あと、あとから中身編集するかもですがそれはごめんなさい。
柏木の朝は部活動を受け持つ教師と比較してもかなり早い。
朝6時に勤務先である東旺高校へ出勤すると、職員室の掃除や物品の整理を行い、その後に小テストの採点を手で行う。続々と他の教師も到着し始める7時頃になればその整った人を魅了する悪魔の笑みを浮かべながら欠かさず挨拶をして、時には他の教師の仕事を引き受ける。
その姿を見るだけならば正しく人格者、容姿も相まって人気教師の鑑と言える。
でもそれは本性を誤魔化すための仮の姿でしかないことを俺は知っている。
こうして張り付いていれば何かボロが出るはずと思って、早朝から来ては様子を窺っているが全くその仮面が剝がれる様子は無さそうだ。悔しいけども柏木の方が一枚上手と言う他ない。
8時頃になると柏木先生は校門前に立った。登校してくる生徒一人一人に「おはよう」と挨拶をすれば、自分と関わりがある生徒がやってくれば「今日は英単語赤点取るんじゃないぞ」「今日は授業サボるなよ」とその生徒に適応した挨拶を返していく。完全に生徒想いの良い教師を演じているようにしか見えない。
木陰で涼んでスマホを弄るふりをしつつ柏木を観察していれば、矢場先輩が登校してきた。
矢場先輩は柏木を確認すると、一度軽く頭を下げる。
「おはようございます」
「ああおはよう。今日は少し暑いから体調には気を付けてな」
「はい……」
柏木は少しイラつきそうになるくらい相変わらずの爽やかさっぷりで、一方の矢場先輩はぶっきらぼうを装いつつも耐え切れずに口元が緩んだところを俺は見逃さない。知っていたけど矢場先輩は柏木にベタ惚れだ。恋は盲目と言うがこれほど完璧な教師を演じ切る柏木相手にそれを言うのは酷な話だろう。矢場先輩はそのまま一定の歩幅で既に年季の入った本校舎へと歩いて行った。
それにしても、空井さん情報によれば柏木は何人もの女生徒に唾を付けているそうだが……今のところ矢場先輩以外に教師と生徒の枠を超えて親し気にしている異性は見えないな。一夜明けて思うけど空井さんのあの言葉は案外嘘なんじゃないだろうかと疑いそうになる。何せ情報の出所が空井さんだ。よくよく考えてみれば信頼度は高くない気もしてきている。
まあそれはそれとして、陽香をターゲットにした柏木の蛮行を許すつもりはない。よくもうちの妹に手を出そうとしたなこの野郎。外面に騙される前に本性を世に知らしめてやる。
「なにしてるの上貫君?」
「んわ!?」
突然背後から話しかけられて思わず驚いた。振り向くと空井さんが目を見開きながらこちらを見ていて、すぐに人を笑うようにコロコロと笑い声を上げてこちらに人差し指を差した。
「上貫君……! んわって! んわってどういう声なの……! 面白すぎるんだけど」
「空井さんは今登校?」
指をこちらに向けるなと言いたくなったけどそれ以上に空井さんに笑われる方が嫌だったので話題を逸らす。
空井さんは笑って涙が出たのか、拭くように下瞼をなぞりながら頷いた。
「うん。上貫君が視界に入ったからつい来ちゃった。……で、もしかして見てるのは柏木先生?」
「ああ、柏木の野郎を観察してる」
「いや野郎って……先生にそういうこと言ったらダメじゃないかな。せめてさん付けとか」
「俺が、アレをか?」
そう言って視線を柏木に振った。
一生徒としては的確な注意だ。でも今更柏木を先生呼ばわりしようとは思えない。その事情の一片は空井さんも知っていることのはずだ。
空井さんはそんな俺を見て首を傾げる。
「……この一晩で何かあったの?」
「ここで言う話じゃないから後で話すよ」
「もしかして好きな子が寝とられちゃったとか? ああ~だったらご愁傷様だね」
「過去形にすんな。全然違うわ」
仮にそうだったとしてもそんな満面の笑顔で嬉しそうに言うことじゃない。品性って物が無さすぎるぞこのガワだけ可愛いクラスメイトには。
否定したのに空井さんは口に油を乗せたように続けて話し始める。
