私はウォルターの猟犬。
ウォルターの為になら、命くらい幾らでも飲み込む。
だから、貴方の苦しみを私に背負わせて。


レッドガン食堂のババアと621♀の小説です 。
《注意》
嘔吐・嘔吐物を口に入れる表現があります。
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第1話

誰もいない、がらんどうな食堂に621は居た。

ベイラム直属のAC部隊、レッドガン部隊駐屯地にある食堂。

油やら軍靴の泥やらが染み付いて、色移りした白のビニルタイル床の上に、白色の化粧板が貼られた安いテーブルと、赤い丸椅子が並んでいる。

その真ん中に彼女は立っていた。

食事をしに来た訳ではない。

彼女は『仕事』をしに来たのだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「 621、お前に頼みたい仕事がある」

解放戦線の雑魚を片付ける瑣末な仕事を終えたばかりの621に、飼い主が珍しく頼み事をしてきた。

一つ仕事を終えれば必ず休みを与える、子飼いの猟犬に甘いウォルターが、である。

「わかった。なんの仕事?」

珍しい事とはいえ、飼い主の命ならば断る理由は無い。

「あぁ……すまない、621。その、依頼なんだが…」

「ウォルター?」

621が素直に引き受ける意思を伝えた途端、当のウォルターが口籠る。

言い淀んだまま、彼は腕に埋め込まれたナノチップを操作する。

621の視覚インターフェイスが自動で起動し音声を再生する。

 

《G13からG13へ通達。貴公へ送りたい物がある、今晩この座標に来られたし。ACには乗らず、一人で来い。以上》

『G13』それはミシガンが621に与えたコールサインの筈だ。

しかもACには乗らずに身一つで来いなど––––。

 

怪しすぎる。

 

621は怪訝な顔をしてウォルターを見る。

「……お前が嫌なら断っても構わん」

「G13って言ってた、ウォルターは相手が誰か知ってるの?」

「俺の古い知り合いだ。ミシガンと同じくらいには長い」

古馴染みの願いだから断りにくいということ、なのだろうか?

彼女は思案する。

ウォルターは優しい人だ。

傭兵稼業とは言え古馴染みのミシガンを殺したことに負い目を感じているのかもしれない。

負い目、という感覚はわからないけれども少なくともウォルターがストレスを感じていることはわかる。

ウォルターの背負った業を清算するには、任務を受けるべきだろう。

 

「行く」

「良いのか?」

「私は貴方の猟犬、貴方が望むことならなんでもやる」

「そうか……すまない、621」

ウォルターがいつものように、苦しげに謝る。

道具に謝る必要なんて無いのに。

621は無感情に己の思考を処理する。

ーーーーーーーーーー

 

食堂の奥の厨房で物音がしている。

意識が今に戻る。

何かを炒める音。

嗅ぎなれない香ばしい匂いもする。

居る。

621は身体を硬らせ、拳を固める。

 

「なんだ、もう来てたのかい」

厨房の音が消えた。

カウンター越しに現れたのは、小柄でふくよかな婦人だった。

赤のチェック柄のエプロンがよく似合っている。

一見すれば人の良さそうな老婆だ。

しかし、数々の戦場で死戦を潜り抜けて来た彼女は感じていた。

ただならぬ殺気を。

老女は茶色いプラスチック製のグラスをカウンターに置く。

「ここに座んな」

621は言われるがまま、グラスの置かれた席に座る。

「はじめまして、“G13”」

「G13を名乗れば、アイツも察して猟犬を寄こすとは思っていたが、こんな小娘がG13とはね。恐れ入ったよ」

やはり彼女が依頼者のようだ。

 

「私に何の用?」

621が尋ねると、彼女は皿をひとつ、箸を一膳カウンターに置いた。

皿には青菜の炒め物が乗っている。

「これは?」

「空芯菜の塩炒めだよ」

「違う、聞きたいのは」

聞きたいのは意図だ。

『私に料理を出す理由』、彼女が求めているのはその返答だ。

 

