美少女だけどノンデリな空井さんと秘密箱   作:金木桂

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♯4 生徒会顧問は不貞なんかしないよね

 

 桜沢先輩の手によって一般生徒では立ち入れないだろう屋上の扉が開かれる。

 次第に目に映ったのはベンチも何一つない無機質なコンクリートの床に、晴れ渡った天上の蒼穹、それに五階相当の高さから眼下に広がる商店街である。武蔵小杉駅前の方を見遣れば十年前くらいの開発で建てられた幾つものタワマンが軒並みを連ねて、その下にある建物の日照権を掠奪している。

 

 興味津々で左右を見渡す俺と空井さんを尻目に、大きく腕を広げて気持ちよさそうに桜沢先輩は前を歩いて、踊るみたいにこちらに振り向いた。

 

「よくここにはお昼食べに来るんだよね~。夏は暑いし冬は凍っちゃうけど、今の時期はすっごい気持ちいいでしょ? 先月までは下を見れば桜見だって出来たんだよ?」

 

 確かに良く見れば桜沢先輩は片手に弁当箱と水筒を持っている。

 屋上前は誰も来ない場所だと思っていたけど、この時期は生徒会長が出没するという情報は一応メモしておこう。一応。

 

「改めて、桜沢音子(さくらざわねこ)です。呼び方はネコ会長でもネコ先輩でも自由にして良いからね」

 

 桜沢先輩は自己紹介と同時に軽く会釈をした。屋上というシチュエーションで美人が穏やかな笑みを浮かべて、見目麗しい所作をするその姿は何だか高尚な画家の描いた一枚絵にすら思えてきて、こう、凄い。眩い。容姿が良いって狡いなと思うpart2。

 

「私は名乗ったから次はそっちの番だよ」

 

 ハッとする。

 危ないところだった。光属性の何かに飲み込まれるところだった。

 

上貫京(かみぬききょう)です。良く関西生まれっぽい名前と言われますが普通に神奈川出身です」

 

 テンプレートに自己紹介をする。稀に京都か奈良の出身だろとか言われることがあって、それをユーモアに含んだこの自己紹介は小学生の時に考えて以降何度も擦り倒しているため、意識するまでもなく自然と口からすらすらと出てくる。因みに中学生になってからは名前で弄られたことはない。

 

「京っていうんだ。初めて知った。女の子みたいな名前だね」

 

 とか考えた瞬間に弄ってくる人がここに一名。実は空井さんは小学生男児レベルの感性なのである。知ってた。

 空井さんは俺を弄るために開いた口をそのままにして桜沢さんに向き直った。

 

「私は空井朱火です。名前の漢字は朱に火と書いて朱火と書きます。決して植物の木通ではありません」

「朱火ちゃんか〜いい名前だね」

 

 正直木通かと思ってたから何も言えない。

 桜沢先輩は風に靡くスカートを抑えながらら、空井さんの自己紹介を穏やかに聞く。

 

「じゃあ京ちゃんと朱火ちゃんだね〜」

 

 い、いきなり名前呼び。しかも男に対してもちゃん付けか……全く接点が無かったのに、まるで親しい間柄にでもなったかのように錯覚してしまう。流石は生徒会長、高難易度のコミュニケーションをさらっと熟してしまう。これは噂通り手練手管に長けている可能性が高くなったぞ。

 と、隣で空井さんが耳元に掛かった髪を指で捻じる。

 

「ネコネコ先輩……私達まだ仲良く無いので名前呼びはもっと仲良くなってからでもいいですか?」

 

 沈黙が支配した。春風の音だけが妙に不穏に響き渡る。

 

 名前呼びNGなんだ空井さん。教室で誰も空井さんを名前呼びしないのはただ周囲が遠慮していただけなのかと思ってた。

 それにしても幾ら好きに呼んで良いと言われたとはいえ、早速渾名をつける感性は素晴らしいと思う。無論褒めてはない。

 

「ごめんなさい〜。私、名前で基本人を呼んじゃうんだ。じゃあ空井ちゃんね」

「うーん……」

 

 一瞬硬直した場を解すように桜沢先輩が晴天に咲いた向日葵みたいな笑みで空井さんを見るが、当の本人は何か悩ましげにぽりぽりと頭を掻いた。なんだか嫌な予感がする。

 

 空井さんは今度は少し躊躇しながら口を開くと、

 

「それは私は良いんですけど、普通『さん』付けじゃないですか? 小中でも義務教育でそう教わりましたよね? 少なくとも生徒会長が生徒をちゃん付けするのは少し良くないんじゃないかなって私思います!」

「ええっ……」

 

 いや空井さん何を言ってるの?