「でもさ、女の子なら柏木先生には一度は惹かれるものはあると思うんだよね。優しくてイケメンで気さくでさ、同級生には無い落ち着きもあるし。生徒からの告白だって相当数受けてるんじゃないかなあと思うよあの様子だと」
「俺は認めないからな」
「何言ってるの上貫君。童貞拗らせておかしくなっちゃった?」
思わず沈黙。
まあ空井さんなら童貞とかそういうセンシティブワードを平然と言うのは分かるけど、普通は同級生の男子には思っても明言しないんじゃないか。お陰で俺だけ少し気まずい。
しかし、やはり柏木は女子生徒から恋愛対象としても人気あるんだな。
そう考えると陽香もその色香に騙されないか不安だ。
「……参考までに空井さんも惹かれるの?」
「え、私の事好きだったの? ごめんね?」
「いい加減恋愛脳から離れてくれないかな。参考までにって言ったよね俺」
俺が告白して振られたみたいな反応するの止めてもらえますかねマジで。勘違いされて校内で噂になったら肩身狭いんだけども。ただでさえ昨日の放課後変な感じで教室を後にしたのに。
空井さんは一瞬の間隙すら挟まず手でバッテンを作った。
「柏木先生は私の好みの対象じゃないからナシ。うん。幾らイケメンでも年齢も10は違うだろうし、あと競争相手も多くて面倒そうじゃん。私結構省エネ主義なんだ」
「恋愛で省エネ主義って初めて聞いたな」
多分恋愛って普通は異性に気に入られるよう時間と努力とお金を止め処無く注ぎこむと思うんだけど、なんか空井さんらしい考え方だと思う。もちろん褒めてはいない。
「じゃあ私が提唱者ってことで。あ、もう一個あるよ。もし彼氏作るんなら自分より頭良くない人の方が良いんだよねー私」
「はあ」
それは聞いてないしちょっと歪んでると思う。
俺が共感しなかったのが少し気になったのか空井さんは付け加えるように言う。
「だって自分より頭悪い相手の方が将来的に色々と言い包めて都合良く使ってやれそうじゃない? ポジション優位は取れる時に取らないと。だから私、自分より頭悪い人の方が好きかなあ」
「空井さんって変わってるね」
最低だね、という言葉はせめてもの情けで舌に包んでおく。
「そう思う? 私は割と普通だと思うけど」
「それは無い。絶対に無いと思うよ空井さん」
「恋愛を知らない上貫君は知らないかもだけど、今時のJKはみんなそういう考え方で彼氏を選んでるんだよ? この話するとみんな重い顔して頷いてくれるし」
それ絶対に引かれてるだけだって、気付いた方が良いと思うぞ空井さん。
その皆もどう反応すれば良いか分からないから仕方なく曖昧に笑みで濁そうとしてるだけだって。絶対に。
空井さんは何かに気付いたように俺をねめつけると、少し明るい声で言葉を紡ぐ。
「それで言うと実は上貫君も良い線行ってるんだよね」
「え、俺いま空井さんから頭悪いって言われてる?」
「私調べだと学力はそんなに高くないと見た」
胸ポケットから鉛筆を取り出すと、これからデッサンをする画家がパースを確認するみたいに俺に向けて鉛筆を縦にして向けた。それで学力を計測している気なのか。若干鬱陶しい。
中学時代は一応これでも上から数えた方が早かったけど、正直どうだろう。予習復習を好んでやる方じゃないから受験が絡まない学力が高いかという質問は否となる気もするが、そこはさておき、空井さんより頭が悪いと思われるのは少し癪に障る。
「定期試験も模試もまだなんだから校内でどのくらいの立ち位置かは分からないよ」
「でも頭良くは無いでしょ。うん。ぼんやりした表情とか跳ねた髪の毛とか頭良くなさそうに見えるよ上貫君は」
「判断基準見た目かよ」
容姿と学力が比例するならテレビで活躍する芸能人は皆天才になってしまう。でも見た目で人を判断するのは空井さんっぽい。
「随分と自信ありげに言うけど因みに空井さんは入試成績どのくらいだった?」
念のため確認すると、空井さんは自信満々に貧弱な胸を張った。
「ふふふ、聞いて驚いてほしいんだけど私、席次191位だった。トップハーフなんだよ」
