許してくれ……許してくれ……
雨の降りしきる、誰もいないカイザーPMCの基地。
その中を、ホシノはただ1人進んでゆく。
辿ってゆくのは真新しい破壊の痕跡。
……今も、己の渇望を満たすものを探して、彷徨い続けているのだろうか。
「……雨、強くなってきたな」
ふと気が付けば、地面に打ち付ける雨音もその量も、
実験施設から抜け出した時とは比べ物にならないほど激しくなっていた。
気を付けていても飛び込んできた雨粒が、視界を滲ませてしまう……
そんな雨だった。
……その時、
「……ウ、ウウ」
雨音の中、微かに聞こえる呻き声。
「……!」
ホシノがその声がした方向に視線を向けるのと、
建物の影からそれが出てきたのはほぼ同時だった。
「血、血ガ……足リナイ……」
雨に濡れた、闇に溶け込む黒い毛並み。
その黒の中に、赤く蕩けた瞳がぼんやりと浮かぶ。
そして、獲物を求めて彷徨っていた瞳が……ホシノの姿を捉えた。
「血……!」
獣の動きが変わる。
その視界の中央にホシノの姿を捉え、今にも飛び掛からんと腕を構える。
その光景に、ホシノの心が微かに軋んだ。
……やはり、こちらのことがわからないのだろうか?
「……いや、まだそう決まったわけじゃない」
ホシノは自分に言い聞かせるようにそう呟く。
……幸いなことに、獣はこちらの様子を窺っているようで、
こちらに迫ってくる気配はない。
だからホシノは、シールドの裏に隠していたその姿を、獣の眼前に曝け出した。
そして、獣に向けてそっと微笑みかける。
「セリカちゃん」
「……ア?」
獣の動きが停止する。
その瞳の奥で、何かが跳ねる。
届いている……!
その事実が、ホシノの心を何よりも高鳴らせる。
やはり、この獣はセリカなのだ。
ホシノは獣の元へ、一歩、また一歩と近づいてゆく。
「セリカちゃん、私……じゃないや、おじさんだよ?小鳥遊ホシノだよ?」
「ア、ァ、アアァ……?」
ホシノの呼びかけに獣はまた、
呻き声を発するとよたよたとよろめき、頭を押さえた。
そんな獣の下に、ホシノは更に近づいていく。
「ほら、セリカちゃんのおかげで、助かったんだよ?
だから、もうこんな場所にいなくてもいいの。
……どうしてそんな姿になっちゃってるのかはわかんないけど、
一緒にみんなのところに……アビドスに帰
「シャベルナアアアァァァァアアアアッッ!!!!」
次の瞬間、明確な言葉を伴った獣の絶叫が、ホシノの言葉を掻き消した。
唐突に発されたその言葉に、ホシノの動きが硬直する。
獣はその僅かな……けれど確かな隙に差し込むように、素早く腕を薙ぎ払った。
「かはっ!?」
ホシノの身体の側面に薙ぎ払いが直撃する。
その一撃に身体を吹き飛ばすほどの威力は乗っておらず、彼女の身体を引き裂くこともない。
……けれど、その一撃はホシノの体幹を崩した。
獣はそれに向けて本命の一撃を叩き込まんとする。
精神的、そして身体的な衝撃から何とか立ち直ったホシノが見たのは、大きく振り上げられた獣の腕だった。
「!!」
避けきれない。
ホシノは反射的にシールドを頭上に掲げた。
その表面に神秘で形作られた青色の透明な装甲が形作られる。
ガキィン!!!
