閉められきった客室の中央で、白玉さんと千早さんは穏やかに向かい合う。
ここから千早さんの会話による情報収集パートが始まるのだろうと考えていたけど、どうやらそういうわけではなさそうだ──。
「私は温水さんのお友達ですから。リコさんと温水さんが面白そうなことをすると聞いて、居ても立ってもいられなかったんです」
白玉さんから俺たちへの視線の温度がどんどん下がっていく。
……南国には丁度いい温度かもしれない。
「お友達の旅行に強引に着いてくる貴方の方が面白いですよ。朝雲先輩。朝雲先輩は私のお姉ちゃんとの関わりはありません。だから──」
白玉さんは挑発するかのようにテーブルをトンと叩いて、愉快そうに笑って言った。
「遠慮してくれると、嬉しいな」
話しかけてくる彼女の
千早さんはそれに構わず、テーブルを置いてあった地図を手に取った。
「温水さんが説明を受けたホテル。そこでは本日、結婚披露宴を開催する予定なんてありませんでした」
「個人情報ですよ朝雲先輩。部外者だから、ホテルの人に教えてもらえなかったんじゃないですか?」
朝雲さんがある程度事情を知っている前提で話は進んでいく。
……こういう時、白玉さんに疑問を持たせてはいけない。
そういうものなのだと、腕を組んで千早さんが推測を話す
「いえ。そもそも、あのお二人の結婚式は行われないんです。だって──」
千早さんは立ったままカタリと、一枚のタブレットを彼女の目の前に置いた。
「結婚式なんて、とっくに終わっているんですから」
「何を──」
タブレットにあったのは結婚式のフォト。田中先生と白玉みのりさんが、タキシードとウエディングドレス姿で手を
こんな写真、良く調達したなと思ったけど──千早さんが、最近部室でAIによる画像合成を使いこなしていたのはきっと無関係だと信じたい。
効果があったのか、白玉さんは明らかに動揺してふるりと震えていた。
「女の情けです。温水さんに嘘をついた動機までは聞きませんが──だから、こんなものまで用意していたんでしょう」
部屋の隅で、ひとりでにパカリと空いた白玉さんのスーツケースには……大人っぽい寝間着と、
白玉さんは更に動揺して、数歩後ずさる。
「わ、私……スーツケースには、ちゃんと鍵を」
「かけ忘れていた、みたいですね」
「……」
「そう思い詰めないでください。私、ツワブキの生徒がやる事は応援したいんです。その為に、まず現状を知りたくて」
立ち尽くしている白玉さん。話の展開についていけず、役に立っていない俺も立ち尽くす。
……白玉さんは、『なにか』をやろうとしていて。俺に嘘をついていたのだろうか。
「お姉さんと同じ寝間着。髪型そっくりに似せたカツラ。温水さんに対しての足止めの依頼──ここまでくれば、やりたいことは予想がつきます。少々穴がある計画ですが、その行動力は称賛されるべきでしょう」
話を一旦締め括った千早さんは、おでこを輝かせて先程まで持っていたカツラを注視する。
「この箇所、造りが甘い部分がありますね……」
「そうなのか。すごく良くできているように見えるけど」
「変装は専門外ですが、人は細部よりも髪型や
まずい、千早さんが女の子特有の長話をするモードに入ってきたぞ。
「そのあたりリコさんと温水さんは、どう──」
その言葉を聞かず、白玉さんは突然部屋から飛び出していった。コテージから離れ、白玉さんは逃げる。逃げていく。
優しくサンダルで砂を蹴り上げて散らしながら、人が居ない場所を目指して。
まるで振り切れないものを、どうにかして振り切ろうとするように。
◇
光希とランニングすることはあるから、白玉さんには余裕をもって追い付けるけど、強引に引き留めるのも
スローペースでちょこちょこと走る彼女たちの間を様子見しながら追いかけた。
白玉さんが逃げるのを止めたのは、
くっきりと照りうつる異国の島々は、浸るだけで幸せだと思えそうな景色で。