「へーそれは凄いや」
同学年は400人弱なので凡そほぼ合格者平均だ。トップハーフという言葉はまあ合ってるが、191位は全然成績上位でも何でもないので誇らしげに語るのは随分違うと思う。
因みに俺はと言えば勉強は一夜漬けタイプで、最後の三カ月は本気で自分を追い込んだ結果もあり結果的に32位とかだった気がする。心底良かった。俺は空井さんのタイプから外れることが出来て本当に安心だ。
「まあ私みたいになれるように上貫君も頑張ることだね」
真実を言って気分を害すとまた面倒くさいことを言われそうだな……。
自尊心よりも実利を取った俺は、うんうんと偉そうに頷く空井さんに何も語らず空虚に黙って頷き返すのであった。
◇ ◇ ◇
空井さんは俺の席から見て2つ前の住人である。
『か』から始まる俺と『う』から始まる空井さん、そのイニシャルを考えればもう少し近くても良いような気はするけど、このクラスにはその間に2人ほど存在している。その為に俺は空井さんの事を昨日まで眼中にすら入れていなかった。
そんな前置きはともかく、俺は暇潰しに昨日今日と教室内の空井さんを眺めてみた。
意外なことに授業間の10分休憩で話す相手はいるみたいで、親しげに数人の女子生徒に混じって歓談する様子は何度も目撃している。だが何年も人の輪の大外から人間模様を観察してきた俺の目は誤魔化せない。偶に変な事を宣う空井さんの本性を悟ってか、周囲は空井さんにあまり話題を振っていない。空井さんが話すと一瞬空気が固まって、周囲の献身的なフォローにより何事も無かったかのように氷解する。
これが空井さんの言う『友達』であれば凄い悲しい真相だった。
上辺の会話にすら碌に入れてもらえていないとは、何たる悲惨さだろう。ここまで空気を読めないとなれば呆れを通り越して哀れさすら覚える。そして同時に、自分が口を開くことで微妙な空気感になっているとは露程も思っていない顔で平然と会話に混ざろうする空井さんの超合金メンタルには感服物だ。真似しようとしても絶対に出来ない類の能力である。他人の秘密を知ってしまう体質より、空井さんみたく心臓の内外に剛毛が生えていた方が感受性に乏しくて嫌なことも嫌と感じず生きていそうで羨ましい。SAN値にプラスで防御値がついてるようなもんなのだろうきっと。バピコ付けるから俺の心臓と交換してほしい。
そうして空井さんを観察するだけで過ぎ去り、訪れた昼休み。
俺は再度屋上手前の誰もいないフロアに直接呼び出されると、呼び出し主である空井さんはこちらを凝視して首を傾げた。
「それで何で善行を積む気になったの?」
柏木の話だろうが善行って何のことだっけ?
「……ああ、何かそんなことを昨日の空井さんは言ってたっけ。それはどうでもよくて忘れてた」
「どうでも、良い? かなり頑張って考えた誘い文句だったんだけど……」
いや授業を1つ聞かずに考えた割にはあんまり説得力なかったけど。
愕然とショックを受ける空井さんを無視して俺は妹の話をすることにした。
「一応事情だけ話しておくと、俺には妹の
「ちょっと上貫君ってば昨日の私の話は? 一旦は穏便に済ませようって言ったじゃん」
そう言えばそんなことも言っていた気がする。でもそれは妹の身の安全よりも重要なことだろうかと俺は提言したい。
「それはそっちの都合だろ? 俺は俺の都合で動くことにするから」
「えー共同戦線を張ろうよ。私達、目的は違えど過程は一緒だよね」
「何で言い方が桃園の誓いなの?」
「だって同じ派閥じゃん。あ、私が曹操だから。上貫君は黄巾ね」
別に同じ派閥だった認識も無ければ、桃園の誓いに曹操いないが。あと黄巾って黄巾族のことか? それは人物じゃなくて反乱軍の名称だ。空井さんは多分、適当を通り越して思い出した三国志関連ワードをそのまま口に出している気がする。そういう知ったかぶりをするからクラスでも変な空気になるんじゃないか。上貫は訝しんだ。
「じゃあ劉備は私がもらうね~」
「ひゅごっ!?」
「んどば!?」
びっくりしたな!?
