実態が掴めぬ鎮魂歌の霧雨 作:サボリ鯛
周りの人々を欺きながら生きる中学生がいた。
彼は己の趣味や好きな物、それら全てを偽り性格も見事に作り上げた。全ては目的を達するため。
目的を叶えんと剣の腕を磨くその少年の名を、山本武と言う。
夏休みに入って数日が経った。
クーラーがよく効いた教室の中で山本はぐっと伸びをした。先程まで山本を含めた一部の生徒たちを教えていた女性教師の姿は既にない。
宿題として出されたプリントへ視線を辿らせると、山本はあることにはたと気がついた。
(一問だけ、範囲外の問題がありますね。義務教育である以上、落第はないと思うのですが……だからといって解かないわけにもいきません。逃避は恥ずべきことではありませんが、この程度の問題であれば解けなくては情けないです)
全ての問題を片付けることを決意した山本は、手元のプリントからげっそりとした顔のツナへ視線をずらした。
宿題の多さや十分な時間が取れないことに苛立ち頭を抱えるツナの姿が、彼には遠い昔の人物の姿に重なったように見えた。
――まだあるのか!?この山は一体どこの誰が持って来たのだ!!?
――そうだな。書類仕事”も”やりたくないとか言っているランポウじゃねぇのか?
――何故俺がランポウの分もしなければならない!?俺はこの後、子供たちと遊びに行く約束をしているのだぞ!
――はいはい。最後まで頑張れよ。
――俺の親友は酷いな。なあ、デイモン。お前もそう思うだろう?
昔の光景が瞼の裏に浮かんでは消えていく。昔の、まだ袂を分かつ前の思い出。
金色と赤色が交互に揺れては消える。暖かい金色が尋ねたあの問いの答えを、山本は思い出せない。
(私はあの時、なんと答えたのでしょうか……忌々しい記憶はあれど、あの頃の記憶はおぼろげですね……)
失い、消えつつある記憶を彼は惜しんではいない。彼らはもう仲間ではなく敵だからだ。
頭を振って昔の記憶を追い出す。今、自分が見据えるべきは現在と未来。過去ではない。
昔に戻りかけていた自分を律し、彼は深呼吸をして精神を落ち着かせる。
目を開けた時には”山本武"としての完璧な表情が出来上がっていた。
爽やかで天然な山本として、彼はツナの背に声を投げかけた。ニッと陽気な笑顔を浮かべて。
「ツナ。一緒に宿題やんね?俺、計算ミスが酷くてさー」
「う、うんっ。そうしよう!じゃあ、どこでやろっか?」
「うちでやれば良いだろ。歓迎するぞ山本」
いきなり現れたリボーンに山本はきょとりと目を丸くさせた。だが、彼の誘いを断るわけもなくあっさりと山本は了承した。
軽く頷いた山本とは裏腹に、ツナは素直に頷けなかった。
ツナにとっては宿題をする場所を決めることも楽しみの一つであった。しかしその機会をリボーンに奪われてしまった今、彼はどうしようもない怒りを抱えていた。
ツナの心を読んだリボーンは怒りを堪えるツナを見上げて平然と言った。
「勉強の場所決めは家庭教師の仕事だぞ。それに俺はお前の家庭教師。家庭教師というくらいだから勉強は勿論家の中――つまりツナの家だ」
(なんか無理矢理の説得ーっ!!)
ツナは反抗しようと試みたが、そもそもの相手は最強の殺し屋。口でも腕でも勝てる訳もなく――ツナの家で勉強することになった。
ツナの家はこじんまりとした一軒家である。初めてお邪魔する山本はきょろきょろと不躾にならない程度に見回していた。
生活感のある、温かみのある家。
自分の家に足りない何かを見出した山本は一瞬だけ表情を歪めた。一瞬のことだったので直ぐに元に戻ったが。
山本の表情の変化にツナは助っ人として訪ねてきた獄寺と話していたために見抜くことはできなかった。
ツナの部屋に移動した三人は早速宿題を広げた。
獄寺はプリントの問題を解く二人の横で教科書を読んでいるだけで、ツナとしてはもう少し助っ人ぶりを期待していただけにがっくりと肩を落としていた。
(教科書読んでもわかんないのに、朗読されてもわかるわけなーいっ!)