 絶対に表情を崩さなかった桜沢先輩がついに困惑しながら助けを求めてこっちに視線を振ってきただろうが。

 

 しかし、桜沢先輩からの無言のアイコンタクトについては何となく言いたいことは分かる。俺は頷いて見せた。はい、空井さんは普段からずっとこんな感じの人です。変な人なんです。将来社会に出ることに他人ながら心配をしてしまうレベルでデリカシーも無ければ空気も読めない子なんです。お手数おかけし申し訳ない……ってなんで俺が謝らなきゃならないんだ。

 

 桜沢先輩は笑みを再度顔にリロードして、右手でスカートをぎゅっと握り締めた。

 

「うん、じゃあ上貫さんと空井さんだね」

 

 ああ、空井さんだけでなくついでに俺も苗字さん呼びになってしまった。なんだか損をした気分だ。とはいえ今から態々名前呼びに訂正するのは気持ち悪いかな……どうだろう。

 

 自分の心に従って「俺だけは名前呼びで良いですよ桜沢先輩」と巨大な自己主張をしようか迷っていると、慇懃に頭を下げる空井さんの姿が目に入る。

 空井さんって人に頭下げられるんだ。ちょっと意外だ。

 

「ありがとうございますネコネコ先輩」

「いえいえ。私はみんなの生徒会長だから、個々のオーダーにも応えなきゃ……でさ」

「?」

 

 含みを持った言葉に空井さんは不思議そうに目を丸くする。

 少し言いづらそうに声量を落として桜沢先輩は言った。

 

「何でもと言った手前言いづらいけど……ネコネコ先輩はその、恥ずかしいから止めてほしいな?」

 

 まあ、それはそう。ネトゲのハンドルネームみたいな名前だし。

 数秒程度の時間を置いて、空井さんはコクリと頷いた。

 

「じゃあネコさんで」

 

 それはもっと宜しくないのでは。

 道端で猫を見つけたときの呼び方じゃん。

 

「うん、それならいいよ〜」

 

 良いんだ。

 本名と言えどそれはそれで失礼な気がしたけど。

 

 桜沢先輩はこちらを見ると、コホンと喉の調子を整える。

 

「ところで二人は……上貫さんは生徒会とかは興味ある?」

 

 突然の話題転換だ。とてもナチュラルに空井さんの名前は消されたが、生徒会にあまり興味を持ってほしくないという桜沢先輩の表れなんだと思う。

 ちらりと横を見ると、「何でいま私省かれたの?」と言いたげに俺を見る空井さんと目が合った。静かに目を逸らした。この期を逃さず空井さんは自分の発言を省みるべきなんだ、きっと。

 

 何かを感知したのかジト目で尚も視線を飛ばしてくる空井さんを意図的に無視して俺は答える。

 

「あんまり関心は無いですね。まだ学校のことをよく知らないっていうのもありますけど、第一、学校運営っていうのに興味があんまり持てないです。何をやってるのか良く分からんないですし」

「ああーそうそうそうなんだよね〜。正しくその京さんの認識が、生徒会が何代にも渡って引き継ぎ続けた負の課題そのものなんだよ。機関紙に活動記録を隔月で掲載してるけど読んでくれる人は先生以外にいないし、生徒会活動自体が裏方の役回りが多くて人目に触れないしね〜」

 

 確かに中学時代に生徒会活動をやっている同級生はいたものの、具体的に何かやっているところはほぼ見たことがないかも知れない。精々、たまにある全校集会やらで前に立って何か喋ってるなーくらいの感覚でしか無かった。

 中学時代の記憶を掘り起こしていれば、小さくもピンと空井さんが手を挙げた。

 

「私、生徒会には少し興味があります! ネットの動画で生徒会長は校則を自由に作り変えることができるって聞きました!」

「ありがとう〜頑張ってね空井さん」

 

 邪に塗れた意思表明を桜沢先輩は軽く流した。この乾いた返事を聞く限り、桜沢先輩の任期中は空井さんが入閣することは無さそうだ。

 

「それでね、生徒会って実は柏木先生が面倒を見てるの。先生としては若くてカッコいい見た目をしてるから多少は緩いと思えば、凄いしっかりしてて真面目なんだよね〜柏木先生って」

「は、はぁ」

 

 何故ここで柏木先生の話が?

 あまり要領を掴めずにいる俺を無視して続けざまに桜沢先輩は目をこちらへ向ける。

 

「しかも大学は理工学部らしいの。東大の」

「へぇ、東大は凄いですね」

「君より凄いんだよ〜」

 

 いま俺を比較対象に並べる必要性はあっただろうか。なんかトゲもあるし。この先輩やっぱり怖いかもしれない。

 

「だから何が言いたいかってね、柏木先生が公序良俗を乱してるなんて、そんなのは嘘に決まってるのよ」

 

 桜沢先輩は妙に恐怖を覚える笑みを深めて、怜悧な眼差しをこちらへ向ける。

 

「……聞いてたんですか?」

「あの特別棟の一階、生徒会で使ってる物品の物置があるんだよね。5月と言ってもあそこエアコンが付いてないから暑くてね〜小窓を開けてたの」

 

 言い方がとても態とっぽくて気になるけど、ともかく、まだそこまで校内事情に通じてる訳じゃないからあんなところに物品庫があるなんて初めて知ったな。たぶん全部聞かれてんだろうなあ、昨日の空井さんとの会話。