瞬間、凄まじい衝撃がホシノの身体に走った。
シールドが今にも壊れんばかりに軋みを上げ、
獣はそれごとホシノを押しつぶさんと強く強く圧力をかける。
「獣ノ鳴キ声、頭ニ響ク……!!消エロオオオッ!!!」
シールド越しに覗く赤く蕩けた瞳は、
ホシノのことを見ていながら、ホシノでは無い何かに憎悪を向けている。
「……セリカ、ちゃん?」
「ウ゛ァッ!?」
呆然と掠れたホシノの呼びかけに、獣が小さく怯んだ。
ホシノを押さえ込んでいた圧力が消え去る。
頭が痛むのか、獣は自身の頭を両手で強く強く押さえ込んだ。
けれど、次の瞬間には赤く蕩けた瞳の奥で跳ねた光は消え去り、
今度こそ目の前のそれを引き裂き、物言わぬ血肉に変えんと凶爪を振り被る。
「ウル、サイッ!!!」
「っ!!」
ホシノは間一髪で後方に飛び退り、シールドをめくる様に横薙ぎに放たれたそれを回避した。
凶爪は宙を切り裂き、ホシノの目と鼻の先を風圧を伴って通過する。
それが駆け抜けると同時、ホシノは漸く理解した。
……目の前のそれは、セリカでありながらそうではない。
怒りか、飢えか、将又それ以外の何かに呑まれた獣。
自分を助けようとした大切な人が、その末に成り果てた末路。
「……そっかぁ」
ホシノの動きが止まった。
彼女は雨に打たれながら、小さく俯き、ぽつりとそう呟く。
……しかし、獣がその大きな隙を見逃すはずもない。
「ゴアアッ!!!」
一声吠えると、ステップするようにホシノに急激に距離を詰め、その勢いのまま凶爪で斬り上げる腕を……
「じゃあ、尚の事私がどうにかしないとね」
カツン
振り上げる直前、ホシノの足元で何か硬いものが跳ねた……
瞬間、その姿が濃い煙の中に消える。
獣は視点の高さゆえにそのスモークに視界が塞がれることこそなかったものの、ホシノの小柄な体躯はその中にすっぽりと隠れてしまった。
ヒュオッ
獣は先程までホシノがいた場所に向けて凶爪を振るうが、そこに手応えはなく、精々絡め取られたスモークがその軌跡に沿って細く伸びるのみ。
「グルル……」
獣は不愉快そうに唸ると本能的に視線を周囲に巡らせる。
……スモークの外にホシノが逃れた形跡は無い。
だとすれば……
「……ごめんね、セリカちゃん。荒療治になるかも」
その時、足元で声が聞こえた。
それとほぼ同時、
ガアンッ!!
マズルフラッシュが瞬く。
スモークを切り裂き、放たれるは散弾。
通常ではあり得ない速度で連射された弾丸の雨が、獣の身体……先の戦闘で焼け爛れた、深い傷に向けて殺到する。
「ギャアッ!?」
その斉射を一点に受けて、初めて獣が痛みらしい声を発した。
獣は堪らずマズルフラッシュの瞬いた場所に向けて腕を薙ぎ払いながら、厄介なスモークを抜ける。
対するホシノは振るわれた腕をシールドで弾き上げるようにして受け止めると、即座に獣が後退した方向に向けて照準……今度は1回だけ、トリガーを引く。
……声は聞こえてこない。
やはり、至近距離で、
それも傷口に射撃しなければこちらの攻撃の効果は薄いようだ。
「……うへ、我ながら酷いことしてるな」
状況を分析をしながらも、自己嫌悪に浸るホシノ。
……だが、状況はそれを待ってはくれない。
ダンッ!!
短く地を蹴る音、獣が攻勢に出た。
背筋をゾクリとした直感が駆け抜けたホシノは、反射的にスモークから飛び出した。
「グアアアッッッ!!!ウ゛ァアアアアッッ!!ァア゛アアァアッッ!!」
次の瞬間、飛び込んできた獣が連続して咆哮を上げながら闇雲にスモーク全域で腕を振り回した。滅茶苦茶に振るわれたそれは漂っていたそれらを全て引き裂き、尽く霧散させる。
そして、視界を制限する邪魔な物を全て取り払った獣の瞳が、攻撃範囲外に逃れていたホシノの姿を捉えた。
「血ヲ、ヨコセッッ!!!!」
ダンッ
……地を蹴った獣の巨体が、何の比喩でもなく、宙高く跳んだ。
狙うは未だ地面にいるホシノその一点。
落下の勢いを乗せた両手の凶爪が、ホシノに向けて振り下ろされる。
「おっと」
ホシノが瞬時に横方向に受け身を取った数コンマ後、
先程まで彼女がいた場所に獣の攻撃が突き刺さり、アスファルトが深々と砕け、抉れる。
……流石に今の攻撃は、回避に徹しなければどうなっていたかわかったものではない。