全く進まない鉛筆を動かそうとツナは頭をフル回転させる。そしてふと、向かい側で同じことをしている山本のプリントを覗き込んだ。
「ん?どーした、ツナ」
「……なんでこんなにできてるの!?」
山本のプリントには余白がなかった。全ての問題に答えが書き込まれていたのだ。
ツナはまさか補習仲間だった山本が実は頭が良いと思い知らされてしまい、絶望やら諦めやらで頭を机にぶつけてしまった。
頭を打ったとは思えない大きな音が部屋に落ち、獄寺も山本も思わずツナを注視する。
「じゅ、十代目……?」
「眠いのか?」
「ち、違うから……二人とも続けていいよ」
疑問符を浮かべる二人は顔を合わせて首を傾げる。しかしツナが言うならばと互いの作業に戻った。
ツナは二人の様子を見て、そして自分の余白しかないプリントを見て、ダメだと頭を抱えて絶望した。
(どうしよう。何もわからない!山本に聞いたら答えを教えてくれそうだけど……どこかにいるリボーンが銃を撃ってくるかもしれないかと思うと声もかけられない!)
ツナの絶望に満ちた顔に思うことがあったらしい。ツナの顔色を心配していた山本が彼の宿題を上から覗き込み、その空白の広さに目をぱちくりとした。
「ツナ、真っ白なのなー」
「ゔっ……」
「十代目?何かわからないことでもあるんですか?遠慮なくどうぞ!」
(わからないところしかないんだけどーっ!!)
折角声をかけてくれる獄寺に申し訳なくなってきたツナ。彼に「全部わからない」と言えば失望されるのだろうかと疑問が浮かぶが、我に返って首を振った。
ツナの奇行に侮蔑の視線を寄越すどころか、気付く素振りも見せずに山本は計算用紙に数式を書き込み始めた。
書き込まれた数式はツナも獄寺も見覚えがあるものではなく、二人揃って顔を見合わせて首を捻らせた。
「ほら、この数式に当て嵌めれば解くことができるぜ。こっからこの範囲だな。んで、こっちはこっちの式を使うと解ける」
「っておい!てめー、そんなモンで解けるわけが……」
山本の意味不明な式で問題を解いてみた獄寺。鉛筆を動かす時間が増えるごとに顔が歪んでいく。
鉛筆を下ろした獄寺は信じられないと首を振った。
「無茶苦茶な式なのに、確かに解けてる……」
「えーっ!山本ってもしかして天才!?」
「ほぅ。やるな山本。特にこの問7、中学生には解けねぇ筈なんだけどな……ネコジャラシの公式を使わずに解いてるとは、やっぱりすげーな。おめーをファミリーに入れた甲斐があるな」
「ってリボーン!!?」
ツナはいつの間にか顔を出していたリボーンに驚き、後ずさった。不幸なことに彼は背後の壁に気付かず激突していたが。
己の不幸を嘆いているツナを視界の隅に入れることすらなかったリボーンは山本をべた褒めしていた。
褒められた側の山本は照れたように頬を掻き、にへらと頬を緩ませた。
「この式はネコジャラシの公式より若干難しいが、余計な手間暇かからないのは利点だぞ……正直言って論文出せるレベルだ。山本。お前、普段は手を抜いているのか?」
「いんや、いつもは親父の家業を手伝っているから勉強する時間がねーんだ。親父の店、結構遅くまでやっていて後片付けとか、早く起きて仕込みとか手伝ってっから授業中とか眠っちまうんだよ。そんで点数が上がんねーのな」
息を吸うように嘘を吐く山本の嘘に気付く者はいない。
素直に感心するツナに対して獄寺は強く歯を噛み締めていた。彼は悔しさに顔を歪ませ、のんきに笑う山本へ鋭い視線を投げた。
山本はその視線を受けながら見つめ返すことはせず、何事もなかったかのようにリボーンに笑いかけた。
「俺は小僧の言う『ネコジャラシの公式』について知りた……」
「どうした?」
不意に言葉を区切った山本にリボーンは疑問を浮かべた。彼に申し訳なさそうに手を合わせ、山本は一人寂しそうにプリントに向かうツナの隣に座った。
「まずはツナの宿題からなっ!」
「や、山本……!ありがとう……っ!!」
両手を握りしめて満面の笑みを浮かべたツナに、山本は目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、直ぐに目を細めて笑った。
早速教えようと鉛筆を持てば、ツナの反対隣に座った獄寺が勝気な態度で教科書を開いた。
「俺の方が、山本より上手く教えられますから!」
「え、ええっ」
「獄寺は教科書読んでばかりでわかんねーって。な、ツナ」
「え、えっと……」
「十代目、そんなことないですよね!?」
(ひぃ~っ!そんな怖い顔で凄まれたら否定できないよ~!!)