唐突に背後から話しかけられた俺と空井さんは全身を震わせて、のんびりとした声が響いた階段方向に視線を送った。
女子生徒で、上履きの色が黄色。つまり二年生の先輩。
顔を向けると、おおよそ嗅いだことのない温かい新緑の匂いが目の前の人物から発せられていることに気付いた。
ヘアートリートメントのCMに出てきそうなくらい艶やかな黒髪を靡かせて、ほんわかとした表情を浮かべるその女子生徒を俺は知っている。
全生徒を取り纏める東旺高校生徒会の長たる彼女は、相も変わらずその姿から威厳さというものが全く感じられない。
親戚のお姉さんみたいなおっとりとした温かさと包容力を併せ持つこの生徒会長を俺が見たのは先月の入学式の時以来だった。入学式という厳粛さを無視して幼い小学生に読み聞かせるみたいに祝辞を紡ぐ桜沢先輩の姿に教頭先生がブルブルと何か言いたげに震えていたのは今でも記憶に残っている。
しかしそれは仮の姿で、本当の桜沢先輩はもっと狡猾で目的のために手段は問わない───そう人伝で聞いている。
とはいえ、こうして実物を見るとそんな裏の一面があるなんて一切感じないな。
所詮俺も三年生同士の会話を盗み聞いただけ、俺の情報が間違っていたのかもしれない。
桜沢先輩は俺と空井さんを視界に収めると赤く染めた両頬を誤魔化すように両手でそっと隠した。
「こんなところでどうしたの~? 一年生かしら、お二人とも?」
「ええ、はい」
「入学早々お熱いのね~。でも熱愛も程々にね? 幾ら人気がないと言っても誰も来ない訳じゃないのよ?」
何かとんでもない勘違いされている気がする。
俺が訂正のために口を開こうとして、その前に空井さんが手をピシっと上げた。
「すみません先輩、この人は赤のぼっちです。勘違いされると困ります」
赤の他人って言おうとしたのかな。うん。でも今の言葉だと只管俺が恥ずかしい現状を暴露されただけになってるからね。
途端に表情に慈愛の色を含ませた桜沢先輩は俺を見て、
「大丈夫、高校生活は始まったばかりだから。少年よ大志を抱けだよ、一年生」
そう言ってガッツポーズを決めた。
いや、桜沢先輩が優しいのは分かるけど、ぼっち脱却を大志と称されると非常に微妙な気持ちになる。そんなに孤独な風に見えるのかな俺って。
「じゃあカップルじゃない君たちは何をしてたのかな〜?」
その言葉に俺と空井さんの目が合う。
流石に本当のことは言えないな。生徒会長に柏木という教師が生徒に手を出していて大変なんです、なんて話をしてもどうしようもない。証拠があれば話は違うけど、今の時点ではただの悪口としか思われない。
どう言い訳するか云々と考えていれば、空井さんが一度ウインクをしてみせた。
ここは任せろという意図かな。なら任せた。
「内緒話です」
馬鹿野郎。それを言うなってアイコンタクトだったんじゃなかったのかよ。
桜沢先輩は「お〜」と手を合わせて長閑な笑みを浮かべる。
「青春だね〜興味本位なんだけど内緒話ってどんな?」
「それは方べき───」
「空井さんが柏木先生の事を気になっているみたいで、俺がその相談に乗っていたんですよ」
空井さんから凄い目で睨まれた。
でもなんか普通に駄目そうだったから仕方がない。今も方べきの定理とか口に出しかけていたし。方べきの定理が重要ワードとしてでてくる内緒話ってなんだよ。
「ふーん、そうなんだね」
「はい。一年生は柏木先生が授業担当されないので接点も無く、どうやってアプローチすればいいんだろうなって話をしていました」
「かっこいいからねあの先生。二年でも好きな子多いよ〜」
引き続き空井さんには犠牲になってもらう方向性で話せば、桜沢先輩も納得したように首を縦に振った。なんか上手く誤魔化せそうだ。だから見えないところで背中の肉をグリグリ抓まんでくる空井さん流の無言の抗議には頑張って耐えることとする。暴力系ヒロインは今時流行らないからね空井さん。
ニコニコと桜沢先輩は聖母の笑みを湛えて、年齢相応よりも大幅に膨らんだ胸ポケットに手を入れた。
「その話私も興味あるな〜。そうだ、二人も屋上来ない?」
「屋上ですか? 開いてないですよ?」
「実は私、生徒会長だからこういうところに出入りする特権くらいはあるんだ〜」
チャリンとポケットから鍵を取り出すと、桜沢先輩はドアに差し込んでガチャンと解錠した。
評価とか感想とかあると大変嬉しいです。