 ここで空井さんが手を打った。

 

「あの……それって盗聴ですよね?」

 

 盗聴……ではないんじゃないかな。

 

「盗聴じゃないよ。偶然だよ」

「盗聴ですよね!」

「本当に聞かれたくない会話なら例え人気が少なかろうとも公共の場でやっちゃ駄目だと思うよ〜違うかな?」

 

 桜沢先輩はそう言って小首を可愛らしくひねった。

 それもそうかもしれない。

 正論を突きつけられて動けなくなった空井さんを安心させるように笑うと、桜沢先輩は髪を掻き上げた。

 

「ところでさ、そんな柏木先生の悪口を言う君たちに1つお願いをしたいんだけど」

「……脅迫ですか?」

「脅迫だよ」

 

 空井さんは少し怯えた目をして、ライオンを目の前にした小動物みたいにピクリと背筋を震わせた。意外と空井さんはこういう直接的な言い方に弱いのかもしれない。

 桜沢先輩はそれを察して、ひらひらと手を振って笑い飛ばした。

 

「冗談だよ~生徒会長がそんな事するわけないでしょ〜? 単純なことで、柏木先生の本心を確かめてほしいんだ」

「俺達にですか?」

「うん」

 

 視線がこちらに振られた。ほんわかと花弁が舞うような桜色の瞳が俺を捉える。

 

「柏木……先生の本心ってどういう意味ですか?」

 

 危ない、"先生"を忘れかけた。口ぶりから桜沢先輩が柏木を慕っているのは明白で、面と向かって柏木と言ったらどう思われるか分からない。

 でも柏木の本心と言われてもなあ、どういう意味だろうか。実は校内でハーレムを作りたいとか? 或いは矢場先輩にガチな方の恋慕を抱いているとか? そういうのを確かめろと?

 桜沢先輩は静かに唇を戦慄かせる。

 

「二人とも矢場さんと仲が良いってことは当然知っているのよね?」

「ええ、まあ。噂程度には」

「でもありえないわ、だって学生と先生じゃない? しかしこうして不信の種を植え付けてしまった事実もある。だから生徒会長として、生徒の健全たる精神を育むという学校方針に則って、それを担う生徒会顧問の人間関係は密に調査する必要性があると思うの」

「そうですか……そうですか?」

「そうなの」

 

 そうなんだ。

 生徒会長がそう言うんならきっとそうなんだろうな。深くは考えまい。

 

「ただそういうのは大人に任せた方が良いんじゃ?」

「それがさ、もしこれが本当で柏木先生が退職したら生徒会も学校も混乱するよね~?」

「まあですね。先生が女子生徒と交際していたなんて公になれば色々と騒がしくなると思います」

「それは私としても望むところじゃないんだ。大事なのは柏木先生がクリーンであることを証明されること。それから柏木先生が本当に矢場さんを好いているかを把握すること。この二つだと私は思うの」

「二つ目要りますか?」

「何を言ってるのかな、二つ目が一番重要だよ?」

 

 まるで「お年寄りには優しくするんだよ」と真っ当な倫理でも語るような真面目な顔で、桜沢先輩は据わった目をした。この先輩、少し変かもしれない。

 そんな桜沢先輩に空井さんがおずおずと左腕を擦る。

 

「……でもネコさん、私も上貫君も探偵じゃないですよ?」

 

 今思ったけど空井さん、人に『さん』呼びを指摘して自分は俺の事を『くん』呼びなんだよな。

 桜沢先輩は少しの間考えるような沈黙を挟んで、

 

「そうだなあ、もしやる気が出ないっていうなら報酬をあげるよ~。屋上を自由に出入りする権利とかどうかな?」

 

 ……マジか。

 出された餌にすぐ食いつくのは少しみっともないとは思うけど、それを抜きにしてとても魅力的な提案だ。

 青春と言えば屋上、屋上と言えばラブコメだ。飾り気のない俺の人生もいよいよ俺専用の特別ステージを手に入れることでステップアップを果たすかもしれない。

 胸を躍らせながら未来の彼女と夕日を見ながらロマンチックに語り合う姿を夢想していると、空井さんが頷いた。

 

「やります! 柏木先生の不貞を暴いてみせます!」

 

 空井さんにとっても屋上開放は特別な意味を持つようだった。でも俺、この人と意見が合うとちょっと不安になるんだよな。

 鼻息荒く意気込みを語った空井さんに桜沢先輩はまた真顔に戻る。

 

「柏木先生は不貞なんかしないよ?」

「で、でもネコさんだって柏木先生がそういう疑いがあるから私たちに調べて欲しいって……」

「柏木先生が不貞をするわけないよね?」

 

 空井さんが黙った。

 柏木に向けて不貞というのは違うと思うけど、しかし、恋は盲目とも言う。

 もしかしなくともこの先輩が校内で一番柏木のことを好きなんだろうなと、人の恋路に巻き込まれたことを悟った俺は虚ろな目になった。

 

 

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