楽しそうに宿題に取り掛かる教え子とその部下を、リボーンは暖かく見守っていた。その口元は笑みを形作っていて、彼の機嫌のよさが伝わる。
山本の頭脳についての疑問がないわけではないが、リボーンは大した問題ではないと思っていた。
寧ろ、頭が良い方がファミリーに利益となると考えていた。獄寺は前から頭脳系だということは知っていたが、山本もとなるとリボーンはある種の期待と別の思いを抱いていた。
(ぶっちゃけツナがバカでも、こいつらの頭が良かったら大したことないんだがな)
しかし根本的な問題、宿題の問題を一問も解けないのはボス云々の前に中学生として終わっている。
リボーンはちょっとおバカな生徒に呆れながらも笑っていた。
(今回はファミリーとの交流を深めるために俺は手出ししねーが、今度からは俺がねっちょり教えてやるぞ)
得体のしれない悪寒に襲われるツナを宥めながら、山本は彼に数学を教えていた。
笑顔を最後まで崩さず。獄寺の悪意しか感じられない挑発にも笑って。
笑顔を保つ彼に疑問を抱く者は、まだいない。
*** ** ***
広い執務室で、金髪の整った顔をした青年が書類を捌いていた。
机に乗った最後の一枚に署名を終えた彼は、そろりと視線をずらした。
机の横には、書類が山のように積み重なっていた。
今まで自分がサインをした書類の山と交互に見比べ、ついに温厚な彼の堪忍袋の緒が切れた。
「まだあるのか!?この山は一体どこの誰が持って来たのだ!!?」
彼の怒声によるものか、書類の山が崩れた。数十枚ほどの紙の束が山を滑り、地滑りならぬ紙滑りを起こす。
崩れた山に視線を寄越さず、怒りに震える青年は目の前のソファで煙草を吸う親友を睨みつけた。
白い煙を吐いた彼の親友はちらりと激怒する青年を見る。もう一度煙草を吸い、彼は他人事のように答えた。
「そうだな。書類仕事”も”やりたくないとか言っているランポウじゃねぇのか?」
「何故俺がランポウの分もしなければならない!?俺はこの後、子供たちと遊びに行く約束をしているのだぞ!」
「はいはい。最後まで頑張れよ」
怒りに顔を赤くし、拳を固く握る青年を軽くあしらう親友である筈の青年。目立つ赤色の髪を揺らし、のんびりとソファに寝転んだ。
我関せずの態度を貫く親友に青年は困ったように溜息を吐いた。呆れか別の感情か、既に怒りは抜けてしまったようである。
彼は二人の会話を聞き流しながら崩れた山を修復している藍色の髪の青年に尋ねた。
「俺の親友は酷いな。なあ、デイモン。お前もそう思うだろう?」
デイモン、と呼ばれた青年は呆れをふんだんに含んだ目を金髪の青年に向けた。
その凍てついた視線にたじろぐ青年。デイモンは一抱えもある書類を隣の机に降ろし、溜息ながら告げた。
「笑いながらそれを言っても説得力はありませんよ、プリーモ。仕事は手伝いますから早く続けてください――私もエレナとお茶をする予定が入っているので、早く終わらせたいのですよ」
最後にそう付け加えたデイモンを金色の青年――プリーモは「素直じゃない」と評しながらくつくつと笑った。
「ああ、早く終わらせよう」