──なのに、その景色を見つめる白玉さんの瞳だけは、どこにも焦点が合っていなかった。
「……最初は、ちょうどいい厄介さだと思ったんです」
「厄介って」
「部長さん、明らかにお姉ちゃんのことを知っていそうでしたよね。でも、お姉ちゃんは部長さんのことを全然知らなかったんです」
……一月前の行動、
「多分勘違いか何かなんでしょうけど、私に害はなさそうだったので、足止め役には丁度いいと思ったんです」
「待ってくれ。なら、お姉さんの結婚式を一緒に祝いたくて、そのために俺を誘ってくれたのは……」
「嘘ですよ」
その一言を皮切りに、彼女は次々と言葉を
「ほーんと、可愛いですね部長さん。こんな女の言うこと信じるなんて」
「朝雲先輩の言う通り、お姉ちゃんの結婚式なんてとっくに終わってます。とても……とても幸せそうな結婚式でした。真白なドレス。華やかなブーケ。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、誰より幸せそうに笑っていて」
「せっかくだから一番やりたいことやろうって、私が一人でモタモタ準備していたらあっという間に結婚式の日になりました。幸せそうな新郎新婦。これからの二人の門出を親戚と、これまでの友達が祝福しているんです。もう、私に残された手段なんてこれしかないんですよ」
「リコさん……」
千早さんも心を痛めている。
──やっと、俺はどうしようもなく失敗していることに気づいた。
この世界の「温水和彦」なら、彼女の異変を察して、追い詰められる前に手を貸すことが出来ていたのだろうか。
「部長さんを誘うかは、ちょっと迷ったんですけどね」
「じゃあ……なんで俺だったんだ」
少し前に小鞠と様子を見に行った一年生の教室では、白玉さんはクラスメイトと打ち解けているように見えた。今思えば、それも
「私に元々旅行に誘うような人なんていないんです。心の底から協力してくれるような人もいません。だから……部長さんを引っかけるしかありませんでした」
これまでの人生を振り返るように、自分に言い聞かせるように。
「私は、ずっとそうやって生きてきたはずで──」
白玉さんはふと笑った。
……いや、笑おうとした、という方が正しいのかもしれない。
彼女は、諦観だけを貼り付けたような微笑みを浮かべて。
「……何も持ってない……あの人との初めても、気持ちを祝福してくれる周りの人も。なんにも。お姉ちゃんが持ってるもの、わたしなんにも持ってない」
先程までの悪女を気取った表情ではなく、傷ついた子供が駄々をこねるように、一筋の涙を流した。
「好きです。好きなんです……あの人のことが、どうしようもなく、好きで──」
──彼女が田中先生のことを好きなのは、世間的に歓迎されない。
信頼できるより同年代の異性、と付き合うのが普通で。結婚式のフォトに写っていた田中先生と白玉みのりさんの方が、圧倒的にあるべき姿だった。
壊れた場合の不健全さも、俺は十二分に見ている。
この世界で正しいのは白玉みのりさんと田中先生で──間違っているのはリコちゃんの方だ。
千早さんが不安そうに、俺に向けて何かを言いかけた。
今まで、どんな人に対してもこんな感情は抱かなかったはずなのに、俺は酷いことを考えてしまう。
……田中先生は、たまたま小さい頃から白玉さんの近くにいただけで。
白玉さんはもっと大人になって、そしたら白玉さんには相応しい人が──
「雄二お兄ちゃんとのこと、諦めきれないんです。私だって最後に一度くらい──!!」
そんな理屈は知ったことかと、目の前には好きになるべきではない人を好きになってしまった、ただ一人の女の子がいて。
胸元を抱きこむように背を丸めて、涙を滲ませながら叫ぶ。
絶対にバレてはいけない負けヒロイン、白玉リコ。
彼女を見て──靄のように俺の意識にかかっていた、視界のフィルターが欠けた。
「……なんでも協力しよう。俺は、白玉さんがやりたいことを応援するよ」