だが、高所から落下攻撃を仕掛けたことにより獣にも決して少なくない隙が生まれた。
ホシノは獣に接近すると、傷口に向けてショットガンを速射。
「ギャアアッ!?」
今までのダメージの蓄積によるものか、獣が大きく怯むと同時そこから血が吹きこぼれるが、ホシノは深追いすることなくその間に獣から距離を取った。
「こういう時にサイドアームが欲しいんだけどな……っと」
そう呟きながら、シールドで身体を隠しつつショットガンを片手でありながら手慣れた手つきで素早くリロード。
それと、獣が動きを再開するのは同時だった。
獣はホシノに向けて素早くステップすると、
その長い腕を大振りに薙ぎ払う。
まるで、ホシノがとった回避行動を全て刈り取るかのように。
「それはちょっと厳しいかなっ!」
辛うじてホシノはそれをシールドで防ぐと、今度こそ横方向に回避行動に移ろうとするが、獣はそれを許さない。
威力の然程乗ってない、けれどまともに受ければ敵の体勢を崩すには十分で、出の早い、そして広範囲の攻撃を連続する。
ホシノはそれを受け流し、防ぎ続けるも度重なる衝撃を受け、体幹を維持することも限界が近づいてきた。
……活路、何か活路は…………見つけた。
「……っ、セリカちゃん、
そんなことされたらちょっとおじさん……困っちゃうよっ!」
瞬間、攻撃の僅かな合間を縫ってホシノが回避行動。
けれど、その方向は横方向、ましてや後方向ではない。
……活路は前。
獣の真下、懐に潜り込むように回避行動。
ヴォン!
背後で獣の腕が空を切る音が聞こえた。
……成功。
その余韻に浸るまでもなく、ホシノは血の滴るそこに向けて、ショットガンを照準する。
マズルフラッシュ
再びの限界を超えたショットガンの速射。
寸分の狂いなく放たれた散弾の嵐が、獣の傷跡をしたたかに打ち据える。
「ギャアアアアッッ!??」
獣が一際大きな苦痛を上げて怯む。
「っ……!」
ホシノは軋みを上げる心を押し殺しながら、装填されている最後の弾丸を放った。
ズシャァッ!!!
「ヴアアァァぁアアアあああっっ!?!?!?」
着弾の瞬間、傷ついて居ないはずの獣の身体全体から、
絶叫と共に夥しい量の鮮血が吹き出す。
降り注ぐそれが、身体の下にいたホシノの身体を、制服を、赤く、赤く染めてゆく。
けれど、そのことは既にホシノの意識の中になかった。
「……!」
先程の獣の絶叫の中に、
獣ではない……良く知っている少女の悲鳴が聞こえた気が気がして……
「あ、あアあ、ぁァ……」
「セリカちゃん……?セリカちゃん!?」
ホシノは項垂れる獣の頭に向けて、必死でそう呼びかける。
獣の瞳の奥で、光が跳ねた。
それがゆるゆると動かされ、ホシノの姿を捉えた。
「ホシの……せんパイ……?」
その口が、微かに……
だが、確かに、人の言葉を紡ぐ。
けれど次の瞬間、その瞳が歪む。
「う、ア゛あ゛ァぁアあアアッっ!!??」
瞬間、獣の頭部が跳ね上がるように上体を起こしたかと思うと、
割れんばかりに頭を押さえ苦痛を上げる。
その声はさながら、人と獣との間で悶え苦しんでいるようで……
「……!セリカちゃん、私だよ!お願い、人に戻って……!!」
ホシノは変質した後輩の足に縋りつくと、必死に、必死にそう呼びかける。
その顔を、雨でも、返り血でもない何かが濡らす。
けれど、獣は未だ苦痛に悶えるばかりで、
そしてその祈りは、やはり届かない。
「ゴアァアアァアアアアアアッッ!!!!」
次の瞬間、獣の喉から咆哮が放たれた。
最早、ホシノが知る人ではないのだと彼女を嘲笑うかのように。
誰か、助けてと悲鳴を上げるかのように。
至近距離でその音圧を浴びたホシノが思わず怯む中、
その視界の端で更に信じられないことが起こった。
「傷が……!」
血をだくだくと垂らしていた獣の傷口が、
赤い何かに包まれたかと思うと瞬く間に再生してゆく。
あっという間に、先程まで焼け爛れ、
裂けていたその場所は真新しい黒い毛並みに覆われた。
「グウ、グルル……」
咆哮と共に部位の回復を行った獣は、
ホシノが至近距離にいるにも関わらず動かず荒い息をついていることから、
今まで蓄積されたダメージから完全に回復しきったわけではないのだろう。
けれど、傷が回復したということは
実質的にホシノが獣に対する有効な攻撃手段を失ったに等しい。