「ベイラムがルビコンから撤退することになったからね、かつての仲間にお別れの挨拶をしようと思った、それだけさ」

老婆は口角を上げてにこやかに笑う、笑う。

口だけで笑う。

「さあ、たんとお食べ」

621は箸を手に持ち、ピンと張った空芯菜の茎を一つ摘む。

普段嗅ぎなれない香ばしい油とタレが絡むそれを、口に入れる。

シャキリとした歯応えと同時に濃い塩気と油の香ばしさが口内に広がる。

 

美味しい。

 

普段軍の転売品であるレーションを食べている621にとって、新鮮な野菜の食感は初めての感覚だった。

美味しくて、一口、二口と箸が進む。

 

「それはね、ナイルの旦那の好物だったんだ」

空芯菜を食べる621を見て老婆は言った。

「良い食いっぷりだねぇ、あんたには食ってもらいたい料理がそれは沢山、沢山あるんだ。どんどん出すから、どんどんお食べ」

そうして、空芯菜の皿が空になる前に皿がまた置かれる。

今度は鳥のフライにオレンジの餡掛けが絡んでいる料理だ。

「オレンジチキン、これはケネベックの故郷の料理でね、味付けにオレンジジュースを使ってるんだ。面白いだろ?」

621はオレンジチキンに箸をつける。

塩辛いのに甘くて少し酸味も効いている。

肉は噛む度に肉汁が舌へ滴り落ちる程にジューシーだ。

これも、美味しい。

「そろそろ飯もほしいよな。次はネグロが好きだった炒飯だ。葱油で炒めてるんだけどね、仕上げに油作りに使ったネギを乗せるのがあの子の拘りさ」

一口も食べ終わらぬうちに、次の料理が出てくる。

621はカウンター越しに厨房を覗く。

老婆は料理を出しながら、既に次の料理を作り始めていた。

「そんなに要らない」

 

彼女がその一言を言ったその時、婦人の手が止まる。

「要らねえじゃねえ、喰うんだよ」

鍋の水がぐらぐらと沸立っている。

緊張の糸が張り詰める。

「小娘、お前には拒否権は無え。食え」

「何故食べなければならないの?」

「お前がレッドガンの皆を殺したからだよ“G13”。」

老婆の目が獣に変わる。

「オレはな、レッドガンの一員としてここで料理をずっと作ってきたんだ。オレは戦場じゃ戦え無えけどな、ここでガキ共に飯を作って一緒に戦って来たんだ。それがお前一人にやられて全滅だ!」

ガンと音が鳴る。

老婆が手に持ったお玉をコンロに打ち付けていた。

 

「オレの––––」

静寂、老婆がまた語り出す。

「オレの死生観では、飯を食うのは供養なんだ。糧となる命をいただくのもそうだが、親しい人間が生前好きだったものを食って、己の中に取り込む。そいつの魂を糧にして供養にするんだ」

 

また料理がカウンターの上に置かれた。

水餃子のようだ。

「お前が殺した命、全部お前には喰ってもらう。次は揚子だ」

さあ、喰え、喰え、喰え‼︎

獣が吠え立てる声が煩わしい。

621は、喧しい老犬の甲高い吠え声にムカつきながら水餃子の入った椀をむんずと掴み掻き込んだ。

「…五月蝿えな婆婆ァ」

咀嚼もせず、餃子を飲み込んで椀を空にする。

「弱い癖にきゃんきゃん吠えやがって……命を奪っただ?戦場に出ておいて餓鬼が死んだくらいでピーピー言ってんじゃ無えよ糞婆婆ァ!」

 

621は自分の発した言葉に驚く。

私、こんな風に話したことなんてない。

感情だって無い、ウォルターの道具なのに。

なぜか頭が熱くて、お腹がムカムカしてる。

 

