀裂の中に散らばる赤熱した金属の残骸。
……ただ、それだけだ。
__________________________________
「……う、ウウウ、ウウう」
非常灯の照らす実験施設の中、獣は呻き声を上げながらよたよたと進む。
これで、すべて終わった……終わったのだ。
だが、それと同時……最早堪えようのない血肉への渇望が奥底から溢れてくる。
今になって戦闘時の損耗が現れてきたのか、進行がいつも以上に酷い。
……でも、ダメだ。少なくとも、ここではだめだ。
恐らく、自分を追って対策委員会のみんなが来る。
その時に、もし血肉への渇望で理性を失っていたとしたら……?
「……あ、ァ、う、ぐう」
……あの日の再来になる。
大切な人をこの手で殺した、あの悪夢の再来に。
それだけは、それだけは避けなければならない。
……外に出る。基地内を照らしていた街灯の光はなく暗闇と雨に閉ざされ、雨音の調だけがきこえてくる。
……血肉が欲しい。
暖かな血肉が、生きたままの心地よい感触が。
「ダメだ、ダメダ……ダ、メ……」
うわ言のように繰り返す。
けれど、思考が曖昧になってゆく。
最早碌に思考のできぬまま、外へ、外へと目指して歩く。
もう少し……もう少し……もうすこ、し……
「ひっ」
声が、聞こえた。
甘い香りがする。恐怖に震えた声。
声が聞こえた方へと首を傾ける。
おいしそうな、生きた血肉が……2つ
「あ、あれ、あれ……!」
「何してる!さっさとにげるぞ、カナヨ!!」
心の中で何かが叫ぶ。
ダメだ、ダメだ、行ってはならない。
けれど、それは濁流に消えてゆく。
食べたい、食べたい。この渇きを鎮めてくれる、おいしいご馳走にありつきたい。
「あ、ああ、アアアアァァアアアア」
意識が消えてゆく。
全て、全て暗い血の中に溶けてゆく。
守りたかったこと、果たしたかったこと。
そのすべてが曖昧の中に。消えて、消えて……
「……血」
……気がつけば、そう口ずさんでいた。
「血ガ、欲シイ」