「……ぅっ」
ホシノは様々な感情がごちゃ混ぜになった表情に顔を歪め、小さく呻くと、
使用していなかったもう一個のスモークグレネードのピンを素早く引き抜くと投擲。
態勢を立て直すべく獣から自身の姿を覆い隠す。
……だが、
「邪魔ダッッ!!」
行動を再開するや否や、
獣は先程ホシノにスモークを使われたときと同じように滅茶苦茶に腕を振り回す。
……そこまでは前回と同じ。
だが、前回と違うのはホシノがその攻撃圏内から逃れ損ねたことだ。
「がはっ!?」
スモーク内から突然飛び出してくる攻撃に対処できぬのは、
人の身とて同じこと。
風圧が聞こえたと思った時には、
ホシノは肺の中の空気を無理矢理吐き出させられる悪寒と
鈍い痛みと共にスモークを突き抜け、宙を舞っていた。
装備を取り落とすようなことこそなかったものの、
シールドを持つ左腕の調子がおかしい。
……いや、身体が丈夫なおかげでそれだけで済んだと言うべきか。
ホシノは何とか受け身を取り、体勢を立て直そうとする。
しかし、彼女の姿を視界に捉えた獣が、前方に向けて滑るように跳躍。
それと同時、その凶爪を大きく振りかぶる。
「ガアアアアァァアアアアッッ!!!」
「っ!!」
ホシノはその姿を捉えるや否や、片膝立ちのまま反射的にシールドを正面に構えた。
ガキィィインッ!!!
「ぐぅ……!」
シールド越しですら殺しきれぬ
今まで感じたこともないような凄まじい衝撃がホシノを襲う。
先程の攻撃を喰らったせいで生まれていた左手の違和感が、
徐々に徐々に痛みへと変化してゆく。
それと同時、シールドを支える力も徐々に徐々に不安定になってゆく。
「このまま、だと……!」
……潰される。
ホシノは堪らずショットガンを持ったままの右手を支えに加え、
少しでも力を分散させようと試みる……が、
メキッ
「!!!」
その時、ホシノの至近距離から硬質な破壊音が聞こえてきた。
……驚愕に表情を染める彼女は知る由もないだろうが、
ヤーナムにおいてまともな盾が普及していないのには理由がある。
即ち、獣の膂力の前には如何なる防備も、盾も、無為である……と、
瞬間、獣の腕が更なる荷重をもってホシノのことを抑えつけた。
「っ!?防ぎきれない!?」
左腕が軋みを上げる、
反射的にホシノがシールドを左方向に逸らすように手放したのは
この場の最良といえるだろう。
それはシールドを掴んでいた獣の腕ごとその方向に逸れ、
凄まじい音を伴って地面に叩きつけられた。
濡れたアスファルト、そしてシールドの破片がホシノの身体を打ち据える。
けれど、ホシノは痛みをかみ殺し、その微かな衝撃には意識を向けることすらせず、
体勢を立て直すや否や即座に獣の直下を走り抜けると、
シャッターの開かれていた建物の中へと飛び込んだ。
……どうやら、ホシノが逃げ込んだその場所は兵器の格納庫だったらしい。
生憎今は全て出払っているようで何もないが……
だからといって、身を隠せる場所がないわけではない。
手頃な空箱の裏に身を隠してから背後に素早く視線を向ける。
……獣はホシノを追ってこの建物に入りこんだらしいが、
その姿自体は見失っているようだった。
それを確認して漸く、ホシノは上気している己の息を整えることに注力し始めた。
「ぜぇ……はぁ、はぁ……はぁ……ふぅ」
先程のは本当に危なかった。
一歩間違えれば、確実にあのアスファルトと運命を共にしていた。
……いや、そんなことはどうでもいい。
「どう、しよう」
息を整えたはいいものの、ホシノはぽつりとそう呟く。
一縷の望みをかけた呼びかけもついに届くことはなく、
状況は刻一刻と悪化するばかり。
残弾は9発、スモークは無くなった。
シールドも壊れた。
左腕は未だに鈍い痛みを発していて、少なくとも正常に動かすことはできそうにもない。
……今まで経験したことが無いほどに、追い込まれている。
「……いや、考えろ、考えろ……!何か、何かできるはず……!」
悲観……いや、現実に走り始める思考をホシノは何とか振り払うと、
彼女は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
勝ち目がないことなど、当にわかりきっている。
けれど、それでも……止まれない、止まりたく、ない。