彼女の手は本人の理性など知らぬと自ら動き、皿を掴み、料理を口に放り込む。

頬にぎゅうぎゅうに押し込んだ肉を水で流し込む。

瞬く間に皿が空になる。

「私はウォルターの猟犬なんだ––。手前の糞餓鬼の命くらい幾らでも喰ってやるよ」

鴉の顎が笑みを形作る。

「さあ、次の料理を出しやがれ」

ーーーーーーー

無造作に重ねられた皿が621の周囲を囲っていた。

重ねられた皿の枚数は19枚、今彼女は20枚目の皿に手を付けていた。

20皿目の料理は回鍋肉。

威勢よく啖呵を切った口も料理を詰め込むのに精一杯で、咀嚼も追いついていない。

一方で老婆は軽快に食事を作り続けている。

ぐつぐつと煮える鍋の湯気を嗅ぐだけで、621は胃がムカムカして吐きそうになる。

それを我慢して無理やり飲み込む。

キャベツの葉が飲み込めない。

噛む度に感じる微かな青臭さが気持ち悪い。

幾度も咀嚼していると急に胃酸が込み上げてきた。

621は嘔吐する。

吐き出した吐瀉物が目の前の皿を自分の服を汚す。

鼻からも人蔘やら米やらが混ざった鼻水が垂れる。

「ああ、吐いちゃったかい。威勢が良かった割には食い切れなかったね」

老婆は物悲しく笑う。

「まあ、食い切れるとは思ってなかったけどね。服は用意してやるから、まずは顔を拭きな」

老婆がおしぼりを数個差し出す。

しかし、621はそれを無視して、自分の吐いた物がかかった料理を口に入れる。

『…!』

「ほう、やるじゃねえか」

ゲロがかかった料理はエグくて酸っぱくて苦くてまずい。

食えたもんじゃない。

そんなこと知るか。

気持ち悪くて吐きそうだ。

そんなこと知るか。

621の眼光が爛々と光る。

喰らうと決めたんだ。

喰ってやる。

喰ってやる。

喰ってやる‼︎

 

胃酸が再び込み上げるのを堪えながら、621は皿を手に持って、上にのったものをすべて掻き込んだ。

「次!」

「もういいよ」

老婆が静かに言った。

「もう十分喰ってもらったよ」

老婆はそう言ってはいるが、厨房にはまだまだ作りかけの料理が残っている。

「まだ、料理が残ってる」

「料理は、ね。でも、魂は全部喰い尽くしてくれた」

老婆の皺だらけの頬に涙が伝う。

皺の溝に沿って、流れ落ちる。

食えと言っておきながら、全てを食べ切らない老婆の言動に煮え切らないもどかしさを感じたが、自分が勝ったことだけは理解できた。

 

「掃除をしておくから、さっき渡したおしぼりで体拭いて風呂に入って来な。場所は分かるだろ?」

621はこくりと頷く。

ベイラム依頼の任務を受けた時に何度かシャワー室は使わせてもらったことがある。

シャワー室の場所ももちろん知っている。

おしぼりを何枚も使って、パイロットスーツにこびりついた半固形の吐瀉物を拭い取って、汚れた服のままシャワー室へと向かった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

熱いシャワーを浴びて、身体にこびり付いた汚れを落とす。

備え付けのボディソープーで体を洗う。

アンモニアと酸が混ざった気持ちが悪い臭いが泡と共に排水溝へと流てゆく。

 

私にこんな煮え滾るような感情があったなんて、思わなかった。

「私、結構怒りっぽかったんだ」

621は独り言つ。

自分の過去の記憶は強化人間となった時点で消失している。

621は自分の過去を知らない。

何に喜び、何に怒るか、全てがブラックボックスである。

故に自分の感情の発露を目の当たりにして、それを己の感情と解釈することに困難している。

『私はウォルターの猟犬なんだ––。手前の糞餓鬼の命くらい幾らでも喰ってやるよ』

621は己の放った言葉の意味を考える。

ウォルターの為?

なんで?

 

わたしはなににおこっていたの?

わたしはなにがしたいの?