一先ず、残弾の確保は急務。
この際ショットガンでなくてもいいからとにかく攻撃手段が欲しい。
次点で左腕の応急処置。
シールドは……無くていいだろう。
この腕の状況ではどうやっても持つことはできない。
それに、昔はシールドなしで戦っていたのだ。
……今からその時の戦闘スタイルを思い出し、切り替えればいいだけの話。
「……いや、先にリロードを」
そう呟くが早いか、ショットガンの側面に装着された
数少ない残弾を本体に押し込める作業を開始したホシノ。
その作業が終わった後、改めて物影から獣の姿を……
「グオオオォオオォオオォッッ!!!」
駆け抜ける咆哮。
ホシノが物影から受け身を取りながら飛び出すのは早かった。
次の瞬間、彼女のいた場所を獣が凶爪を前面に押し出しながら、正面にあるもの全てを砕きながら通過。
けれど獣は突撃の勢いを殺しきれなかったのか、そのまま射線上にあった鉄柱へと激突した。
「ッオオッ!?」
更に、獣にとって運の悪いことに、トラス構造となったその柱の間に腕がはまり込んでしまったようだ。
獣が滅茶苦茶に身体を揺らす。
基礎部分のコンクリートが、鉄柱が悲鳴を上げて震えるが、そう簡単に抜ける様子はない。
「!今っ!!」
無論、その瞬間はホシノにとっては好機でしかない。
彼女はそのまま獣に接近し、その頭部に向けて照準。
ドバッ!!!
残弾ほぼ全てを賭した、吹き荒れる散弾の嵐。
「ギャアッ!?!?」
それは不規則に動く獣の頭部を的確に捉え、確実に衝撃を蓄積してゆく。
だが……
「っ、足りない……!」
獣は度重なる着弾の衝撃を受け怯み、
痛みによる悲鳴を上げこそしたものの、その意識を失うには至らない。
……ならば、次に打つべき行動は1つ。
「ガアッ!!」
獣は嵌まり込んでいない方の腕を振り下ろしてきたが、
ホシノは即座にそれを回避すると獣から反転、一時撤退を開始する。
途中、偶々あったショットガン用らしい弾倉はしっかりと掠め取っておくのを忘れない。
獣は逃げるホシノの後姿に追いすがろうとするが、
片腕が未だ引っかかったままであるためにそれは叶わない。
「ッ、ジャマッ……!」
獣は短く唸るや否や、己が全力をもってその鉄骨に力を加え始めた。
施設全体に凄まじい異音が走る。
金属質な何かが圧し切れる音、何か硬いものを無理矢理砕き取っている音……
それが、連続する。
「……セリカちゃん、何して……?」
不吉な予感を覚えたホシノが、
建物の外へと出た後、背後へと視線を向ける。
そこでは……
「……え?」」
ホシノの口からそんな呆けた声が零れた。
彼女の視線の先にあったのは、
獣が建物の鉄骨を、中ほどから無理矢理引き千切っている光景だった。
……いや、そこまではいいのだ。
けれど、その破断した鉄骨の基礎部分のコンクリートの一部も砕け、
千切れた鉄骨と一体となってそれに追従している。
そして、獣は自分の作り出した大ぶりな建材の破片を、
まるで武器であるかのように鉄骨部分を手に持っていた。
「うへぇ、ちょっとこれはまずいかも」
ホシノの表情から引き攣った笑いが零れ落ちる。
今の今まで状況が良かった試しはないが、あれはまずい。
ふざけた見た目ではあるが鉄筋コンクリート片をあの膂力で振るわれ、
直撃でもしたら自分とて無事でいられる保証はない。
「オオォォッ!!!」
獣が咆哮すると同時、その身体が徐々に、徐々に加速し始める。
正に
狙うはホシノ、ただ一点。
前面にある障害物すべてをなぎ倒しながら獣は猛進する。
……速度で勝負すれば、まず逃げ切れない。
即座にそう判断したホシノは獣との間合いを図りながら、
手に取った弾薬を確認する。
弾数は10、思った通りショットガン弾
……それも、12ゲージの
「……よし」
ホシノは一先ず4発のみをショットガン内に装填。
それが終わるのと獣が彼女を間合いに捉えるのは、ほぼ同時だった。
「ガアアアァァアアアアアアッッ!!!」
獣は咆哮を上げるや否や、
接近時の慣性を載せて鉄骨を持つ腕を振り上げる。
その動きに一拍遅れて鉄柱が追従する。
……その、鉄柱が腕の動きに追いつく一瞬の時の空白。
「いち、に……今」
そのわずかな隙に、ホシノは体勢を低くし、左方向に僅かにステップした。
ヴァンッ!!!!
次の瞬間、そのすぐ横を摩擦により赤熱しているそれが
逆袈裟斬りするかのように振り上げられ、凄まじい速度で通過する。
飛び散るアスファルトとコンクリートの破片。
それに打たれながらホシノはショットガンの照準を獣に向ける。
マズルフラッシュ
放たれた大口径の単発の弾頭は桃色の神秘の閃光を伴い、
獣の頭部へと飛跳する。
……着弾。
「ガァッ!?」
今までにない衝撃に獣から悲鳴が上がる。
けれど、既に攻撃動作に移った獣が動きを止めることはない。
一度振り上げられた鉄柱を、そのままホシノに向けて振り下ろす。
それに対し、ホシノは斜め前方向にステップし、攻撃の軸をずらす。
ガァンッ!!!
炸裂音と見まがう音とともに、鉄柱が叩きつけられる。
けれど、その攻撃の当たる位置に既にホシノはいない。
彼女はその隙に、またショットガンの銃口を獣の頭部へ照準するとトリガーを引いた。
「ギャアッッ!?!?」
獣から甲高い悲鳴が上がる。
獣はその強烈な一撃を嫌がるように後方へステップすると、
叩きつけた鉄柱を今度は横方向へと大きく振りかぶる。
「それはちょっともらえないかなっ!!」
ホシノはそれを確認するや否や、
素早く前傾姿勢を取ると獣の懐に飛び込むように駆け出すと、獣の懐へ滑り込んだ。
ギイイィィィィイン!!!
金属が路面を擦る異音と共に獣の腕と、
更に鉄柱の長さを足した広範囲が一息に薙ぎ払われる。
けれど、その範囲の大きさが相まって、ホシノが間一髪で滑り込んだ獣の身体直下は普段以上にがら空きだった。
「そこっ!」
2発のスラッグ弾が獣を顎から打ち上げるように着弾する。
「ギッッ!?」
着弾した位置の問題でうまく声が発せず、獣がくぐもった悲鳴をあげる中、ホシノは素早く背後に回り込むとその隙に弾薬を2発装填する。
行ける……!
ホシノの心の中でそんな感情が湧き上がる。
先程よりは小さいかもしれないが、ダメージは確実に蓄積している。
相手の攻撃は当たれば終わりで、範囲も広い。
けれど事前動作が大きく、その動きから死角を予測、対応すれば避けられないほどではない。
「ッ、グアアッッ!!」
その時、衝撃から立ち直った獣が短く吠えると、
そのまま上段に腕を振りかぶり、
ホシノに向けて横殴りに鉄柱を叩きつけた。けれど、ホシノはそれを再び懐に潜り込むようにして回避すると再び直下から獣の頭部を狙う。
轟音
銃口から炎か弾ける。
発射された神秘を込められた弾丸が獣の頭部に着弾し……
その身体が、揺らがない。
「!?」
ホシノの表情が驚愕に染まる中、
獣は大きく、何かを破裂させんばかりに力を溜める。
「まずっ
けれど、ホシノが退避しようとしたときには全てが遅かった。
「 」
音が、消えた。
少なくとも至近距離でそれを浴びることとなったホシノはそう錯覚した。
基地全体に響き渡る悍ましい叫びが、
万物を震わせる恐ろしい咆哮が、
その音圧だけで強靭なホシノの体幹を大きく崩す。
その大きな隙を逃さぬ獣ではない。
振るわれたのは鉄柱を持った方の腕ではなく、
何も持っていないもう片方。
凶爪が剥き出しとなったその手が、ホシノの小柄な身体を掴み取る。
「っ、あぐっ……!」
ショックから復帰したホシノのは必死にその拘束から逃れようと藻掻くが、万力のような力で締め付けるそれは一向に外れる気配がない。
……その時、ホシノの肌に生暖かい吐息が触れた。
「……え?」
ホシノは思わず正面へと視線を向けた。
そこにあったのは吐息を感じるほどに近付けられた獣の顔。
そして……
その口から覗く、乱杭歯。
「っ!!」
ホシノは咄嗟に己のできる全力を持って顔を横方向へと逸らした。