 

ぐるぐると思考が徘徊を繰り返す。

 

降り注ぐ暖かな水滴の雫たちが、サラサラを肌を流れ落ちてゆく。

彼女の脳裏に苦しげにレッドガン壊滅の知らせを聞くウォルターの顔が浮かんだ。

あ、

621は目を見開く。

そうか、私、許せなかったんだ。

私がウォルターの苦しみを受け入れられない人間と思われるのが。

私、ウォルターの苦しみを受け入れたいんだ。

泡を含んでいた湯は透明になっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

更衣室には汚れたパイロットスーツの代わりに、黒い新品のTシャツと隊服のズボンが置かれていた。

着てみるとサイズが大きくて、ズボンはそのままではストンとずり落ちてしまう。

621はズボンについていたベルトを思い切り締め、足の裾をぐるぐると巻き上げた。

食堂へ戻ると汚れていたカウンターテーブルも床も綺麗に片付けられていた。

カウンターにはまた水が置いてある。

そして老婆はまだ料理を作っていた。

621はカウンターに再び座る。

「もう、私は食べないよ」

「わかってるよ、この料理はあんたの分じゃなくてウォルターの坊主の分さ」

そういえば、私がこの任務を受けると言ったとき、この人のことを『古い知り合い』と言っていた、と621は思い出す。

「ウォルターがあなたのこと、古い知り合いって言ってた。どういう関係だったの?」

「先輩ってとこかね。オレも昔はAC乗りだったんだよ。ファーロンでミシガンの小僧と一緒にドンパチやってた。ウォルターとはそん時知り合ったんだ。あいつ、ACに乗ってオレ達と一緒に戦ってたんだぜ」

「ウォルターが?」

「ああ、あのウォルターがさ。意外だろ?」

621は頷く。

傭兵の元締めがAC乗りというのはありがちだろうが、人を犠牲にするたびに苦しむあのウォルターが自らACに乗っていたとは思わなかった。

「まあ、操縦は下手だし相手を倒す度に吐いてるようなボケナスで全然使えなかったんだけどね」

老婆が笑う。

「ウォルターは昔からウォルターのままだったんだね」

「そうさね、あいつは昔からずっと変わってない。昔から今まで、ずっと苦しみを背負ったままさ」

老婆は中華鍋をふるうことをやめない。

そして621を見ることもない。

鍋を通して、ウォルターを思っているようだ。

「そういえば、あんたをここに呼んだ理由をちゃんと話してなかったね」

「レッドガンを全滅させた私への仇討ちじゃないの?」

「それが一番だけど、もう一つある」

「何?」

「見極めたかったのさ、あんたがウォルターの坊主が背負う苦しみを飲み込む覚悟がある人間なのか」

老婆がコンロの火を止める。

「あんたは証明してくれたよ。あんたにはウォルターの苦しみを飲み込む力がある」

透明のプラスチック容器にご飯を敷き詰め、ニラ玉を上からかける。ほんの少し空いた隙間に春巻きやエビチリを詰め込む。

締まり切らない蓋を無理やり閉めて、輪ゴムを巻いて固定する。

見るからに大盛りの弁当だ。

ミシガンや他のレッドガン隊員であれば食べ切れるだろうが、ウォルターに食べ切れるとは思えない。

 

「できたよ。これをウォルターに渡してくれ」

白いビニール袋に入れられて、ぎゅうぎゅうに詰められた弁当が621に渡される。

621はそれを大事に手に掴む。

「最後に、この老ぼれの忠告、聞いてくれねえか?」

「聞くよ、教えて」

「ウォルターの苦しみはあんたが思ってるよりも遥かに重い。これからあんたは今日喰った命の何十倍も何千倍も多くの命を食わなきゃならんくなる。そして、今日みたく吐いて楽になることも出来なくなる。辞めるなら今のうちだよ」

老婆の声は優しい。

彼女は621のことを心から案じていた。

「言っただろババア、私はウォルターの猟犬なんだ。何千人でも何万人でも、ウォルターの為だったら飲み込んでやる」

「……よく言った。ウォルターのこと、頼んだよ」

「まかせて」

老婆が弁当から手を話す。

621に渡された弁当は621の手が感じる重さよりもずっしり重かった。

 

621は食堂を後にする。

外は暗く、夜空には満点の星が輝いていた。

ウォルター、私、貴方の為にならいくらでも命を飲み込むよ。

だから、私に貴方の苦しみを背負わせて。

意思の灯火が宿った目には、涙が流れていた。

 


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