その試みは結果的に功を奏した。
……だからといって、傷を免れた、という意味では決してなかったが。
「あがっ!?」
ホシノの左肩に獣の牙が突き刺さる。
辛うじて身体を逸らしたために頭へ致命傷を負うことこそなかったものの、
ヘイローの加護を貫通したそれは肉を裂き、骨をかみ砕く。
「う、ぁあっ……!ぐ、ああっ!?」
感じたこともないような焼け付く痛みに、
大切であるはずの少女が耳元で苦悶の声を上げるが、獣の動きは止まらない。
そのまま肉の一部を噛み千切ると、
肩が不自然に切り欠け、血をだくだくと流す少女の身体を地面に叩きつけた。
アスファルトに少女が跳ね、鮮血が舞う。
……普段なら受け身を取っている場面だが。
激痛と碌に動かせなくなった腕のせいでそれすらままならず、
ホシノの一身に殺せなかった衝撃の全てが圧し掛かる。
「あっ……ぅ……?」
……出血によるものか、赤く霞む視界。
その光景の中、ホシノが最後に見たのは倒れ伏したそれに向けて
鉄柱を大きく振りかぶる獣の姿だった。
あ、これダメかも
視界とは対照的に嫌に澄んだ思考の中、
ホシノの脳裏をそんな言葉が駆け抜ける。
……瞬間、
「ヴァアアアアァァアアアアッッ!!!」
凄まじい速度で振るわれたそれがホシノの身体に直撃、
鈍い打撃音と共にその身体を吹き飛ばした。
__________________________________
……
……
…………
……………………
「……ぅ」
降りしきる雨の中、ホシノは微かなうめき声と共に目を覚ます。
……不思議なことに痛みはない。
けれどその代わり、身体をまともに動かすこともできない。力がほとんど入らないのだ。
それでもこうして座り込むような体勢になっているのは、
どうやら、吹き飛ばされた拍子にどこかの壁に叩きつけられてそれがそのまま背もたれになっているかららしい。
ふと足元を見れば、霞む視界の中で確かにわかるほど明確な、
自分から流れ出した赤の海。
……人の中には、これほど血が詰まっているのか。
ホシノはぼんやりとそう思った。
しかし、我ながらよくもまあ生きていたものだ。
無駄に頑丈な身体はこうまでしても壊れることはないらしい。
……まあ、それも今回で終わりであろうが。
「……血」
……その時、どこからともなく声が聞こえた。
ホシノはゆるゆると顔を動かすと、辛うじて視界を正面に向けた。
暗闇の中に浮かぶ、獣の影。
それが一歩、また一歩と近づいてくる。
……ホシノは微かな笑みの形を作る。
「……セリ、ヵちゃん……
ぁんな、ねつっぽぃ……キスなんて、されたら……
おじさんも……困っちゃぅ、よ……ぅへ」
「……グルル」
ホシノの途切れ途切れの、けれどいつものように冗談めかした言葉。
しかし、獣はその声に短く唸るのみだ。
……遂に、獣がホシノのことを間合いに捉える。
既に抵抗できぬことを理解しているのだろうか?
おいしいご馳走にありつくため、そのボロボロの身体に手を伸ばす。
その光景を、ホシノは何の抵抗もできぬまま、
ただ見つめていたが、やがてそっと目を閉じる。
「……ごめん、ね」
ホシノは最後に、目の前に佇む変わり果てたセリカに向けてそうぽつりとつぶやいた。
……結局、こうなってしまう。
いつの日も、いつまでも。
何も救えないままで……
……せめて、自分が犠牲になることでセリカが元に戻ってくれたらと思う。
そうして、小鳥遊ホシノという少女の意識は、
少しずつ、少しずつ闇に溶けて……
「させないっ!!」
次の瞬間、全く別角度から飛んできたスナイパーライフルの弾丸が獣の頭部に直撃、それと同時に爆発の華を咲かせた。